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わたしのいるところ の商品レビュー

4

55件のお客様レビュー

  1. 5つ

    15

  2. 4つ

    19

  3. 3つ

    12

  4. 2つ

    2

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2020/02/20

『孤独でいることが私の仕事になった。それは一つの規律であり、わたしは苦しみながらも完璧に実行しようとし、慣れているはずなのに落胆させられる』―『自分のなかで』 読み始めた途端に思う。これは「べつの言葉で」に続くエッセイなのだろうか。確か長編小説と帯にはあった筈だけれど、と。 ...

『孤独でいることが私の仕事になった。それは一つの規律であり、わたしは苦しみながらも完璧に実行しようとし、慣れているはずなのに落胆させられる』―『自分のなかで』 読み始めた途端に思う。これは「べつの言葉で」に続くエッセイなのだろうか。確か長編小説と帯にはあった筈だけれど、と。 イタリア語で書かれたジュンパ・ラヒリの「べつの言葉で」は、本当にべつの言葉で語りかけられたようだった。静謐な語り口にそれまでの作品との本質的な違いはない。ただ日本語のニュアンスは少し異なる。それが言語の違いに由来するものなのか、翻訳家の違いに由来するものなのかは、定かではないけれど。それが前作の印象だった。 しかし今度は同じ言葉で語られながら、英語で書かれた小説とは全く異なる心象を残す作品を読んているのだと、頁を繰る内に理解する。こんなにネガティブなジュンパ・ラヒリの語りは聞いたことがない。 エッセイのようだと読んでしまうのは、もちろんその日記のような文体に起因する。しかしエッセイとは異なり、一つひとつの短い文章の塊はやんわりと繋がり、確かに小説としての物語がとてもゆっくりと立ち上がる。やんわりと、と言ったのは、文章の前後関係を指し示す符丁がほとんどないからだし、登場人物に誰も名前が無いから。 特定の場所を指し示す固有名詞も出てこない。うっかりしていると(そして何故だかこの本のジュンパ・ラヒリは、人の意識を遠くに誘う)語っている一人称の人物が同じ人物であるのかも怪しくなる。時にラヒリの横顔がしっくりくる文章があったかと思えば、どうしてもイタリア人の女性(例えばそれは誰の顔を思い浮かべるのが適当なのだろう?)を想定せざるを得ない文章もある。そして、イタリアに住むアメリカ人的な価値観が垣間見えるような文書もある。 もちろんこれは虚構なのだけれど、何処かでラヒリの記憶と強く結びついているには違いない。だからこそ、この主人公にラヒリの横顔を貼り付けても違和感がないのだし、思わず、いつの間にジュンパ・ラヒリは離婚したのだったか、と勘違いして調べたりもするのだ。 「停電の夜」の文章が余りに印象的で、短篇こそがジュンパ・ラヒリの言葉を最も響かせる形式なのだと思っていたけれど、極端に固有代名詞を削り、訥々と日常生活の中で沸き起こる感情の起伏を書き記したものを断片的に集めて一つの物語にするというこのスタイルこそ、ラヒリの体得した言語を越えた世界観や価値観を書き表す為の様式なのかも知れない。

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2020/01/28

46の章にわかれた長編小説だというのだが、それぞれが独立した作品と読めるので、あまりそんな感じはしない。タイトルのとおり各章題も「〜で」と場所を示したものが多く、その場所で「わたし」がなにをしたか、何を感じたかが書かれている。日常のスケッチのような文章で読んでいて心地いい。

Posted byブクログ

2020/01/02

やっぱりすごくよかった。好きだ、ジュンパ・ラヒリ。あっというまに読んでしまった。 イタリア語で書いたっていうから、今までとなにか違ったのかなあとちょっと引いていたんだけど、まったく違いとかわからず違和感とかもなかった。(まあ翻訳だからそうか)。これ、読んだ人みんなが、まるでわたし...

やっぱりすごくよかった。好きだ、ジュンパ・ラヒリ。あっというまに読んでしまった。 イタリア語で書いたっていうから、今までとなにか違ったのかなあとちょっと引いていたんだけど、まったく違いとかわからず違和感とかもなかった。(まあ翻訳だからそうか)。これ、読んだ人みんなが、まるでわたしのことみたいだ、って思うんだろうなあ、と。

Posted byブクログ

2020/01/04

「本屋で」が好き。5年間の恋愛も思いがけないかたちの破局も、淡々とした筆致で描かれている。相手の彼女といがみ合うのではなく、同志のようなのも良い。  ジュンパラヒリが書いた、と言われなければ、読み過ごしてしまいそうな何ということもない文章。ただ、1人でいることの寂しさ、焦燥感、...

