「あの戦争」は何だったのか の商品レビュー
80年前に日本の敗戦という形で終わった太平洋戦争。近年は、アジアの広範に渡り日本が侵略した過去を反省し、「アジア・太平洋戦争」と「アジア(・)」を付けて呼ぶ事が一般的になりつつある。日本は当時誰と戦っていたかと言えば、多くの人は超大国アメリカを直ぐに想像するであろう。アメリカは日...
80年前に日本の敗戦という形で終わった太平洋戦争。近年は、アジアの広範に渡り日本が侵略した過去を反省し、「アジア・太平洋戦争」と「アジア(・)」を付けて呼ぶ事が一般的になりつつある。日本は当時誰と戦っていたかと言えば、多くの人は超大国アメリカを直ぐに想像するであろう。アメリカは日本が統治していたサイパンやグアムに侵攻し、それらの地で多くの日本人兵士だけでなく民間人もが壮絶な最後を遂げているし、その勢いは更に増して沖縄をも陥落させた。アメリカが飛ばした空の要塞であるB29は日本の主要な都市部を片っ端から空爆し、東京大空襲では10万人以上の市民がいのちを落としている。そして広島・長崎への原子爆弾の投下。地球上で初めて、そして今に至るまで唯一、核兵器が人間に対して使用されるなど、日本が降伏に至るまでの多くの出来事はアメリカが主語となって実行されている。こうした出来事を辿っていくと、誰もが日本対アメリカという構図をイメージするだろう。 この対アメリカという太平洋を中心とした戦争と見た場合は、日本にとってあの戦争は太平洋戦争と呼ぶ事が相応しく感じるかもしれない。そしてその始まりと言えば、1941年12月8日に日本はアメリカの真珠湾を奇襲した事に始まるのも事実だ。だが同日、真珠湾攻撃よりも早くに南方の戦線ではイギリスを相手にした日本の侵攻作戦が開始されているし、更に言うなら、それよりもずっと以前から日本は中国との戦いを始め、1941年の時点でも続けてきている。 戦争の原因を調べる際、それに至る経緯を時系列的に並べて、一つ一つの事実がどこを起点に何を要因として引き起こされたかを調べていく事になる。すると、太平洋戦争ないしはアジア・太平洋戦争に続く歴史の流れは複雑かつ混沌としている事に気づくであろう。決して教科書が短い文面で教える様な概略的な捉え方では説明しきれるものでは無い。そしてその歴史の糸を紐解いていく時、真の歴史の奥深さや、まるで大河の源泉を見つけるかの如く発見という喜びに辿り着けるのである。そして、そこではっきり認識するのは、それらは多くの人間と、太平洋よりも遥かに広大な地球規模の国々の思惑と、度重なる偶然などが折り重なる様にして表れた結果だという事である。最早歴史を学ぶ人間が一人、挑んで解明するレベルでは無いし、過ぎ去った時間である以上、これが絶対正確・真実という事はあり得ない。これまで記載された書籍が様々な文献をソースとして、あらゆる立場をとり、(太平洋戦争の)原因に迫りながらも、そのいずれが正しいという解答を出す事は出来ない。誰もが自分なりの解釈と答えを導き出せる、これこそが歴史の面白さであろう。 本書はかつての戦争を「あの戦争」と呼びながら、日本が戦争に突き進んだ原因を探り、いつどこを起点とするべきか、更にはその呼称を何とするのが良いか、読者に考察を促す様な内容に仕上がっている。勿論筆者の考え方や捉え方があり、所々に筆者の意見が出てくるが、決して押し付けではなく、あくまで考えるのは読者自身であるということを一貫して記載している。読み手は自身の持つ考え方や、客観的なモノの見方をフル動員して考える必要がある。そしてその材料は広範囲にわたり、かつ決して浅過ぎる訳でもなく、(新書という限られたページ数であるものの)程よい深掘りもなされている。勿論個々の事実に於ける研究者レベルから見れば足りないのは当然かもしれないが、戦争を知らない戦後世代や現在の若者達が考えるきっかけとしては充分だと感じる。当時の日本という国家が持つ政治機構、制度、軍部、資源や工業力などの国力、そして国民性。様々な観点を並べて想像力を最大限に活用しなければ、自分の考えが出来上がらないし、単なる物知りレベルで終わってしまうかもしれない。だがそれでも良いのでは無いかとも感じさせる。80年という長い年月が経過して、「風化」という危機に直面する今の日本人にとって、先ずは興味を持ち触れる事が大切なのではないだろうか。 本書では再三、歴史の各場面に於ける主語が誰であるか考察する。そしてその主体が見えづらい点も同時に教えてくれる。だからこそ、右寄り左寄り様々な主義主張、考察がなされてきた事も否定しない。そしてそれらに対して全て一定程度の受け入れの姿勢をとりながら、筆者自身の考えを表明する事も忘れない。きっと多くの読者も、本書を読み終わった後、頭を熱くした分だけの自分の考え方を持つ事ができるだろう。誰が主語であるか、いつから始まったのか、そして「あの戦争」を貴方なら何と呼ぶか。そうした問いの連続に、本書の狙いや目的があるのだろうと感じる。久々に頭が疲れたが、読む価値は十分にある一冊だ。
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戦後80年の今年、「太平洋戦争」、「アジア・太平洋戦争」、「大東亜戦争」等と様々に呼称される「あの戦争」について、改めて考え直す機会を与えてくれる一冊。東條英機が首相在任中に東南アジア諸国を積極的に外遊した事績になぞらえて現地取材を敢行し、各国の国立戦争博物館等における「あの戦争...
