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そのうちなんとかなるだろう の商品レビュー

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35件のお客様レビュー

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2019/12/03

柔よく剛を制す、ということだろうか。無闇に「決断や選択」をせず、その時その時のトレンドに乗っかりながら直感を信じて生きて来た内田樹の言葉には、こちらが拍子抜けしてしまうほど恨み言もなにもなく、穏やかだ。後悔などなにもない、ただ生きて来た……その足取りはしかし、決して安易に真似出来...

柔よく剛を制す、ということだろうか。無闇に「決断や選択」をせず、その時その時のトレンドに乗っかりながら直感を信じて生きて来た内田樹の言葉には、こちらが拍子抜けしてしまうほど恨み言もなにもなく、穏やかだ。後悔などなにもない、ただ生きて来た……その足取りはしかし、決して安易に真似出来るものでもないと思うので厄介だ。初学の身としては自分もルサンチマンに振り回されないように、自分の勘を研ぎ澄まして生きることが肝要かなと思った。だが、「決断や選択」を正しく行うのも勘を鍛えないと出来ないこと。本書が良い指南書となるか

Posted byブクログ

2019/11/23

『そのうちなんとかなるだろう』(著:内田樹) 付箋部分を抜粋します ・先生が弟子を「伸ばすために言うこと」と「潰す(までゆかなくとも、「足踏みさせる」)ために言うこと」は  言葉の表面だけ見るとよく似ているからです(p90) ・先生はよく「道場は楽屋である。道場から一歩外...

『そのうちなんとかなるだろう』(著:内田樹) 付箋部分を抜粋します ・先生が弟子を「伸ばすために言うこと」と「潰す(までゆかなくとも、「足踏みさせる」)ために言うこと」は  言葉の表面だけ見るとよく似ているからです(p90) ・先生はよく「道場は楽屋である。道場から一歩外に出たところが本番の舞台である」と言われます(p91) ・「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」(p94) ・例えば「自分は英語ができない」と思い込んでいると、脳内のどこかの部位がロックされてしまって、英語を理解し  運用する能力が活動を停止してしまう(p132) ・しなければならないことは「苦役」だと思わない(p153) ・相手に期待せず、押しつけず、全部自分でやる。だから、相手がしてくれたら「ああ、ありがたい」と  感謝する気持ちになれる(p154) ・トラブルというのは、いなくてもいいときに、いなくてもいいところにいるせいで起きるものです(p196) ・決断を下さなければいけない状況に立ち至ったというのは、いま悩むべき「問題」ではなくて、実はこれまでしてきたことの  「答え」なのです。今はじめて遭遇した「問題」ではなく、これまでの失敗の積み重ねが出した「答え」なのです(p201) ・結婚の幸福度を決めるのは、なんだかんだ言っても最終的に自分の「幸福になる力」です(p207) ・後悔には2種類があります。「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」です(p208) ・いちばんたいせつなことは、あなたの心と直感に従う勇気をもつことです。あなたの心と直感は、あなたがほんとうはなにものに  なりたいのかを知っているからです(p236)

