はじめての沖縄 の商品レビュー
▼「はじめての沖縄」岸政彦。初出2018年、新曜社。2020年4月読了。 ▼岸政彦さんは最近ちょっと気になっている社会学者/小説家。なるほど小説家でもあるのか、という感じで、理詰めだけではなくブンガク的とも言える「気分」を大事にしてはるンだろうな、という一冊。 ▼新曜社さ...
▼「はじめての沖縄」岸政彦。初出2018年、新曜社。2020年4月読了。 ▼岸政彦さんは最近ちょっと気になっている社会学者/小説家。なるほど小説家でもあるのか、という感じで、理詰めだけではなくブンガク的とも言える「気分」を大事にしてはるンだろうな、という一冊。 ▼新曜社さんの「よりみちパンセ」シリーズなので、若い人を意識している筆致ですが、つまりは「沖縄問題」の本です。 ▼岸さんが長らく沖縄病とでも言うべき沖縄通であり沖縄愛に満ちている(らしい)のですが、好感が持てたのは、「沖縄を賛美するひとの持っている沖縄というのはイメージに過ぎない」という感覚です。 ▼沖縄に限らず何でもそうなんですが、当事者にとっての肌触りと、それが報道されるときの語られ方の間には、必ずギャップみたいなものがあります。報道されている姿よりも現実は何百倍も複雑だし、難しいし、答えというか、図式みたいなものは、簡単には見えないことが多い。(でも多くの報道では、ある図式を見せてくれます。そのほうが、見る方も安心ですから。短絡的に図式化される痛みは、されたときに初めて分かります) ▼かわいそうな沖縄って本当にそうなんだろうか。明るい南国沖縄って本当にそうなんだろうか。基地の島沖縄って本当にそうなんだろうか。異国情緒沖縄って本当にそうなんだろうか。女性が強い沖縄、歌の島沖縄、逞しい島沖縄、ゆいまーるでみんな仲がいい沖縄。エトセトラエトセトラ。 ▼僕が沖縄県民だった頃。とある離島で、酒をかなり酌み交わす仲になった島民のおじさんが言っていました。 「この島ではね、歴史以来、死亡交通事故って一件もないんだよー。だってね、死亡事故があっても住民同士で話をつけるから、警察には届けないし記録も残らないからね」 ▼そのあたりが岸さん独特の、かなり詩的で、そして私的な言葉選びの中で、感情的になることを恐れない歌い方で綴られます。そういうところは好き嫌いあるでしょうが、「結論を出すための本ではない」という姿勢は僕は好きでした。 ▼僕は「日本から見た沖縄」というのは、「海外(例えば欧州や米国)から見た日本」と、ほとんど一緒だと思ってます。 ▼私たちが「沖縄のことを浅くしか、あるいは頭でしか知らずに、沖縄について何か言うとき。そのときの、言われた沖縄の人の気持ち」はどうなんでしょうか? それは、「外人さんが日本のことを浅くしか、あるいは頭でしか知らずに、日本について何かを言うとき。そのときの、言われた私や、あなたの気持ち」と、ほとんど一緒だと思います。 ▼どうしてほとんど一緒だと思うのかというと、物理的に、地理地形的に似ているからです。「程よく離れている島国」。その地理的な条件から歴史が生まれます。 ▼県民性やら国民性やらって言うのは、後からなんとでも主観で言えることですから。そんな図式みたいなものはあまり買いません。自分から「日本人ってこうなんだよね」としゃべるのは問題なくても、外国の人、それも日本のことを知識でしか知らない人から「日本人はこういう性格だ。こういう欠点がある。これはもう客観的な事実だ」って言われたら、腹立ちませんか? ぢゃあお前ンところはどうなんだよ!とかね。そうやって、戦争になる。個人同士でも、国家単位でも。
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よりみちパン!セっぽくない本。中学生にはかなり難しいと思う。 先日、初めて沖縄に行った。特に現地の人(いわゆる「ウチナンチュ」)と飲みながら話をしたのが非常に楽しかったのだが、その「楽しみ」は沖縄の表面的な部分だったのかなあ、と思わされた。まだまだ自分自身が沖縄の歴史についての...
よりみちパン!セっぽくない本。中学生にはかなり難しいと思う。 先日、初めて沖縄に行った。特に現地の人(いわゆる「ウチナンチュ」)と飲みながら話をしたのが非常に楽しかったのだが、その「楽しみ」は沖縄の表面的な部分だったのかなあ、と思わされた。まだまだ自分自身が沖縄の歴史についての理解が深くなかったので、この本を読んで考えさせられた。今度また沖縄に行った時は色々な場所に行き、多くの人と話をして、色々なことを感じて帰ってきたい。そしてやはり人も気候も温かな沖縄が好きだし、自分自身の物語の中の一つとして、沖縄を感じられるようななりたいと強く思った。
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2019.10月。 知らないことがたくさんある。情けないことに。なんで。でも事実。自分の国の事実。知らないとダメだ。過ちを繰り返さないように。少しでもいい方向に向かうように。
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9/18はしまくとぅばの日沖縄の方言を記念する日。 今日は、岸政彦さん『はじめての沖縄』を。わたしたちは沖縄をどう語るのか?
