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聖なるズー の商品レビュー

4.3

40件のお客様レビュー

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    17

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  3. 3つ

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2022/03/06

こんな愛もあるのかと衝撃だった。私も最初の頃の筆者同様、ゼータの人々に対して偏見や多少の緊張を持ちながら読んでいたが、動物へ無理やりという訳では無く安心してしまった。固い内容かと思ったがどんどん続きが気になって読み進めてしまった。

Posted byブクログ

2022/02/18

全て理解は出来ないが、今までの自分の世界にはない考えに触れられた 新聞の読書欄で知ったが万人にすすめられるかというとそうではないような……

Posted byブクログ

2022/02/08

理解出来たかと読み終わってかなり考えてしまいました。差別はしないし、批判もしないけれど…本当の意味で理解は出来ていないのだと思います。日本だから攻撃とか酷い批判が無かったのではないか、と考えました。アロマンティック・アセクシャルがドラマのネタになるくらいなのでこの本も理解はされづ...

理解出来たかと読み終わってかなり考えてしまいました。差別はしないし、批判もしないけれど…本当の意味で理解は出来ていないのだと思います。日本だから攻撃とか酷い批判が無かったのではないか、と考えました。アロマンティック・アセクシャルがドラマのネタになるくらいなのでこの本も理解はされづらくはあっても批判は来ないのかもしれません。

Posted byブクログ

2022/02/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

動物を性の対象として接する人、動物愛護団体からは動物虐待と言われ、世間からも差別の目を向けられる。 読んでいるうちに、この「ズー」の人たちは、共感能力が高い人たちなんだなと感じた。 子どものようにかわいがるのではなく、動物と同じ立場で対等であろうとしている。 筆者の書いていたけど、この中で登場する「ズー」の人たちは、動物と対等の立場になれることのすばらしさを語っているけれど、みな動物から受け(挿入される)側であることが多い。 受け入れる立場に立つことで、他人から見た動物虐待や性欲の発散と思われることに防衛線を引いでいる。(自分の価値観を動物に押し付けているのではないと・・・) むしろ、攻め側の人を見下している人もいる。 挿入するというある意味の攻撃性を回避することで、自分が攻撃的でないことを保証している。 でも本当にそうなのか? 人間のSEXでも男性には攻撃性があるのか? それに対して、女性側はある意味の被害者になるのか? SEXだけがすべてではないのだけれど、重要なことではあるのかな もし知人に言われたら、受け入れられるか たぶん受け入れられないかも

Posted byブクログ

2022/01/21

動物に愛着、ときに性的欲望を抱く「動物性愛」をテーマにした本書。 動物性愛擁護団体「ゼータ」のメンバー中心に、動物性愛者、通称「ズー」に密着したノンフィクション。 まず私も勘違いしていたことだが、「獣姦」と「動物性愛」は似て非なるものだ。 獣姦は動物とのセックスそのものを指し、...

