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大阪 の商品レビュー

4.3

39件のお客様レビュー

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2021/08/25

大阪にゆかりのある二人がその思い出を語るエッセイ。岸さんは世代がほんの少しずれていはいるが大学や住んだ場所に共通点があって、柴崎さんは住んでいた場所はずれているけれど世代がほぼ同じ。あの頃に同世代の人はこんなことをしていたんだと自分の若い頃に記憶を馳せ懐かしんだ。 大阪の街にある...

大阪にゆかりのある二人がその思い出を語るエッセイ。岸さんは世代がほんの少しずれていはいるが大学や住んだ場所に共通点があって、柴崎さんは住んでいた場所はずれているけれど世代がほぼ同じ。あの頃に同世代の人はこんなことをしていたんだと自分の若い頃に記憶を馳せ懐かしんだ。 大阪の街にある他にはない独特のエネルギーやごちゃ混ぜ感というのが二人の思い出話から立ち上ってくる。大阪にいたことがあるからこそわかるのか、誰でも感じられるのかはわからないが、なにか重なる経験がある人にはとても”エモい”エッセイではないだろうか。

Posted byブクログ

2021/08/08

エッセイというか、小説のようだ。面白い。 知っている大阪。 祖母に行っては行けないと言われた知らない大阪。 自分に大阪の血が流れているからか。 著者と同世代だからか。 同和についての言葉にざらつく感じ。 親を哀れに思う瞬間。

Posted byブクログ

2021/07/20

大阪はもしかしたら日本で1番好きな街で、一見コテコテのイメージに塗り固められているけど一筋縄ではいかない魅力があるなと、3年ほど住んでた間によく感じていた。この本ほどは到底歩けなかったけど、散歩がたのしい。 大きい繁華街が二つ、という都市の構造も面白いし、なによりエリアごとに特...

大阪はもしかしたら日本で1番好きな街で、一見コテコテのイメージに塗り固められているけど一筋縄ではいかない魅力があるなと、3年ほど住んでた間によく感じていた。この本ほどは到底歩けなかったけど、散歩がたのしい。 大きい繁華街が二つ、という都市の構造も面白いし、なによりエリアごとに特色のある飲み文化が醸成されている様が愉快。都会だけど、まちの最小単位が東京ほど小さくないのがいい。 柴崎友香さんの描く大阪や暮らしぶりが元々好きだったけど、著者自身のお人柄も感じられるエッセイでよかった。 変わりゆく街に思うところは少なくないのであろうが、大阪で生まれて長い時間を過ごす人生、楽しいだろうなぁ。

Posted byブクログ

2021/07/16

『だから何、という話でもないが、タイ人のおばちゃんが二十年前に大阪にやってきて、ふたりの娘を育て、私は一文無しの院生から大学に職を得て本を書くようになり、そして壁から生まれてきた子猫は友人のところへもらわれて、元気に指をあま噛みしている』―『はじめに/岸政彦』 思わず国土地理院...