Posted byブクログ

2019/11/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

筆者の半生を綴ったエッセイ。 ウエブ マガジンのロング・インタビューを元に構成してあるそうだ。 学生運動について、時々モノクロ写真で見たり フィクションのスパイスとして出てきたりして知っている程度だったので 当時の肌感覚で書かれているのが興味深かった。 師弟関係について、 弟子を伸ばすために言うことと潰すために言うことは表面上似ていて 識別が難しいという件もとても興味深い。 武道家は勝敗や強弱を競う境位を離脱し、 いるべき時に、いるべきところにいて、なすべきことをなす人間になることが修行の目標であり、 道場は楽屋、一歩外に出たところが本番の舞台というのは 共感するところだった。 実践するのはなかなか難しいが。 「侍は用事のない所に行かない」。 いなくてもいいときにいなくてもいいところにいればトラブルが起きるからというのは 確かにそのとおりではあるのだが 侍でも旅好きな人はいたわけで人それぞれではあるのだろう。 稽古に無理してこなくて良いというのはちょっと意外に感じた。 一般的には、怠けた精神を叩き直すと言いそうなのが武道のイメージではないだろうか。 ただ、自分も剣術道場に通っていたが師匠はとても優しく 仕事で全く稽古に来られない場合でも 「今の世の中仕事があるだけありがたいから」とニコニコしておられた。 体が行きたくないとアラームを出しているのにそれを切って出かければ アラームを切ってるからセンサーも働かないので 思いがけない災厄に巻き込まれる。 自分も普段自分の直感や本能のようなものを大事にしようと心がけているが、 やはり現代社会で生きるにはそればかりでやってもいけない。 もちろん本文にあるとおり、それで体を壊しても誰も責任をとってくれないので、 自分でバランスをとってうまくやっていくしかない。 決断をくださなければならない状況は、 今悩むべき問題ではなく今までしてきたことの答え というのは 厳しくも成程と思った。確かにその通りだ。 今悩むことではない、悩んでも遅いことであり 大抵の場合どんな問題でも決断して前に進むしかない。 丸暗記ではなくフランス語話者から世界はどう見えているかを教える というのは、生徒さんが羨ましいなと思った。 言語教育だけに限らず、理由を教えずに 「いいから俺の言うとおりにしろ」という上の人間というのは多いもので、 そうなると言われたことを言われたとおりにしかできず応用も聞かないし なんの面白みもなくなるのだ。 日本の学校は勉強を強制することで英語嫌いを作り出している。 本当にそうだと思う。 人間を疲れさせるのは労働そのものではなく、 労働システムの設計や管理、合理化というのも、本質としては近いのだと思う。 つまらないことはやりたくない。 楽しくないのに無理にやれば効率も悪くなる。 そして批判することは何も産まない。 才能あるひとの魅力はある種の無防備さと不可分であり、 批判されて警戒心が高まり欠点は補正されても魅力が高まることはないし、一度傷つけられると無防備さは回復しない。 人に才能を発揮して欲しいなら過去の業績に評価を下すよりこれから創り出すかも知れない傑作に期待するべき。 人を育てる立場にある人は、こうした考えでいて欲しい。 離婚なさったときに義理のお父様が、 娘は勘当した、君とこれからも親子の付き合いを続けていきたいと 連絡をくれるというのはなかなかあることではないだろう。 初めの心証は悪かったようなのに、そこまでの信頼関係を築けるというのはすごい。 人間が同じである以上右左どちらにいくか悩んでも 行きつくところはそれほど変わらない。 悩んでいるときは一大事だと思っているが、結局は道筋が変わるだけで 行き着くところは似たようなものなのかもしれない。 SNSは匿名という話は度々論争が見られるが これは一概には言えないと自分は思っている。 匿名性があるから誹謗中傷が多い、本名で使えばいいと言うが 自分の場合はFacebookの方が酷いことを言っている人が多いし Twitterでも名前にしている人は所謂”意識高い系”で頓珍漢なことも多い。 本名じゃないから駄目というより、自分の発言に責任を持つかどうかである。 話をシンプルにしろ、良いか悪いかどっちだ なんて人が多いが 子供の言い分であり、 複雑なものは複雑なまま扱うのが大人の作法 というのは 面白い言い方だなと思った。 複雑なまま取り扱って「なんとかする」。 できるようになったわけではない、そういう技術があると知ったから、 死ぬまでに若者の時代を少しでもよくするよう努力する。 この考え方もとてもよくわかる。 としをとってくると、遺すということを考えるようになるものなのだろう。

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2019/10/12

「そのうちなんとかなるだろう」というタイトルから好き。 「なんだよ、ちゃらちゃら生きて楽しやがって。」って思われるような生き方がしたい。なんか最近もう無理って感じがしてきた。「入ってはいけないほうの分かれ道」に入ってしまったのだろうか。 "でも、僕は本を買ったり、芝...

