風神雷神 雷の章 の商品レビュー
京の扇屋・俵屋の若旦那・伊年は、店を継いで現実の世界に生きることを決意する。 先代が用いていた号をもらい、宗達と名乗ることになった。 『俵屋宗達』の誕生である。 古くから店に伝わる意匠や図柄を職人たちに公開し、良い扇絵を描いてもらう。 職人の絵付けはすべて宗達が目を通し、店に出...
京の扇屋・俵屋の若旦那・伊年は、店を継いで現実の世界に生きることを決意する。 先代が用いていた号をもらい、宗達と名乗ることになった。 『俵屋宗達』の誕生である。 古くから店に伝わる意匠や図柄を職人たちに公開し、良い扇絵を描いてもらう。 職人の絵付けはすべて宗達が目を通し、店に出すものを決める。 人付き合いは苦手だったが、店表にも立ち、店主の義務として会合に出席し、必要ならば頭も下げた。 扇だけではなく、絵の注文も受け、扇面屏風や絵巻、貝絵、カルタなど、ちょっとお洒落なものも、戦乱が収まった開放感が広がる京の人々には良く売れた。 宗達は、商人としても成功したのである。 しかし、才能を見出す目というものが、彼を市井の中には放って置かなかった。 本阿弥光悦に代わって、宗達の中に眠るものを引き出す者。 烏丸光広という、自由すぎるお公家さん。 「絵には"ええ絵"と"つまらん絵"があるだけ。わかる人にはわかる」 という光広の言葉は、まさにこれに尽きる。 あらゆる貴族の屋敷に眠る名品・門外不出品を宗達に模写をさせ、挙句は禁中に出入りする資格「法橋(ほうきょう)」の位まで手に入れさせ、宗達の頭の中の引き出しにネタをせっせと仕込むとともに、難しい条件の絵の注文を持ってきては、試練を与えた。 烏丸光広の存在なくしては、宗達は新しい扉を開けることができなかっただろう。 時々は、光悦との仕事もする。 「新しい発想」を恐れる幕府が、安定と引き換えに不自由な法を次々に定め、鎖国を進め、窮屈な世の中になってしまう瀬戸際の時代。 まさに、黄金の時代だった。 天才は一代限り。 一人、また一人と滅していくラストはやはり寂しいが、時を置けば、必ず新しい天才が現れることを、後の時代に生きる私たちは知っている。 天才の世界に遊ばせてもらう手引きとなる、わくわくする本だった。
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おや?! なぜ雷の章に風神の絵? 風の章には雷神の絵だった~宗達を名乗り堺の豪商から妻を娶り、京一の扇屋と言われ絵屋も名乗り、二人の娘を得て連れ出した祇園会で大雨に降られ、店先にずぶ濡れの客を迎えた。名門公卿の烏丸光弘に、伏見城で豊臣方に殺された者の地が染みついた板を天井に使っている養源院の板絵を頼まれ、容器に唐獅子と白像を描いた。光弘は宗達を京のあちこちに引っ張り回して名画を模写させ、相国寺に伊勢物語から蔦の細道図屏風を納めて天皇から法橋の地位を貰い、禁中門外不出の名品を模写することも可能になった。醍醐寺の覚定から女人の出てこない源氏物語の絵を求められ、関屋澪標図を描き一種の騙し絵に仕上げた。光悦が亡くなり、宗達も隠居して次女の婿に継がせた後に取り掛かったのは舞楽図、納品して血を吐き死亡した作業場で見つかったのは楽しげな鬼の図、風神雷神図だった~風神雷神は引退後の最後の最後に自分の意思で書いたモノを借りた伏見の醍醐寺で妻と光悦の娘と阿国が見たというオチにした。まあ巧く纏めましたけど事実とは異なるだろうなぁ
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上巻より一層読みやすかった。上巻では本阿弥光悦との出会い。そして下巻では烏丸光広との出会いが宗達を大きく成長させる。 特に絵画の技術。 自分一人ではみれない数々の絵画。 その絵画を模写し技術を得る。 そして自分のモノにする。 「俵屋の」主人として家族の柱として頑張る一方でどんどん...
上巻より一層読みやすかった。上巻では本阿弥光悦との出会い。そして下巻では烏丸光広との出会いが宗達を大きく成長させる。 特に絵画の技術。 自分一人ではみれない数々の絵画。 その絵画を模写し技術を得る。 そして自分のモノにする。 「俵屋の」主人として家族の柱として頑張る一方でどんどん遅蒔きの成長を遂げる。 そして3人の女性。 出雲阿国、光悦の娘・冴、妻・みつ。 阿国、冴は美術面におけるキーパーソン。 みつは現実世界にいる宗達にとって大事な存在。 「風神雷神図」の描写は案外あっさり。 ただそこまで到達する宗達の姿はすさまじい。 上下共に思ったのはこの宗達って周囲の人に凄く恵まれてるな。ということ。光悦・光広・2人の幼馴染、3人の女性、そして最初に絵のセンスを見出した養父。 なんか凄くうらやましく思う。
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上巻は、本阿弥光悦からの高峯同行の誘いを断ったところで終わったので、その引っ張りを期待したのに。あれ⁇ 絵職人から芸術の高みへーーーその誘惑を振り切った背景は、ただのビビリかぁ…まあ、そのおかげで烏丸光弘と出会い、養源院の内装に絡めたのか。で、お次は相国寺の屏風と来たもんだ! 「女人抜きの源氏物語」とか、絵描きって教養だけじゃなくて、ユーモアもヒネリも必要だったのね。 幾分締まりのないラストだけど、まあ、主人公の死までちゃんと描きました…的な。
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最後の場面が印象的。敢えて、風神雷神を描く場面がなく、死んだあとの残されたあの3人がいるという場面が。
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扇だけではなく、屏風まで扱い、従来の六連一双のものだけではなく、二連のものまで作成し売り出した俵屋。 宗達は商売にも力を発揮していきます。 結婚して二人の子供を授かり、支店も増え、順風満帆。 その間、烏丸光広の手引きで養源院や相国寺の屏風を完成させ、その後、関屋澪標図屏風、舞楽図...