『だから何、という話でもないが、タイ人のおばちゃんが二十年前に大阪にやってきて、ふたりの娘を育て、私は一文無しの院生から大学に職を得て本を書くようになり、そして壁から生まれてきた子猫は友人のところへもらわれて、元気に指をあま噛みしている』―『はじめに/岸政彦』 思わず国土地理院のアーカイブを広げて、子供の頃に住んでいた街の古い地図などを眺める。ついでに年代順に古い航空写真を眺めては、かつて遊んでいた場所の平地の記憶が、一緒に遊んだ顔と共に蘇る感覚を味わう。そういえば昔よくお世話になった病院はどこだっけ。ストリートビューで見ると建物は様変わりし「医院」は「クリニック」に変わっているけれど、同じ場所に馴染みのある名前は残っている。幼馴染の父親がやっていた自転車屋はもうないけれど、眼鏡屋はまだある。もちろん、今もある、ということが特別なことだとかそうじゃないとか言いたい訳ではないけれど、二人の綴る街の記憶は読むものの記憶の街を、何故だか、呼び起こすのだ。 街歩きや散策の為に街を描写することは、当然ながら、その街の「今」を写し撮ること。たとえそれがスナップ写真のように、限りなく「瞬間的」で(ある意味それは「皮相的」と同義だが)直ぐに過去となる「切り取り」であるとしても、視点の位置はあくまで「今」だ。一方で、「大阪」というガイドブック的なタイトルとは裏腹に、岸政彦と柴崎友香の対話のような大阪についての語りは、そんな表層的な街の風景についての語りではなく、かと言って大阪を知っている人だけが面白がる話でもない。二人はどこまでも「自分の知っている」街を語る。そして、知っている街のことを語るということは、取りも直さず「知っていた」過去を語るということ。 二人の街を見つめる視線は似ている。そこに暮らしたものとして視線という意味で。しかし似てはいるけれど、決定的に異なってもいる。岸は大阪へ移って来た人、柴崎は大阪で生まれた人、という違いもある。岸は見たものの背後に「理由」を読み取ろうとしているように見える一方で、柴崎は見たものに「理屈」を求めない。どこまでも自分の立つ位置から地続きの風景として眺める。その場所に人の営みの痕跡を読み取る目と人の暮らす風景を読む目の違い? それがあるいは、社会学を専門とする視点と人文地理を学んだものの視点の違いか、とこじつけてもみる。 とは言え「知っていた」街を語るという点で二人の視線は同じ方向を向く。それは過去を語ることでもあり、そしてその街に存在した「自分」を語ることでもある。それが、読み手にも作用する。特に、柴崎友香の語りには、風景の向こう側へ伸びるまなざしがあり、強くその言葉の先へと引かれていく。 例えば、大阪から富山方面への鉄道の便が悪くなった、という文章を読みながら、そう言えば関東圏で生まれ育った自分にとっての最初の大阪は信濃大町のスキー教室で出会った「なんじ」という同じ年の子だったなあ(きっと小さい頃からずっと「なんじ、今何時?」と揶揄われてたんだろうなあ)と思い出したりするのは、郷愁、という簡単な言葉以上の強い連想だ。そう言えば、そんな魅力に惹かれてずっと読み継いで来たのだった、と改めて思い返す。 もちろん、大阪のことを知りたくて読む人が居てもそれはそれでいいとは思うけれど、柴崎が言うように、ここに描かれていることを一般化して欲しくて二人は大阪について語っている訳ではない。「東京の生活史」プロジェクトに岸の寄せた言葉『記号やバーチャルではない、実在する東京。ほんとうにそこにある、ただの、普通の東京』の東京を大阪に変えて、二人にとっての「ほんとう」の大阪をただ語っているだけだ。敢えて言うなら、一人ひとりにとって異なる真実を否定して欲しくない、というのが瓶に詰められたメッセージなのかも知れない。 『大阪のことも、生まれて三十年間住んでいたからといって、知っているわけではない。そもそも、「大阪」と言ってわたしが語れるのは自分が生活したごく狭い範囲の大阪でしかなく、それはむしろ「大阪」のイレギュラーかもしれず、ほかの大阪の人にとっての大阪も、それぞれ全然違うのだ』―『大阪と大阪、東京とそれ以外』 赤裸々な自分をさらけ出している二人の大阪語りは、不思議と読み手の記憶をくすぐると書いたけれど、中でも柴崎の「商店街育ち」という文章は、呉明益の「歩道橋の魔術師」へのオマージュのような文章でとてもいいです。

Posted byブクログ

2021/07/13

住むことになった街と、住んでいた街の話。 自分にとっては友人が住んでいる、という以外には思い入れはないが、住んでいる(いた)人の気配を感じ、思い入れを聞くのは好きだ。 派手な街づくりからは見ることのできない、誰かが意図して覆い隠そうとする「誰かが住んでいる大阪」を覗き見る、良い機...

住むことになった街と、住んでいた街の話。 自分にとっては友人が住んでいる、という以外には思い入れはないが、住んでいる(いた)人の気配を感じ、思い入れを聞くのは好きだ。 派手な街づくりからは見ることのできない、誰かが意図して覆い隠そうとする「誰かが住んでいる大阪」を覗き見る、良い機会だったのかもしれない。

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2021/07/10

本の帯の惹句には『大阪に来た人、大阪を出た人』。大阪へやって来たのは社会学者 岸政彦さん。‘67年名古屋市生まれ、大学入学時に大阪へ。上新庄の下宿を皮切りに以来大阪を転々。大阪を出た人は作家 柴崎友香さん。‘73年大阪生まれ、約15年前に仕事で大阪を離れ、現在東京在住。 このふ...

