贖罪 の商品レビュー
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作中より引用 『人間を不幸にするのは邪悪さや陰謀だけではなく、錯誤や誤解が不幸を生むこともあり、そして何よりも、他人も自分と同じくリアルであるという単純な事実を理解し損ねるからこそ人間の不幸は生まれるのだ。 人々の個々の精神に分け入り、それらが同等の価値を持っていることを示せるのは物語だけなのだ。物語が持つべき教訓はその点に尽きるのだ。』 私が小説を読みたいと思う理由と、 小説を面白いと感じる理由があり、 ここに存在しているだけの私たちにも紡がれている物語を生きていく上で心に刻みたい言葉だった。
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映画も良かったですが、原作はかなりディテールが綿密に描かれ読み応えがありました。意表を突くストーリー、凝った構成の物語です。現代の作家ですがオースティンのような雰囲気もあります。
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女の子がはっきり見てないのに「この人です」と言って…という話。視点が何度か移り変わる。 考えながら歩いているシーンが印象的。
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古典的な作品を好むわたしも、やっと現代的なイアン・マキューアンにはまりました。といっても21世紀初めの作品なので、遅れているといえば遅れてますけどね。 で、やっぱり圧倒されました。 長年読書をしてきて、本好きなのに、作家になりたいとは思ったことはないのですが、マキューアンの文章...
古典的な作品を好むわたしも、やっと現代的なイアン・マキューアンにはまりました。といっても21世紀初めの作品なので、遅れているといえば遅れてますけどね。 で、やっぱり圧倒されました。 長年読書をしてきて、本好きなのに、作家になりたいとは思ったことはないのですが、マキューアンの文章を読んで「書きたいなあ」と思わされたことは思いがけないです。 まず、ヒロインたちの住む家(お城みたいな館です)の描写がなんともいい魅力。もちろん原文がいいのでしょうか、魅せられてしまいました。 そしてプロットも小憎らしい。おとぎ話の要素とミステリーの要素、そしてホラー、ゴシック、、すべて満載。そしてあっけないカタルシスと余韻。 「第一次世界大戦時」のルポルタージュ風の章は、現代のウクライナ戦争があるだけに臨場感がありました。 大体、ヒロインが作家を目指している、作家になったらしい。というところがなんとも、興深いですかね。つまり小説好きを手玉に取ってまわしてるようなものですよぉ(笑 これぞイギリス文学の骨頂かもしれません、と思いましたね。 ところで、エピグラフに引いてあるオースティンの『ノーサンガー・アビー』読んでない、読まなくっちゃ。
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これはキツかった…食事とか風呂とか挟んだけどそれでも6時間ぐらい掛けた気がする。 世界的にも評価されてる作品だから良作なんだろうけど、私には合わなくて文字が滑って全く内容が入ってこなかった。
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自らのための備忘録 「贖罪」というタイトルに惹かれて本書を買ったのはかれこれ15年ほど前のことでした。しかし冒頭の劇「アラベラの試練」の練習部分があまりにも冗長で退屈に感じられ、活字を目で追っているだけとなり挫折→BOOKOFFへ。 最近、たまたま「つぐない」というタイトルに惹かれて見始めた映画が、あの『贖罪』が映画化されたものだと気づき、小説に挫折したのでせめて映画はと思い最後まで見ました。 そうしたら、この結末を知った以上、もう挫折することなく一気に最後まで読み切れるような気持ちになり、もっと深く登場人物について知りたいと、一旦売った本を買い直し読むことに。以前は上下巻だった新潮文庫がいつのまにか一冊になっていました。 「現代の名匠」「現代文学の到達点」「英国文学の金字塔」などと推薦句も読書欲を掻き立てました。 読書感想というのは、作品や作者の評価であると同時に、読み手の読解能力や現在の感受性も自ずと評価されてしまうと思うのですが、私が歳をとりすぎて感性が鈍くなったからなのか、読解力が落ちてしまったからなのか、残念ながら「読書の喜び」が感じられず、「名作」を味わうことのできないもどかしさを感じた読書体験となってしまいました。 早く結末に辿り着き、なぜあのような結末となったのか、その経緯や背景を知りたいという、だだそれだけのモチベーションで義務のように活字を「消化」していきました。特にダンケルクの描写は、私には苦痛でした。ロビーがなぜこの戦いに参加しているのか、それは冤罪のためなのか、それとも当時の成年男子ならば誰しもに課せられた義務なのか、もしかしたらどこかに説明がなされていたかもしれないけれど、私にはそれもよくわかりませんでした。 そもそも「贖罪」とは、作中誰が誰にすべきことなのかも、実は私にはわかりませんでした。本当に償うべき人物は、あの日犯行に及んだ人物でだったのではないでしょうか。