風神雷神 風の章 の商品レビュー
読みづらい作品かと思ったが、本阿弥光悦、俵屋宗達の作品作りなど、わかりやすく書かれていて、続きが気になる。
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有名な、「風神雷神図屏風」を描いた、俵屋宗達のお話。実在した人物をとてもリアルに描いてあるので、「ノンフィクション??」と思ってしまう。ちょこちょこ入る、現代人への解説のせいもある。小説として入り込むには、この解説部分はちょっと邪魔に思うときもある。 しかし、読むうちに、やはり...
有名な、「風神雷神図屏風」を描いた、俵屋宗達のお話。実在した人物をとてもリアルに描いてあるので、「ノンフィクション??」と思ってしまう。ちょこちょこ入る、現代人への解説のせいもある。小説として入り込むには、この解説部分はちょっと邪魔に思うときもある。 しかし、読むうちに、やはりこの解説のおかげで、楽しみながら知識が身につく(この解説がある程度間違っていないのならば)ことがわかってくる。 そもそも、この有名な絵が、誰によって描かれたかもわかっていなかった読者A(私)の頭にも、時代背景、作者俵屋宗達の生い立ち、人となり、当時の他の様々な美術品の知識や、行事、人々の暮らしぶりなどがすーっと入ってくる。 上巻にあたる、この「風の章」では、宗達の前半生が語られる。
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俵屋宗達(伊年)の物語。いつか俵屋の店を継ぐと言われているが、あまりにぼーっとしているせいで誰にも若旦那とは呼ばれない。いい絵があると聞くと、ちょっと出かける、と言って店をほったらかして安芸国まで出かけたことも。番頭は困りきっているが、俵屋主人はそんな伊年を温かく見守っている。い...
俵屋宗達(伊年)の物語。いつか俵屋の店を継ぐと言われているが、あまりにぼーっとしているせいで誰にも若旦那とは呼ばれない。いい絵があると聞くと、ちょっと出かける、と言って店をほったらかして安芸国まで出かけたことも。番頭は困りきっているが、俵屋主人はそんな伊年を温かく見守っている。いい環境で育ったなぁ。幼馴染の紙屋宗二と角倉与一、そして近寄りがたかった本阿弥光悦。彼らがたまたま近くに住んでいたということも、奇跡のようだ。上巻の山場は平家納経の鹿の絵と、本阿弥光悦との鶴下絵三十六歌仙和歌巻。実物を見たくなる。
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俵屋宗達が主人公なのは珍しいですね。風の巻では有名な「鶴図下絵和歌巻」や嵯峨本の成立経緯が描かれるので、図録を手元にして読みました。秀吉の死から、豊国祭礼、出雲阿国など上手に時代背景も織り交ぜています。読みやすくライトな歴史小説ですね。雷の巻へ。
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評判の扇屋「俵屋」の後継ぎとして大旦那の養子となった伊年は、秀吉が開催した醍醐の花見で見た屏風絵や、出雲阿国の舞台、また南蛮貿易で輸入された数々の品から意匠を貪る。彼が絵付けをする「俵屋」の扇は日に日に評判を増していた。伊年が平家納経の修繕を頼まれ描いた表紙絵は、書の天才、本阿弥...
評判の扇屋「俵屋」の後継ぎとして大旦那の養子となった伊年は、秀吉が開催した醍醐の花見で見た屏風絵や、出雲阿国の舞台、また南蛮貿易で輸入された数々の品から意匠を貪る。彼が絵付けをする「俵屋」の扇は日に日に評判を増していた。伊年が平家納経の修繕を頼まれ描いた表紙絵は、書の天才、本阿弥光悦の興味を惹く出来となる。伊年は嵯峨野で出版・印刷事業を始めた幼馴染みの角倉与一より、光悦が版下文字を書く日本語書物の下絵を描かないかと持ちかけられる。その料紙を手配するのは、これまた幼馴染みの紙屋宗二。かくして本朝の美と叡智の粋を結集した「嵯峨本」が完成した。次に、伊年が下絵を描き、光悦が書をしたためた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」が完成した。 最近流行のアート小説と時代小説を組み合わせたような感じですね。久しぶりに柳さんの作品読んだけど、やはりさくさく読めて良い。表紙がものすごく素敵。日本美術に詳しくないので、俵屋宗達の作品と聞いても名前知ってるなくらいしかピンときませんでした。でもすごい才能の人だったんだなぁ。絵と書と紙が合わさって作品になる、という当たり前のようで当時は全く当たり前ではなかったのに、4人の力で伝説を作ったのがすごい。直に一品ものを手に入れたお金持ち、羨ましい~~(笑)光悦の誘いを断り覚悟を決めた伊年がこれからどんな風に進んでいくのか楽しみ。
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江戸初期の絵師の俵屋宗達の物語の前編。 宗達になる前の伊年の時の話で、出雲阿国や本阿弥光悦らの出会いを通じて扇絵師から時代を代表する絵師になるところまでですが、ウィキペディアで確認すると生没年不詳、「伊年」は号とありました。 つまり、作品と同時代に生きた人たちの記録しかないと思...