動物に愛着、ときに性的欲望を抱く「動物性愛」をテーマにした本書。 動物性愛擁護団体「ゼータ」のメンバー中心に、動物性愛者、通称「ズー」に密着したノンフィクション。 まず私も勘違いしていたことだが、「獣姦」と「動物性愛」は似て非なるものだ。 獣姦は動物とのセックスそのものを指し、そこに愛があるかどうかは全く関係がない。そのため、ときに動物への暴力行為をも含むとされる。 一方で動物性愛は、心理的な愛着が動物に対してあるかどうかが焦点となり、決して動物に危害は加えない。 ズーは動物ならなんでもいいわけではない。 ズーは自分の愛する特定の動物の個体を「パートナー」とし、パートナーはズーひとりにつき一頭の場合が多い。なぜならばその一頭だけがそのズーにとって特別な存在だからだ。 ズーはパートナーである動物にパーソナリティを見出し、自分との対等な関係性を愛する。 動物性愛を紐解く鍵は対等性にある。 対等性とは、相手の生命やそこに含まれるすべての側面を自分と同じように尊重することだ。 動物性愛を語るときにしばしば話題にあがる小児性愛。 人々がこの二つを並べがちなのは、「人間と動物」、「大人と子ども」という違いはあれど、いずれも「対等ではない関係」という認識があるからだろう。 動物は言葉を話せず、小児も小さければ小さいほど言葉を操れない。 日本でも飼い犬を我が子のように扱う「犬の子ども視」は一般的だ。 一方、ズーは成犬を「成熟した存在」として捉え、対等に扱う。 ズーは小児性愛を「性的な目覚めがない相手に性的行為を強いる間違った許せないもの」として嫌悪し、動物性愛を「成熟した動物には性的な欲望とその実行力があり、人間の大人と対等である」と正当性を主張する。 ズーは「パートナーとの対等性」を重視するためパートナーにセックスは強要しない。 セックスのための性的なトレーニングも行わない。 セックスするときはパートナーが誘ってきたときだけだ。 そのためズーの中にはパートナーとのセックスを一度も経験したことがない人も多くいる。 この「犬などの動物が誘ってくる」ということが私には理解できなかった。 ズーのいう犬の性欲は、犬がごはんを食べたがるのと同じくらいわかりやすいそうだ。 自分も犬を飼った経験から犬には発情期があるので性欲が存在することは理解できる。 でも、その性欲の対象が人間に向くことはあるのだろうか。 あったとしてもそれはその犬が人間社会の中で生きているため、他の犬とセックスする機会を持てないから人間に向いただけなのでは、という疑問が残る。 ズーのなかにも、色々な違いがある。 まず、性的対象となる動物の種類。 犬をパートナーとする人が圧倒的に多く、次いで馬が多い。 猫は人間との体格差が大きく、かつ性器も小さいのでセックスが成り立たず、パートナーとする人はいない。 ズーは動物を愛し、危害を加えない。 だから動物のサイズの問題は大きく、猫にとどまらず小型の動物はパートナーとはならないのだ。 次に、性的対象となる動物の性別。 自身が男性で、パートナーがオスの場合は「ズー・ゲイ」、自身が女性で、パートナーがメスの場合は「ズー・レズビアン」、パートナーの性別を問わない場合は「ズー・バイセクシャル」、自身とは異なる性別を好む場合は「ズー・ヘテロ」となる。 また、パートナーとのセックスでの立場が受け身の場合は「パッシブ・パート」、その逆を「アクティブ・パート」という。 つまり、ズー・ゲイの男性がオスのパートナーとセックスときは動物のペニスを自身の肛門に受け入れる方法をとる。 このとき自分のペニスを動物に挿入することはない。 その次に、自身がズーであると自覚したなり立ち。 ズーたちの大多数は、生まれながらの動物性愛者だそうだ。 しかし、自ら考え抜いて「ズーになることを選んだ」人もいる。 彼らはすべての時間と経験をパートナーと共有することでまるごと向き合い、共に生きるための新たな生き方としてズーになることを選んだという。 ズーは自分たち動物性愛者のことをラグジュアリーだと考える。 なぜならばパートナーの一生を、最初から最後まで受け止めることができるからだ。 動物をパートナーとする以上、どうしても人間との寿命の違いの問題がつきまとう。 最愛のパートナーを看取ることは辛く悲しいことではあるが、そのズーの考え方は素敵だなと思った。 動物性愛は、ある人にとっては犯罪に等しい行為であり、ある人にとっては人間と動物の境界を再考させる行為とされる。 私はこの二つの間で揺れ動いているが、この本を読むことで後者の考え方を知ることができてよかったなと感じる。 ぜひたくさんの人に、この本を読んでもらいたい。

Posted byブクログ

2022/01/11

人間の性愛、動物との関係性に関する自分の中の常識や思い込みに、まったく違う視点が与えられた気がします。 DV被害者である著者が、犬や馬をパートナーとする、いわゆる動物性愛者へのインタビューを通じ、人間の性愛や暴力性について思索していくノンフィクション作品です。 動物性愛という言...

人間の性愛、動物との関係性に関する自分の中の常識や思い込みに、まったく違う視点が与えられた気がします。 DV被害者である著者が、犬や馬をパートナーとする、いわゆる動物性愛者へのインタビューを通じ、人間の性愛や暴力性について思索していくノンフィクション作品です。 動物性愛という言葉自体は初耳でしたが、世の中にはいろいろな性があるから、動物に性的興奮を覚える人もいるのだろうな、ということはなんとなく考えていました。 一方で獣姦という言葉や行為も自分は知っていて、そうした人たちと、その行為を半ば無意識的に自分の中で結びつけて、そうした人を一種の性的倒錯者のように思っていたところも、今思うとあったように思います。 実際に読んでみると、動物性愛者の人たちは決して異常な人ではない。LGBTの人たちが自身の性自認に悩んだように、彼らも自身の性自認に悩み、パートナーに対しても、決して性的快楽を得るための道具として扱うのではなく、人間のパートナーと変わらない愛情や慈しみを注ぐ。 その姿は人間そのものだと思うし、著者自身も思うようにある意味では人間の関係性以上にロマンチック、あるいはイノセンスなものを感じさせる気もします。 実際に読んでいると、自分たちは動物と性というものを切り離して考えていることにも気づかされます。日本ではペットの去勢は普通のこととして受け取られているものの、それは倫理的に正しいのか。動物であるパートナーの性を考えている彼らの方が、ある意味では動物愛護の姿勢としては正しいのではないか。 社会の常識、自分の中の概念が、そんなふうに揺らぐことが読んでいるうちに何度もあったように思います。 性的志向や関係性は暴力や支配とも結びつきます。著者が取材した動物性愛者の団体「ズー」はドイツにありますが、ドイツでも動物とのセックスは動物愛護法と人々の自由や権利との間で揺れ動いています。もちろん動物性愛者に対しての視点は社会的にも厳しいのが現状。 動物たちは本当に人間との性的関係を望んでいるのか? そこには全く暴力的なものも、支配の感覚もないのか? 個人的にズーの人たちの言い分は説得力あるものもあるし、同意できないものもあります。ただ著者はそこで思考停止するのではなくさらに思索を深め、人間が持つ性に対する偽善的な部分や、支配・被支配、力関係、暴力性に焦点をあてていきます。 著者自身の体験によるものもあると思うけど、その思考があるからこそ、この本は下世話な表層的な部分で終わるのではなく、人間の本質の部分に触れるような作品になったように思います。 正直最初は、自分も下世話な好奇心からこの本を手に取ったところがあります。それでも読み進めていくうちに、この本が問いかけたかったものが心の中に降りてきて、否が応でも考えさせられたように感じます。 第17回開高健ノンフィクション賞

