他者と生きる の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
一般的に常識とされていることや前提そのものに問いを投げかけていく。そして、数多くの学者の論文を引用しながら複数の考え方を紹介した上で、著者独自の考察を展開していく。難解な箇所も多く、じっくり読む必要があるが大変興味深かった。 ・本書の中で出てくる「スマホ脳」「FACTFULLNESS」「私とは何か『個人』から『分人』へ」は既に読了したお気に入りの本たちであったが、特に前の2冊については、そもそも過去の人類を「平均人」としてある程度一律化し、当たり前のように正しい根拠として取り扱っていることについて是非を問う。自分にとっては斜め上の、相当斬新な問いであった。 ・人類学や論文などを読み慣れていない私にとって、納得しながら読めたページはそう多くなかったように思う。ただし、響く考え方、フレーズは随所にあった。 ・1年後くらいに再読したい。
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『#他者と生きる』 統計学的人間観に従ってリスク管理をするでなく、未来に向かって飛び他者と共に在る中で時間を作り出し生きていると実感できたなら、統計学的時間で測られた"長い"時間でなくとも、その人生は厚く、深く、長い。 とても良い。とても考えさせられた。 自...
『#他者と生きる』 統計学的人間観に従ってリスク管理をするでなく、未来に向かって飛び他者と共に在る中で時間を作り出し生きていると実感できたなら、統計学的時間で測られた"長い"時間でなくとも、その人生は厚く、深く、長い。 とても良い。とても考えさせられた。 自身の生活を振り返ると、客観的な正しさに身を委ねて、日常を予測可能な範囲に留めてしまっているな。まだ来ぬ未来へ依拠する愛と信頼に基づく選択は、今ある関係性からは想像できなかった自他の生成が待っているかもしれないのだから、他者との関係性を持とう!頭を上げよう!手を挙げよう! 「私」の境界はどこか?もすごく考えさせられた。 身体の概念を持たず、「人」が関係性の中で存在すると捉えられているメラネシア社会。 皮膚を境に自己が途切れるのではなく、むしろ自己は共有されているアフリカのバカ・ピグミー。 自分だけで生きているとは思っていなかったが、所与としての人があることは無意識に考えていたと思う。他者との関係性の中で生成される自分という存在について考えた。 この興味はティム・インゴルドに向かう。 #読了 #君羅文庫
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リスク認知から異なる人間観のモデル、そして他者と共に時間を生成すること。 関係論的人間観に基づく考え方が新鮮。個人という観念が実は自明ではないのではということ。 そして自他が生成される過程。 最後の偶然と必然の時間感覚の提唱はおもしろかったが、理論を俯瞰して本の最後でにわかに景色...
リスク認知から異なる人間観のモデル、そして他者と共に時間を生成すること。 関係論的人間観に基づく考え方が新鮮。個人という観念が実は自明ではないのではということ。 そして自他が生成される過程。 最後の偶然と必然の時間感覚の提唱はおもしろかったが、理論を俯瞰して本の最後でにわかに景色が開けたような、そんな読み口。 応用を考えてみたいところ。
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優しくて、丁寧な内容だった。「正しく考える」「正しく生きる」ということを少しでも窮屈に感じたことがある人であれば、読むことで少し自由になる(これまで立脚していた点が、さまざまある点のうちの一つに過ぎず、他にも立脚できる点があることがわかる)のでないかと思った。 情報経験だけでな...