「そのうちなんとかなるだろう」というタイトルから好き。 「なんだよ、ちゃらちゃら生きて楽しやがって。」って思われるような生き方がしたい。なんか最近もう無理って感じがしてきた。「入ってはいけないほうの分かれ道」に入ってしまったのだろうか。 "でも、僕は本を買ったり、芝居を見に行ったり、映画を見たり、ジャズ喫茶に行ったりするのを我慢したくなかった。そういうことを自由にやるために家を出たのだから、文化的なアクティビティにお金を惜しんではいけない。" 37ページ 本当にそう思う。 "はたから見るとつらそうでしょうけれど、本人はいたって愉快に過ごしておりました。" 73ページ この逆で、「はたから見ると愉快に過ごしているように見えるけれど、本人は辛くてたまらない」ということもある… "もうずいぶん前のことですけれど、思い出しても、離婚はつらいです。心身に負った傷という点では親の死よりも厳しかった。 両親が死んだときも「もういないんだな」と寂しくはなりましたけれど、それは自分の存在が否定されたような気持ちとは違うものです。でも、離婚というのは、単に配偶者が不在になるということだけではなく、自分の存在と、自分がそれまで配偶者とともに過ごした時間の意味を否定されたような気がする経験です。13年暮らした妻から、「あなたとは一緒にいたくない」と宣言されたわけですから。男として全否定されたという感じがしました。" 134ページ

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2019/09/24

10年以上にわたる内田樹読者(=私)にとっては 同級生や合気道との出会いなどお馴染みの話で安心させられたり、そうだったのか!の驚きもあり興味深く、一気に読了。 なかでも一番の驚きは椎名誠さんに言及したくだり。 (わたくし、椎名誠さんも30年以上にわたる読者なので) 改めておふたり...

10年以上にわたる内田樹読者(=私)にとっては 同級生や合気道との出会いなどお馴染みの話で安心させられたり、そうだったのか!の驚きもあり興味深く、一気に読了。 なかでも一番の驚きは椎名誠さんに言及したくだり。 (わたくし、椎名誠さんも30年以上にわたる読者なので) 改めておふたりに惹かれた理由=「なんとなく」を肯定された感じで★追加したいところ!!

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2019/09/22

20190922 内田先生の自叙伝。なんとなくと言っているが結局は直感を信じて生きてきたという話。自分に置き換えて考える必要はない。若い人なら一つの生き方として参考にできるところを参考にするために読むと良いかも。

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2019/09/16

自分自身となんとなくよく似ている部分というか、 経験したことや、思っていたことが若干 共通感が多少なりとも感じました、 なので、この人の本がすきなのだろうともいました。 大阪の北野高校の周りの雰囲気が、著者が書かれている 日比谷高校にあったものとも同じような気がします。 また、道...

自分自身となんとなくよく似ている部分というか、 経験したことや、思っていたことが若干 共通感が多少なりとも感じました、 なので、この人の本がすきなのだろうともいました。 大阪の北野高校の周りの雰囲気が、著者が書かれている 日比谷高校にあったものとも同じような気がします。 また、道筋の選びかた。人生の苦悩の選択なんてものは なくて、なんとなく行きたい方向に行く。どちらかを 選ぶ苦悩があった場合は、その時点ですでに間違った ということ。というのは非常によくわかる。 人を批判するのではなくほめる。 いいサービスを受けようと思うと、いいものを享受しようと 思うと、その人をほめるのが一倍いいというのは ”はっ”とさせられた思いがしました。

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2019/09/03

一時期どっぷりはまって片っ端から著作を読んでいた。最初に読んだのは「ためらいの倫理学」だったかな。こんなに腑に落ちる論考を読んだのは、岸田秀「ものぐさ精神分析」以来だと思ったのを覚えている。(「ものぐさ~」はロングセラーだそうだ。今でも名著だと思う。)どんどん出版されるのをいつ頃...

