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複眼人 の商品レビュー

4.1

22件のお客様レビュー

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2023/09/12

パンチライン引用 〜人生は、いわば交換の連続なのだ。自分が持っているものと相手が持っているものとを交換する。自分の未来を差し出して、今ないものを手にする。交換を繰り返していくうちに、かつて手放したものが再び戻ってくるかもしれない。それがハファイの考えだった。〜 変わり続けるもの...

パンチライン引用 〜人生は、いわば交換の連続なのだ。自分が持っているものと相手が持っているものとを交換する。自分の未来を差し出して、今ないものを手にする。交換を繰り返していくうちに、かつて手放したものが再び戻ってくるかもしれない。それがハファイの考えだった。〜 変わり続けるもの。文化や立場が違えば、同じ景色には映らない。その人が持つ眼によって、同じ事象でも全く違う映り方をする。 話がてんてんとして、ついていけなかった。。。過去と現在も入り乱れていて、海に浮かぶゴミの渦みたいな小説だった。

Posted byブクログ

2023/08/23

呉明益の小説は、『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』を読み、これで3冊目。今まで読んだ2冊が、中華商場や、第二次大戦といった、台湾の歴史的な記憶を拠り所にした物語だったのに対して、『複眼人』は、ファンタジー要素が強く、印象がかなり違う作品だった。 世界中の人間が捨てたゴミが太平洋沖...

呉明益の小説は、『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』を読み、これで3冊目。今まで読んだ2冊が、中華商場や、第二次大戦といった、台湾の歴史的な記憶を拠り所にした物語だったのに対して、『複眼人』は、ファンタジー要素が強く、印象がかなり違う作品だった。 世界中の人間が捨てたゴミが太平洋沖に集まってできた「ゴミの島」が、台湾に衝突するという事件を中心に、そこにいた様々な人たちが描かれる。一番印象的だったのは、自殺寸前の大学教師の女性「アリス」の話だった。 「アリス」は、登山に出かけた夫と息子を失ったことで、自殺を考えるようになる。しかし、ちょうどその時、野良猫が家に舞い込み、「オハヨ」と名づけ、育て出したことで、自殺を思いとどまる。「アリス」にとって、この物語は、いかにして夫の「トム」と、息子の「トト」の死を受け入れるかという物語だった。彼女は、「複眼人」という小説を書き、「トト」は、自分の書いた文字の中で生きていたのだとすることで、二人の死を受け入れる。 「複眼人」というのは、彼女が書いた小説だと思われる物語の中で、これまた「トム」と「トト」だと思われる「男」と「少年」が、死の直前に出会う超自然的な存在だ。複眼人は、人間の男の姿をし、その名の通り、目が複眼になっている。彼の複眼には、一つひとつの個眼に、全く別の様々な情景が映し出されている。 面白いのは、この「複眼人」が、実在するのか、しないのか、「トム」と「トト」の身に起こったことが、現実に起きた出来事なのかどうかが、分からないことだ。この物語には、「アリス」の他に、台湾の先住民族や海外からやってきた技術者、神話の島から追放された少年などが登場する。それぞれの人物が、それぞれの人生における身近な人の死との関わりの中で、神話のような超自然的な経験をする。「アリス」の物語は、そうした登場人物たちの経験が語られる中に置かれることで、夢なのか、現実なのか、判別がつかなくなる。 「トム」の遺体は、山の中で見つかったものの、息子の「トト」は、遺体どころか、結局、その痕跡すら発見することができない。そうした現実を、「複眼人」という物語にし、猫の「オハヨ」と生きていくことを決意することで、彼女は受け入れられるようになる。

Posted byブクログ

2023/01/30

前半、各登場人物たちの来し方が静かに語られる。さざなみ、ゴミを運んできた大波と共に物語が動きだす。アリス、アトレの出会い。アトレはアリスにとって夫、子の影である。自然との出会い。文字の世界(トト)からの解放。自然の子、海に帰る。 アトレ、アリスは色々意味で現実の環境問題から切り離...

前半、各登場人物たちの来し方が静かに語られる。さざなみ、ゴミを運んできた大波と共に物語が動きだす。アリス、アトレの出会い。アトレはアリスにとって夫、子の影である。自然との出会い。文字の世界(トト)からの解放。自然の子、海に帰る。 アトレ、アリスは色々意味で現実の環境問題から切り離されている、または意識していない、できない。  他の人物の視点から地球の黄昏が各々の目の前に現れる様がわかる。終末の光景はときに美しくすら見える。ただゴミだけはその光景の邪魔をするように視界に入り続ける。情報の氾濫、物体として定まらない大量のもの、ノイズ。 複眼人、多面的世界が同時に映る映像的イメージは登場人物を超越した視点のスケールを与える。 雨雨雨

Posted byブクログ

2022/08/24

台湾文学…全然知らないのだけど、やっぱり独特なのかな… うーんまだ圧倒的に数が足りてないんだと思う…

Posted byブクログ

2022/02/22

素敵な表紙と不思議なタイトルに一目惚れして購入。大量のゴミと環境破壊という現代の問題とファンタジーを融合させた作品で、ついつい読み込んでしまった。 物語は思いもよらない結末(しかもunhappy end)で終わっちゃってさみしい。

Posted byブクログ

2022/01/03

海に浮かぶワヨワヨ島、迫り来るゴミの島、クジラ、台湾の先住民族、娘と母、娘と父、猫、母と息子、地震と津波、小説、山、森、海。

Posted byブクログ

2021/12/13

ある日突然、台湾に巨大な塊が押し寄せた。それは人間が捨てた「ゴミの島」だった――。夫と息子を失い絶望する大学教師と、言葉を解さぬ島の少年の出会いを軸に、多元的視点と圧倒的スケールで描く幻想小説。(e-honより)

Posted byブクログ

2021/11/06

台湾の作家・呉明益さん初読。うーん、難解な小説だった。単純に読めば、近未来の台湾を舞台にした群像劇──ということになるのだろうが、そこに盛り込まれたメッセージは膨大だ。そもそも登場人物たちに明確な関係性はなく(少なくとも登場時には)、彼らの背景にも共通点はない。まあ、群像劇っての...

