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西田哲学の脱構築
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 1987/09/25 |
| JAN | 9784000016612 |
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西田哲学の脱構築
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商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
濫読の効用なのか、こんな小難しい哲学書でも繰り返し読むと内容が何となく伝わってくる。 半知半解の混濁が解けてくる快感も味わえる。 「西田幾多郎の哲学」理解のうってつけの本に出会えた。この手の話は導き手の良否が重要だ。 筆者の中村雄二郎という学者は海外でも活躍する哲学者で異文化思考...
濫読の効用なのか、こんな小難しい哲学書でも繰り返し読むと内容が何となく伝わってくる。 半知半解の混濁が解けてくる快感も味わえる。 「西田幾多郎の哲学」理解のうってつけの本に出会えた。この手の話は導き手の良否が重要だ。 筆者の中村雄二郎という学者は海外でも活躍する哲学者で異文化思考経験も豊富で概念や用語の説明、論理展開がクリアでわかりやすい。 しかし書評を書く段になると、以下のような「箇条の抜き書き」がせいぜいだ。読んでわかった気になってもいざ自分の言葉でまとめようとするとこのザマだ。 結局はよくわかっていない。 先ず言葉や概念、論理を厳格に丁寧になぞること。 先の大きさに限界的な気分で読み終える。 筆者は西田幾多郎の哲学の対象化と、その脱構築(解体および批判的再構成)による展開を試みた。 「はしがき」と序章の「はじめに」で彼の大まかな考えがわかりやすく整理されている。 西田用語もそれなりにやさしく説明されている。 ・西田哲学を対象化するために取り上げた西田のキー・コンセプト(鍵概念)は純粋経験・場所・行為的直観の三つだけであった。 ・現代日本哲学の一課題として、私自身の共通感覚という問題を、日本の近代哲学のなかで一つの系譜をなす西田の「場所の論理」、三木清の「構想力の論理」と関連させて、展開したものである。共通感覚論は、場所の論理とはトポスの問題を通じて繋がり、構想力の論理とは想像力の問題を通じて繋がっている。場所や共通感覚の重要性を強調すると、反主体主義・反理性主義と受け取られがちであるが、場所や共通感覚は主体や理性の根底をなし、それらを真に成立させるのに不可欠なものなのである。 ・「行為的直観」の考え方が日本の伝統的な芸術や空間、とくに能をめぐって考える上にどのような示唆を与えるかを明らかにする。 ・フランスの雑誌の求めに応じて、「絶対矛盾的自己同一」の考え方を正面切って問題にした。 ・西田幾多郎と小林秀雄それ自体を主題化して扱い、日本近代の「経験」と「自己」という観点から考察した。経験と自己とがこの二人のいずれにおいても違ったかたちをとりながらも、やがて「歴史」と「身体」へと収斂していった。 ・西田の哲学的企てが、近代原理と西洋哲学の乗り越えにあったので、それは否応なしに、第二次大戦中の「近代の超克」問題とも、現在の「ポスト・モダン」問題とも関わざるをえない。 そして「ポスト・モダン」の持つ強い折衷主義的傾向は、以前から日本の文化的、哲学的体質のなかにあったので、かつての「近代の超克」問題を西田哲学との関連で検討する必要がある。 ・後期西田哲学のわかりにくさと難点は宗教論と歴史論とが錯綜していることにある。西田の宗教論と歴史論および両者の関連を深層の知・制度・弁証法の観点から捉え直し、態度を明らかにした。 「私は西田哲学を出来上がった権威あるものとして奉るのでも、徒らに貶めて退けるのでもなく、解体および批判的構成を行うことによって、正当に位置づけるとともに、日本の哲学の遺産をできるだけ生かすことにつとめた。」 ・西田論を西田の術語(「弁証法的一般者」、「行為的直観」、「絶対矛盾的自己同一」等々)をそのまま使って論ずることはせず、その用語を超えなければならない。 「西田幾多郎」の安易な主題化=主語化を避けて場所的=述語的に脱中心化して捉える。 ・現代思想・哲学の主要なポイントは①伝統的な哲学の知の根本的な自己批判を通じての反哲学の主張②未開人・狂人・子供・女性といった深層的人間の発見③知の脱中心化による非体系的知の積極的評価である。 ・西田哲学の「純粋経験」「無の論理」「行為的直観」の概念をそれぞれ自己、場所、表現的世界という開かれた概念から捉えなおす。 ・西田の書くものは概念的・論理的というよりは言語的である。概念の説明や論点を要約することは難しい、出てくるたびにそれがどんどん変わってしまう。 これは言語表現における差異性が生かされていることになる。 ・・・・。
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『善の研究』に続いて読了。後期の西田哲学についてはほぼこの本で初めて触れた。第三者の解説を経てもなお難解な表現が多いが真善美全てを統合するような体系的哲学を打ち立てようとした直向きさには心打たれる。また「近代の超克」という議論が戦前の帝国日本の精神的な論理の一つにもなっていたとは...
『善の研究』に続いて読了。後期の西田哲学についてはほぼこの本で初めて触れた。第三者の解説を経てもなお難解な表現が多いが真善美全てを統合するような体系的哲学を打ち立てようとした直向きさには心打たれる。また「近代の超克」という議論が戦前の帝国日本の精神的な論理の一つにもなっていたとは恥ずかしながら知らなかったので知れて良かった。その議論を批判的に解体した上でポストモダン的な視点を先取りしていた点があるという筆者の論はなるほどと思いつつも西田の地の文がややこしすぎて理解が難しい。 特に面白かったのは5章の「西田幾多郎と小林秀雄」小林秀雄の批判の言葉や二人の共通点を通すことで理解が進んだ気がする。「哲学における読者の不在」は確かにそうなんだろうな、そしてそれはたぶん今でもそうなのではと感じた。
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