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茫洋としてつかみどころがない本です。 沖縄の事を知ろうとするにあたって読むべきものでは全くありません。岸氏の沖縄に対する葛藤を充満させた迷いに満ちた本であり、思考の迷路を彷徨ったまま書かれているのが丸わかりの本であり、恐らく本人も重々承知したうえで作られたものだと思います。 沖...
茫洋としてつかみどころがない本です。 沖縄の事を知ろうとするにあたって読むべきものでは全くありません。岸氏の沖縄に対する葛藤を充満させた迷いに満ちた本であり、思考の迷路を彷徨ったまま書かれているのが丸わかりの本であり、恐らく本人も重々承知したうえで作られたものだと思います。 沖縄らしさというものを神格化し過ぎた日本本土の人々が、日本とは違う異国への感情とも思えるような幻想を押し付けているが、それは果たして土着の沖縄固有のものであるのか、琉球王国から日本の一部となり、太平洋戦争で日本本土の楯にされ、アメリカに併合され、そして日本へ返還されるという一連の流れの中で醸成された「らしさ」であるのか。 岸氏は論じて結論を出すことを始めから不可能な事として書き始めています。そして最後までその迷路から抜け出す事無く筆を置いています。 これを青少年向けの本として出す事については少々疑問がありますが、決して嫌いな本ではないです。本は完成品でなければいけないという決まりもありませんので、こういう自分の頭の中を行きつ戻りつ思考するというプロセスをそのまま抜き出したような本もありっちゃありかなと。 一概に分かったって言ってほしくない、分かり合えないとも言いたくない、分かったふりもしたくない。そして自分がただの沖縄好きと言われるのは一番嫌。途中なかなかのお子様モード発動していたので微笑ましく感じましたが、ここら辺をさらけ出せるあたりがただものじゃないなと思いました。 沖縄についての考察や案内的なものを期待するとスカッとすかされます。
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誰に何を伝えるための本なのだろう…という所感。 これは本当に、「はじめて」の人向けなんだろうか?なんとなく、結局筆者の沖縄愛を色々まとめたもののように見える。 沖縄に関する旅行誌以外の本を読むのはこれが初めて。全体を通して、沖縄の歴史や経済の複雑性、イデオロギーと現実の違いなど...
誰に何を伝えるための本なのだろう…という所感。 これは本当に、「はじめて」の人向けなんだろうか?なんとなく、結局筆者の沖縄愛を色々まとめたもののように見える。 沖縄に関する旅行誌以外の本を読むのはこれが初めて。全体を通して、沖縄の歴史や経済の複雑性、イデオロギーと現実の違いなどは、この本を通じて勉強できたことは良かった。 だけど、なんというか、「読みづらい」のだ。 章の並べ方とか、全体の構成、ストーリーが、わかりづらい。一つ一つが繋がっている感じがしない。 文そのものは簡単なのに、読みづらい、読み進めづらい。 そして、本の最後に、女性は公園で本を一人で読むのも危険だ、という表現というになっている部分がとても気になった。沖縄の人を差別してはいけない、と書いているのに、そういう話を彼女からされたことで、女性がどこかかわいそうなものになっている。女性の立場からしてみたら、それこそ差別なのだが。 写真もたくさんあるが、なぜこの写真がここに?がわからないものも多かったので、もう少し説明が欲しかった。 うーん、沖縄は好きだけど、もう少しテーマを絞った本で次はチャレンジしたい。
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2018年刊行。岸さんの本を読むのは、「街の人生」「断片的なものの社会学」に続き3冊目になる。“街”という言葉が目を引き、偶然手に取ったことからはじまったと思う。 本書は、前二冊に比べ、学問的な色合いが濃い本であるし、章ごとの書きっぷりにも差があるので、読みにくさはあったと...
