徳川家康 弱者の戦略 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
徳川家康は幼少期から織田家や今川家に人質に出されるという環境の中から、弱者の視点で自分や自分の環境を冷静に分析し江戸時代の徳川治世を作り出した。その中でも印象に残ったのは大きく2つ。1つ目は武田などの強豪との戦いの中で敗戦にも全滅せず生き残り徐々に戦い方を見つけて力をつけていったこと。負けを認め改善する姿勢。2つ目は信長や秀吉の成功や失敗の中から中から、「権威での支配」と「力での支配」について学び常に実践していた事。自身の権威や徳を高める(そう見せる)ため自身のふるまいや言動を演じていた事や力を見せるため難しい戦いも逃げない姿勢を見せ続けるなど内外に統治者として徳川を刷り込み続けていた。弱者だからこそ細部にわたり油断なく作り上げたのだと感じた。自身の役割を果たすためには、失敗を受け入れ改善すること、細部にわたり理想を演じつづける力をつける事(演じ続ける意思を持続することかもしれない)の必要性を学べた本でした。
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面白かった。 最近、国際情勢が激しいよね。それと、国内政治を考えることもある意味では面白くなってきた。 誰に入れても同じこと…という虚しさを払拭してくれる…そんな気配を感じていることだけでも奇跡。。。 そんなわけで先人に学ぶことも多いのでは?と思って読んでみました。 学ぶこ...
面白かった。 最近、国際情勢が激しいよね。それと、国内政治を考えることもある意味では面白くなってきた。 誰に入れても同じこと…という虚しさを払拭してくれる…そんな気配を感じていることだけでも奇跡。。。 そんなわけで先人に学ぶことも多いのでは?と思って読んでみました。 学ぶこと、多かった。 よく比較対象になるお三方。 信長、秀吉、家康…もちろん、彼らの背景には沢山の知恵者が揃っていて、各々のつながり方も違うのだけど、わかりやすく組織として、またはリーダーとして比較されているので、そこを抜粋。 信長型→求心力が強く急速成長可能だがブラック化しやすく、メンバーが「信長疲れ」を起こす。 (強烈なカリスマ性、力による圧迫ゆえに) 秀吉型→強い成長、拡大路線には強いが、朝鮮出兵の失敗のように行き詰まると「秀吉疲れ」。 家康→若くして人質となり、今川家の「権威による支配」か織田家の「力による支配」かというテーマと向き合った→今川氏真の無力さを目の当たりにして権威による支配に見切りをつけ、織田の「力による支配」に寄るも本能寺の変で、一直線に力の支配を追求した失敗を見る→その両方の限界を知る そして→「互酬信用・棲み分けによる支配」にたどり着く→日本社会によく適合し長期政権となる。 **************** 家康は元々、武田、今川、織田などの強国に囲まれた中でいかに生き残るかを考え抜いた人だったことがわかった。大勢を見極め、広く視野を持ち、一方で武人としての志しを一貫して通し人としての信頼を失わないような生き方を目指していた点が揺るぎない徳川幕府としての地盤を築く重要なポイントだったことを教えてくれる。 日本もロシアや中国、北朝鮮、といった核保有国に囲まれている中で不穏な世界情勢を考えると、この家康の人生は何かをアドバイスしてくれるような気がするかな。。。 **************** 最後に。 お三方の辞世の句を。 ここにも大きな違いがみてとれるので。 信長→「死なうは一定、しのび草には何をしようぞ、一定かたり遺すよの」(人は誰でも死ぬものだ、生きているうちに何をするか、人は語り残してくれるだろう、生きているうちに語り草になるようなことをやるべきだ) 有名な「人間五十年、下天の内をくらぶれば、ゆめ幻のごとくなり」も同様で自分死んだらそれまでなんだ、ということ。生物は個体単位で消滅するとみる信長の人生観が伺えます。 秀吉→「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢」有名なものですが、やはり、一代で天下をとっても、死んだら全て夢のようなものだ、と。 やはりこれも、「消える人生観」です。 家康→辞世の句というよりもこういう句を詠む人という意味で…「先に行くあとに残るも同じこと連れていけぬを別れとぞ思う」(これは殉死を思いとどまらせる歌です。