江戸初期の絵師の俵屋宗達の物語の前編。 宗達になる前の伊年の時の話で、出雲阿国や本阿弥光悦らの出会いを通じて扇絵師から時代を代表する絵師になるところまでですが、ウィキペディアで確認すると生没年不詳、「伊年」は号とありました。 つまり、作品と同時代に生きた人たちの記録しかないと思われ、作者も想像の翼を思い切り広げられる人物だったということでしょう。 でも、本当にこのような人生だったと思われるところはうまいです。
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連載ゆえの説明臭い文章だが、風神雷神図屏風に風神雷神を描いたパラダイムシフト(もしくはコペ転)は興味深い。おもしろかった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
豊臣秀吉が祭りを開催 それを見ている伊年 天才絵師、伊年の話 子供のいない扇屋に本家から養子にきた末っ子。成人しても職人の部屋でもくもくと模写 番頭は心配 かぶき屋の美人役者おくにから扇を頼まれる 芝居を見に行く、見とれてしまう 芝居の終わったあと 扇屋のライバルに襲われる おくに用心棒に救われる おくにの住処へ案内され、一夜を共にする また、会いに行くが住処はもぬけの殻 おくに達は京を出た 幼馴染 商人 紙屋 あととり息子達 商人の部屋には輸入品がたくさん置いてあった 安岐の国へ平家時代の修復をする 30歳になった おくにが京に 芝居を見に行くが会わせてくない おくにが訪ねてきた 秀吉が死んだ 家康はキリシタンを迫害 おくにはマレーシアへ行ったらしい 評判の扇屋「俵屋」の後継ぎとして大旦那の養子となった伊年は、秀吉が開催した醍醐の花見で見た屏風絵や、出雲阿国の舞台、また南蛮貿易で輸入された数々の品から意匠を貪る。彼が絵付けをする「俵屋」の扇は日に日に評判を増していた。伊年が平家納経の修繕を頼まれ描いた表紙絵は、書の天才、本阿弥光悦の興味を惹く出来となる。伊年は嵯峨野で出版・印刷事業を始めた幼馴染みの角倉与一より、光悦が版下文字を書く日本語書物の下絵を描かないかと持ちかけられる。その料紙を手配するのは、これまた幼馴染みの紙屋宗二。かくして本朝の美と叡智の粋を結集した「嵯峨本」が完成した。次に、伊年が下絵を描き、光悦が書をしたためた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」が完成。京の知識人はもちろん、伊年自身もその出来に驚嘆し、涙を流す。その後光悦に鷹峯へ共に移住しないか問われた伊年は、嘗て観た阿国の舞台や来し方を脳裏に浮かべ、誘いを断り、俵屋を継ぐ決意をした。
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確かに俵屋宗達の人生は知らないな~京の西陣に店を構える老舗の唐織・俵屋の末息子・伊年は暇があると図柄を写し取ることに夢中になる。上京小川の分家で扇を商う店に跡取りとして入ったが、空を掴むような体たらくで醍醐の花見でも届け物の扇を風に飛ばされてもぽかんとしている。あちこちに広げられ...
確かに俵屋宗達の人生は知らないな~京の西陣に店を構える老舗の唐織・俵屋の末息子・伊年は暇があると図柄を写し取ることに夢中になる。上京小川の分家で扇を商う店に跡取りとして入ったが、空を掴むような体たらくで醍醐の花見でも届け物の扇を風に飛ばされてもぽかんとしている。あちこちに広げられた屏風絵に魅入られているのだ。それでも扇に描く絵の意匠は秀逸で、北野で小屋掛けをしている出雲の阿国に呼ばれて一夜を共にした挙げ句、顔に恐ろしい鬼の形相に墨を入れられた。刀一般を商い、文化人として知られる本阿弥光悦は、幼馴染みの紙屋宗二に連れられ、宮島に平家が納めたのち潮で傷んだ経に朝陽のような背を持つ鹿を描いたのが目にとまり、嵯峨野にこれも幼馴染みの角倉与一が開いた印刷場で、下絵を任したのだった。朝鮮から連れてこられた職人を使った本朝初の活版印刷は評判となり、幕府の目にも止まったが江戸には上らず、田舎暮らしを始めた。伊年はそれに従わず家業専念を誓う~これで終わってたら風神雷神図はなかったわけで・・・
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