はじめての沖縄 の商品レビュー
沖縄に親戚ができたので、その人たちの気持ちが知りたくて読みました。 内地の人間がどういう心持ちで沖縄の身近な存在と向き合うべきか、その真摯さが大変勉強になりました。本当にその人たちの気持ちが分かる、という状態は不可能だけれども、話を聞き続けるべきである、謙虚であり続けるべきである...
沖縄に親戚ができたので、その人たちの気持ちが知りたくて読みました。 内地の人間がどういう心持ちで沖縄の身近な存在と向き合うべきか、その真摯さが大変勉強になりました。本当にその人たちの気持ちが分かる、という状態は不可能だけれども、話を聞き続けるべきである、謙虚であり続けるべきである、というスタンスに共感しました。 特に印象的だったのは、沖縄の自民党と元知事が仲良くしている気持ちについてのエピソードです。共通の大きい敵の前に両者が互いを尊重しつつ距離を保っている様子が東京にはない成熟した人間関係だと感じました。
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著者の岸政彦は沖縄を研究している社会学者だ。 話題となる著作もいくつかあり、メディア上で本人の語る沖縄の話が面白かったので、いつか著作をちゃんと読もうと思っていた。 たまたま、高崎の新刊書店Rebel booksで見つけて購入した。 著者の沖縄をめぐる自意識がヒリヒリと伝わって...
著者の岸政彦は沖縄を研究している社会学者だ。 話題となる著作もいくつかあり、メディア上で本人の語る沖縄の話が面白かったので、いつか著作をちゃんと読もうと思っていた。 たまたま、高崎の新刊書店Rebel booksで見つけて購入した。 著者の沖縄をめぐる自意識がヒリヒリと伝わってくる本だった。 それは“沖縄病”をわずらい、「沖縄らしさ」(例えば、沖縄の地域コミュニティの強さと言われるものとか)をめぐる議論に対して誠実に答えようとする姿勢からくるものだろうと思う。 「沖縄らしさ」を、例えば東京との相対的な位置付けとして語る時に言えることは、タイやフィリピンと比べた時に同じように言えるのだろうか?という疑問。 それは「立ち位置」によって都合よく「沖縄らしさ」を利用する事にもつながる。 「立ち位置」をどこに置いているのかと自問することは著者の出身が本土である以上考えざるを得ない部分だろうし、読んでいる自分もまたそうだろう。「ただ考え、そしてその考えたことについて書く、ということぐらいしかない」(本書24頁)と、その自問自答の試みがこの本だと思う。 著者は沖縄の研究、生活調査をしながらずっと自分の「立場性」を考え続けている。 どのように沖縄を語ろうとも、ある種の政治性からは逃れられない。 沖縄について基地問題や貧困のような弱い立場を強調して語ることも、逆に多様さやしたたかさをそれに対するアンチとして保守派が語ることも、さらには語らないことも、その政治的立ち位置の問題を回避するために「『沖縄とはどういうところだと語られてきたか』をみる…結局のところそれは、沖縄そのものについて語る『責任』を回避しているのだ…それもまた、とても政治的な選択である」(本書240頁)。 著者は、硬く言えば「責任」を引き受けているから考え続けているのだろう。 この最後の章、「境界線を抱いて」というタイトルとその内容は以前読んだ『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、松村圭一郎著)にも通じる。 『うしろめたさ〜』は断絶された境界のこちら側(日本)と向こう側(エチオピア)を構築人類学という手法で断絶を飛び越える可能性を探っていた。 日本本土と沖縄の断絶、どこに断絶があるかと言えば、その非対称な関係にある事が考慮されなければならないという。 日本本土と沖縄にある非対称な関係、基地問題や貧困、地位協定のような大きな話の中での非対称な構図だ。 一方でそれらも利用しながら多様でたくましく生きる生活者の小さな話もある。 大きな話と小さな話を結び付けるように語る、その試みが本書にはいくつもある。時々挿入される写真もそうした試みの一部なのかなと思わされる。 そういう読者の立場を揺さぶられる、非対称な場としての「沖縄」を考える為の入門書なのかもしれない。 興味深い指摘や語りも多かった。 例えば、本土復帰までの景気の良さに関する話はその一つだ。 「復帰前の沖縄の失業率は、一~二%と、きわめて低い水準で推移していた。経済成長率も毎年九%前後で、日本本土に比べて遜色がなかった…この成長をもたらしたのは…基本的には沖縄の人びとによる個人消費と民間設備投資と住宅投資だった」(本書108頁) こちら側(日本本土)と向こう側(沖縄)の二元論にならない、新しい語りを模索する著者の試みを今後も読みたい。 相対的に生まれる「沖縄らしさ」だけではなく、生活者から見える「歴史と構造」から出てくる「沖縄らしさ」を。 