2018年刊行。岸さんの本を読むのは、「街の人生」「断片的なものの社会学」に続き3冊目になる。“街”という言葉が目を引き、偶然手に取ったことからはじまったと思う。 本書は、前二冊に比べ、学問的な色合いが濃い本であるし、章ごとの書きっぷりにも差があるので、読みにくさはあったと思う。それでも、沖縄の新しい語り方とは何か、その断片を何とか探そう、示そうとしている著者の姿勢や試みが面白く、読んでいて色々な感情は湧くけれど、楽しかった。 「語らなければならない。私たちは、沖縄について語る必要がある。私たちと沖縄とを隔てる境界線の真上で、境界線とともに、その境界線について、語る必要があるのだ。」(P.248)、まさにその具体的な語りが本書には書かれていると感じた。
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些細な一言を、聞き逃さない。 インタビュー中にマリーン(水兵)のことを「彼とは友だちです」と言っていた同じ女性が、後日飲んでいるときに何気なく「沖縄ってほんとに植民地だからね」という。そういう感覚こそが、岸さんの言う「固定したイメージではなく、もっと複雑で流動的な現実」なのだ。そ...
些細な一言を、聞き逃さない。 インタビュー中にマリーン(水兵)のことを「彼とは友だちです」と言っていた同じ女性が、後日飲んでいるときに何気なく「沖縄ってほんとに植民地だからね」という。そういう感覚こそが、岸さんの言う「固定したイメージではなく、もっと複雑で流動的な現実」なのだ。それを問いつめるではなく、ひとつの事実として眺めている。 私がやりたいことは、こういうことなのかもしれないと思った。生活史を聞き取って、それを記録すること。偉業を成し遂げた人のサクセスストーリーではなく、地に足をついて決して目立たなくともたくましく生き抜く人々の何気ない生活の記録。 さりげない会話を交わすから知ることができるその土地らしさだったり、何気ないことばの表現や考え方、地域性だったり、そこに生きる人の生き様を、もっと知りたい。 日の当たらないものにこそ、真実はある。 岸さんは、「ふつうの沖縄」こそが「ほんとうの沖縄」だと言う。同感だ。ふつうの暮らしを記録する。誰に肩入れするでもなく、生活史を淡々と刻んで残していく。素晴らしい活動。この人の本をもっと読んでみたい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−− 私たちの世界がファンタジーと違うのは、こうしてつくられた亀裂を閉じ、隔壁を破壊し、世界をもとに戻す言葉が存在しない、ということだ。私たちの世界に存在する物や生き物には、真の名はない。私たちは、世界の実在に遠く届かない、頼りない「世俗の言葉」しか持ち合わせていないのである。私たちの言葉は、世界を壊すばかりで、それを回復する力を持たされていないのだ。 私たちはそれでも、この弱々しい世俗の言葉で、世界のあり方を何度も語り直さなければならない。それしかできることはない。(216) −−−−−−−−−−−−−−−−−−− ここでは、「中心と周辺」という関係が、幾重にもねじれたまま重なっている。東京という中心に対する沖縄、という関係がまずあるのだが、それと一八〇度ねじれるようにして、那覇という中心とやんばる(本島北部)という周辺があるのだ。北部の貧しさ、周辺性について理解していないと、名護の人びとがどのように考えているかはわからない。そして、少しでもわかっていたら、「わずかなお金で海を売り飛ばした」という表現は出てこないはずだ。 −−—しかし私は、彼の言ったことが「間違っている」とは思わない。そういうことを言いたいのではない。彼が言ったことは正しかった。しかし、私たちが「正しくある」ことで踏みにじってしまうものが存在するのである。貧しくあること、従属的であること、周辺的であることから帰結する、複雑で多様な判断は、単純な正しさの基準のもとでは、単なる愚かなこと、間違ったことになってしまうだろう。 −−—いずれにせよ、私たちは「単純には正しくなれない」のだ、という事実には、沖縄を考えて、それについて語るうえで、なんども立ち戻ったほうがよい。(241)
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沖縄に親戚ができたので、その人たちの気持ちが知りたくて読みました。 内地の人間がどういう心持ちで沖縄の身近な存在と向き合うべきか、その真摯さが大変勉強になりました。本当にその人たちの気持ちが分かる、という状態は不可能だけれども、話を聞き続けるべきである、謙虚であり続けるべきである...
沖縄に親戚ができたので、その人たちの気持ちが知りたくて読みました。 内地の人間がどういう心持ちで沖縄の身近な存在と向き合うべきか、その真摯さが大変勉強になりました。本当にその人たちの気持ちが分かる、という状態は不可能だけれども、話を聞き続けるべきである、謙虚であり続けるべきである、というスタンスに共感しました。 特に印象的だったのは、沖縄の自民党と元知事が仲良くしている気持ちについてのエピソードです。共通の大きい敵の前に両者が互いを尊重しつつ距離を保っている様子が東京にはない成熟した人間関係だと感じました。
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著者の岸政彦は沖縄を研究している社会学者だ。 話題となる著作もいくつかあり、メディア上で本人の語る沖縄の話が面白かったので、いつか著作をちゃんと読もうと思っていた。 たまたま、高崎の新刊書店Rebel booksで見つけて購入した。 著者の沖縄をめぐる自意識がヒリヒリと伝わって...
