1,800円以上の注文で送料無料

はじめての沖縄 の商品レビュー

4.2

38件のお客様レビュー

  1. 5つ

    13

  2. 4つ

    12

  3. 3つ

    4

  4. 2つ

    1

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2021/12/31

どの経験も、どの物語もすべて沖縄なのである。 沖縄のどんな一欠片も受け取ろうとしている姿が良かった。

Posted byブクログ

2021/11/03

借りたもの。 沖縄県外(ナイチャー)の著者が沖縄の魅力にハマり、社会学である著者がないちゃーに向けて等身大の沖縄を描写しようと試みた意欲作。これは果たして沖縄入門なのか? 全体的にノスタルジー、哀愁に偏っている気がした。 もちろん、明るい沖縄、今の沖縄が全てではないけれど… 読...

借りたもの。 沖縄県外(ナイチャー)の著者が沖縄の魅力にハマり、社会学である著者がないちゃーに向けて等身大の沖縄を描写しようと試みた意欲作。これは果たして沖縄入門なのか? 全体的にノスタルジー、哀愁に偏っている気がした。 もちろん、明るい沖縄、今の沖縄が全てではないけれど… 読んでいて沖縄の二面性を映し出していると言うより、どうしても越えられないないジレンマを感じさせる…… それは著者がナイチャー(よそ者)であるという事が大きいのかもしれない。何度訪れても越えられない壁のような…… 「なんくるないさー」「沖縄あるある」な素朴で大らかな南国の島国、楽園感は無い。 本からにじみ出る、沖縄という土地の、「翻弄され虐げられた」という思いに溢れている。 本州への憧れと反発があることを明文化している。 あまりにもディープで書ききれないので、箇条書き。 ・沖縄の景気が良かったのはアメリカ統治下(50~60年代。米軍需要と復興需要と都市部への人口集中による開発。) ・「ほんとうの沖縄」「沖縄らしさ」とは何か?人々が貧しくとも助け合う“文化”らしい。沖縄独特のものはあるが、日本統治関連や先の大戦で失われた?(私見。そもそも琉球・沖縄は大衆文化も宮廷?文化も大して発達していなかったんじゃ…) 戦争の時の話も取材している。紋切型な非戦闘員が巻き込まれた悲壮感ではなく、その中でもしたたかに生き抜いた人の視点が書かれているのは新鮮。 …この辺を語りだすと、どうしても色々言いたくなってしまう訳だが。著者は基地に対して無くなった方が良いという姿勢の模様。 米軍基地問題。基地反対運動。 ならば米軍追い出した後は?多くの話で“自衛”について何も言及されていない。この本も然り。 「先の大戦で本土襲撃の足止めにされた」というのなら、どう防衛すれば良かったのか公に議論されない。(沖縄限らず本州自体も然り) 自衛手段を持っていないからこそ、島津藩に征服され、アメリカにも占領されたという事実に対して、ずっと被害者意識が根強いだけで何も議論していない。と穿った見方までしてしまう…… そういう点では、私もまた腐れナイチャーのひとりに過ぎないのかもしれない…… 私自身、色々、本などにも目を通して思うこと…… 良くも悪くも、沖縄は沖縄の人たちの場所であり、誰も外に出ない、出さない体質だろう。地元愛、地元民の結束、自治感…文化的にも、信仰的にも…それが前述の“壁”でもあると思う。

Posted byブクログ

2021/08/10

挿し写真がどれも素敵でした。 ステレオタイプな沖縄写真ではなく、沖縄の方々が日常生活を営む場所の写真達でした。 どの写真にもキャプションが記されていません。 沖縄についてどう思うか。それを自分の血肉からでた言葉で解釈するようにと、写真が私達に促しているような気がしました。 私...

挿し写真がどれも素敵でした。 ステレオタイプな沖縄写真ではなく、沖縄の方々が日常生活を営む場所の写真達でした。 どの写真にもキャプションが記されていません。 沖縄についてどう思うか。それを自分の血肉からでた言葉で解釈するようにと、写真が私達に促しているような気がしました。 私は、田宮虎彦さんの『沖縄の手記から』を読んでから、沖縄に興味を持つようになりましたが、岸さんのこの本を読んであらためて思いました。 事実を知ることは、過去と現在をつなぎ、未来を切り開くものだと。 考え方が様々起きるのは事実の必然です。 ですが、「ねじれの分断」チャプターにもある、大田昌秀さんと國場幸一さんのように、事実を脇に据えて人として握手を交わすことができるのはすごいことだと思いました。沖縄の愛し方が異なるだけで、沸点と融点に大きな差異がなかったのではと感じました。 ふと自分の子供の時の旅のことを思い出しました。 30年以上前の、初めての東京旅行。 東京はどこの街もディズニーランドのようなところだと思って上京したのですが、そうではなかった。 ショックで泣いたけど、新小岩のお食事処(在日の方が営んでいました)のおかみさんが優しくて、ご飯が美味しくて、興奮が落ち着きました。 街には魔法は存在しません。 人間に魔法が備わっていないのは、安易に物事を解釈し解決に向かわせないためなのかもしれません。 沖縄を題材にした本ですが、この不穏な世界情勢をどう認識するかの手引きにもなると思いました。

Posted byブクログ

2021/08/06

学生時代から沖縄が大好きになり、沖縄病になって沖縄に通いつめ、社会学者になって沖縄を研究する岸さんが沖縄について思うところをつらつらと書き綴ったエッセイ。沖縄とはこういうものだとラベリングして決めつけず、断定せず、複雑な、ありのままの状況を丁寧に見て、沖縄を語らなければならないこ...