本の帯の惹句には『大阪に来た人、大阪を出た人』。大阪へやって来たのは社会学者 岸政彦さん。‘67年名古屋市生まれ、大学入学時に大阪へ。上新庄の下宿を皮切りに以来大阪を転々。大阪を出た人は作家 柴崎友香さん。‘73年大阪生まれ、約15年前に仕事で大阪を離れ、現在東京在住。 このふたりによる【大阪】をテーマを往復書簡風エッセイ。本書に綴られた大阪は、あくまでもふたりの記憶の断片。そう、極私的大阪アーカイブ。 岸さんは大学生として、ジャズのベーシストとして、バーテンダーとして、バブルに沸く大阪を遊泳。大阪で出会った女性と結婚し、終の住処を手に入れ、この地で死ぬつもりだ…と、語るほど深い愛着を抱くに至っており、大学教員の傍ら自身が暮らした大阪の街を舞台にした大阪弁に溢れた小説を発表。 方や大正区で生まれ育った柴崎さんは中学生ぐらいから持ち前のフットワークの軽さと好奇心の強さが顔を出しMy Osaka Mapは広がりを見せる。その活動譚を固有名詞をもって記憶を天日干しするかのように仔細に語る。ダウンタウン見たさにごった返す心斎橋2丁目劇場前での出待ち、エレファントカシマシのライヴには欠かさず通い、カルト映画を上映しているミニシアターへも足繁く通う。 <ふたりにとっての大阪> 岸さんは… 大阪が好きだ、と言うとき、たぶん私たち は、大阪で暮らした人生が、その時間が好き だと言っているのだろう。それは別に、大阪 での私の人生が楽しく幸せなものだった、と いう意味ではない。ほんとうは、ここにもど こにも書いていないような辛いことばかりが あったとしても、私たちはその人生を愛する ことができる。そして、その人生を過ごした 街を。 柴崎さんは… テレビ経由のイメージだと大阪はどこの家に も『おもろいおかん』がいる 、と思われ る。当然そんなことはなく、大阪は多様な 人々が寄り集まって暮らしている大都市であ る。『ステレオタイプなイメージの隙間に一 人一人の現実がある。 <ふたりの大阪観を堪能して…> 『サードプレイス〈第三の居場所〉』と『アナザースカイ〈第二の故郷〉』という2つのフレーズが頭に浮かんだ。前者は家庭や職場や学校ではなく、自身を解放できる第三の居場所を指す。後者は生まれ育った街とは異なるインスパイアを受けた場所・土地。岸さんは仕事に行き詰まったり、なにか気晴らしをしたくなると、必ず淀川を歩くという。『淀川の河川敷を宇宙一好きな場所』とも語る。明らかにサード・プレイスである。また、本籍を移すほど大阪に惹かれる岸さんにとってはアナザースカイでもある。 柴崎さんの場合、故郷大阪を離れ、東京への移住を『長期出張』と例える。大阪でしか観ることができないテレビ番組を思い出しながら、東京以外の場所で生まれた文化を語ることができない…と憂える。今のところ東京が『サードプレイス』にも『アナザースカイ』にもなり得てないのは、柴崎友香を育んだ街 大阪という土地の磁力がそうさせるのかな。 岸さんの『あとからやってきた街 大阪』感。柴崎さんの『私がいなくなった 大阪』感。おふたりとも大阪在住歴30年余り。今いる場所と、かつていた場所が『私』を通して交差し、その時折時折の街と時間の呼吸を活写した、激しく読み応えありまくりの一冊。

Posted byブクログ

2021/07/03

大阪で生まれ東京へと出ていった柴崎朋香、大阪に来てそのまま大阪で暮らす岸政彦、作家と社会学者それぞれが異なる立場から見た大阪について語り合う連作エッセイ集。 それぞれが見た大阪の景色からは懐かしさ、大阪の濃い人間関係、変わりゆく街並みなどが伝わってきて、7年ほど大阪に住んでいた...