扇だけではなく、屏風まで扱い、従来の六連一双のものだけではなく、二連のものまで作成し売り出した俵屋。 宗達は商売にも力を発揮していきます。 結婚して二人の子供を授かり、支店も増え、順風満帆。 その間、烏丸光広の手引きで養源院や相国寺の屏風を完成させ、その後、関屋澪標図屏風、舞楽図屏風、風神雷神図屏風を完成。 日本の絵画界に革命的な作品を残した俵屋宗達の、晩年から死までを描きます。
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烏丸光広と知り合ってさらに腕を磨き、最後死んで風神雷神の屏風絵をみつと冴と阿国の3人で眺めるという。ちょっとこの時代の日本のアート見たいと思わせられる。家康が江戸から動かなかったのは、臆病者が世界から離れたかったからという説は面白い。
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法橋の位を与えられ禁中の名品を模写し、古今東西のあらゆる技法を学んだ宗達。盟友が次々に逝くなか、天皇までが惚れた天才絵師は、国宝・風神雷神図屛風で何を描いたのか。 俵屋宗達という天才の人物伝であるとともに、美術書でもあり歴史書でもあった。結末の寂しさも作品の魅力かもと思わせる。...
法橋の位を与えられ禁中の名品を模写し、古今東西のあらゆる技法を学んだ宗達。盟友が次々に逝くなか、天皇までが惚れた天才絵師は、国宝・風神雷神図屛風で何を描いたのか。 俵屋宗達という天才の人物伝であるとともに、美術書でもあり歴史書でもあった。結末の寂しさも作品の魅力かもと思わせる。京都の醍醐寺に行ってみたくなった。ところで、どうでもいいことかもしれないが、上巻(風の章)の装丁が雷神、雷神図屏風の雷神、下巻(雷の章)の装丁が風神だったのはなぜだろう? (B)
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本阿弥光悦との別れを直感的に選ぶところからの下巻。烏丸光広という公家との出会いから過去の名作を模写するというチャンスを得て、それがまた新しい表現のベースになるという様が加速度的に描かれます。養源院の唐獅子図・白象図、蔦の細道図屏風、関谷澪漂図屏風、舞楽図屏風、宗達芸術の進化が物語...
本阿弥光悦との別れを直感的に選ぶところからの下巻。烏丸光広という公家との出会いから過去の名作を模写するというチャンスを得て、それがまた新しい表現のベースになるという様が加速度的に描かれます。養源院の唐獅子図・白象図、蔦の細道図屏風、関谷澪漂図屏風、舞楽図屏風、宗達芸術の進化が物語を駆動します。そして、風神雷神図屏風へ。小説の中の補助線も最終的に絡み合ってクライマックス。その大団円感が整い過ぎて、逆にあっさり終わっちゃたな、もっと風神雷神という後からの芸術家に影響を与えた作品の物語化がズシンと来るといいな、と勝手な感想。下巻では公家と武家、京都と江戸、俵屋宗達と狩野派という対比構造が物語の骨格を作っていて芸術が時代にシンクロし、そして時代をつくる政治にコントロールされることを描いていますが、逆に主人公のそういうことに全く無関係であることが彼をアート天使にしているのだと思いました。この無邪気さは作品の無邪気さから思い至った作者の創作なのでしょう。ところで個人の無心芸術、宗達と集団の野望芸術、狩野派は本当に絵屋と絵師ということで棲み分けられていたのだろうか、と疑問を持ちました。と、いうのはちょっと前のEテレの日曜美術館で狩野元信率いる狩野派は扇のデザインにも手を広げて顧客を増やしていた、との放送があったから…法橋宗達ってカチンとこないのかな?
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下巻。本阿弥光悦が京から去り、宗達は俵屋を継いで扇屋の主人として歩み始めたが、そこへ公家の烏丸光広が現れ、その人脈でまた新たにステップアップしてゆく後半生が描かれている。 宗達のセンスはもともと卓越したものがあったのだろうが、本阿弥光悦や烏丸光広のおかげで既存の作品から学ぶことが...
下巻。本阿弥光悦が京から去り、宗達は俵屋を継いで扇屋の主人として歩み始めたが、そこへ公家の烏丸光広が現れ、その人脈でまた新たにステップアップしてゆく後半生が描かれている。 宗達のセンスはもともと卓越したものがあったのだろうが、本阿弥光悦や烏丸光広のおかげで既存の作品から学ぶことができ、また彼らのディレクターとしての才能がなければここまで花開かなかったのだろう。芸術にはやはりパトロンが必要なのか。 絵の技法に関してや時代背景(確立してゆく江戸幕府と京の対立、鎖国の経緯など)も丁寧に説明されており、それも面白かった。 宗達の作品に関しては「風神雷神」しか知らなかったので、読了後に作中に登場した代表作をいくつかググってみたところ、想像以上にユーモラスなものもあって驚いた。養源院の白象図なんてよくこの時代に受け入れられたものだと思う。日本画面白いかも。
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