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ゲンロン0 の商品レビュー

4.1

34件のお客様レビュー

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2021/06/05

第一部は間違いなく面白かった。文章がうまいので分かったような気になる。新鮮な気持ちで読めた。哲学では避けようがないのかもしれないが引用に次ぐ引用に少し辟易する部分も。最後のドストエフスキーの部分はほとんどついていけなかった。 ●観光客の哲学 ・観光 ・二次創作 ・政治とその外部...

第一部は間違いなく面白かった。文章がうまいので分かったような気になる。新鮮な気持ちで読めた。哲学では避けようがないのかもしれないが引用に次ぐ引用に少し辟易する部分も。最後のドストエフスキーの部分はほとんどついていけなかった。 ●観光客の哲学 ・観光 ・二次創作 ・政治とその外部 ・二層構造 ・郵便的マルチチュードへ ●家族の哲学(序論) ・家族 ・不気味なもの ・ドストエフスキーの最後の主体

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2021/05/06

・20世紀が戦争の時代であったなら、21世紀は観光の時代になるかもしれない。そのため、哲学は観光について考えるべきである。 ・観光とは何か ー「楽しみのための旅行であり、報酬を得る活動をせず、日常の生活圏から脱出し、滞在すること」だったが、それが生まれたのは大衆文化と消費社会の誕...

・20世紀が戦争の時代であったなら、21世紀は観光の時代になるかもしれない。そのため、哲学は観光について考えるべきである。 ・観光とは何か ー「楽しみのための旅行であり、報酬を得る活動をせず、日常の生活圏から脱出し、滞在すること」だったが、それが生まれたのは大衆文化と消費社会の誕生が背景にある。新しい交通と新しい産業が生み出した新しい生活様式と結びついた行為であり、古い既得権益層と衝突する行為でもあった。 ー日本の観光学は実学的であり、「楽しみのための旅行」という定義だけでは、何も思考を促してくれない。 ー他の国は観光を表層的なものとしてしか捉えておらず、観光の本質については議論していない。それが1990年代の「観光のまなざし」で変わる。 観光の起源は大衆観光であり、人々に余暇という時間概念の誕生に付随して生まれた。 素朴な土地→観光客の発見→経済的利益の追求→素朴さの破壊 ではなく あらかじめ、観光客の視点を内面化して町並みやコミュニティが形成されるように変わってしまったのではないか →テーマパーク化、メタ視点 必要性と不必要性 観光客はふわふわと移動する(偶然性)、たまたま出会ったモノに惹かれ、たまたま出会った人と交流をもつ。 →観光客の限界と可能性(第4章) 観光客は現実の二次創作者である。 ー世の中に溢れている観光プログラムの多くが2次創作物。でも、1次創作を大切にしなければならない。オリジナル。 ・観光客と住民の対立は観光が大衆化された19世紀から存在している。 ートマスクックの肖像 ・自分の中での観光の概念(自己分析) ・ヴォルテールによると「観光客はまちがいに気づく」。(not最善説)カントによると「観光客は永遠平和を設立する」。 ・観光客から考えられる人間の定義は何か?21世紀の考え方では時代遅れ。 ・労働を強いられているものは生物学的には人間であるが、精神的には人間ではない。人間は欲望に沿って生きていくべきである。 ・ナショナリズム(政治、公)とグローバリズム(経済、私、市民社会)の対立 ー観光がこれを解決することができるのでは。公共と普遍につながる回路を探ること。 ・政府の議論はネーション単位だが、経済の議論、市民の欲望は国境を越えて繋がりあってる。 ・現代は上記の思想が共存する2層構造の時代。 ・規律と管理は同時に作動しうる(本: 帝国) ・郵便的マルチチュード ーマルチチュード: 現在のグローバル的な主権と資本主義の支配下にいる全ての人々。消費、群衆。 ー郵便的: 誤配(予期せぬコミュなど)を多く含む状態。 ・つまり、群衆で消費をする観光客は旅先で様々なものに出会う。 ・誤配は観光では否定的な経験ではない。 ・否定神学的マルチチュードの限界は、連帯が存在しないことで存在するとされていたが、郵便的マルチチュードでは、絶えず連帯が失敗することで事後的に生成し、結果的にそこに連帯が存在するように見えること。 ・ネットワーク理論、スモールワールド性、スケールフリー性 ーつなぎかえ、近道、成長、優先的選択 ・21世紀の抵抗は、帝国と国民国家の隙間から生まれる。つまり、誤配を演じなおすことを企てる。出会うはずのない人と出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずないことを考える。 ・21世紀の新たな連帯は、誤配の再上演(観光客の原理)から始まる。 ・人間が社会を作るのは憐れみから。 ・観光客が拠り所にすべきアイデンティティは家族である。 ・家族の強制性と偶然性と拡張性。 まとめ ・ぼくたちは世界に対して親が子に接するように接するべきだ。 ーコミュニタリアン(ナショナリズム)でもなくリバタリアン(グローバリズム)でもなく、家族的類似性に基づき、新生児に接するように他者と接するべき。 ・子として死ぬだけでなく、親としても生きろ。生物学的だけでなく、象徴的、文化的なものも存在する。 ー親であるとは、誤配を起こし、偶然の子供たちに囲まれるから。 ーすでにある環境だけでなく、リバタリアンのように信じた道を進みつつも、偶然なる出会い(誤配)を大切にする。