「いまだ発明されていない、沖縄の新しい語り方が存在するはずだ」(本書249頁)とあるように。 ところで、本書を機に「沖縄の、あるいは『マイノリティ』と呼ばれる存在のことについて、あるいはまた、境界線そのものについて考えるきっかけにしてもらえたら」(本書25頁)と冒頭にあった。だから、自分の中にひっかかった本を引き合いに出してみる。 『あのころのパラオをさがして』(集英社、寺尾沙穂著)というパラオの日本統治時代を暮らした人々のルポルタージュがある。 そこには、パラオの人々にとっての日本に対する親日的と単純化できない愛憎がでてくる。 日本本土からパラオに来た人、沖縄から来た人、朝鮮半島出身者というパラオ内でのヒエラルキーがあったという話もあった。『マイノリティ』や境界線はパラオでも引かれ直されたのだ。日本から遠く離れた南洋の「楽園」でも。 他にも経済的な部分について興味深かったのが『パラオ人主体で仕事を作り出す仕組みがまず必要。パラオで稼いだお金をパラオに落とす仕組みがね。与えられるというのは搾取されることなの』(上掲書93頁)というセリフがでてきたところだ。これも沖縄にもきっと通じることなのだろうと思う。
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“沖縄病”を発症し、沖縄を語ること、考えることを職としながら、沖縄をたやすく語ることへの逡巡、葛藤を書く。ゴーヤチャンプル、58号線、ビーチ、基地問題、表層的に“ナイチャー”の視点で語られる言説は、ほんとうの沖縄を覆い隠し、その先を知ろうとすることで初めて見えてくるのは“はじめて...
“沖縄病”を発症し、沖縄を語ること、考えることを職としながら、沖縄をたやすく語ることへの逡巡、葛藤を書く。ゴーヤチャンプル、58号線、ビーチ、基地問題、表層的に“ナイチャー”の視点で語られる言説は、ほんとうの沖縄を覆い隠し、その先を知ろうとすることで初めて見えてくるのは“はじめての沖縄”だ。とてもいい本で、何度でも読み返したい。そのたびに沖縄は“はじめて”の顔を見せるのだろう。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
著者がコミュ強すぎてだんだんよむのが辛くなることをのぞけば良著。タイトルは詐欺。今後沖縄の議論をする際に参照されてしかるべき著者であることがよくわかる。概説でありエッセイ的な本。沖縄の戦後復興は基地がなくても可能だったという指摘は大きい。
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岸さんの本はこれで3冊目。誠実で自省的な文章にいつも惹かれます。 本書に関しても、これだけナイチャーとして誠実に沖縄に向き合った本はあるのかな、と思います。
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とても身近に沖縄がある内地の者として、この本のあらゆるシーンで共感と感銘と、唸りが漏れ出た。スーパーやモールのような場所でも肺一杯感じられる沖縄らしさを同じく体感し肯定している人が居ること、そして様々な境界線を、内側と外側から、愚直に筆致する事の大事さ。 沖縄と接すれば誰もが感...
とても身近に沖縄がある内地の者として、この本のあらゆるシーンで共感と感銘と、唸りが漏れ出た。スーパーやモールのような場所でも肺一杯感じられる沖縄らしさを同じく体感し肯定している人が居ること、そして様々な境界線を、内側と外側から、愚直に筆致する事の大事さ。 沖縄と接すれば誰もが感じられるやさしさと苦味、知るほどに言葉にすることを諦めるような、曖昧で複雑で多様で根深くて、単純には語れないものを、しかし恐れない為に、複数の物語と共に丁寧に描き出す。それは沖縄(へ)の愛おしさでもある…知事選が終わって…果たして俺達は沖縄の何を知っている? この本自体の成立が、たいへんなバランス感覚であり、勇気であると思うようなそれだった。『はじめての沖縄』というタイトルから勘違いして手に取るような人がいっそ増えればいい。 寄り添う視点から腹に残る歯応え、島豆腐のように何度も噛み締めたくなる、そしてこの国を捉え直すことさえできる本。 https://twitter.com/magoshin/status/1046812080324542466
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岸さんの研究スタイルは、その個人のライフヒストリーをインタビューで聞き取る人生史を紡ぎとって、大きな歴史の流れのなかでは掬い取れないものを捉える、というものだと思う。 沖縄に対しても、そうした姿勢で臨んでいる。自分も沖縄に魅せられている一人だから、それは参与観察でもあるかもしれな...