戦後80年の今年、「太平洋戦争」、「アジア・太平洋戦争」、「大東亜戦争」等と様々に呼称される「あの戦争」について、改めて考え直す機会を与えてくれる一冊。東條英機が首相在任中に東南アジア諸国を積極的に外遊した事績になぞらえて現地取材を敢行し、各国の国立戦争博物館等における「あの戦争」の捉え方の違いに迫った第四章は読み応えがあった。特に、フィリピンにおける日本の戦争加害に対する「許そう、だが忘れない」という立場は、戦争責任に言及しつつも未来を見据えた言葉として、我々も共に共有すべき「物語」なのだろうと感じた。
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p48 孫子の兵法 勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦い、敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちを求む 勝利する軍隊は、かならず勝てることがわかったうえで戦いを開始する。敗北する軍隊は、どうなるかわからないのに戦端を開き、なんとか勝とうとする p49 司令塔不在という問題 p57 実質的な始まりは1937/7/7 支那事変 p59 当時の日本が抱えていた内在的論理を理解することに意味がある p65 その結果として選ばれたのが、もうひとつの積極的な選択肢、このまま座して死を待つより、死中の栗をひろう p69 桂・ハリマン協定 いかに日米関係が重要だといっても、日本人が多くの犠牲を払って獲得した満州の権益を、なぜ他国と共有しなければならないのかという国内世論の反発が強かったことは想像にかたくない。それでも日米の協力に意味があるという主張は、その後の歴史の帰結をしっているから成り立つものだろう p72 1919 日本はパリ講和会議において、国際連盟の規約に人種差別撤廃の文言を盛り込むように提案したが、否決された p79 ようするに、歴史とはつねに現代からの解釈であり、現代の価値観が揺らげば、その評価も変わりうるということである p118 日本書紀の神武天皇のことば 上は天神の国をお授けくださった御徳に答え、下は皇孫の正義を育てられた心を弘めよう。その後国中を一つにして都を開き、天の下をおおいて一つの家にすることはまたよいことではないか 田中智学が大正時代に八紘一宇ということばを造語 p125 大東亜会議 p173 日本軍 パレンバン占領後、日本から派遣された石油技術者の手によってスンガイゲロン製油所も復旧。1943年度には、ボルネオなどの南方の産油地を含め5000万バレル弱もの原油が生産。 もっとも急速な戦局の悪化により、日本は制海権を失い、せっかくの石油も日本に輸送できなくなった p202 タイ 宣戦布告は3人の摂政全員の同意を得ていなかった 1945/8/16 宣戦布告を無効を宣言 タイは敗戦国ではないという物語 p221 南京大虐殺記念館 生存者の李秀英 歴史をしっかりと銘記しなければならないが、恨みは記憶すべきではない p223 フィリピン 許そう、だが忘れないがあの戦争の記憶と継承を考えるうえで重要なキーワードとなる p233 国立近現代史博物館の不在 p244 遊就館 荀子 故に君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就く p257 江東区 東京大空襲戦災資料センター p261 日本と統治構造における司令塔の不在は、米国の博物館をも混乱させている p2678 記憶の風化によって、あの戦争が事実上終わるというのが、もっとも現実的なかたちかもしれない p268 ここで重要なのは、存在(である)と当為(あるべきである)を区別することであろう p274 超空気支配社会、戦前の正体 p275 あの戦争はなんだったのか それは、日本という国が近代の激流のなかで何を選び、何を失い、何を残したのかを象徴的に映し出す、特別な鏡である。そこには、われわれが歴史を通じて見つめるべき現在もまた映り込んでいる。だからこそ、われわれはこれからも、現在とのつながりを意識しつつ、より妥当な落とし所を模索しながら、その意味や位置づけを解釈しつづけなければならない p277 小林にとって、歴史とはたんなる因果の鎖ではなく、愛惜の念によってはじめて意味をもつものだった
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「あの戦争」はなぜ起きたのか、左右の歴史観も載せながら、本書では第一次世界大戦で戦争が総力戦となり指導層がこのままでは国力・資源を持たない日本は太刀打ちできなくなってしまうと強迫観念を抱えた結果、資源を求めて満州・中国・東南アジアを支配下に置くこと進めたという見方を示すとともに、...
「あの戦争」はなぜ起きたのか、左右の歴史観も載せながら、本書では第一次世界大戦で戦争が総力戦となり指導層がこのままでは国力・資源を持たない日本は太刀打ちできなくなってしまうと強迫観念を抱えた結果、資源を求めて満州・中国・東南アジアを支配下に置くこと進めたという見方を示すとともに、当時の憲法下では政府・陸軍・海軍に統一的な指揮系統が不在で分権的であり、指導層も一枚岩ではなかったし、当時の指導者のうちの誰かが戦争を回避しようとしていたとしても恐らく困難であったであろうと述べている。再び同じように戦争の悲劇を繰り返さないためにはどうしたらいいかを考えたときに、一人の独裁者が戦争を率いたという話なら独裁者を生み出さないことを考えればいいが、そうではなく分権的な体制の中で戦争に突き進んでしまったと言われると、それを防ぐにはどうしたらいいかは極めて難しい問題だと思わされる。
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