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2020/06/02

改めて読み直した。素晴らしい哲学書は何度読んでも読み応えがあるし、新たな発見があるなと再認識した。 この本ほど大量の哲学者たちの引用&要約されているものはあまり読んだことがなく(特に要約力が高すぎる)、その圧倒的な読みやすさからも、この本自体があたかも哲学への観光のようだった。 ...

改めて読み直した。素晴らしい哲学書は何度読んでも読み応えがあるし、新たな発見があるなと再認識した。 この本ほど大量の哲学者たちの引用&要約されているものはあまり読んだことがなく(特に要約力が高すぎる)、その圧倒的な読みやすさからも、この本自体があたかも哲学への観光のようだった。 再読した現在、BlackLivesMatterデモが加速していて、なんでこんな地獄みたいな社会になったのだろうか、とぼんやりだけど切実なガッカリ感が自分の中にあったが、この本はそのガッカリ感に言葉をくれた気がする(直接的な主題ではないが)。 とにかく素晴らしい本でした。内容はもちろん、読み物として素晴らしい。

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2020/09/07

緊急事態宣言が発せられた最初の土曜日。予定がキャンセルで引きこもり状態なったので、よし、積読解消モードだ!ということで2017年に毎日出版文化賞でチェックしていた本書を開きました。たぶん出版後すぐ読んでも受け取れることの多い読書になったはずですが、3年後このタイミングで読んだから...

緊急事態宣言が発せられた最初の土曜日。予定がキャンセルで引きこもり状態なったので、よし、積読解消モードだ!ということで2017年に毎日出版文化賞でチェックしていた本書を開きました。たぶん出版後すぐ読んでも受け取れることの多い読書になったはずですが、3年後このタイミングで読んだからこそ、の浸み込み度が大きかったと思います。今回のパンデミックによってデリケートなバランスで成立していたグローバルとナショナルの関係が崩れていく予感がしますが(同じ土曜日夜のETV特集でも世界の識者がそこ指摘してました…)、そのグローバリズムとナショナリズムの二層構造に分裂してしまった(それは今回のことだけではなくトランプ勝利やBREXITで顕在化はされていた)世界に対する哲学を創出しようという挑戦のプレゼンテーションでした。哲学というと難しいイメージがありますが作者の使う言葉は極めて明快で分かりやすく、分かりやすいキーワードで経済でも政治でもできない哲学ならではの現実世界へのコミットを指し示しています。そのキーワードは「観光客」。グローバルな仕組みとナショナルな社会を楽しみのために行き来する回路をそう呼んでいます。それはアントニオ・ネグリ、マイケル・ハートの「マルチチュード」という概念をベースに、作者が20年前から使っている「郵便」という概念でアップデートしたもの。「観光客」=「郵便的マルチチュード」なのですが、こうやってメモしているとなんのこっちゃ?ですよね。でも、読むとするする分かるのです。今回の災厄に対する危機感が難解な言説も本能的にわかるように鳴っているのかな?時々、東浩紀は読んできたのですが今回が一番するする浸み込んだ感じです。

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2020/08/04

ビジネスに染まった生活から距離をおいて物事を捉えるためのガイドとなる。後段の完成稿が読みたくなった。

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2019/06/24

朝日新聞平成の30冊で読んだことのないモノを少しずつ読んでいる。 人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体のみに属す「村人」ではなく、どこにも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、時折別の共同体も訪れる「観光客」的なあり方が大切だという主張 の出だし...

朝日新聞平成の30冊で読んだことのないモノを少しずつ読んでいる。 人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体のみに属す「村人」ではなく、どこにも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、時折別の共同体も訪れる「観光客」的なあり方が大切だという主張 の出だしに「いいね」私は昔の知人から「以前は旅人だったのに変わったね」等と言われる。確かに実際の旅をすることは少なくなったが、色々な共同体でどのように私が役立てられるかを考えており、そういった意味では「観光回数の多い観光客」なのだろうかとおもい、楽しくなる。 が、それ以降の話がさっぱり分からず。朝日新聞社とは合わないなと言う気もしてくる。

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2019/05/13

いま現代社会に感じている違和感を明快に解き明かしてくれる。それだけではなく、そんな社会とどう向き合っていけば良いのかまでも、ヒントを与えてくれる、そんな本だった。 第一部終盤、ローティの考えに対する著者の考察が面白かった。 「たまたま目の前に苦しんでいる人間がいる。ぼくたちはど...