死後に残された人にポイントを置き、自分がいなくなっても徳川の世を続けよ、というメッセージになっています。 もうひとつ… 「嬉しやと再び覚めて一眠り浮世の夢は暁の空」 (目が再び覚めて、うれしいな、また一眠りする。現世で見た夢は、また東から世を照らす日が昇ってくる空だった) なんとものんき、らというか、明るい辞世です。 彼の死生観は2人とは全く異なっていて、信長、秀吉が「消えゆく人生観」に対し、家康のそれは「再生、永続の人生観」です。ここに家康の原点があるように思いました。 弱く小さいなら敢えて力や権威に頼るのではなく、共に生きる、共生、互助によって生きようよという処世術を通して大きなメッセージをもらえたように思います。
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祖父も父も殺されて自身は人質に取られるところから始まるところは弱者だろうが、武田信玄と織田信長に挟まれて数々の修羅場を超えていく辺りから武将としてのブランドは高まっていたように思う。興味深いのは関ヶ原以前では武田信玄や豊臣秀吉といった大物達と戦っているが遂に信長とは干戈を交える事...
祖父も父も殺されて自身は人質に取られるところから始まるところは弱者だろうが、武田信玄と織田信長に挟まれて数々の修羅場を超えていく辺りから武将としてのブランドは高まっていたように思う。興味深いのは関ヶ原以前では武田信玄や豊臣秀吉といった大物達と戦っているが遂に信長とは干戈を交える事は無かった。律儀者という評価だが本能寺の変後に勝手に領土を接収している。弱者というより抜け目ないと感じる。
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久しぶりに日本文学の本を読むことができてよかった。教科書では語られなかった徳川家康が全盛期ではない時の動きやその時期の家康の権力的なものを知ることができて良かった。五章では天下人になれなかった明智光秀と天下人になれた豊臣秀吉や徳川家康が対比されていて、誠実さや正直さといのが人々か...
久しぶりに日本文学の本を読むことができてよかった。教科書では語られなかった徳川家康が全盛期ではない時の動きやその時期の家康の権力的なものを知ることができて良かった。五章では天下人になれなかった明智光秀と天下人になれた豊臣秀吉や徳川家康が対比されていて、誠実さや正直さといのが人々から信頼を受けやすく上に立つものが持っている物と語られていて、それは今でも必要なことだなと偉人から少なからず人生のヒントを得ることができたと思いました。
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オーディブルの日本史の著書を片端から読んでいますが、これはとてもいい著作でした。天才信長は、実力本位で普通なら登用しない人材を中心人物まで引き上げるほどの器量を持っていたにも関わらず、その中心人物に裏切られて天下統一を目の前にして暗殺されてしまう。そして豊臣秀吉は、信長の遺産を...
オーディブルの日本史の著書を片端から読んでいますが、これはとてもいい著作でした。天才信長は、実力本位で普通なら登用しない人材を中心人物まで引き上げるほどの器量を持っていたにも関わらず、その中心人物に裏切られて天下統一を目の前にして暗殺されてしまう。そして豊臣秀吉は、信長の遺産を絶妙に引き継いで短期間で天下統一を果たすのだからこれも天才である。それに対して徳川家康は、幼年時には今川義元に育てられ、織田信長と敵対する陣営にいたにも関わらず、信長の忠実なパートナーとして様々なパワハラに耐えながらも秀吉に伍する実力を身につけていく。その二人の天才の成果を全て引き継ぎ、しかも徳川の世を260年も継続させる家康は、すごいのだけれど、天才ではないからこそ、じっくりと準備したのだ。そして部下に安心感を与えたからこそ大きな謀反も起こらなかったのだ。ちょうど最近読んだ「日本史のなかの兄弟たち」と複層的な著作だったのでとても勉強になりました。
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戦国時代の三英傑の1人、徳川家康。彼の功績を弱者という立場から解説していく新書。著者の磯田さんは歴史研究の中でも分かりやすく解説してくれるので読みやすかった。実際に家康は家柄が良くとも幼い頃から人質として今川家に仕えていたためいつ殺されるか分からない状況でもあったため弱者といえる...
