本を読めなくなった人のための読書論 の商品レビュー
自分の読書はこれでいいのか、このまま読書を進めてもいいのか、と行き詰まったときに手にしました。 「本が教えてくれるのは、新しい情報というよりも、すでに心の中にあるのに、私たちが見過ごしてしまっている何かである。」 の一文に納得させられました。引き続き、孤独の時間を生み出したい...
自分の読書はこれでいいのか、このまま読書を進めてもいいのか、と行き詰まったときに手にしました。 「本が教えてくれるのは、新しい情報というよりも、すでに心の中にあるのに、私たちが見過ごしてしまっている何かである。」 の一文に納得させられました。引き続き、孤独の時間を生み出したいと思います。 2021,3/21
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本を大量に買ってはいるけども全然読めなくなってしまったのでこの本を買ってみた。 本は全部読まなくてもいいし、どこから読んでもいいということが書かれており少し気持ちが楽になった。
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ーー時間をかけて「たしか」にできるようになることだけが大切で、速くできてもよいことはほとんどありません。(49頁) 若松先生の著書は、私にとって出逢いに満ちている。読み終わってこれほど「満ち足りた」思いになる著者さんは、今のところ、他にない。 若松先生は本書において、言葉との...
ーー時間をかけて「たしか」にできるようになることだけが大切で、速くできてもよいことはほとんどありません。(49頁) 若松先生の著書は、私にとって出逢いに満ちている。読み終わってこれほど「満ち足りた」思いになる著者さんは、今のところ、他にない。 若松先生は本書において、言葉との出会い、本との出会いを、性急に求めることを戒め、「自己との対話」の中から「切なるもの」を見出す大切さを説く。同様のことは『詩を書くってどんなこと?』でも述べられていて、これは若松先生の言葉に対する態度の基本姿勢なのだろうと思う。そしてその「切なるもの」とは「すでに心の中にあるのに、私たちが見過ごしてしまっている何か」なのだと。 速ければ速いほど、正しければ正しいほど、多ければ多いほど、便利なら便利なほど、よい。そういう現代社会が仕掛けてくる色々な縛りは、結局は私たちを私たち自身から遠ざけ、自己疎外からくる承認不安や過剰なまでの承認欲求を呼び込んでしまう。読書はそうした危機に待ったをかけるための薬にもなりうる。人らしく、自分らしく、は、自己の「切なるもの」との時間をかけた対話から始まることなのだろうと思う。 とはいうものの、私はどうも速読のクセが抜けきらない。ので、これからも付箋に書き込みながら、あるいはブクログにメモを残しながら読むようにしていこう。書くとその本の印象が強くなって、人に伝えるにも話がしやすくなったような気がする。書くことは「切なるもの」への感度も磨いてくれているように思う。 さて、モチベーションが上がってきたし、次の本を読んでみるか。で、もうしばらくしたら、本書を再読してみようと思う。
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本が読めない。特に小説がーーー。 数年前から徐々に徐々に私の中で小説離れが起こっている。 興味を持って読みはじめるが、数ページで断念した本たちがだんだんと積み上がる度、罪悪感を覚えていた。 読みたい、という欲望はあるものの、読めない自分に自信をなくしてゆく日々。 自信をなくす、...
本が読めない。特に小説がーーー。 数年前から徐々に徐々に私の中で小説離れが起こっている。 興味を持って読みはじめるが、数ページで断念した本たちがだんだんと積み上がる度、罪悪感を覚えていた。 読みたい、という欲望はあるものの、読めない自分に自信をなくしてゆく日々。 自信をなくす、というよりも残念、といったほうがいいかもしれない。 思い出すのは子供のころの、青春時代の、小説との蜜月。 あの頃に戻りたいーーー。 と思っていたところで、この本のレビューを見かけた。 無性に読みたくなり、再読を決行。 結果、安堵した。 読みたいのに読めないのは自分だけじゃない事。 読めなくても良いこと。 無理に読む必要はなく、読めるときがくるのを「待つ」こと。 再度いろいろ教えてもらった。 というか、骨身に染み込んでいて、自分で考えついたと思ったことも、この本に書いてあった。恥ずかしい。(よくあるのだ) 若松さんの文章は、私が人生経験不足だからなのか、時折よく理解できないところもあったが、読んでいると落ち着く。 「本が読めなくなった」人たちに優しく寄り添う本だった。
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私は最近、近年まで好んで読んでいた本のとある分野(はっきり言ってだいぶ前から恋愛物と、最近ではミステリーなんですが)を読んでいて、読むのが辛いと感じることが多くなってきていた気がしていました。 それで、この本のタイトルは前から気になっていました。 読んでみて、今の自分に必要なた...