いま現代社会に感じている違和感を明快に解き明かしてくれる。それだけではなく、そんな社会とどう向き合っていけば良いのかまでも、ヒントを与えてくれる、そんな本だった。 第一部終盤、ローティの考えに対する著者の考察が面白かった。 「たまたま目の前に苦しんでいる人間がいる。ぼくたちはどうしようもなくそのひとに声をかける。同情する。それこそが連帯の基礎であり、「われわれ」の基礎であり、社会の基礎なのだとローティは言おうとしている」 この《たまたま》にこれからのヒントが隠されているのではないか。 とても面白かったです。

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2019/03/23

朝日新聞が発表した平成の30冊で何と4位に選ばれた著書。読んでみたが、以下の下り以外は、教養のない自分にはまったく意味が分からなかった。  けれども、その起源がギリシア哲学に遡ることからわかるように、最善説の本質は、神の有無以前に、ぼくたちが生きるいまここのこの現実、その唯一性...

朝日新聞が発表した平成の30冊で何と4位に選ばれた著書。読んでみたが、以下の下り以外は、教養のない自分にはまったく意味が分からなかった。  けれども、その起源がギリシア哲学に遡ることからわかるように、最善説の本質は、神の有無以前に、ぼくたちが生きるいまここのこの現実、その唯一性や一回性に対する態度にあるからである。最善説の支持者はこの現実に「まちがい」はないと考える。すべての苦しみや悲しみに意味があると考える。批判者はそうではないと考える。なんの意味もなく、無駄に苦しめられ殺されるひともいると考える。重要なのはその対立である。  したがって、その訪問権の概念の射程は、国家意志と結びつく外交官の「訪問」ではなく、商業主義的な観光のイメージで捉えたほうが、より正確に測ることができると思われる。観光は市民社会の成熟と関係しない。観光は国家の外交的な意志とも関係しない。言い換えれば、共和制とも国家連合とも関係しない。観光客は、ただ自分の利己心と旅行業者の商業精神に導かれて、他国を訪問するだけである。にもかかわらず、その訪問=観光の事実は平和の条件になる。それがカントの言いたかったことではないか。  それもまた、二十一世紀のいま現実に起きていることである。国際社会が「ならずもの国家」を指定し、テロリストを生みだしている裏側で、世界は膨大な数の観光客を送り出してもいる。彼ら観光客は必ずしも「共和国」から来るとはかぎらない。中国もロシアも中東諸国も、西欧の基準では成熟した国家と言えないかもしれず、それゆえ国家としては、永遠平和設立のための国家連合には加えてもらえないかもしれない。  けれども、それらの国の市民も、観光客としては世界中を闊歩しており、そしてそのかぎりで祖国の体制とは無関係に平和に貢献している。実際、日本と中国あるいは韓国との関係はつねに深刻な政治的問題を抱えているが、相互に行き来する大量の観光客によって、関係悪化はかなり抑止されている。

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2019/02/17

これは、哲學書というよりそれ以前に、批評である。 それは著者の『存在論的郵便的』『動物化するポストモダン』『一般意志2.0』の自注と(內容だけをみると)言えなくはない。これは、自著の単なる「解題」ではないか、と。 しかし解題という言葉には、強靭な自己批判といういみも含まれるとすれ...

これは、哲學書というよりそれ以前に、批評である。 それは著者の『存在論的郵便的』『動物化するポストモダン』『一般意志2.0』の自注と(內容だけをみると)言えなくはない。これは、自著の単なる「解題」ではないか、と。 しかし解題という言葉には、強靭な自己批判といういみも含まれるとすれば、東氏ほど「現在」を語るにふさわしい書き手はいないのではないか。 射程の広い思考をもった理論家ともいえる。カント及び、ヴォルテール、そして、20世紀の政治哲學三人、シュミット/コジェーブ/アーレント。 最後に、ネグリ+ハート、そして、ローティーと、振れ幅の広い思想家を、精確に分析する手管は、淒みがある。 さて、他者の哲學とひとことでいってもその説明原理には様々ある。 文化記號論的に要請される他者にも、システム論と相俟って1980年代には議論されてもいた。 観光客概念の先の説明原理との大きな違いは、哲學體系文明観などの大きな物語との間隔を斟酌する必要がなかった、別の言い方で言うと、現代はそれらの枠組みと、別の枠組みを視野に入れる必要に迫られている。 そういうことが言えるのではなかろうか。 それは、何も、それまでの英知を無視するとやいう訳ではいささかもなく、むしろ、それを(哲學體系や文明観などの大きな物語)をどん欲に咀嚼(批評)した上での論理構成が必要になっている。 中心概念には、精緻なシステム理論から編みだされた「誤配」、世界心情ともいうべき文化人類學的「憐れみ」を配して、郵便的マルチチュード/多元的決定論へと累進的に論じられる。 第二部 家族の哲學 (続く)

Posted byブクログ

2019/02/11
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

難しかった。頭がいいとは、こういうことを考えられることだと思った。世に交通整理屋は多いけども。再読が必要。

Posted byブクログ