優しくて、丁寧な内容だった。「正しく考える」「正しく生きる」ということを少しでも窮屈に感じたことがある人であれば、読むことで少し自由になる(これまで立脚していた点が、さまざまある点のうちの一つに過ぎず、他にも立脚できる点があることがわかる)のでないかと思った。 情報経験だけでなく直接経験を多く持ちたくなった。また、内心怯えながらでも、多くのものや人に出会い続けて、ラインを積極的に引き続けていきたいと感じた。 個人的な備忘のために以下少し要約を記載。 味わい深い内容なので、また読み直したい。 ------------------ 「自分らしさ」と聞くと一般的には、自らの内部にある考えや思いをピュアに表明することを想像することが多い。また、現代だと「自分らしく」あることが称揚される。 しかし著者は、「自分らしさ」がこのような内発的な動機や、その他大勢の意見への反抗だけでは成立せず、他者からの承認を必要とするものであり(例えば「自分らしい殺人」というのは他者から承認されにくいため成立しない)、すなわち実は「私たちらしさ」なのではないかと主張する。 その上で、実のところ「私たちらしさ」と呼ぶべきものが「自分らしさ」という呼称に隠蔽される背景には、戦後日本の個人主義的人間観(一つの身体の中に一つの個人が宿っており、それは世界からも歴史からも分離が可能であるという人についての理解)と、個人主義的人間観と(実は)相性の良い統計学的人間観(統計的に立ち現れるが実際には存在しない「平均人」を想定する人間観)があるとする。 また、統計学的人間観は、生物的な命が存続することが何よりも素晴らしいとする倫理を纏っており、それはこの人間観が、個人主義的人間観に基づいているからであるとする。 このような人間観に対して筆者が主張するのは関係論的人間観と呼ばれるもので、身体があるから個人があるという前提に立たず、自己と他者との関わりによってはじめて「私」が生じるとするものだ。 この関係論的人間観に立脚すると、他者と接合されて生まれる「自分らしさ」(実のところは「私たちらしさ」)とは他者と生きる中で立ち現れるものだとしている。 その後、最終章で、統計学的時間と関係論的時間の差異について論じており、これもめちゃくちゃ面白い。 ------------------ 長々と要約じみたことを書いてしまったが、以下が個人的に心に残った。 ・現代医学が多くの場合、リスクの実感を醸成することを目的としてレトリックを駆使すること ・身体的な実感を伴わない情報経験は生命としての世界との関わりを希薄にすることにつながり、結果として想像力が権威によって勝手に想起させられることにつながること ・そのような想像力の操作に抵抗するために、情報の背景にある意図や歴史、政治的事情を把握するのが重要であること ・様々な病の原因として、誰も確かめようのない狩猟民族時代の人間の脳と現代の人間の脳との対比を引き合いに出すのは、全人類にとって納得しやすい「平均人」を用いた起源の語りだから ・選択というのは、それによって変わっていく自分がその後起こる出来事に対応していくことを許容することである、ということ
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他者と関わりながら生きるとは、どういうことなのか? 一見当たり前のような問いの本質は、人間とは?生きるとは?という人生観につながってる。 本書では様々な事例を元に、この哲学的な問いに丁寧な補助線が引かれていく。 医療における私たちが感じる選択の難しさや、様々な文化を持つ民族の考え...
他者と関わりながら生きるとは、どういうことなのか? 一見当たり前のような問いの本質は、人間とは?生きるとは?という人生観につながってる。 本書では様々な事例を元に、この哲学的な問いに丁寧な補助線が引かれていく。 医療における私たちが感じる選択の難しさや、様々な文化を持つ民族の考え方、コロナ禍で日々私たちを追い込んでいく数字など、読んでいて悲しくなったり驚いたりしながら、人との関わり方の多様な視座が示される。 他者と愛を持って関わりたくなる一冊。
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この本は、全体を通して「手ざわり」がテーマになっていると思います。 まず、ひとりの医師としてこの本を読んで、自分は目の前の患者の生活を過度に医療化してしまっていないだろうかと、振り返るきっかけになった。エビデンスや統計学的情報を絶対的「正しさ」として振りかざして、その人のもつ経験...
この本は、全体を通して「手ざわり」がテーマになっていると思います。 まず、ひとりの医師としてこの本を読んで、自分は目の前の患者の生活を過度に医療化してしまっていないだろうかと、振り返るきっかけになった。エビデンスや統計学的情報を絶対的「正しさ」として振りかざして、その人のもつ経験や物語、「手ざわり」感を、ないがしろにしてしまっていないだろうか。 後半で語られる「関係論的時間」の概念は、時間というある種無機質にも感じるものに、「手ざわり」感をもたせてくれるようで、新鮮に感じました。
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