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2021/12/31

読む前は動物との性愛というイメージから嫌悪感を抱いていたが、読んでみると想像していた嫌悪感は感じられなかった。そもそも、「動物性愛」と「獣姦」が似て非なるものだと知らなかったからだ。 「動物に対して感情的な愛着を持つ」というのはわかるが、「性的な欲望を抱く性愛」とは理解しにくい...

読む前は動物との性愛というイメージから嫌悪感を抱いていたが、読んでみると想像していた嫌悪感は感じられなかった。そもそも、「動物性愛」と「獣姦」が似て非なるものだと知らなかったからだ。 「動物に対して感情的な愛着を持つ」というのはわかるが、「性的な欲望を抱く性愛」とは理解しにくいところだ。しかし、人間に対してであれ、動物に対してであれ、愛するという行為は人それぞれだ。 動物性愛者の存在、そして動物にも性があるということへの理解を通して、自分自身の視野が広がったような気がする。だから、読書は面白い。

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2021/12/16

以前に単行本で読んでいたので、文庫版あとがきと解説を読みました。ズー達のその後が知れて良かった。解説もわかりやすく、面白かった。

Posted byブクログ

2021/12/16

ここ数年でいちばん面白く、刺激的な本でした。 2〜3ページおきに目から鱗が落ち続け、この3日でデスク周辺に鱗の山ができた気がします。生まれ変わったように、視界が開けた。 濱野氏の冷静で穏やかな取材は、言葉を引き出すに止まらない深い観察眼を得て、この研究に辛く苦しい動機を持つ彼女に...

ここ数年でいちばん面白く、刺激的な本でした。 2〜3ページおきに目から鱗が落ち続け、この3日でデスク周辺に鱗の山ができた気がします。生まれ変わったように、視界が開けた。 濱野氏の冷静で穏やかな取材は、言葉を引き出すに止まらない深い観察眼を得て、この研究に辛く苦しい動機を持つ彼女にしか到達できない知の淵に我々を泳ぎ着かせてくれます。 すべてのセクシャリティ問題に、社会的マイノリティ問題に、性役割問題に、アンコンシャスバイアス問題に、これまで考えたこともなかった、重大かつ本質的な視点があることに気付かされる内容でした。 衝撃的な内容ですが、とても平易な言葉で読みやすく、構成も見事で引き込まれます。

Posted byブクログ

2021/12/05

知らなかった世界を垣間見る。 構成が平易でわかりやすい。著者とともに、考えていく過程を辿っているかのように感じた。 人とは、人間とは何かを改めて考えることになる。人と動物の関係だけでなく、社会の在り方そのものへの、問題提起。 著者の取材にも脱帽。ドイツのセクシュアリティ状況も、日...

知らなかった世界を垣間見る。 構成が平易でわかりやすい。著者とともに、考えていく過程を辿っているかのように感じた。 人とは、人間とは何かを改めて考えることになる。人と動物の関係だけでなく、社会の在り方そのものへの、問題提起。 著者の取材にも脱帽。ドイツのセクシュアリティ状況も、日本からは考えられない。 犬を連れている人を見ると、少し考えてしまう。 しかし人間は裏切るが、動物は裏切り らない。友情は理解することであり、理解されること。動物にもパーソナリティがあり、それを発見することが愛なのか。 ホロコーストの対極の動物愛護のナチス、価値観だけでは計り知れないセクシュアリティは、今後も深く考えていく必要がある。想像以上に刺激を受けた作品。

Posted byブクログ