戦国時代の三英傑の1人、徳川家康。彼の功績を弱者という立場から解説していく新書。著者の磯田さんは歴史研究の中でも分かりやすく解説してくれるので読みやすかった。実際に家康は家柄が良くとも幼い頃から人質として今川家に仕えていたためいつ殺されるか分からない状況でもあったため弱者といえるだろう。その後も家柄を守るため強者の信長や信玄、秀吉たちと上手く立ち回り最終的に天下をとる。これを読むと家康はバランスがよく強弱の使い分けが上手かったように思う。また家臣との関係性をこれも上手く使いこなしていたように思う。興味深かったのは酒井忠次をナンバー2とする書き方。実際に有能な武将であっただろうがあまり細かい書き方をされないタイプの武将だったため面白かった。
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どうする家康の放送に便乗した本である。 分かりやすく説明され、かつ最新の研究についても説明されている。
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p14 記紀でいえば、ヤマトタケルを最後まで苦しめたのも、この地域でした。野原で火攻めに遭い、草薙の剣で難を逃れたのが静岡の焼津で、それを奉納したのが尾張の熱田神宮です。 熱田神宮はのちに武門の神として厚く進行されます p35 駿河の今川家の方が権威・文化を重んずる西日本の社会...
p14 記紀でいえば、ヤマトタケルを最後まで苦しめたのも、この地域でした。野原で火攻めに遭い、草薙の剣で難を逃れたのが静岡の焼津で、それを奉納したのが尾張の熱田神宮です。 熱田神宮はのちに武門の神として厚く進行されます p35 駿河の今川家の方が権威・文化を重んずる西日本の社会原理に親しかった p44 日露戦争で、バルチック艦隊を撃破した参謀、秋山真之は、アメリカ留学時代に書いた天剣漫録に、世界の地図を眺めて日本の小なるを知れ。世界を統一するものは大日本帝國なり。家康は三河武士の赤誠と忠勤によりて天下を得たりと記しています。 三河で家康が発揮した外交力です。三大国に囲まれて、いかに生きるか。そこで最も大事なのは、3つのうち、l最低一つ、できれば2つを味方にして敵にまわさない、ということです。小国が3つの大国をすべて敵に回したら、滅ぶほかありません。昭和の大日本帝國は、この過ちをおかしてしまいました。 p68 歴史は、どのように尾ひれがつくかも大事です p73 信長疲れの総決算が、明智光秀 p76 信長型は、求心力が強く、急速に成長可能ですが、ブラック化しやすく、メンバーが信長疲れを起こします。秀吉型も強力な成長志向で拡大路線には強いが、朝鮮出兵の失敗のように、行き詰まると、やはり秀吉疲れの弊害が表面化します。そのなかで、もっともサスティナブルだったのが、家康の棲み分け路線だったのです。 権威の支配と力の支配をみて、家康はその両方の限界を知りました。そのうえで、あんばいよく、たどり着いたのが、互酬信用の支配だったのでしょゆ。そして、こらが日本社会によく適合したのです。 p97 家康に過ぎたるものが2つあり。唐の頭に本多平八郎忠勝 p103 酒井忠次の諜報力と分析力 p115 激戦地帯の二股 そこで重要なのは鍛冶屋 鍛冶屋の家からうまれたのが本田宗一郎 二俣城を徳川勢から守り抜いたのが依田家 家来の手塚家 手塚治虫 p115 奥田氏 山家三方衆 奥三河の有力な三豪族 p117 家康が天下を取った後に、薩摩には島津、福岡には黒田、l長州には毛利といった油断のならない大名が居座ることになったそこで用心深い江戸幕府は、宮崎の延岡と大分の中津に、親徳川である譜代大名をおいた。