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キツネ山の夏休み ジョイ・ストリート
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | あかね書房/ |
| 発売年月日 | 1994/07/30 |
| JAN | 9784251061645 |

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キツネ山の夏休み
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キツネ山の夏休み
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商品レビュー
4.6
79件のお客様レビュー
いつもですがファンタジーの世界に浸りすぎて 昔を重ねて読みました 心が癒されたり 勇気付けられたり・・・ 優しいおばあさんになりたい 心豊か人になりたいね
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不思議で楽しく切ない夏休み。 おばあちゃんこのとしてはとても楽しいお話だった。 永も良い子で好きだなーと思いながらいた。 最初の方の警戒心は都会の子って感じがして どんどんワクワクしちゃう感じは子供らしくて。 その差も面白かった。 狐は神秘的で怪しくて、そう言うところも好きだなと...
不思議で楽しく切ない夏休み。 おばあちゃんこのとしてはとても楽しいお話だった。 永も良い子で好きだなーと思いながらいた。 最初の方の警戒心は都会の子って感じがして どんどんワクワクしちゃう感じは子供らしくて。 その差も面白かった。 狐は神秘的で怪しくて、そう言うところも好きだなと感じる。 10歳の夏休みは一回だけ。 そうやって一回だけを積み重ねて人生を生きていきたいなと思う。
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本書は、ひろさんのレビューをきっかけに出会うことができました。ありがとうございます。 富安陽子先生の児童文学は、どれも導入部で心惹かれるものがあって自然と物語に入り込みたくなるのが印象的で、本書の始まりも『八番線のホームには、みごとな桜の木がのびのびと枝をひろげていました...
本書は、ひろさんのレビューをきっかけに出会うことができました。ありがとうございます。 富安陽子先生の児童文学は、どれも導入部で心惹かれるものがあって自然と物語に入り込みたくなるのが印象的で、本書の始まりも『八番線のホームには、みごとな桜の木がのびのびと枝をひろげていました』と、読みながら思わず心の中でその風景を想像してしまう、そんな思い出の一ページとなるような魅力で溢れているのは、本書(1994年作)が初となる、素朴ながら一つ一つを丁寧に描かれていると感じられた、富安先生ご自身による絵もきっとあるのだと思う。 そして、そのホームのベンチに座って電車が来るのを待っているのが、本書の主人公の小学四年生「弥(ひさし)」であり、四年ぶりにたった一人で遠い田舎の地「稲荷山」にある、おばあちゃんの家に向かう途中の彼の心境は如何ばかりのものであったか、それは『心細さとなつかしさ、ゆううつな気分と期待とが、胸の中でおしくらまんじゅうをしているよう』と、単純に言い表すことのできないものである点に、裏表のない彼の率直さが垣間見えてくる。 稲荷山という名前にピンと来た方もいらっしゃるかもしれないが、ここは百八ぴきのキツネに守られている町で、弥も実際にキツネの「オキ丸」と出会い様々な不思議体験をしてと、そんな富安先生ならではの楽しい要素は稲荷山が『水と伝説の町』でもあることから、かつてそこで生きていた人々が現代に残るようにずっと伝えてきた伝承の素晴らしさや、そこに行けば至る所に水や風が流れる様を感じられる、自然と人とが一体化した田舎ならではの雰囲気も一緒に味わえる上、更にそこにおばあちゃんとの思い出が加われば、これほど思い出深い夏休みは無いのではないかとも思えてくる。 ただ、そこには楽しいことばかりではなく、学んで成長していく弥の姿も同時に描いている点に本書の素晴らしさを感じられて、それは本書が小学校高学年対象であることから、『たたり』や『神さまと仏さまの違い』を分かりやすい言葉で表現していることに加え、『人間と化け物の違いってなんですか?』という問い掛けには、おそらく大人もハッとさせられるものがあるのではないだろうか。 そうした問い掛けに対する一つの答えとして、弥とオキ丸との交流があり、彼らも最初から気心の知れた間柄だったわけではなく、お互いのことをよく知らなかったため、時には意見がぶつかり合うこともあったものの、何度か交流を重ねていく内にそれは言葉にはできなくとも、ふと気付いたら、自分の心の中では確かに信じられるものが既に形作られていたような、そんな思いの結晶に人間なのか、化け物なのかということは一切関係なくて、あくまで大切なのは富安先生が物語でよく唱えていらっしゃる、『見えない部分』なのだということを教えてくれながら、それが単なるきれい事ではなく説得力を感じられたのも、『化けていても、うっかりしっぽを出すことがあると恥ずかしいと思う』のように、人間だけが心の中に繊細な部分を持っているわけではないことを知る、富安先生ならではの描写だけではなく、人間同士に於いても、今とは印象が異なる子どもの頃のお父さんに出会ったような気がした弥の思いや、その人が何者であろうとも、その人の見えない部分を信じられるのであれば別にどうでもいいではないか、といった奥ゆかしさは、どこか日本人らしい情趣にも富んでいるようで、そうした趣は古来から伝わる行事に季節の終わりを重ね合わせることで、やがて訪れるであろう夏の終わりに思いを馳せた、顔で笑って心で泣く別れの切なさである。 そして悲しいことに、当時はそれくらい懸命な思いを抱いていたにも関わらず、『時がたてば、みんなわすれてしまう』ことに本書で気付かされたときの切なさといったらないと感じた、それは更に物語の終盤で弥が叫ぶ『ぜったいにわすれない』を知ることで、胸を締め付けるような思いに駆られてしまったのだが、それは弥とオキ丸の友情のことを書いているわけではなく、そもそも忘れてしまうのではなくて、ただ心の中に仕舞い込んだ引き出しの場所が分からなくなっただけだと私は思うのだが、それでもかつて子どもの頃に体験した、その年それぞれにあった特別な夏休みの思い出が、いったいどれだけ素敵なかけがえのない日々であったのかということを、本書は社会の荒波に揉まれている内に、いつの間にか大人になってしまっていた人達に思い出させてくれたことで、子どもと大人それぞれに違った感慨を抱かせてくれるという意味合いに於いて、児童文学でありながら、とても画期的な作品だと感じられたのは、本書の四年前に出版された『クヌギ林のザワザワ荘』も含めて大人にも響く児童文学を企画した、当時の『あかね書房』の方々の力もきっと大きいのだろうと思う。
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