「本屋で」が好き。5年間の恋愛も思いがけないかたちの破局も、淡々とした筆致で描かれている。相手の彼女といがみ合うのではなく、同志のようなのも良い。  ジュンパラヒリが書いた、と言われなければ、読み過ごしてしまいそうな何ということもない文章。ただ、1人でいることの寂しさ、焦燥感、誰かと家庭を築くことへの憧れが素直に描かれていると思う。

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2019/12/06

すごい。そぎ落として、そぎ落として、とてもシンプル。 なのに心の奥の方をぐぐっと刺激してくる小説。 ジュンパ・ラヒリは作家として、どこかとてつもない場所に到達してしまった気がします。

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2019/10/29

『その名にちなんで』が好きすぎてジュンパ・ラヒリを好きになった。『わたしのいるところ』は同じくらい好きになれそう。主人公45歳独身、大学で教鞭をとる女性。他にも出てくる人たちはみんな名前もなくて誰でも誰かになれそうな、そんな感じがとてもよい。わたしのいるところはここだけれど、そこ...

『その名にちなんで』が好きすぎてジュンパ・ラヒリを好きになった。『わたしのいるところ』は同じくらい好きになれそう。主人公45歳独身、大学で教鞭をとる女性。他にも出てくる人たちはみんな名前もなくて誰でも誰かになれそうな、そんな感じがとてもよい。わたしのいるところはここだけれど、そこでもあちらでもどこかでもある。断片的な精神の積み重ねで人は生きているし、心を繋げていくのは誰かととは限らず昨日の自分かもだし、明後日のあなたかもしれない。そんな物語だった。うん、やはりめちゃくちゃ好きになるかも。

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2019/10/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

わたしのいるところ (新潮クレスト・ブック) 著作者:ジュンパ・ラヒリ そのエッセイ風なタッチは堀江敏幸の小説を思わせると同時に、人との距離感や都市に対する愛着には『不安の書』においてフェルナンド・ぺソアが見せるリスボンという都市に寄せる愛着に似たものがある。 タイムライン https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698

Posted byブクログ

2019/10/17

45歳の「わたし」、恋人はいたけれど結婚にはならなかった。そんな「わたし」の日々のヒトコマ。孤独が押し寄せるようでありながらも「わたし」のスタイルが気持ちよく描かれていく。 短編集のような長編。

Posted byブクログ

2019/10/06

誤作動で恋人の携帯から電話が度々かかってくる、という短いエピソードがある。恋人本人は電話をかけてしまっていることに気が付かず、主人公の「わたし」が呼びかけてももちろん応答はない。このちょっとした出来事から、たとえば恋人の秘密がバレてしまうとかいうストーリーにもっていこうとするのは...

誤作動で恋人の携帯から電話が度々かかってくる、という短いエピソードがある。恋人本人は電話をかけてしまっていることに気が付かず、主人公の「わたし」が呼びかけてももちろん応答はない。このちょっとした出来事から、たとえば恋人の秘密がバレてしまうとかいうストーリーにもっていこうとするのはきっと凡人(わたしの事です…)で、ラヒリは全然次元の違う、とてつもない「孤独感」を演出してみせる。このたった3ページの話が頭から離れなくて、やっぱりこの作家すごいわ、大好きだわあとしみじみ。繰り返し読みたい作品なので買ってよかった。

Posted byブクログ

2019/09/27

すごくよかった。 移り住む新しい土地。うんざりしつつも全てを把握して馴染んでもいる土地。 世間というものが自分たちを攻撃してきたときに守ってくれる(こともある)家族という避難所(もしくは牢獄)。避難所の安心と倦怠を横目で眺めつつ、牢獄になりえることを思うと、自分の孤独こそが自由を...

すごくよかった。 移り住む新しい土地。うんざりしつつも全てを把握して馴染んでもいる土地。 世間というものが自分たちを攻撃してきたときに守ってくれる(こともある)家族という避難所(もしくは牢獄)。避難所の安心と倦怠を横目で眺めつつ、牢獄になりえることを思うと、自分の孤独こそが自由を保障するものなのだと安心するような主人公の心の動きが本当に美しく語られている。 どこにいても、なにをしていても、どこか疎外されていて、どこか傍観者。「ここに属している」という確固たる気持ちが持てている人を羨ましく思いつつ、実際には、その気持ちの不確かさを全く疑いもしない人々の一種の視野の狭さを厭わしくも思ってしまう。 祖国。家族。鉢を植え替えられる植物のように、根を張り生きること。 それにしてもラヒリ自身のプライベートを、読む側の私が気にし過ぎてしまう嫌いはある。プリンストンで教鞭をとるためにアメリカに帰国したんだー、とか、サバティカルでいままたローマにいるんだー、とか。そういうの取っ払って作品自体を楽しみたいのに。 英語やイタリア語が母語の人は、なんにしても日本語でラヒリを読んでる私とは違う印象なんだろうか。

Posted byブクログ