学生時代から沖縄が大好きになり、沖縄病になって沖縄に通いつめ、社会学者になって沖縄を研究する岸さんが沖縄について思うところをつらつらと書き綴ったエッセイ。沖縄とはこういうものだとラベリングして決めつけず、断定せず、複雑な、ありのままの状況を丁寧に見て、沖縄を語らなければならないことが繰り返し書かれている。街中の風景を写した写真が、ふだんの沖縄を捉えていて、雰囲気が伝わってくる。ちゃんとした結論があるようで、なさそうで、なんとも言い切れない感じの著者の謙虚さがよかった。

Posted byブクログ

2021/07/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

個人的にかなり面白かった「断片的なものの社会学」の作家・岸政彦さんの作品。 マイノリティと呼ばれる存在に耳を傾け、押しつけがましくなく考えさせてくれる岸さん。 どこから読んでもいいし、どこで読まなくなってもいい。 憂いや儚さを含んだ岸さんの文章や写真は沖縄という土地と非常にマッチしていて、たいして知りもしない沖縄のことを無性に想像してしまう。

Posted byブクログ

2021/04/24

タイトル通り、期待通り。読み終わるのが惜しくてちびちび読んだ。生きることに勇気が湧き、人と出会うことが楽しみになる。

Posted byブクログ

2021/03/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

はじめての沖縄 岸政彦著 2018年5月5日発行 新曜社(よりみちパン!セ) 今回、社会学者(立命館大学教授)としての著作を初めて読んだ。これまでは小説と自伝エッセイのみ。 著者の研究テーマの一つが、沖縄。若い頃に「沖縄病」になり、今でも年に1ヶ月は沖縄に滞在する。当時は、大阪でも毎日沖縄のことを思い、沖縄の本を読み、音楽を聴き、泡盛を見つけると必ず買って家で飲んだ。 そんな自分を、「そうとう気持ち悪いやつだったと思う」と表現する。この本も、その点がテーマだと言ってもいい。社会学者としてのフィールドワーク研究の成果発表の場でも、エッセイでも、ましてや紀行文でもない。その入り口にある、「ナイチャー(内地の人、ヤマトンチューとほぼ同じニュアンス)」と沖縄の人たちとの位置関係について、ずっと考え、語っているような本だ。 自分は沖縄が好きで、沖縄を研究テーマにしていると(内地で)話すと、多くの沖縄好きの人は、必ず一家言を披露するという。世間の理解とは少し違う、自分だけが理解している沖縄について語り始めるという。 著者、岸政彦がいいたいのは、そのように沖縄を、沖縄の人を、一言で表現してはいけない、一面的に描かないでほしい、という点だ。基地はいやだ、でも基地で儲けている。米兵の犯罪行為や横暴は許せない、しかし、アメリカ人やアメリカ文化は大好きだ。そういう複雑な状況は矛盾ではなく、それ自体が単純には説明できない一つの文化であり、社会の成り立ちであることを改めて実感させられる。 90年代半ば、僕はエイズに関するラジオ番組の原稿を書き、いろんな取材をした。感染経路がほぼ解明されたばかりで、まだ、偏見がきついころだった。そんな中、血液製剤によりHIV感染したことを公表する人だけでなく、ゲイによって感染した人の公表も始まった。ガードがきつくてなかなか近づけない関東地区に住むある人へのルートを探しあて、許可をもらって河内家菊水丸さんに取材に行ってもらったことがある。その時に話してくれた内容に、雑紙取材に応じたらギャラがもらえたので「男を買いに行った」という話があった。HIV感染を公表し、差別・偏見はしないでね、皆さんも気をつけてね、と呼びかけていると、なにか聖人扱いされてしまうが、我々だって普通の人だよ、と楽しそうに語ってくれた。沖縄の現実と、つながるところがあると思う。沖縄の人は苦しんでいるが、聖人君子ばかりではないのだ。 辺野古の反対座り込みに内地から来た人間が日当をもらっているというデマが、なぜ広まったのか。実はその源が沖縄の人のある態度や言い方にあったと著者は解説している。 関西にいると被差別部落出身者によく接するが、大学生の頃、そういうおっちゃんたちは酔っ払うと「わしはこれやからな」と自らを貶めるような仕草を指で表現した(今はそんなことする人はいないとも思うが)。それと似たようなことを、沖縄の人たちだって酔っ払うときっとするのだろうな、と思った。一見、自分たちを貶めるような発言。 終わり近くに書かれているところ、少し引用したい。 基地に苦しむ沖縄、貧困と差別の被害者である沖縄は、本土の左派のインテリたちが勝手に作り上げた一方的で貧しいイメージである。かれら(ウチナンチュ)によれば、「現実の沖縄」は、もっと多用で複雑で、そしてたくましくしたたかだ。ウチナンチュたちは、基地を利用しさえするのである。あるいは逆に、基地収入や日本政府からの補助金にぶら下がり、それに寄生するウチナンチュの姿も描かれる。 (中略) 沖縄の人々を「単なる」被害者、弱者、基地被害に苦しむ人びととして描くことこそが「差別」である。なぜならそれは、たくましくしたたかな沖縄の人々を、ただ弱いだけの存在にしてしまうからである、と。 もちろん、こう書きながらも、著者が最も許せないのは、「そらみろ、沖縄の人は基地で得しているんだ、今の政府のやり方は正しい、反対しているのは金もらってる内地人だ」と暴言、虚言を振り回している連中であり、そういうのは論外で相手にしていないということは、本を読めばすぐに分かることである。

