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徳川家康 弱者の戦略 文春新書1389
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徳川家康 弱者の戦略 文春新書1389

磯田道史(著者)

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徳川家康 弱者の戦略 文春新書1389

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文藝春秋
発売年月日 2023/02/17
JAN 9784166613892

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徳川家康 弱者の戦略

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商品レビュー

3.9

21件のお客様レビュー

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2024/05/26

p14 記紀でいえば、ヤマトタケルを最後まで苦しめたのも、この地域でした。野原で火攻めに遭い、草薙の剣で難を逃れたのが静岡の焼津で、それを奉納したのが尾張の熱田神宮です。 熱田神宮はのちに武門の神として厚く進行されます p35 駿河の今川家の方が権威・文化を重んずる西日本の社会...

p14 記紀でいえば、ヤマトタケルを最後まで苦しめたのも、この地域でした。野原で火攻めに遭い、草薙の剣で難を逃れたのが静岡の焼津で、それを奉納したのが尾張の熱田神宮です。 熱田神宮はのちに武門の神として厚く進行されます p35 駿河の今川家の方が権威・文化を重んずる西日本の社会原理に親しかった p44 日露戦争で、バルチック艦隊を撃破した参謀、秋山真之は、アメリカ留学時代に書いた天剣漫録に、世界の地図を眺めて日本の小なるを知れ。世界を統一するものは大日本帝國なり。家康は三河武士の赤誠と忠勤によりて天下を得たりと記しています。 三河で家康が発揮した外交力です。三大国に囲まれて、いかに生きるか。そこで最も大事なのは、3つのうち、l最低一つ、できれば2つを味方にして敵にまわさない、ということです。小国が3つの大国をすべて敵に回したら、滅ぶほかありません。昭和の大日本帝國は、この過ちをおかしてしまいました。 p68 歴史は、どのように尾ひれがつくかも大事です p73 信長疲れの総決算が、明智光秀 p76 信長型は、求心力が強く、急速に成長可能ですが、ブラック化しやすく、メンバーが信長疲れを起こします。秀吉型も強力な成長志向で拡大路線には強いが、朝鮮出兵の失敗のように、行き詰まると、やはり秀吉疲れの弊害が表面化します。そのなかで、もっともサスティナブルだったのが、家康の棲み分け路線だったのです。 権威の支配と力の支配をみて、家康はその両方の限界を知りました。そのうえで、あんばいよく、たどり着いたのが、互酬信用の支配だったのでしょゆ。そして、こらが日本社会によく適合したのです。 p97 家康に過ぎたるものが2つあり。唐の頭に本多平八郎忠勝 p103 酒井忠次の諜報力と分析力 p115 激戦地帯の二股 そこで重要なのは鍛冶屋 鍛冶屋の家からうまれたのが本田宗一郎 二俣城を徳川勢から守り抜いたのが依田家  家来の手塚家 手塚治虫 p115 奥田氏 山家三方衆  奥三河の有力な三豪族 p117 家康が天下を取った後に、薩摩には島津、福岡には黒田、l長州には毛利といった油断のならない大名が居座ることになったそこで用心深い江戸幕府は、宮崎の延岡と大分の中津に、親徳川である譜代大名をおいた。このとき、中津藩を任されたのが奥平家 p119 長篠の合戦といえば、かつては信長家康方は鉄砲隊を三段にならべ、かわるがわる撃たせることで、押し寄せる武田の騎馬団を撃退したといわれてきましたが、これは後に作られたイメージ p125 組織にとって最大のダメージは、やはり人を失うこと 長篠の合戦で武田側は多くの重臣を失った 山県三郎兵衛昌景、馬場信春、内藤昌秀、真田源左衛門尉信綱、 p130 出頭人  主君の前にしょっちゅう顔をだして、可愛がられる便利な者 大岡弥四郎 武田に内通していた p132 多様性や混在よりも、仲間内での同質の安心をとる組織伝統は、徳川支配のなかで発展したもの p133 大岡弥四郎が岡崎の信康にとりいったことでもわかるように、武田が攻撃目標にして目につけたのが、徳川家の家庭内の不和 p140 武田は、徳川同様、織田の家中にも離間工作を盛んにしかけていた p145 徳川は、織田にしられないように、武田の落ち武者をかくまった 依田信蕃(二俣城) p150 今川氏真や、末期の武田勝頼のように、戦わないリーダーにはだれもついてこない。それが戦国という時代です p186  中国の古典に、馬上天下を得るとも、馬上で天下を治るを得ず。という言葉あります。軍事力で天下をとれても、力だけでは天下を治めることはできない。これは駿河時代の家康にふさわしい言葉でしょう p187 信長、秀吉、家康の死生観 信長 死なうは一定、しのび草は何をしよぞ、一定かたり遺すよの(人はだれでも死ぬものだ、行きているうちに何をするか、人は語り残してくれるだろう、行きているうちに語り草になるようなことをやるべきだ、というわけです) 人間50年、下天の内をくらぶれば、ゆめ幻のごとくなり (自分はしんだらそれまでなんだ) 秀吉 露と落ち霞と消えし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 (一代で天下をとっても、死んだらすべて夢のようなものだ) 消える世界観 家康 先に行くあとに残るも同じこと連れて行けぬ別れとぞ思ふ (殉死を思いとどまらせる歌。死後に残された人にポイントがおかれていて、自分がいなくなっても徳川の世を続けよ、というメッセージになっている) 嬉しやと再び覚めて一眠り浮世の夢は暁の空 永続の世界観

Posted by ブクログ

2024/05/19

著者の大胆な仮説がダイナミックにわかりやすく描かれていて面白かった。 織田徳川同盟が棲み分けを本質とすることや、信玄との戦いではいざという時に戦うリーダーであることを示す決断をしたこと、武田勝頼との戦いで、強者の得意パターンを敢えて現出させて誘い出しつつ鉄砲と高性能な弾薬と柵によ...

著者の大胆な仮説がダイナミックにわかりやすく描かれていて面白かった。 織田徳川同盟が棲み分けを本質とすることや、信玄との戦いではいざという時に戦うリーダーであることを示す決断をしたこと、武田勝頼との戦いで、強者の得意パターンを敢えて現出させて誘い出しつつ鉄砲と高性能な弾薬と柵による横一線の防御陣地という罠を設けたこと、武田の家臣団や軍制を積極的に取り入れることで強力になったことなど、家康の戦略の勘所がよく伝わってきた。 長篠後の武田の諜報と調略が信康殺害や、本能寺まで誘発した可能性(武田と繋がっていた光秀が天目山の後に織田に従属した穴山梅雪から信長に情報が漏れることを警戒して潰される前に謀反を選んだとする大胆な仮説も)、武田の調略(信康の下で抜擢された大岡弥四郎が武田のスパイであったこと)で家康の人事思想に影響を与え、これが徳川体制の組織風土に影響しひいては現在の日本の組織風土にも影響しているという説など、興味深い話が多かった。 関東転封も、却って徳川家の中央集権強化につながったことや、家康と秀吉の距離と規模を保つことで反逆者の発生を未然防止する戦略効果があったことなど、目から鱗のネタもあり、興味深かった。

Posted by ブクログ

2024/02/17

徳川家康が弱国大名からいかに天下人までなりえたのかを堅苦しい史実資料だけでなく、わかりやすく説明されていた。 なかなかおもしろかった。

Posted by ブクログ

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