台湾の作家・呉明益さん初読。うーん、難解な小説だった。単純に読めば、近未来の台湾を舞台にした群像劇──ということになるのだろうが、そこに盛り込まれたメッセージは膨大だ。そもそも登場人物たちに明確な関係性はなく(少なくとも登場時には)、彼らの背景にも共通点はない。まあ、群像劇ってのはそういうものだし、それぞれ興味深くはあるのだけれど。環境問題から神話までを取り込んだ摩訶不思議な物語世界を堪能した……というか翻弄された。

Posted byブクログ

2021/10/27

全体的に孤独と悲哀に満ちたイメージ。傷つきながらも前に進む人々。人類の愚かさと叡智を併記しつつ、自然破壊への警鐘を鳴らしていて、それが押しつけがましくない。静かに心に沁みる。複眼人にはきっと、様々な生命の記憶が映って見えているのだろうな。

Posted byブクログ

2021/10/05

『人生というものは、自分の考えを挟むことは許されず、ほとんどは否応なしに受け入れるしかない。オーナーの独断で料理が決まるレストランで食事をするようなものなのだ』 「歩道橋の魔術師」や「自転車泥棒」の郷愁漂う趣とはかなり異なる味わいの物語に少し驚く。現実に仮想を投映した文明批評と...

『人生というものは、自分の考えを挟むことは許されず、ほとんどは否応なしに受け入れるしかない。オーナーの独断で料理が決まるレストランで食事をするようなものなのだ』 「歩道橋の魔術師」や「自転車泥棒」の郷愁漂う趣とはかなり異なる味わいの物語に少し驚く。現実に仮想を投映した文明批評という印象に先ず染まる。少し警戒しながら読み進めると、じわじわと印象は変化する。もちろん、読み手によってはこの本を環境問題に意識の高い著者の人類に対する警句と捉えてしまうことも出来るのかも知れない。だが、架空の島に暮らすワヨワヨの人々の自然と対話するように生きる暮らしと都市化による数多の歪を抱えて台湾に生きる人々の暮らしぶりの対比に、正反対の生き方をしているようでいて本質的には命が命を生贄にしてしか永らえることができないという点において変わりはない、という託(ことづ)けを読み取る。その生き永らえる術に対する単純な正誤の判定を呉明益は下している訳ではないように思う。 例えば最近流行の持続可能な開発目標というやんわりとした標語の究極的に意味するものと、月齢百八十か月を越えた次男は島を離れなければならないとする具体的な孤島の定めは、思想としては同根のものである。一つずつの決まりごとに対して様々な視点があること、そのことを何よりも呉明益は丁寧に描いているように思う。例えば、先住民族の習慣に対する距離感。捕鯨やアザラシ漁に対する考え方。多くの登場人物が語る幾つもの話はどれも慣習のもたらす功利とその弊害という究極の選択の狭間で揺れる価値観を示すもの。決してそれは単純に土木工事がもたらす自然破壊を凶弾するような物語でもなく、自然回帰奨励の話でもない。 複眼人もまた架空の存在ではあるが、そのような多義的な意味を見つめる神の視点を持つ存在として描かれるのは象徴的だ。『傍観するだけで介入できない、それが私が存在する唯一の理由である』と死にゆく登場人物の一人に告げる複眼人は、必然的に一神教の神の存在を思わせる。自然の中に数多の超越的な力の存在を認める架空の島の信仰や台湾の伝統的なアニミズム的民族神話も描きながら、この架空の存在を作家が登場させる必要があったのは、自らの生に執着せざるを得ない人間に他者の存在を認めさせることが出来るのは、ひょっとすると自然信仰に根差した多神教の神々のような存在ではなく、一神教の神だけなのかも知れないと作家が捉えているからなのかと、ぼんやり考えたりもする。アルファであり同時にオメガである存在とは、全ての集合を含む集合のように矛盾した存在ではあるけれど、その不合理性を受け入れることこそ他者を認めるということの端緒なのかも知れない。 一方、多くの主人公たちのエピソードが輻輳的に語られながら物語が進行する本書には、幾つもの謎解き的な要素が含まれてもいる。その謎の一つが解ける時、読者は存在するということの意味を自身に引き寄せて今一度深く考え直すに違いない。ある意味、この一つの謎解きは(決して完全に解き明かされたとは言えないけれど)本書の後に執筆された「歩道橋の魔術師」や「自転車泥棒」に続くやや幻想的な郷愁の色濃く漂う物語と同じ趣向のエピソードだ。その根底にあるのは喪失ということへの強い抵抗であるようにも思う。思わず、「歩道橋の魔術師」の中の中華商場をジオラマで再現し続ける男のエピソードを思い出した。

Posted byブクログ