著者の岸政彦は沖縄を研究している社会学者だ。 話題となる著作もいくつかあり、メディア上で本人の語る沖縄の話が面白かったので、いつか著作をちゃんと読もうと思っていた。 たまたま、高崎の新刊書店Rebel booksで見つけて購入した。 著者の沖縄をめぐる自意識がヒリヒリと伝わってくる本だった。 それは“沖縄病”をわずらい、「沖縄らしさ」(例えば、沖縄の地域コミュニティの強さと言われるものとか)をめぐる議論に対して誠実に答えようとする姿勢からくるものだろうと思う。 「沖縄らしさ」を、例えば東京との相対的な位置付けとして語る時に言えることは、タイやフィリピンと比べた時に同じように言えるのだろうか?という疑問。 それは「立ち位置」によって都合よく「沖縄らしさ」を利用する事にもつながる。 「立ち位置」をどこに置いているのかと自問することは著者の出身が本土である以上考えざるを得ない部分だろうし、読んでいる自分もまたそうだろう。「ただ考え、そしてその考えたことについて書く、ということぐらいしかない」(本書24頁)と、その自問自答の試みがこの本だと思う。 著者は沖縄の研究、生活調査をしながらずっと自分の「立場性」を考え続けている。 どのように沖縄を語ろうとも、ある種の政治性からは逃れられない。 沖縄について基地問題や貧困のような弱い立場を強調して語ることも、逆に多様さやしたたかさをそれに対するアンチとして保守派が語ることも、さらには語らないことも、その政治的立ち位置の問題を回避するために「『沖縄とはどういうところだと語られてきたか』をみる…結局のところそれは、沖縄そのものについて語る『責任』を回避しているのだ…それもまた、とても政治的な選択である」(本書240頁)。 著者は、硬く言えば「責任」を引き受けているから考え続けているのだろう。 この最後の章、「境界線を抱いて」というタイトルとその内容は以前読んだ『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、松村圭一郎著)にも通じる。 『うしろめたさ〜』は断絶された境界のこちら側(日本)と向こう側(エチオピア)を構築人類学という手法で断絶を飛び越える可能性を探っていた。 日本本土と沖縄の断絶、どこに断絶があるかと言えば、その非対称な関係にある事が考慮されなければならないという。 日本本土と沖縄にある非対称な関係、基地問題や貧困、地位協定のような大きな話の中での非対称な構図だ。 一方でそれらも利用しながら多様でたくましく生きる生活者の小さな話もある。 大きな話と小さな話を結び付けるように語る、その試みが本書にはいくつもある。時々挿入される写真もそうした試みの一部なのかなと思わされる。 そういう読者の立場を揺さぶられる、非対称な場としての「沖縄」を考える為の入門書なのかもしれない。 興味深い指摘や語りも多かった。 例えば、本土復帰までの景気の良さに関する話はその一つだ。 「復帰前の沖縄の失業率は、一~二%と、きわめて低い水準で推移していた。経済成長率も毎年九%前後で、日本本土に比べて遜色がなかった…この成長をもたらしたのは…基本的には沖縄の人びとによる個人消費と民間設備投資と住宅投資だった」(本書108頁) こちら側(日本本土)と向こう側(沖縄)の二元論にならない、新しい語りを模索する著者の試みを今後も読みたい。 相対的に生まれる「沖縄らしさ」だけではなく、生活者から見える「歴史と構造」から出てくる「沖縄らしさ」を。 「いまだ発明されていない、沖縄の新しい語り方が存在するはずだ」(本書249頁)とあるように。 ところで、本書を機に「沖縄の、あるいは『マイノリティ』と呼ばれる存在のことについて、あるいはまた、境界線そのものについて考えるきっかけにしてもらえたら」(本書25頁)と冒頭にあった。だから、自分の中にひっかかった本を引き合いに出してみる。 『あのころのパラオをさがして』(集英社、寺尾沙穂著)というパラオの日本統治時代を暮らした人々のルポルタージュがある。 そこには、パラオの人々にとっての日本に対する親日的と単純化できない愛憎がでてくる。 日本本土からパラオに来た人、沖縄から来た人、朝鮮半島出身者というパラオ内でのヒエラルキーがあったという話もあった。『マイノリティ』や境界線はパラオでも引かれ直されたのだ。日本から遠く離れた南洋の「楽園」でも。 他にも経済的な部分について興味深かったのが『パラオ人主体で仕事を作り出す仕組みがまず必要。パラオで稼いだお金をパラオに落とす仕組みがね。与えられるというのは搾取されることなの』(上掲書93頁)というセリフがでてきたところだ。これも沖縄にもきっと通じることなのだろうと思う。
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