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場所 ハヤカワ・ノヴェルズ
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場所 ハヤカワ・ノヴェルズ

アニーエルノー【著】, 堀茂樹【訳】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 早川書房/
発売年月日 1993/04/15
JAN 9784152035578

場所

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商品レビュー

3.6

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2024/11/22
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場所 著者:アニー・エルノー 訳者:堀茂樹 発行:1993年4月15日 早川書房 2022年ノーベル文学賞を受賞した作家。その年に、日本での翻訳出版1冊目である『シンプルな情熱』を読んだ。この『場所』は、日本における翻訳出版としては2冊目。フランスでは、『シンプルな情熱』が1992年出版され、『場所』はその8年も前の1984年に出ている。シンプルな情熱がベストセラーになって注目を集めたが、それまでの代表作は場所だったようである。場所はロングセラーだと訳者はあとがきで言っている。 アニー・エルノーは自分のことを書く小説ばかりだが、ノンフィクションではなく、あくまで小説、訳者は「テクスト」という表現を使う。この作品は、私(作者)が死んだばかりの父親について小説を書くというテイで語られていく。名前は私も父親も母親も出てこないが、登場人物はほとんどこの3人のみ。 父親の父親、すなわち作者にとっての父方の祖父は、フランスのノルマンディー地方の田舎出身。村で暮らし、8歳から死ぬまで、大きな農家で馬方をしていた。土地を持たず「体を貸す」仕事。結婚しても、週給は妻に渡し、妻は日曜日に夫がドミノの勝負や酒が飲めるように小遣いを渡す。夫は日曜日に帰ってきては機嫌悪そうにし、何でもないことに対して子供をひっぱたいたりした。読み書きは出来ない。 その子である著者の父親は、2キロ先の学校へ歩いて通う。しかし、欠席しがち。収穫を手伝わされる。鉄の定規を持った厳しい先生は、「お前たちの親は、お前達も貧乏人になればいいと思っているんだな」と厭味を言う。しかし、幸いにして父親は読み書きが出来る程度には勉強をした。 父親もやがて親から離れ、農場で働き始める。朝と夕の乳搾り、馬の手入れ。藁の布団で寝る毎日。それでも少しは暮らしが向上。第一次世界大戦時には男手が不足し、父親のような少年は大切にされた。 やがて兵役につく。帰ってくると、もう農場に戻る気はなくなった。工場で働く。たくさん働かされ、搾取はされているが、少しずつは暮らしがましになっていく。そして、独立し、小さな食料品店を夫婦で営むことに。横から横に流すだけで食べていける。こんなことでいいのか?と最初は疑問に思うほど楽に。だが、掛け売りをし始めて苦しくなり、店を手放す。次は、食料品店とカフェを経営。夫婦で切り盛りし、父親が死んでも暫くは母親が続ける・・・そんな話だった。 祖父は読み書きができない。暮らしにそんなものは不要。父親は読み書きができるが、勉強など必要がない、と考える。しかし、たまたま娘(作者)は勉強が出来る。密かなる誇り、表面的にはそうは言わないが。年を取り、生活に余裕ができると、父親もゆっくり新聞を読む毎日に。 著者と父親には溝がある。著者はブルジョア階層の男と結婚し、子を産む。父親と祖父にも溝があった。訳者はあとがきで、フランスは大変な階層社会だということを念頭に置いて読むのが重要だと書いている。 そういう、父と子の断絶というか、溝は多くの家族にありがちなこと。それをこの小説は客観的に、ある意味で淡々と書いている。でも、訳者は触れていないが、それは単なる階層とか、親子とか、そういった間に存在する溝ではなく、時代の溝でもある。字なんて読み書きできなくてもいい。そんなもの仕事の役に立たない、という考え自体は階層間や世代間のギャップだけではなく、時代のギャップでもある。昔はそう考える人が多かった。少しずつ、暮らしは良くなる、少しずつ、時代は前向きになる。そうあってほしいと思う。人は進化するのである。無理をする必要はないが、進化するのである。

Posted by ブクログ

2024/03/07

アニー・エルノーは2022年のノーベル文学賞受賞者。授賞理由は「個人的な記憶のルーツや疎外感、集団的抑圧を明らかにする勇気と鋭さ」とされている。 エルノーはオートフィクション作家と呼ばれる。オート(自己)フィクション(作り話)とは矛盾しているようであるが、自己を投影させつつ、虚構...

アニー・エルノーは2022年のノーベル文学賞受賞者。授賞理由は「個人的な記憶のルーツや疎外感、集団的抑圧を明らかにする勇気と鋭さ」とされている。 エルノーはオートフィクション作家と呼ばれる。オート(自己)フィクション(作り話)とは矛盾しているようであるが、自己を投影させつつ、虚構を通して自身の経験をより象徴的な形で語る形式と捉えればよかろうか。 若干身構えつつ読み始めたが、驚くほど平易で、奇をてらうところもない。 教員免状を取り、”ブルジョア階級”に属すようになった「私」。小さな町でカフェ兼食料品店を営む両親。その間に一本の線を引いてゆくような作品である。 「私」が試験を終えてまもなく、父は亡くなる。葬式を終え、「私」は父を主人公にした小説を書こうとするが、劇的なこともないその人生は小説にはそぐわない。それで「私」は、父の人生を淡々と綴ることにする。 そっけないほど技巧を伴わず、近況を告げるかのように。 内容もさることながら、父の人生をそのような距離感で描くということそのものが、「創作的」だったと言えるのかもしれない。 父の父は農夫で文盲だった。父は農夫や工員を経て、自身の店を持つに至る。 取捨選択も哀歓もあり、ようやく手に入れた店は父にも母にも大切なもので、母は父の葬儀の日以外は店を開け続けた。 その父と母との間に生まれた「私」は、成績優秀で、自身の力で人生を切り開いていくことになる。両親が勝ち得た店につなぎとめられることもなく、知識階級へと上がっていくのだ。 両親はそれを喜びつつも、自分たちがいる場所を、娘は捨てて去ったのだということも知っている。 そして「私」は、今や、両親を見下していた人々が属している階級になったことを、ある種の痛みを伴って自覚している。とはいえ、両親がいた場所に戻りはしないし、また戻ることもできないのだ。 扉には、ジャン・ジュネの 「あえて説明してみようか。書くのは、裏切ってしまったときの最後の手段なのさ」 というひとことが掲げられている。 個人的な物語の体裁でありながら、多くの読者を得たということが、本作の普遍性を示していると言えるだろう。 時間をおいて読むとまた別の感慨が生じそうな作品である。

Posted by ブクログ

2023/04/01

アニー・エルノーの本は、2冊目となるが、彼女の書く文章がやはりどこか好きである。 この一冊は、彼女の父が亡くなった出来事から始まり、彼が生きていた時代、つまり作者である彼女の幼い頃を小説を通して"書く"ことで、思い返す、そんな話である。 私が1番面白いと感...

アニー・エルノーの本は、2冊目となるが、彼女の書く文章がやはりどこか好きである。 この一冊は、彼女の父が亡くなった出来事から始まり、彼が生きていた時代、つまり作者である彼女の幼い頃を小説を通して"書く"ことで、思い返す、そんな話である。 私が1番面白いと感じた点は、過去の回想シーンと、彼女の書くという行為によって思い出される記憶と、時間が進むにつれて、これらが交錯していく点である。 また、物語全体を通して、階級の違いが描かれ、とても納得できる部分が多く、客観的に読むことができたように感じる。

Posted by ブクログ

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