Posted byブクログ

2021/03/28

タイトルから想像させられるガイド本、解説本のような内容ではない。若い頃から沖縄の魅力にはまり、現在は社会学者としても深く関わる著者による十篇のエッセイ。当地への個人的な思いやエピソード、凄惨な戦時中の話からタクシー運転手との何気ないやり取りまでを含めた聞き取り、沖縄の歴史への考察...

タイトルから想像させられるガイド本、解説本のような内容ではない。若い頃から沖縄の魅力にはまり、現在は社会学者としても深く関わる著者による十篇のエッセイ。当地への個人的な思いやエピソード、凄惨な戦時中の話からタクシー運転手との何気ないやり取りまでを含めた聞き取り、沖縄の歴史への考察などが絡み合っている。約250Pのうち60Pほどは著者によるものらしい、観光的ではない現地の写真が掲載されている。このうち一部は、元沖縄県知事の大田昌秀さんと撮影したものなど、本文に沿った写真が添えられている。 現在の沖縄社会の出発点には沖縄戦の経験があり、戦後から本土復帰までは景気が良かったこと、そして「戦後の沖縄の経済成長と社会変化は米軍がなくても成し遂げられた」とし、このことが沖縄の人々の「家族規範」「自治の感覚」「お上に頼らない生き方」と繋がるという考察が興味深かった。読書中は常に沖縄の多様性、「沖縄を語るとはどういうことか」を意識させられる。また、以下のような著者の沖縄への思いの一端を示す言葉も印象に残った。 「私たちは沖縄を心から愛している。なぜかというと、それが日本の内部にあって日本とは異なる、内なる他者だからだ」 「右だろうが左だろうが、ナイチャーはナイチャーなのだ」

Posted byブクログ

2021/01/31

2021年1月読了。 110ページ 「駐留米軍からの直接の受取や、占領初期のガリオア・エロア基金などの流動性の供給がその成長のトリガーになっていたにせよ、戦後を通じた沖縄経済の力強い成長の主要な部分は、沖縄県民の増加と都市部への集中によってもたらされたと捉えることができる。要する...

2021年1月読了。 110ページ 「駐留米軍からの直接の受取や、占領初期のガリオア・エロア基金などの流動性の供給がその成長のトリガーになっていたにせよ、戦後を通じた沖縄経済の力強い成長の主要な部分は、沖縄県民の増加と都市部への集中によってもたらされたと捉えることができる。要するにこういうことだ。戦後の沖縄の経済成長と社会変化は、おそらく米軍の存在がなくても、自分たちの人口増加と集中によって成し遂げられただろう。このことをさらに言い換えれば、次のようになる。沖縄は、米軍に「感謝する」必要はない。この成長と変化は、沖縄の人びとが、自分たち自身で成し遂げたことなのだ。米軍のおかげなんておもわなくてもよい。沖縄は、沖縄人が自分で作り上げてきたのだ。」 沖縄に米軍なかりせば、確かに「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」に出てくるあの一種独特な街の風景は存在しなかっただろうが、それは沖縄の自立とか全然別の話。 ちなみに拙宅付近にも米軍施設があるが、人の流れを見事なまでに止めてしまう「迷惑施設」としか言いようがない。

Posted byブクログ

2021/01/17
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

繰り返し読みたい本になった。 社会学的に考える事は『相手の立場に立って考える事』の究極だな、と感じた。 ↓引用メモ↓ 私たちは、たとえば沖縄戦や米軍統治、あるいはコザ暴動という沖縄の人びとの歴史的経験そのものを、自ら体験することはできない。沖縄に限らず、そもそも私たちは、私たちの個人的な経験を交換できないようになっている。私たちは社会のなかで生きているにもかかわらず、経験を交換できない。これはとても本質的なことだ。私たちは言葉を交わして、社会のなかで他者と関わって生きているのだが、それぞれの経験や体験を交換することができない。できることはただ、言語という、まったく個人的でないような、公共的な道具を使って、おたがいに合理的に「理解」しあうことだけなのだ。

Posted byブクログ