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思いがけず利他 の商品レビュー

4.2

94件のお客様レビュー

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2024/09/08

先月に読んだはじめての利他、からもう少し理解を深めたくてさらにもう一冊手に取る。あ、そういうことかと腑に落ちる本。文七元結やらの解釈がなるほどなと、談志の言いたいことがこの著者を通じて理解できた。 利他とは偶然を呼び込む器になること。特別なことを行う必要はなく、毎日を精一杯生きる...

先月に読んだはじめての利他、からもう少し理解を深めたくてさらにもう一冊手に取る。あ、そういうことかと腑に落ちる本。文七元結やらの解釈がなるほどなと、談志の言いたいことがこの著者を通じて理解できた。 利他とは偶然を呼び込む器になること。特別なことを行う必要はなく、毎日を精一杯生きること。 このフレーズが印象に残る。

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2024/09/07

受け取り手次第だという話。 また「体が勝手に」という話でもあった。 引用が多く学びが多かったが 仏教について浅学で受け取ることができない部分もあった。 落語の話は面白かった

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2024/09/03

肝心なところで「神仏」「祈り」「必然性」などの物語に回収させてしまいがちなのにはやや不満もあるけど、書いてあることの概ねに深く頷いた。 しかしこのようにモヤモヤさせてくれる本というのはとても貴重だと思う。ジャンルを飛び越えて様々な角度から「利他」というキーワードに触れていて、面...

肝心なところで「神仏」「祈り」「必然性」などの物語に回収させてしまいがちなのにはやや不満もあるけど、書いてあることの概ねに深く頷いた。 しかしこのようにモヤモヤさせてくれる本というのはとても貴重だと思う。ジャンルを飛び越えて様々な角度から「利他」というキーワードに触れていて、面白かった。 自分の中にある想いや考えともリンクしてぐるぐるとまわる。 与えられる人は、受け取ってきた人だと思ってる。それに(落語でも語られているように)我々人間はそんなに立派なものじゃない。 結局は、「間接互恵」を望みながら、でもそれが自分が望む形やタイミングで訪れるわけではないこと、さらにいえば逆の形で作用してしまう可能性も十分に理解して、自分と、「その人であったかもしれない自分」のために、精いっぱいやっていけたら、と思う。 私のため、というのはなにも「今の私のため」とは限らないのだから

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2024/08/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 コロナ禍以降、時折、目にする「利他」。  感染者は、ウィルスを撒き散らさないよう行動を自粛、予防というより、他人へ伝染さないようマスクをし周りを思いやる。  が、ここ日本では、ややもすると同調圧力だったり、空気を読んだ結果だったりと、けっして、その行為が正しく評価されることもないよな気がしないでもない。  古来、“情けは人の為ならず”という言葉もあるが、なかなか「利他」の行為も、その表象のやり方が難しい。  今年の春先に哲学者近内悠太氏の『世界は贈与でできている』を読んだが、本書も、その延長線上、同じ文脈の中にある著作と拝察。  実際、本書の中にも、近内氏の言葉も引かれている。 「哲学者の近内悠太は、贈与について「被贈与の気づきこそがすべての始まりなのです」と述べています。」  本書のほうが、例が卑近だったり、近内哲学の贈与論を、親鸞の教えや立川談志の落語を例に語るなど、分かりやすく、一冊を通して、「利他」という行いが如何なる行為であるか、そこに至る人間の内なる情感などを、豊かに解説してみせる。  あとがきに、あるように、本書は、 「利他は自己を超えた力の働きによって動き出す。利他はオートマティカルなもの。利他はやって来るもの。利他は受け手によって起動する。そして、利他の根底には偶然性の問題がある — 。」  ということを、落語の人情噺「文七元結」や、ヒンディー語の与格の構文、あるいは親鸞の「他力本願」を通じて読み解いてゆく。  昨今、世間でやたら声高に叫ばれる「自己責任論」に、まっこう意を唱えている論調も痛快だ。 「自己責任論が蔓延し、人間を生産性によって価値づける社会を打破する契機が、「利他」には含まれていることも確かです。コロナ危機の中で私たちの間に湧き起こった「利他」の中にも、新しい時代の予兆があるのではないでしょうか。」 「私は、現代日本の行き過ぎた「自己責任論」に最も欠如しているのは、自分が「その人であった可能性」に対する想像力だと思います。」  この記述に触れることができただけでも本書は価値あった。  また、私とは「器」であるという考え方も、好きだなあ。

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2024/08/23

後藤正文さんの「朝からロック」(朝日新聞)に紹介され、またフォローしている方のポジティブな評価を見て、いつかは読みたいと思っていた本。 やや難しいテーマかと思っていたが、落語の「文七元結」をベースに利他とは何かを説いてくれているので、比較的イメージしやすかった。 「利己」の対...