私は最近、近年まで好んで読んでいた本のとある分野(はっきり言ってだいぶ前から恋愛物と、最近ではミステリーなんですが)を読んでいて、読むのが辛いと感じることが多くなってきていた気がしていました。 それで、この本のタイトルは前から気になっていました。 読んでみて、今の自分に必要なたいへん良書だったと思いました。 以下自分にとって重要と思われるところを何か所かメモしました。 〇出会うべくして出会った本(言葉)が教えてくれるのは、すでに心のなかにあるのに見過ごしてしまっている何か。 〇本に呼ばれるようになってくると「読む」世界の光景はまるで違ったものになってくる。 ↓ 昨日まで、まったく関係がないと思っていた本が昔からの知人のように思われてくる。 〇本を読めなくなった。ということは、自分の旅は自分で作るときがやってきた、という人生からの合図です。 ↓ ほかの人たちがやっているように、ではなく、自分にあった場所へ、自分にあった歩調で進んでいく。 そして、世の中が見えるものではなく、そのときの自分が見つめなくてはならないものを「観る」ことを、人生が求めているのです。 〇かつてのように読めなくなっている。それは情報以外のものを摂りいれなくてはならない。新しい「読む」感覚を取り戻さなくてはならない。という「からだ」からの合図かもしれません。 〇肌感覚が戻ってくると、二つのことがはっきりしてきます。 ①自分にとって不要なもの ②自分にとって本当に必要なもの ↓ 「求めよ、さらば与えられん」という新約聖書の言葉は本との出会いにおいても真実。
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ブクログユーザーさんの紹介で知った本。 本を読めなくなったことはないけれど、著者も言っている「読む」と「書く」をずっとセットにしてきたのが良かったのかもしれない。その読むと書くをセットにしたのは、小学1年の時に読書感想文コンクールで賞状をもらったことなのかもしれない、ということを...
ブクログユーザーさんの紹介で知った本。 本を読めなくなったことはないけれど、著者も言っている「読む」と「書く」をずっとセットにしてきたのが良かったのかもしれない。その読むと書くをセットにしたのは、小学1年の時に読書感想文コンクールで賞状をもらったことなのかもしれない、ということを思い出した。
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書店で見かけて気になっていた。”悲しみの秘儀”、良かったし。この度、行った図書館に置いてあったので、その場で読了。そもそも、本を読めなくなっていない訳だから、少なくとも今の自分には必要ないものだった。今のところその気配はないけど、読めなくなったとき、本書の存在を思い出せたら良いな...
書店で見かけて気になっていた。”悲しみの秘儀”、良かったし。この度、行った図書館に置いてあったので、その場で読了。そもそも、本を読めなくなっていない訳だから、少なくとも今の自分には必要ないものだった。今のところその気配はないけど、読めなくなったとき、本書の存在を思い出せたら良いな。
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読めない心にそっと寄り添う優しい語り口の本。本は外側から知識を得るものだけでなく、言葉を通して未知なる自分に出会うもの。自分の内側と響き合う言葉に出会うことに意味がある。 本を食べ物や薬に例えた話がしっくりきた。適量は個人により違う。
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たくさん読まなくてもいい お気に入りの一冊ではなく、一章や一文でもいい 本は全部読み切らなくてもいい これらの言葉にとっても納得。 学生の頃、読書が苦手で読書は勉強と同じで しなければならない義務だと思ってた。 それがステイホーム期間で本を読んでみようかな? という軽い気持ちから、 いまは趣味と言えるレベルまでハマってる いろんな人の価値や経験に出会える、 ひとりの時間を楽しむ、と本にも書いてあったけど 本当にその通り。 映画とはまた違った完全なひとりを楽しめる気がする
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ただひたすら優しい本。誰も優しくしてくれないと思ってたけど、本が優しくしてくれることもある、まだ希望がある。長田杏奈さんの美容本もそうだったけど、自分を痛めつけることはない、ありのままでよいと言ってくれる。 あと、読書はひとりになる時間っていうのは発見。確かに絶対的に一人だわ。でも寂しくはない。
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