どうして13歳の主人公が一身に罪を償わなければならないと思い詰めたのか、私には腑に落ちないものがありました。わすか二日間のうちに、水盤での姉とロビーの姿を目撃し、心密かにロビーへの想いを抱いていた少女が卑猥な手紙を渡され、その上、図書室であのような場面に遭遇してしまい、さらにその夜の大事件を目撃してしまったというのほ、13歳の少女にとっては筆舌に尽くし難い大変な衝撃に違いないのです。少女は「故意に嘘の証言をした」のでしょうか?「思い込んでいただけ」ではないでしょうか? いつどの段階で少女は、真犯人に気づいたのでしょうか? ローラは? ローラはいつどの段階で気づいたのでしょうか? 真犯人に気づかなくとも、2人がそれぞれロビーの冤罪に気づいたのはいつだったのか。私の読み込みが足りないだけなのかも知れません。どこかに書いてあるのかもしれませんが、でももう一度、あの「アラベラ試練」「ダンケルク」を再読する気力はないので永久に私には謎が残るばかりです。 ただ、上記のような経緯で映画を見てから原作を読んだので、映画では描かれなかった「アラベラの試練」が、親戚の子孫たちによって上演されたところに、何故だか胸がいっぱいになってしまいました。 それでも、なぜタイトルが贖罪なのか、少女は思い込んでいただけではなかったのかなどとずっと感じ続けていたせいか、名作を心ゆくまで楽しむということはなく読了してしまいました。
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この小説は一種の"メタフィクション"作品。メタフィクションとは、小説や映画、アニメなど創作物において、作中であえて「これは作り話である」と表現する手法のことで、つまりこの作品は「小説についての小説」「書くことについて書いた小説」である。 「贖罪」 は、 第一部・第二部・第三部・ロンドン、 1999年 (エピローグ)の4つの部で構成されているのだが、第三部まで読み終えると、その最後には「ブライオニー・タリス ロンドン、1999年』と署名がされている。そして「ロンドン、1999年」が始まる。そこで、1~3部は、ブライオニーによる作品なのだ、と示され、エピローグで、(小説の中の)現在、1999年のロンドンに住むブライオニーが描かれる。 この作品のタイトルでもある贖罪を、ブライオニーは、描くことで行おうとしてきた。『何事をも偽らぬことを義務と考え』 改稿を重ねて。 しかし、マーシャル夫妻の金に糸目をつけない法廷活動によって、59年間、出版はかなわなかった。そして、精神機能を失っていくことが既に分かっているプライオニーは、今朝、ヒールを履き敏捷な動きで車に乗っていく健康な従妹ローラを見かけた。だから自分が生きているうちに活字にすることは実現しそうもないことを認めざるを得なくなった。 ブライオニーは考えてきた。『物事の結果すべてを決定できる絶対権力を握った存在、つまり神でもある小説家は、いかにして贖罪を達成できるのだろうか?』と。そして、今『神が贖罪することはありえないのと同様、小説家にも贖罪はありえない』と言っている。しかし、出版するための『場所を移し、いきさつを変え、粉飾を加えなさい』と言う提案には応じなかったプライオニーは、ロビーとターナーが幸せな結末を迎える、と言う最終稿にしている。 贖罪は達成されない、ふたりに宥されたとは思っていないけれど、その結末は『弱さやごまかしではなく、最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗でもある』と思いたがっている。 読者は知っている。ふたりが1940年には亡くなっていることを。だからこそ、改稿を重ねながら、1999年最終稿の結末にブライオニーが幸せな結末を書いたことは、非常に胸に迫るものがある。 と、構成や内容についての私の感想はこんな感じなのだが、書評を読んだり、巻末の解説を読んだりすると、この作品が、なぜ【現代英文学の金字塔的名作】と言われているのかが、もう少し深く具体的に分かってくる。 この作品には、イギリス文学を代表する作家たち (シェイクスピア、 オースティン、ウルフ、ボウエン等々) の作品を引用したり、ひそかに模倣したりしながら、イギリス文学の伝統が封じ込められているそうなのだ。 また、例えば、ロビーを『良き羊飼いのような外見』と表現しているのだが、これはキリストを指す定型句なのだそう。 こうした手法・試みが随所に散りばめられた作品のようだ。 私自身は、海外の作品をあまり読まない。 現代作品でもそうなので、古典や有名な作家・作品についても知識が無い。だから、そのようなことに感心したり楽しんだりすることは出来ないし、なぜここまでこの作品が評価されているのかを真に理解することは出来ていないのかもしれない。それでも、表現の美しさや構成の面白しさ、描かれている内容について考えさせられること(愛、戦争のもたらす影響など)、そういうことだけでも、十分、読んだ価値はあったな、と思える。
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高校生の頃に読んだ記憶があったのだけれど、読み始めたらあらゆるシーンに全く心当たりがなくて、勘違いだったようだ。読もうと思って買ったまま積んでいただけだったのか、もしくは『初夜』を読んで、それを『贖罪』と勘違いしていたのか。 とにもかくにも、大作である。1930年代の、邸宅と家族...