後藤正文さんの「朝からロック」(朝日新聞)に紹介され、またフォローしている方のポジティブな評価を見て、いつかは読みたいと思っていた本。 やや難しいテーマかと思っていたが、落語の「文七元結」をベースに利他とは何かを説いてくれているので、比較的イメージしやすかった。 「利己」の対極にある「利他」は、仏の教えと親和性が高い。 他力、仏の業、慈悲、本願などと合わせて解説されているので、仏教(というか親鸞)の教えも勉強になった。 決して見返りを期待するのではなく、自然な発意での行動や心の動きが大切。 また利他的であろうとして、特別なことを行う必要はない。毎日を精一杯生きること。自分に与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所で為すべきことを為す。能力の過信を諫め、自己を超えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになる。 素敵な心構えだな。

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2024/07/20

利他的な人というのは存在しない。なぜなら、発信者を利他の主体にするのは、どこまでも、受け手の側であるからで、これはリーダーシップの概念と同じだと思った。すなわち、利己的なひとはリーダーシップになれない!一方、利他的な行動の起動はつねにオートマチックであるという、論理的ではなく感覚...

利他的な人というのは存在しない。なぜなら、発信者を利他の主体にするのは、どこまでも、受け手の側であるからで、これはリーダーシップの概念と同じだと思った。すなわち、利己的なひとはリーダーシップになれない!一方、利他的な行動の起動はつねにオートマチックであるという、論理的ではなく感覚的な側面を持つことにも腑に落ちた。最後に、歴史の静かな継承者となることこそが、利他に関与することなのではないかと考える著者の思いに賛同したい。

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2024/06/15

利己的利他主義なる言葉遊び?とも思える話をきっかけにぐるぐる回り始める。利他は偽善でもなんでもなく、内発的なものかと思う。こちらの意図に合わないものでも受け取ることで、内部で発酵し始めて内発的なものに変わるのかもしれない。 偶然性と宿命というのも対立するものではない。実は時間軸...

利己的利他主義なる言葉遊び?とも思える話をきっかけにぐるぐる回り始める。利他は偽善でもなんでもなく、内発的なものかと思う。こちらの意図に合わないものでも受け取ることで、内部で発酵し始めて内発的なものに変わるのかもしれない。 偶然性と宿命というのも対立するものではない。実は時間軸をずらして考えると重なり合っている。おもしろいなあ。 ヒンドゥー語の与格の話が出てきて、古代ギリシア語には能動態と受動態だけではなかったという國分功一郎さんの「中動態の世界」と重なるなあと思います読み進めるとまさに出てきた。本を読む楽しさかな。

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2024/05/12

利他は愛と似てるなと思った。愛であるかどうかは受け取る側によって決定されることだったり、人間は利他や偶然、愛の器であること(私があなたを愛するというより、私に愛がやってくる状態。止められない) 一生懸命に生きることで自分の限界に直面し、他人の存在の重要性(他力)に気づく。そうする...

利他は愛と似てるなと思った。愛であるかどうかは受け取る側によって決定されることだったり、人間は利他や偶然、愛の器であること(私があなたを愛するというより、私に愛がやってくる状態。止められない) 一生懸命に生きることで自分の限界に直面し、他人の存在の重要性(他力)に気づく。そうすると、自然と他人へ愛や利他性を受けとる器になることができる?そういう理解だった。

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2024/05/04

意思や合理性のそとでもたらせるものがあるということば。 利他をめぐる考察の中で、他力や古代インドの与格構文というものが説明される。そんな言語構造があることに驚くとともに、その構造で表せる世界観に感動する。文法の進化とともに落とされていく視点があるということか。 自力自力で意思で...

意思や合理性のそとでもたらせるものがあるということば。 利他をめぐる考察の中で、他力や古代インドの与格構文というものが説明される。そんな言語構造があることに驚くとともに、その構造で表せる世界観に感動する。文法の進化とともに落とされていく視点があるということか。 自力自力で意思でガチガチになってる視野狭窄の世界から脱していき、利他を呼び込むヒントに溢れた書。

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2024/05/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

・親鸞 いい人と悪い人という考え方はしない どんなに良い人も間違いを犯す 今の境遇は様々な縁によって偶然手にしている 「あなたが"その人"だった可能性はないのか」「あなただって境遇が違えば・・・」 →自分が「その人」であった可能性は否定できない わたしがわたしであることの偶然性 「偶然の自覚」 ・私たちは「今」という時間を生きている。ここに存在している。しかし、「今」がどんな意味を持つのかは「今」はわからない 意味は事後的に見いだされるものでしかない。 ・「わたし」は「今」の意味を、末来から贈与される。それためには「今」を精一杯、いきなければならない 偶然の縁が必然の因果に転嫁する時、「運命」が現れ、、人は救済される。そこに働いている力が「仏の本願」である。 「他力本願」はすべてを仏にゆだねてごろごろしていればいいということではない。自力の限りを尽くすこと。そして必ず自己の能力の限界にぶつかる。自己の絶対的な無力。その瞬間。深く理解した時「他力」がはたらき、わたしたちは大切なものと「邂逅」し、瞬間、あっ、と驚く。 このような世界観の中に生きることが「利他」。利他的にあろうとして特別なことを行う必要はなく、毎日を精一杯、与えられた時間を丁寧に生きること、自分が自分の与えられた場所でなすべきことをなすこと。能力の過信を戒め、自己を超えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込む。

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