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期待と回想(下巻)
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 晶文社 |
| 発売年月日 | 1997/08/05 |
| JAN | 9784794963147 |
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期待と回想(下巻)
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商品レビュー
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2件のお客様レビュー
鶴見俊輔に対する思いは上巻の感想に書いたので、同氏の紹介した「プラグマティズム」や「転向」という思想を意識しない範囲で、本書の具体的な記載内容を拾っていきたい。 ー 戦後の段階では、本はもはや本を叩く道具なんです。だからスウィフトの『書物合戦』というのは、まさに日本なんです。で...
鶴見俊輔に対する思いは上巻の感想に書いたので、同氏の紹介した「プラグマティズム」や「転向」という思想を意識しない範囲で、本書の具体的な記載内容を拾っていきたい。 ー 戦後の段階では、本はもはや本を叩く道具なんです。だからスウィフトの『書物合戦』というのは、まさに日本なんです。でかい本で薄い本を叩けば、でかい本が勝つに決まっているでしょう。私は「共同研究転向」三巻というでかい本を編集したんだけども、この本は、一九六〇年代以後、共産党系の知識人をひっぱたくために使われた。私は、そういうふうに使ってほしいと思っていない。だけどそう使われた。学生運動でも、だいたい声のでかいのが勝つでしょう。なんともいえずつらいところですね。この根は深いんです。一九一七年にメンシェヴィキをまかしてボルシェヴィキを指導したレーニン以来、全体主義はずっとあるわけですね。それに対抗した人はヨーロッパで、ないことはなかった。ローザ・ルクセンブルク(ポーランド生まれの共産主義者)はそうですね。異論をきちんと書いている。スターリン時代に異論のある余地をのこすためにがんばったトリアッティ(イタリアの政治家)と、いることはいるんだけども、だいたい全体主義ですね。日本のインテリは全体主義としてマルクス主義を丸のみにしてしまった。この問題はソヴィエトが潰れたからいいじゃないかと、それで片づく問題じゃないんです。 何が言いたいのかというと、本来、本は議論を深めたり、考えを交換する道具のはずだが、日本では、厚い本(権威ある本)が、薄い本(異論)を“叩きつぶす道具”になった。つまり科学的な議論ではなく“権威の一撃”で相手を黙らせる文化となった。これは、レーニンがボルシェヴィキを率いて権力をとった後、異論を許さず、“党の決定が絶対”という体制を作ったことと同質だというのだ。結果的に、「異論に耳を貸さず、相手を押しつぶす文化」が生まれ、それはソ連の崩壊と共に消え去ってもいない。日本では、“内部批判”がほとんど育たず、教条主義的なマルクス主義が知識人を覆った。①異論を許さない文化 ②声の大きな人が支配する構造 ③理論ではなく権威で殴る知のあり方 これらが日本の思想界に残ってしまった。マルクス主義に限らない話だろう。 ー 書くことが自分をまずしくする。そう感じることがある。体験によって体験を読むという道があるのではないか。体験が一行の命題に集約できるとうっかり考えて、その一行の外に捨ててしまった部分から新しい力をひきだすことができなくなる、そういうあやうさをかわす回路として、映画があり、漫画があるのではないか。漫画をよくみるのは、てらいではないか。嘘を言っているのではないか。そういう疑いを向けられることがよくある。私の側から答えるとすれば、今世紀の哲学史の巨匠たちから私が直接ならったことについてのべるとき以上のてらいが、漫画について私がのべるときにあると、思っていない。逆に言えば、おなじくらいのてらいがあると思っている。岩明均の「寄生獣』に、私は心から感心している。それは、十五歳のころにトゥルゲーネフの「ドミトリ・ルーディン」が私をとらえたとおなじくあざやかな出来事だった。 これも興味深いのだが、「漫画だから軽い、文学だから重い」という区別はないという事だ。権威主義的な”厚い本“で殴るという発想を先ずは捨てるべき。その上で、これは日常の体験から思う事だが「撮影した写真」の印象が濃くなり、観光そのものの全体感が薄れるという問題がある。文章にも、枝葉を切り取って珠玉のような一文を捻りだすことにより、それ以外の要素を忘れてしまうという危険性がある。漫画は違う。映画や漫画には、言葉にしきれない曖昧さ、矛盾、空気、間(ま)、表情、匂いのようなものがたっぷりある。 その事が体験を一行に“閉じ込めてしまう”危険を避けてくれるというわけだ。閉じ込めてしまう上に、自らの主観で外側を構成してしまうのが文学の危険性でもある。 一人の人間の認知フィルターを通じて解釈される世界は、その能力を上限としてデフォルメ化せざるを得ない。そこには経験上の権威や序列の意識があり、何者かに従うという主従の世界観だ。だから、そのプロトコルの中で主人を変えるような「転向」が生じるし、誰かにとって有用であるというプラグマティズムが必要になるのかもしれない。鶴見俊輔から学ぶことは尚、多い。
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うーん。 読了後、やっぱ、いかんともしがたく、夢野久作へいくわけよ。 その前に、「夢野一族---杉山家三代の歴史」。 ダブルバインドも気になって気になって。
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