岸さんの研究スタイルは、その個人のライフヒストリーをインタビューで聞き取る人生史を紡ぎとって、大きな歴史の流れのなかでは掬い取れないものを捉える、というものだと思う。 沖縄に対しても、そうした姿勢で臨んでいる。自分も沖縄に魅せられている一人だから、それは参与観察でもあるかもしれないし、沖縄好きな本土の人として、沖縄の人と相互作用を起こしている。 沖縄と本土、日本という関係は大きな歴史の流れ無しには語れないけれど、それとは別に沖縄の人はそれぞれの生活を生きている。たくましくもあり、ずるがしこくもあり、どうしようもなく辛いこともあるだろうけど、それはいろんな人の人生に必ずあるものでもある。 それでも沖縄的ななにか、がやっぱりそこにはあって、それを魅力に思う多くの人がいる。「はじめての沖縄」は、そうした不思議な沖縄の世界を垣間見せてくれる。 中高生の初学者向けの本としてはやや読みづらいけれど、やっぱり面白い。
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観光で沖縄を訪れた時、地元の方から「辺野古基地建設反対運動をやっているのは地元以外の人がほとんどで日当をもらってるんだ」などという話を聞いた。「日当をもらって基地反対運動に参加」というのはネトウヨのデマだと思っていた私は地元の人からそんな話を聞いたことに驚き、沖縄の人は本当はどう...
観光で沖縄を訪れた時、地元の方から「辺野古基地建設反対運動をやっているのは地元以外の人がほとんどで日当をもらってるんだ」などという話を聞いた。「日当をもらって基地反対運動に参加」というのはネトウヨのデマだと思っていた私は地元の人からそんな話を聞いたことに驚き、沖縄の人は本当はどう思っているんだろう、というのが気になり、この本を読んでみることにした。 そしてこの本を読んでわかったことは…まあシンプルな話ではない、ということだ。 私の疑問に関しては、著者は「教員や公務員や組合活動家が『日当』をもらって社会運動に参加する、というデマ」(p.224)と書いておられるから、それがデマであると確信しておられるようだ。 ただ、「沖縄の指導層の人々の、左右の政治的対立を超えた結びつき」(p.209)の例が語られているように、政治的立場が違うからといって日常の生活のうえで対立しているわけでもないのだ。 私が沖縄で話を聞いた方も、「日当をもらって反対運動をしている人と飲んで…」なんて話していて、「立場が違う人からも話を聞くんだよ」ということを言っていた。 「戦争を否定した平和憲法のもとへ復帰するのだという期待が、基地をそのまま残した復帰という現実に裏切られ」(p.65)た沖縄。「 存在してはいけなかったものたちと長い間、沖縄の人々は共に生きてきた。」(p.89) そんななかで基地も必要なのだ、という声も生まれてくる… 「腐れナイチャー」(p.217)という言葉がつらい。著者は「社会というものの本質は『交換できない』ということにある」のではないか、と言う(p.245)。他者の感じることを言葉で理解しても他者になることはできないのだ。沖縄と「日本」とはそういう関係なのでは…と。 「沖縄」と「日本」の間には確かに壁はある気がする。うちなんちゅという言葉が象徴するように、沖縄人であることの矜持を感じる。沖縄の自然や音楽や食べ物。独特の味わいに惹かれるナイチャーの私が「辺野古の海を守りたい」と言ったとしても、それは必ずしも沖縄の人々の思いと一致しないのか… もやもやは残ったままだ…
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沖縄についてというよりも、自分の立ち位置についての本。どんな問題にしろ環境にしろ、当事者でない場合、自分は、どう立ってどう見てどう語りうるのか。
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簡単なラベリングや美談にして済ませずに、誠実に向き合うことはできるのだろうか。 「沖縄」は「沖縄」にしかないが、それはまたどこにでもある。
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