サイレント・ブレス 看取りのカルテ の商品レビュー
死にゆく人に何もしない選択があるとは、また、それがその人にとっての幸せかも‥とは、思ってもみなかった。 自分の家族の事を考えさせられる
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死への向かい方、終末医療について考えさせられる作品。 日本では安楽死が認められていない。そのために昔から「死ぬ権利」や「尊厳死」などが多く議論されてきた。 本作はその手の「こうあるべき」と声高に主張するでもなく、法改正のために社会を動かすべく犯罪に手を染めるミステリでもなく、現場...
死への向かい方、終末医療について考えさせられる作品。 日本では安楽死が認められていない。そのために昔から「死ぬ権利」や「尊厳死」などが多く議論されてきた。 本作はその手の「こうあるべき」と声高に主張するでもなく、法改正のために社会を動かすべく犯罪に手を染めるミステリでもなく、現場を体験してきた医師の実体験に基づく死に向かい合う医療関係者の話だ。だからこそ荘厳で静謐、心がこもった描写は力強く胸を打つ。 偶然、今自分の母親が似たような状況にあるため、果たしてどうする事が本当に良いのだろうかと思いながら読み進めた。実際の在宅医療が綺麗事では済まない状況も描写されており、現実での難しさをひしひしと感じる。 ただ一つ言えるのは、死に臨んでいる当人が何を望んでいるのか。どうする事が当人にとって幸せなのか。それを考えることでしか答えは出ないように思う。 終末医療と訪問医療の理解を深める佳作だった。
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フィクションながら現役医師の作家のデビュー作でもあり、作家自身の体験が強く感じられる。「サイレンブレス」というタイトルと「看取りのカルテ」というサブタイトルも率直で好感もてる。作家の真面目さが感じられるとても良い本だ。
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看取り。 必ず最後は誰もが迎える。 頭ではわかっていても、実際に身近な者がその立場になった時、「いつまでもいて欲しい」と思う。 だから、やれるかぎりのことをする。 それが、本人の望みでないとしても。。 意識のない祖母が、痰吸引をされた時の苦しそうな辛さそうな表情。 意識のない祖...
看取り。 必ず最後は誰もが迎える。 頭ではわかっていても、実際に身近な者がその立場になった時、「いつまでもいて欲しい」と思う。 だから、やれるかぎりのことをする。 それが、本人の望みでないとしても。。 意識のない祖母が、痰吸引をされた時の苦しそうな辛さそうな表情。 意識のない祖母の脚が、浮腫んでぱんぱんだったこと。 そんな光景を思い出した。 あれは、祖母が望んだ最期だったのだろうか。。 「一才の延命治療は断る」と書き記し、その通りにホスピスで安らかな最期を迎えた伯母の最後の顔も思い出した。 一人暮らしだったから厳しかったけれど、家で迎えさせてあげたかったな。とも思いながら。 書中で、「自分だったら、この最後を望むか?」と、いう一文があり、ハッとする。 本の中のそれぞれのケースは、架空だけれども、それに似たことは、今の世の中にたくさんある。 そして、自分の身近な親族がそのケースを体現するのも、遅かれ早かれある。 その時になって、迷わないようにしたいなと思っている。 終末期医療を考えるにあたり、良い本だった。
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在宅医療について淡々と語られていく様に最初は付いていけなかったが、それぞれちょうどよい長さの短編で、題材についても興味深く、半ばくらいから釘付けに。 在宅医療、死の間際の延命治療について考えさせられた。 切なく辛く感じたのはALSの患者さんの母親。 彼女をあそこまで追い詰める前に周囲はもっとできることはなかったのだろうか。
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人は必ず死ぬ。 医師は病気を治すことだけでなく、本人とその家族が穏やかに最期を迎えられるような医療や看取りを提供する大切さ、改めて気づかされた。 自分のこれからの生き方や家族との過ごし方や最期の迎え方など、しっかり考えていきたいと思った。 この作品が南杏子さんのデビュー作と...
人は必ず死ぬ。 医師は病気を治すことだけでなく、本人とその家族が穏やかに最期を迎えられるような医療や看取りを提供する大切さ、改めて気づかされた。 自分のこれからの生き方や家族との過ごし方や最期の迎え方など、しっかり考えていきたいと思った。 この作品が南杏子さんのデビュー作とは…!
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2023.12.19 読了 ☆9.5/10.0 本書は、以前読んだことのある『いのちの停車場』の作者、南杏子さんのデビュー作です。 デビュー作とは知らずに読んで解説でそれを知りました。 南杏子さん自身が本書のテーマである終末期医療(看取りの医療)に携わっている現役の医師...
