スノードームの捨てかた の商品レビュー
退屈な日常の中に、特別な瞬間や出来事がふわりと転がっていた。 『湯気』を読んだら、やっぱり人間ってみんなちょっと変だよな〜と思ってちょっぴり救われた。
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日常のどこかに転がっていそうな短編集。 ぼんやりと思っている事を言葉にするのは難しい。結論を出すのは難しいけど、きっと分かってはいるんだろうな。自分でも分からないけど、きっと分かってるんだと思う。
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「スノードームの捨てかた」 「鰐のポーズ」 「川はおぼえている」 「背」 「湯気」 「いくつもの窓」 6話収録の独立短編集。 1994年生まれの若い作家さんだけあって表現が瑞々しく柔らかな文章で読みやすい。 何気ない日常を切り取った作品だが、どの物語にも不穏さが漂っている。 ...
「スノードームの捨てかた」 「鰐のポーズ」 「川はおぼえている」 「背」 「湯気」 「いくつもの窓」 6話収録の独立短編集。 1994年生まれの若い作家さんだけあって表現が瑞々しく柔らかな文章で読みやすい。 何気ない日常を切り取った作品だが、どの物語にも不穏さが漂っている。 意図しない出来事に遭遇しても、この年代ならではの軽やかさがあって重い感じにならないのがいい。 好みだったのは、同じヨガ教室に通う憧れの女性・ようこさんと、大学時代の友人・むっちゃんとのやり取りを描いた「鰐のポーズ」 自身の感情を持て余す主人公の姿がリアル。
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ぐさっっっときました。 スノードームってどう捨てたらいいんだろう、 から始まる物語。 モノに限らず、思い出、自分の気持ち。 これ、どう捨てたらいいのかな。 そう悩んでしまう時、誰にでもあるはずです。 そんな時にそっと寄り添ってくれるようなお話だとおもいました。 その"捨てかた"に正解はないのだけど、 何かに気づかせてくれる。そう感じました。
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やっぱりくどうれいんさんはいいな。するっと頭の中に入ってくる感じ。この中では「背」と、「湯気」、「いくつもの窓」が特にお気に入り。「背」は千早茜さんの作品みたいな静謐さが感じられたけど、くどうれいんさんっぽい「心のまま」の文体がやっぱりあって、それが好き。
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くどうれいんさんの小説を読むのは、芥川賞候補作の『氷柱の声』以来。本作6編は、いずれも等身大の若い女性(一部男性)を主人公にし、何かを「捨てる」ことがモチーフになっているようです。 何かを「捨てる」には、苦渋の決断と勇気がいりますね。物だったらまだしも、記憶・思い出はより困...
くどうれいんさんの小説を読むのは、芥川賞候補作の『氷柱の声』以来。本作6編は、いずれも等身大の若い女性(一部男性)を主人公にし、何かを「捨てる」ことがモチーフになっているようです。 何かを「捨てる」には、苦渋の決断と勇気がいりますね。物だったらまだしも、記憶・思い出はより困難です。人って執着があれば余計に迷うものでしょうし、執着は度が過ぎれば怖いですよねー。 そこに「怨念がおんねん!」w ←くだらな〜! まるでエッセイと地続きのような日常を描き読みやすいのですが、不穏さが漂っています。これは、誰しもがもつ人間の多面性ゆえで、負の側面にこだわり過ぎると厄介な感情がもたげてくるんでしょうね。最後の1編で少しホッとするかな? 本作は、より女性の方が刺さり共感するのではと勝手に思いました。"メイク"の観点からも、自分をつくっているのは女性の方が多いでしょうし(個人の感想です)、素を晒してアホなのは圧倒的に男ですよね。あ、歳とれば男女は関係ないか? 二面性に男女が無関係なのも言うまでもありませんが…。 というわけで(どういうわけ?)、個人的には、くどうれいんさんは、エッセイの方が好みかなあという印象です。美味しいものをたくさん食べ、日々の生活に幸せを感じ、たまに怒ったり…、そんなくどうさんを想像する方が楽しいかなという感想です。
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くどうさんのエッセイファンとして楽しみにしていた小説作品集。登場人物たちの掛け合いが自然で魅力的。お店で隣に居合わせて聞き耳を立てているような感覚で読み進めた。「鰐のポーズ」と「背」が特に好きで、ヒリつきも後味の悪さもあるのがいい。
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くどうれいんさんの話好きだな〜 なんで作家と読者という出逢い方なんだろう!友達で出会いたかった!マブになっていろんなご飯食べに行きたかった!!と、この間のエッセイ『湯気を食べる』を読んでからずっと思っている。 まず、表題「スノードームの捨てかた」のLINEグループ名があまりにも...
くどうれいんさんの話好きだな〜 なんで作家と読者という出逢い方なんだろう!友達で出会いたかった!マブになっていろんなご飯食べに行きたかった!!と、この間のエッセイ『湯気を食べる』を読んでからずっと思っている。 まず、表題「スノードームの捨てかた」のLINEグループ名があまりにも「それな〜!?」な理由すぎて、ギュッと引き込まれた。わたしもある、学生時代の友人たちとの「温野菜行き隊」って名前のLINEグループ。 しんにょうが変だ、とか、激務に励んでいた心の支えが折れた瞬間仕事辞めるとか、尊敬している人の夫か彼氏だと思っていた相手が既婚者子持ちで知ってしまった瞬間「きんも」って言っちゃうところとか、じわっと滲み出るような細かい共感性の連続が心地よかった。無理すぎる相手と対面した時、自分にバリア張りたくて、なんか本当に心底軽蔑したわ!みたいな遺憾の意を示したくて「きんも」って言ってしまう。「きも」でも「キショ」でもなく、「きんも」(ん、の音は上がり気味で強調) 学生時代、好きな作家が、作家のライフステージに合わせて描く題材が変わることに興醒めしていた。 独身時代はバリキャリみたいな人物を描いて、突然結婚と不倫の話書いて、次に子育ての話書いて、ペットの話を書いて…(そして時期を同じくしてライフステージ的に同じ移動をする作家) 今はもう、引き出しにあるものを書くことに納得しているものの、やはりむず痒くなる。 その分、同世代のくどうれいんさんの話はすんなり入るし、ここから書くものがライフステージと一緒に変遷しても痒くならないだろうなと思った。 全体として何かしらの形に落とし込まれる短編が好きなので、結末がぼやかされたところに趣を感じられない白黒させたがり人種として、星4つという感じだった。ここはもはや相性。
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読み終わった後もずっと心の片隅にくっついて離れない物語たち。 始まって、終わらない物語たち。 二十代の働く女性たちの毎日。特別ひどい事も、特別楽しいことも、特別うれしいことも、特別悲しいことも、そんなにたくさん起こるわけじゃないけれど、それでも毎日何かがあって、何かを考えて、何かに傷つきながら生きている。 いつかきっと思い出す。こんなこともあったよな、と。最悪だったよな、と言いながら、いやそうでもないか、でもやっぱり最ではないけど悪だったかも、なんて。 誰かとの間に起こる何かを、思い出せないくらい小さな何かを一つずつ蹴り飛ばしながら歩いて行く毎日。 自分にもあったかもしれない物語の、自分のじゃない思い出を思いながら、いつか公園で無意味に穴を掘っちゃう自分を思う。 どの話がお気に入りか、無駄に熱く語り合いたいね、だれかと。
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人生の長さを考えたらほんのわずかな出来事なんだけど、心のどこかに引っ掛かるようなことって沢山あるよなあと。
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