魯肉飯のさえずり の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
著者らしい一冊。 以前『「国語」から旅立って』を読んだが、個人的エッセイの体で、台湾人の両親を持ちながら日本に育った自身の出自から、年齢を経るごとに、自分の立脚点の不安定さに気付いていく様子が丁寧に綴られていた。要は、アイデンティティの問題だ。 「国語」と題されただけに、母語と母国語の間で揺れながら、言葉とは切り離した、本当の自分自身に気付いていく(https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/478851611X)。 本書の主人公である桃嘉は、日本人の父、台湾人の母を持ち、3歳から日本で暮らす、著者の境遇に近い立場である。著者と同じように、「半分台湾人」という己の立場の危うさに加え、日本に暮らす台湾人である母親との関係に悩む、若い女性として描かれる。 そして、大学を卒業してすぐに結婚し、妻としての立場、夫の実家での嫁としての立ち居振る舞い、相手に求めれられる理想と自分としての現実のギャップという、新たな悩みの中で、揺れ動く。 言葉の問題を導入に物語は進んでいき、一見、アイデンティティの確立のためのお話かと思うが、キーワードは、「ふつう」。 「ふつうの料理。その一言がなければ、桃嘉は魯肉飯をもう一度つくったかもしれない。」 夫聖司に「ふつうの料理」を作ってくれと言われ、悩む桃嘉。 「― なんでママはふつうじゃないの?せめて外にいるときはふつうのお母さんのふりをしてよ!」 参観日に来た母親に、「ふうつのお母さん」を強要した子ども時代。 「― お金のことは気にするなよ。奥さんと子どものために稼ぐのは、男にとってあたりまえのことなんだからさ。」 聖司の「あたりまえ」=ふつうのことに、違和感を覚える桃嘉。 「ふうつ」とは何か、誰かにとっての「ふつう」は、別の誰かにとっても「ふつう」なのか否か。否、としたら、どうしていくか。 そんな、価値観のギャップを埋めていく物語だった。 たぶん、誰にとっても「ふつう」の正解はない。 最後は、違いがあっても、相手を思いやる気持ち、大きな愛情が、カバーしてくれるにちがいない。 「― 何を言ってるのよ。それであなたが幸せになれるならあたしがうれしくないはずないでしょう。あなたが無理してあのひとと一緒にいてそうやって苦しんでいるほうがママはずっとずっと悲しいの・・・。」 母親との確執を経て、その母の愛に気付いていく結末は、悪くはなかった。その愛の発露の表現に、言葉の違いは意味を成さない。表面を取り繕うアウトプットではない、本物の愛情は、何語で語ろうと、相手には伝わるに違いない。 「日本語かと思いきや、中国語になる。かと思えば台湾語もまじっている。母の声が桃嘉の背中を押した。」 悪くない。
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温又柔さんのお顔の写真はビッグイシューで拝見したことがある(No.379(2020/3/15号))。本の表紙のイラストをよく見れば、目や鼻のあたりが著者そっくりに見えるのは偶然だろうか? 著者は“台湾生まれ・日本語育ち”と書くように両親が台湾人で、台湾生まれだけど3歳のころ一家...
温又柔さんのお顔の写真はビッグイシューで拝見したことがある(No.379(2020/3/15号))。本の表紙のイラストをよく見れば、目や鼻のあたりが著者そっくりに見えるのは偶然だろうか? 著者は“台湾生まれ・日本語育ち”と書くように両親が台湾人で、台湾生まれだけど3歳のころ一家で東京に移住している。でもこの本の主人公「桃嘉(ももか)」の場合、父は日本人で母が台湾人。そして日本で生まれ育っているから著者とは少し違う。 しかし日本の日常に囲まれて生活を送る者として、母が話す母国語や手作りの台湾料理に何らかの距離感がついて回っていたのは共通しているのかな、と私は想像している。 一方で、親が台湾人であっても日本人であっても、自分にとって家族とともに過ごすうちにいろいろな思い出が溶け込んだ「心に残る家庭料理」っていうのは誰でも思い当たるのでは?この作品では台湾料理の「魯肉飯(ロバプン)」=ルーローハンがそれに当たる。 でも思春期のときの桃嘉は、母が作る魯肉飯を素直に受け入れられなかった。母が作る魯肉飯を日本料理らしくないといって敬遠するくらいに。 最近では“友達家族”も多いと聞くが、この物語はその点ではオーソドックスな母娘関係の微妙な距離感が描かれている。さらに母と娘との世代間の考え方のずれに加え、日本語を話せない母と日本語しか話せない娘とのずれという、この母娘の固有事情がブレンドされている。 母と娘の世代間ギャップと書いてしまうと「ありきたりの作品」だと思われる懸念が生じるが、20代で既婚者になった桃嘉と夫との関係の描写だけは、同世代からの共感も得ると思われるような現代的な男女関係として描かれる。でもこの2人の関係は魯肉飯の好き嫌いを発端に大きく変化していくのだけど… ほかにも桃嘉を軸に、父や友人や、台湾に住む母方の祖母や伯母たちとの出会いや会話が、これまた魯肉飯を間にはさんでそれぞれの物語として展開していく。魯肉飯に対する思いは各人によって違うけど、台湾料理独特の八角などを使って作られる魯肉飯への思いが、そのまま台湾にルーツがつながる桃嘉に対する感情と巧妙に重ね合わせられているのが読むにつれてわかってきた。(だから魯肉飯を好みでないような言い方をした夫と桃嘉との関係は変化していく。) 最後に、いろいろあったけど、これも魯肉飯を間にはさんで桃嘉ともう1人の登場人物との関係が描かれるが、ハッピーエンドへの余韻を含んだ終わり方が好印象だった。 そして、読後、あえて台湾を直接的にイメージさせないかのような表紙の装丁を改めて見ると、私が冒頭で著者似?と書いたイラストの女性が、台湾女性であり日本女性でもある両方の美しさを表しているかのように見えてきたから不思議だ。 それにしても、私にも誰か魯肉飯をおいしく作ってくれないかな…自分で作ろっか…
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ママがずっとわたしの恥部だった――台湾と日本のはざまで母娘の痛みがこだまする。夫婦、親子の〈過ち〉を見つめる物語。
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