1,800円以上の注文で送料無料

鬱の本 の商品レビュー

3.9

35件のお客様レビュー

  1. 5つ

    8

  2. 4つ

    13

  3. 3つ

    6

  4. 2つ

    2

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2024/02/16

落ち込んで本が読めない。起きているのに何も出来ない。消えてしまいたい。そんな憂鬱な気持ちに寄り添う言葉が散りばめられたエッセイ集です。私たちはどんなに落ち込んでも本がきっかけでまた前に進む事が出来る、と信じたくなる本でした。これは本当にたくさんの人におすすめです。

Posted byブクログ

2024/02/03

今日も憂鬱だ。特に土曜日は月曜から金曜までの世の中と折り合いを付けることに疲れ果てどっと疲れが出てしまい、死んだように一日を過ごす。 前職で出社出来なくなり、うつ病と診断され、投薬治療を続けて5年になる。普通は半年から1年ぐらいで投薬治療も終わるようなのだが、私は終わらず、これ...

今日も憂鬱だ。特に土曜日は月曜から金曜までの世の中と折り合いを付けることに疲れ果てどっと疲れが出てしまい、死んだように一日を過ごす。 前職で出社出来なくなり、うつ病と診断され、投薬治療を続けて5年になる。普通は半年から1年ぐらいで投薬治療も終わるようなのだが、私は終わらず、これがだいぶ焦るし、うつ病の薬は高いので経済的にもきつい。こういったことの蓄積がまた鬱の原因になっていく。 鬱になったことでいろいろと変わったり、変わらざるおえないことがいろいろがあったが、一番は全く長文の小説や書き物が読めなくなってしまったことだ。集中力が続かず、外出しないことで体力も衰え長い時間書き物を読むことが出来なくなった。新書1冊読むのにも数週間かかったりする。楽しみの一つが読書だっただけにこれは結構辛い。その代わり、だらだらゲームだけは出来るのでそれは本当に不思議なのだけど。 そうだった、鬱の本の話だった。多くの人が鬱になると長文が読めなくなるのは共通らしく、この本は鬱の人間でも読みやすいように一人の著者が1000字程度で鬱に関するエッセイをまとめたエッセイ集です。ガチのうつ病の人から、それは本当に憂鬱なのかと問いたいような強弱のある体験が綴られています。正直鬱からの脱出の手助けになるとは思いませんが、鬱で何も出来ないときにこの本を読むことで、何か出来ているかのように思える効果はあるかましれません。 とりあえず希死概念を薬で押さえつけながら生きていこうと思います。

Posted byブクログ

2024/01/28

84人の鬱、憂鬱、鬱屈にまつわる、一人分が見開きの随筆。その中の一人、池田彩乃さんの、”本はいつも待っていてくれる。この灯りが形を持ってくれて本当に良かった”のように、寄り添ってくれる一冊。薬というより風邪をひいた時に食べるお粥のようなやさしさがある。84人は五十音順に並んでいて...

84人の鬱、憂鬱、鬱屈にまつわる、一人分が見開きの随筆。その中の一人、池田彩乃さんの、”本はいつも待っていてくれる。この灯りが形を持ってくれて本当に良かった”のように、寄り添ってくれる一冊。薬というより風邪をひいた時に食べるお粥のようなやさしさがある。84人は五十音順に並んでいて最後に経歴と一緒に随筆に引用される本の出典も記載されているところが良い。

Posted byブクログ

2024/01/20

84人の人がそれぞれ2ページ分、鬱と本をテーマに綴ったエッセイ集。殆どが知らない人だからこそ、その人の憂鬱とその時期の読書観がフラットに入ってくる。とても面白かったし、幅広い分野のブックガイドになった。

Posted byブクログ

2023/12/13

ほかならぬ自分が逐一、熱意をもって買い込んだ本が並ぶ棚をみても、まったく食指が動かない日が、月に一、二度やってくる。長い本をみれば「長く集中は保てない」と退け、短い本をみれば「せっかく乗った波がすぐに崩れるのは嫌」と不平をいう。ふだん自家薬籠中のものとしている、意識を集中するしか...

ほかならぬ自分が逐一、熱意をもって買い込んだ本が並ぶ棚をみても、まったく食指が動かない日が、月に一、二度やってくる。長い本をみれば「長く集中は保てない」と退け、短い本をみれば「せっかく乗った波がすぐに崩れるのは嫌」と不平をいう。ふだん自家薬籠中のものとしている、意識を集中するしかたが何者かに暗号化されたかのようで、ひどくもどかしい。意識を集中して読書に打ち込んだらとてもたのしかったはずと朧げに記憶しているだけに、どうにも集中できないとき隔靴掻痒の苛立ちは募る。重厚な本はとても手に取る気になれないので、短文の極致である歌集や句集、詩集をひらいてみるのだが、ぼんやりしている間にその囁きが完結していて、なんの感動も尾を引かない。一言一句に目を凝らすも理解と記憶が及ぶ範囲は二、三文字に過ぎなくて、なにか読んでいる実感に乏しい。感動できることを知っているだけに不感動が苦しい、あるいは、心の平静を知っているだけに泡立つ心情が堪えがたいとき、私は鬱である。飛躍を承知で言えば、死にたさは生きたさを肥料に育つ華だと思う。 本書『鬱の本』はひとりの書き手につき1000字を割り当てている。 84人の執筆陣の身の上は巻末にまとめて記載してあり、自分にとってのビッグネームが署名されていない限り、本文はただただフラットに目の前に出現する。浅はかさに癇癪を起こして全文黒く塗りつぶしたくなるような1000字もあれば、確かな体温の宿る手ざわりで気持をいくらかやさしく揉みほぐして去る1000字もあり、捨て置くのも褒めちぎるのも違うような玉石混淆の一冊に仕上がっている。詩歌や推理小説ほどに描写と思想と意味がぎっしりしていなくて、短編小説ほどに遥かな感動に連れ去るでもなく、そうかといって大長編ほどどっしり腰を落ち着けて読む必要もなく、傑作選ほどいちいち動悸も引き起こさず、画集や写真集ほど目を滑らせない1000字の集積を淡々と追う。「なんだこりゃ」「ふーん、そうかい」云々とぱくぱくつぶやきながらページをめくっていると、ふと気づくのである。文を追えていることに。熱中や没頭とまではいかずとも確かに、目の前の言葉に集中できていることに。 本を読むたのしさを知っていたのに手許から感覚を紛失してしまったときは、ここを訪れたい。少し遠くなっただけのあの不滅の里にまた帰るために。

Posted byブクログ