このとき、中津藩を任されたのが奥平家 p119 長篠の合戦といえば、かつては信長家康方は鉄砲隊を三段にならべ、かわるがわる撃たせることで、押し寄せる武田の騎馬団を撃退したといわれてきましたが、これは後に作られたイメージ p125 組織にとって最大のダメージは、やはり人を失うこと 長篠の合戦で武田側は多くの重臣を失った 山県三郎兵衛昌景、馬場信春、内藤昌秀、真田源左衛門尉信綱、 p130 出頭人 主君の前にしょっちゅう顔をだして、可愛がられる便利な者 大岡弥四郎 武田に内通していた p132 多様性や混在よりも、仲間内での同質の安心をとる組織伝統は、徳川支配のなかで発展したもの p133 大岡弥四郎が岡崎の信康にとりいったことでもわかるように、武田が攻撃目標にして目につけたのが、徳川家の家庭内の不和 p140 武田は、徳川同様、織田の家中にも離間工作を盛んにしかけていた p145 徳川は、織田にしられないように、武田の落ち武者をかくまった 依田信蕃(二俣城) p150 今川氏真や、末期の武田勝頼のように、戦わないリーダーにはだれもついてこない。それが戦国という時代です p186 中国の古典に、馬上天下を得るとも、馬上で天下を治るを得ず。という言葉あります。軍事力で天下をとれても、力だけでは天下を治めることはできない。これは駿河時代の家康にふさわしい言葉でしょう p187 信長、秀吉、家康の死生観 信長 死なうは一定、しのび草は何をしよぞ、一定かたり遺すよの(人はだれでも死ぬものだ、行きているうちに何をするか、人は語り残してくれるだろう、行きているうちに語り草になるようなことをやるべきだ、というわけです) 人間50年、下天の内をくらぶれば、ゆめ幻のごとくなり (自分はしんだらそれまでなんだ) 秀吉 露と落ち霞と消えし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 (一代で天下をとっても、死んだらすべて夢のようなものだ) 消える世界観 家康 先に行くあとに残るも同じこと連れて行けぬ別れとぞ思ふ (殉死を思いとどまらせる歌。死後に残された人にポイントがおかれていて、自分がいなくなっても徳川の世を続けよ、というメッセージになっている) 嬉しやと再び覚めて一眠り浮世の夢は暁の空 永続の世界観
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著者の大胆な仮説がダイナミックにわかりやすく描かれていて面白かった。 織田徳川同盟が棲み分けを本質とすることや、信玄との戦いではいざという時に戦うリーダーであることを示す決断をしたこと、武田勝頼との戦いで、強者の得意パターンを敢えて現出させて誘い出しつつ鉄砲と高性能な弾薬と柵によ...
著者の大胆な仮説がダイナミックにわかりやすく描かれていて面白かった。 織田徳川同盟が棲み分けを本質とすることや、信玄との戦いではいざという時に戦うリーダーであることを示す決断をしたこと、武田勝頼との戦いで、強者の得意パターンを敢えて現出させて誘い出しつつ鉄砲と高性能な弾薬と柵による横一線の防御陣地という罠を設けたこと、武田の家臣団や軍制を積極的に取り入れることで強力になったことなど、家康の戦略の勘所がよく伝わってきた。 長篠後の武田の諜報と調略が信康殺害や、本能寺まで誘発した可能性(武田と繋がっていた光秀が天目山の後に織田に従属した穴山梅雪から信長に情報が漏れることを警戒して潰される前に謀反を選んだとする大胆な仮説も)、武田の調略(信康の下で抜擢された大岡弥四郎が武田のスパイであったこと)で家康の人事思想に影響を与え、これが徳川体制の組織風土に影響しひいては現在の日本の組織風土にも影響しているという説など、興味深い話が多かった。 関東転封も、却って徳川家の中央集権強化につながったことや、家康と秀吉の距離と規模を保つことで反逆者の発生を未然防止する戦略効果があったことなど、目から鱗のネタもあり、興味深かった。
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徳川家康が弱国大名からいかに天下人までなりえたのかを堅苦しい史実資料だけでなく、わかりやすく説明されていた。 なかなかおもしろかった。
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