大阪で生まれ東京へと出ていった柴崎朋香、大阪に来てそのまま大阪で暮らす岸政彦、作家と社会学者それぞれが異なる立場から見た大阪について語り合う連作エッセイ集。 それぞれが見た大阪の景色からは懐かしさ、大阪の濃い人間関係、変わりゆく街並みなどが伝わってきて、7年ほど大阪に住んでいた自分としても感慨深いものがある。とはいえ、やはりこうした文章を読むと、そこまでの思い入れというのを自分はこの街に抱けていなかった、というのも自身の実感として改めて感じたところではある。

Posted byブクログ

2021/06/21

出てくる地名も位置関係もわからなくても、この街の手触りが、空気が、匂いが、伝わってくる。こういう街の描き方があるんだなぁ。二人の文章が交互に入っているのが、とても読みやすい。

Posted byブクログ

2021/04/21

若き日に大阪に移り住んだ岸政彦と、大阪で生まれ育ち今は東京に住む柴崎友香のエッセイ集。 「文藝」誌上で交代に綴っていった「大阪」に関するエッセイである。「大阪」というイメージは大阪以外の人にとって、特に関東圏の人にとって、現在はある固定観念が植え付けられているのではないか。 この...

若き日に大阪に移り住んだ岸政彦と、大阪で生まれ育ち今は東京に住む柴崎友香のエッセイ集。 「文藝」誌上で交代に綴っていった「大阪」に関するエッセイである。「大阪」というイメージは大阪以外の人にとって、特に関東圏の人にとって、現在はある固定観念が植え付けられているのではないか。 このエッセイ集ではごく普通の庶民の大阪を描いている。岸氏、柴崎氏両氏が経験したこと、それを通して感じたことを淡々と描いている。大阪生まれではないが、ほとんど大阪出身と言っていい私自身が「これぞ大阪」と感じた日常の風景である。

Posted byブクログ

2024/03/12

大阪・大正区に生まれ、市岡高校から大阪府立大に進んだバリバリの大阪っ子なのにいまは東京に住む柴崎友香氏、名古屋から関西大学を卒業したあと大阪に住み着いた岸政彦氏。この二人が語る大阪、ただし、それは古き良き日の大阪であって、いまの大阪ではない。 二十年ほど歳が離れているのと、同じ大...

大阪・大正区に生まれ、市岡高校から大阪府立大に進んだバリバリの大阪っ子なのにいまは東京に住む柴崎友香氏、名古屋から関西大学を卒業したあと大阪に住み着いた岸政彦氏。この二人が語る大阪、ただし、それは古き良き日の大阪であって、いまの大阪ではない。 二十年ほど歳が離れているのと、同じ大阪市内でも住んだ地域が違うので、この本で描かれている大阪は、わたしの記憶とは少し異なるところがある。それでも二人の描く世界は、まだ東京とはまた異なる文化を持っていた大阪を感じさせるものがあって、それも楽しく読める。 同窓会に行って大阪弁を喋っているつもりでも、「ちょっと違う」と言われてしまう。そうだろうなぁ、18で大阪を離れて、もう50年以上経ってしまった。子供の頃、ローラースケートをして遊んでいた心斎橋筋商店街の大丸・そごう前、そごうの再築は行ったことがあるが、大丸は解体されたところしか見ていない。「都構想」とか騒げば騒ぐほど、大阪の没落はなおさらひどくなっている。 柴崎さん。岸さんがともに懐かしむ小さな商店は、なまじ出来のいい子は東京の学校に行き、そのまま帰ってこない。親も先行きが明るくない家業を継がせはしない。東京以外の「その他」は、柴崎さんも書いているように、そして彼女自身もそうであるように、生まれた地・大阪を捨てるしかない。若くてお金があれば、とにかく楽しい東京に向かう、年老いてお金がない者には非情な街であることもわからず。 しかし、この本、「文藝」の連載をまとめたものらしいが、大阪に縁もゆかりもない読者は楽しめるのだろうか?

Posted byブクログ