一時期どっぷりはまって片っ端から著作を読んでいた。最初に読んだのは「ためらいの倫理学」だったかな。こんなに腑に落ちる論考を読んだのは、岸田秀「ものぐさ精神分析」以来だと思ったのを覚えている。(「ものぐさ~」はロングセラーだそうだ。今でも名著だと思う。)どんどん出版されるのをいつ頃まで追いかけていただろうか、神戸女学院を退官されて、凱風館を建てられたあたりから、さしたる理由はないが読まなくなったように思う。 これは「自伝」だというので、ちょっと興味が湧いて、久々に読んでみた。小中高の学校時代の話が詳しく書いてあって面白かった。やっぱりずいぶんとんがった少年だったんだなあ。一方、東大時代のことは、他のもので読んだことがあるが、ここではわりとあっさりとした書き方。結構ハードな学生運動家だったらしいが、運動よりも周辺のさほど緊迫感のないエピソードの方が多かった。それはそれで面白かったけれど。 離婚後の娘さんとのふたり暮らしについては、ある程度具体的に触れられていた。当時としてはずいぶん珍しい父子家庭だったと思うが、ここで家庭を優先して学者としては「雌伏」の時期を過ごしたことが、後の爆発的な文筆生活につながったとあり、なるほどなあと思ったのだった。 気軽な聞き書きの形ではあるけれど、読んでみるとやはり、フムフムと思うくだりがいろいろある。以下はその抜き書き。 「SFは1950年代のアメリカに誕生した新しい文学ジャンルです。背景にあるのは、原子爆弾の発明によって核戦争による人類の滅亡というシナリオに現実味が出て来たという歴史的事実です。人間が自分たちを豊かにするために創り出したテクノロジーによって人間が死滅するという不条理が現実になりつつあったのです。でも、伝統的な文学形式はそのような非劇的なまでにナンセンスな現実を叙することができなかった。SFはほとんどそのためだけに発明された特異な文学ジャンルだったのだと僕は思います。ですから、SFはその荒唐無稽な娯楽性にもかかわらず、底にはある種の絶望感が伏流していました」 これには膝を打った。そう、SFには、底にか芯にか空気にかはわからないが、絶望感があると思う。もう誰かが言っていることかも知れないけど、私は目から鱗が落ちた。 「批判を受けたせいで魅力が増すということはないんです。 というのは、才能ある人の魅力というのは、ある種の「無防備さ」と不可分だからです。一度深く傷つけられると、この「無防備さ」はもう回復しません。その人の作品のなかにあった「素直さ」「無垢」「開放性」「明るさ」は一度失われると二度と戻らない」 これも同感。才能が世に出るや、すぐさま何かと叩かれる現代は不幸な時代だと思う。 一番胸にしみたのは、終わりの方で紹介されていた、スティーブン・ジョブズの言葉。 「いちばんたいせつなことは、あなたの心と直観に従う勇気をもつことです。あなたの心と直観は、あなたがほんとうはなにものになりたいかをなぜか知っているからです」 内田氏が書いているように、心と直観に従うにはとても「勇気」がいる。でも本当に、心と直観は「なぜか」私のことを知っているのだ。

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2019/08/18

初めて読む内田さんの本が、自叙伝でした。でも、考え方とか感じ方とか、自分と似ている部分があって、自分を少し正当化したりしました。 P97 「武運の勘所」→自分が「天職」に出会うきっかけ  →本当にそう思います。   私も、色々な人とのご縁やお世話になって   本当に有意義な生活...

初めて読む内田さんの本が、自叙伝でした。でも、考え方とか感じ方とか、自分と似ている部分があって、自分を少し正当化したりしました。 P97 「武運の勘所」→自分が「天職」に出会うきっかけ  →本当にそう思います。   私も、色々な人とのご縁やお世話になって   本当に有意義な生活を暮らすことができていて   感謝してもしきれないほどです。   ありがたやありがたや、なむなむ。 P149 マインドの切り替え ルーチンをこなすことができたら、自分に満点を与え、 少しでも時間が余ったら、それは「贈り物」として ありがたく受け取る。 その「贈り物」の「余暇」に本を読んで 翻訳をして、論文を書く。 そこで達成されたものは「ボーナス」の ようなものだから、あれば喜ぶけれど、 なくても気にしない 家事育児のせいで、研究時間が削られた、 子供のせいで自己実現が阻害された、 という考え方はしない P154 ★狭間 あらゆる仕事には、 「誰の分担でもないけれど、        誰かがしなければならない仕事」 が、必ず発生する。 誰の分担でもないのだから、 やらずに済ますことはできるけれど、 誰も引き受けないと、 いずれ取り返しがつかないことになるので、 厳密な議論をして担当を決めるよりは、 「あ、オレがやっておきます」 と言って、さっさと済ませてしまえば 何も面倒なことは起こらない。 ★★★ 相手に期待せず、押し付けず、全部自分でやる。 だから、相手がしてくれたら、 「あぁ、ありがたい」と、感謝する気持ちになれる。 人間を疲れさせるのは、労働そのものではなく 労働をする「システム」を設計したり、管理したり 合理化したりすること

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2019/08/14

内田樹さんの意外な生き方に触れることができます。内田ファンは一読の価値ありです。心に残った文章を紹介します。「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」日々悩みの多い毎日ですが、この文章に出会って、毎日がシンプルになりました。

Posted byブクログ