高校生の頃に読んだ記憶があったのだけれど、読み始めたらあらゆるシーンに全く心当たりがなくて、勘違いだったようだ。読もうと思って買ったまま積んでいただけだったのか、もしくは『初夜』を読んで、それを『贖罪』と勘違いしていたのか。 とにもかくにも、大作である。1930年代の、邸宅と家族から始まる伝統的なイギリス文学らしさを発端としながらも、緻密に構成された伏線により、どれが真実だったのかが混乱させられ、結局、彼女の贖罪とは本当は何だったのか、というかそもそも贖罪は可能なのかーーといったような疑問を想起させる。一筋縄ではいかない、まこと複雑な構成。そしてオースティン的お家騒動もあり、悲惨な戦争すらある。しかしながら、私は読んでいて思ったのだけれど、複雑だし、凄いし、綿密だし、大作だけれど、こちらを揺さぶる「熱さ」みたいなものが、どうにも欠けている。長編小説だからこそ欲しい、懐の深さが欠けている、とも言えるか。とにかく長いこと読んだ割に、私の胸の奥のランプは灯らなかった。こういう残念さは胸に残る。悪い小説を読むより、「良いはず」の小説を読む方が奇妙な読後感を与える。 こんなに凄いのに、なぜ心揺さぶられないのか。一説には私の感受性が死んでいるという線もありますが、思うに、登場人物それぞれに対して、それぞれの深くまで私が潜れなかったからなのではないか。ブライオニーの、自分の物語を頑なに信じたい文学少女らしい盲信も、自分の過ちに気付いた時の身を切るような痛みも、なぜか私に伝播してこなかったのだった。では、それはなぜなのか。これはおそらく小説技術の問題だろうが、ここまで来るとさっぱり分からずお手上げである。私に分かるのは、自分の胸の奥のランプが灯ったのか否かということだし、「熱さ」だけがランプを灯すことができる、ということ。 でも、まあ文句のつけようがなく、大作と言えるものではあるのでしょう。まったく小説を読むというのは不思議な行為だ。
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いやぁもう、最高。本(活字で記されている)という形を痛烈に意識させられた。振り返るように思い起こすように数頁前に戻ったり、はっとして数章節前に戻ったり、果ては涙をぼろぼろ零しながら最初のページに戻ったり。書かれている事、いないこと。音声や映像ではなく活字であること。ブライオニーと...
いやぁもう、最高。本(活字で記されている)という形を痛烈に意識させられた。振り返るように思い起こすように数頁前に戻ったり、はっとして数章節前に戻ったり、果ては涙をぼろぼろ零しながら最初のページに戻ったり。書かれている事、いないこと。音声や映像ではなく活字であること。ブライオニーとマキューアンの罠にまんまと嵌まった私は、おいおい声を上げて泣きました。
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アンテナと想像力を働かせ、小説家を目指す少女。 けれどもこれは、彼女ではなくても犯してしまいかねない過ちなのではないだろうか。 事件に戦争が追い打ちをかける。 ロビーの閉ざされた道、過酷な体験。 そしてブライオニーが自ら選んだ道。 彼女も少女の頃から本当は、真実を見る目を持った小...
アンテナと想像力を働かせ、小説家を目指す少女。 けれどもこれは、彼女ではなくても犯してしまいかねない過ちなのではないだろうか。 事件に戦争が追い打ちをかける。 ロビーの閉ざされた道、過酷な体験。 そしてブライオニーが自ら選んだ道。 彼女も少女の頃から本当は、真実を見る目を持った小説家になりたかったのだろうに。
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