2023.12.19 読了 ☆9.5/10.0 本書は、以前読んだことのある『いのちの停車場』の作者、南杏子さんのデビュー作です。 デビュー作とは知らずに読んで解説でそれを知りました。 南杏子さん自身が本書のテーマである終末期医療(看取りの医療)に携わっている現役の医師であるからこそ、確かなディテールが作中の細部に宿っていて、リアリティに溢れています。 人生の最期を看取る在宅医療が本書の各物語の共通テーマなので、患者さんが次々と最期を迎えていくのですが、穏やかに死を迎える患者さんの姿、それを優しく看取る親族の姿には、悲しみよりも安らぎを感じました。 病気の原因をいち早く突き止め、適切な治療を施し、完治させることが「医者の存在意義」だと教わり、それを信じていた主人公の倫子は、自分を訪問クリニックに異動させた上司である大河内教授から、医師の存在意義の“もうひとつの側面”を教わるのです。 “「治療を受けないで死ぬのは、いけないことかな?医師は二種類いる。わかるか? 死ぬ患者に関心のある医師と、そうでない医師だよ。医師にとって、死ぬ患者は負けだ。だから嫌なもんだよ。だがよく考えてごらん。人は必ず死ぬ。いまの僕らには負けを負けと思わない医師が必要なんだ。死ぬ患者も愛してあげてよ」 「死ぬ人をね、愛してあげようよ。治すことしか考えない医師は、治らないと知った瞬間、その患者に関心を失う。だけど患者を放り出すわけにもいかないから、ずるずると中途半端に治療を続けて、結局、病院のベッドで苦しめるばかりになる。これって、患者にとっても、家族にとっても、不幸なことだよね。 死ぬ患者を最後まで愛し続ける。 水戸くん(主人公・倫子)には、そんな医療をしてもらいたい」” 教授からのそんな言葉や思いを知り、学び、だんだんと患者さんの意思を尊重し、彼らが穏やかに死を迎えられるように心を砕く医師へと成長していく倫子の姿勢にも強く共感し心を動かされました。 “救うことだけを考える医療には限界がある。今は看取りの医療がとても大切なことに思える” “延命治療によって生き続けるのも、自然に看取られるのも、どちらも間違いではない。一番大切にしたいのは、患者自身の気持ちだ” “苦しみに耐える延命よりも、心地よさを優先する医療もある、と知った。穏やかで安らぎに満ちた、いわばサイレント・ブレスを守る医療が求められている。どんな最後を迎えたいのか、患者の思いに愚直に寄り添うのが、看取り医である自分の仕事だ” こんな言葉からも窺えるように、主人公の倫子が医者として患者さんに寄り添おうとする姿勢に目頭が熱くなりました。 “死は「負け」ではなく「ゴール」なのです” 印象に残ったこの言葉から、自分にとっての幸せなゴールとは何か、つまり自分の人生の終末を考えるきっかけとなる作品になりました。 次は、自らが読む彼女の三作目である『ディア・ペイシェント』を読みます。
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在宅医療・終末期医療がテーマになっている小説。主人公の医師が様々な患者と関わり、死が迫っている人々との向き合い方や延命治療だけが医療ではないことを実感していく物語。 年齢や疾患、家族背景もバラバラな患者達との関わりが短編で1ケース事に読めるので、重ためな題材の割には読みやすい印象だった。 医療職についてる身として、考えさせられることが多く読みながら辛くなってしまって読みやすい文体、構成ではあるものの読むのにかなりの時間を要した。一つ一つの事例を咀嚼しながらじっくりと読むことができたので心に残る1冊になったと思う。 最後、主人公が実父を看取る際、“延命治療によって生き続けるのも、自然に看取られるのも、どちらも間違いではない。一番大切にしたいのは、患者自身の気持ちだ。”とモノローグにあり、本当にその通りだと感じた。 死は全員に等しく起こるもので、それを先延ばしにするために生きながら苦しむのであれば、苦痛なく死を迎えられるように環境や治療方針を整えていくことの方がよっぽど大切なんじゃないかと思わされた。 辛いのは、患者とその家族の希望が食い違った時なんだろうなと思う。主人公の母親のように“死んで欲しくない”という想いが強過ぎて患者本人の希望を受け入れられない状況はよくある事だと思う。 大切な人から生き続けて欲しい、と願われたのであれば苦痛を伴ってでも生きていてもいいか、と思えるのだろうか。人にもよるだろうけれど、家族側のエゴでしかないので、家族とは将来何かあった時にどうしたいのか、お互いに話し合ったり決めておくことが一番なんだろうな、と思う。
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人の命を預かった医師だからこそ、このような作品が生まれたのだろう 看取り、看取られる 誰もが通る道 家族の想い、自分の意思 様々な想いが錯綜する 多くの描写が心に響いた
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いろいろな死の迎え方があるのは当たり前だけど、やっぱり本人の意思が尊重された死が理想だと思ってしまう。ただ、その人を取り巻く環境や社会的背景、制度の活用の有無など、、一人ひとりの人生も違うわけだからその最期を全員が全員理想的に迎えられる事は現実的に難しいことだなとも思う 医師の指示で動く看護職において、心が痛む終末期の事例もある。多忙な業務と並行しておこなう看取りに対して心にゆとりを持てない自分に嫌になったことがある。急変もあり、患者の最期に責任を持つこともある。「医師はふた通りいる。死に向かう患者に関心を持ち続ける医師か無関心な医師か。」という文中の台詞。医師の指示のもとでしか動けない部分と、そうでない部分。その中における看護でどれだけ自分の看護観を大切にできるかが大切だなって思った。年齢を重ねるごとに経験を増やすごとに擦り減ってるものにだけ目を向けないようにしたいーー
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