下り坂をそろそろと下る の商品レビュー
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毎朝ラジオ体操をしているが、 日曜日だったか、土曜日だったか 『著者に聞く』というコーナーがある。 そこで、平田オリザ氏の話を聞くことができた。 新刊『下り坂をそろそろと下る』講談社現代新書 アジア唯一の経済大国という幻想に 今もなお縛られ続けている日本人。 そろそろ、下り坂を下りる覚悟と心構えを してもいいのでは?と。 下り坂のおり方に多少なりとも注意が必要なのは、 もはや日本は、自分勝手に坂を転げ落ちることさえも 許されない立場にあるという点。 そろりそろりと、この長い坂を下る方法を 見つけなくてはいけない。 なぜ地方都市は人口減少を食い止められないか。 雇用を増やすことだけに目が向きがちだが そこで結婚して生き、子供を育てたいという 魅力がないからだ。それには? 成功例を四国に見る。 日本が負けない国などと、狂信させられたのはなぜだ。 明治政府のリーダーたちは、ロシアに勝てるとは思っていなかった。 勝てなくとも、負けない戦い、、をしたのだった。 こういう事実は国民には知らされていない。 間違った認識を植えつけられた。 明治のリーダーたちは、世界との力の差も 文明力の差もわかっていた。 わかっているところで、精一杯のことをした。 司馬遼太郎の作品がなんども出てくる。 第一次、第二次、第三次安倍内閣についても記述。 なし得たように語られる安倍政権の政策。 歪められたデータ、解釈。 とても興味深く、声高く主張された 下り坂、日本の現実。目を見開いて考えるとき。
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正直、想像していた内容とは全然違ったのでちょっと期待はずれ。 中身は筆者が取り組んでいる地方創生や日本のこれからについてのエッセイといった感じ。 内容は悪くないのだが前作の「わかりあえないことから」が非常に良書だったので今回は物足りなかったです。
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里山資本主義の文化版、と冒頭で書かれていたが、途中まではたしかにそんな感じだった!演劇というワードがどうしても自分を惹くなあと(それで『何者』も読んでしまったわけだが)思いながら、いつのまにか大学と高校の接続の問題、これからの教育の問題(文科省の方針、思考力、協働力、コミュニケー...
里山資本主義の文化版、と冒頭で書かれていたが、途中まではたしかにそんな感じだった!演劇というワードがどうしても自分を惹くなあと(それで『何者』も読んでしまったわけだが)思いながら、いつのまにか大学と高校の接続の問題、これからの教育の問題(文科省の方針、思考力、協働力、コミュニケーション力重視の)にふれていって楽しかった。 それにしても演劇は、たしかにさかんになっていると思う。私でさえ2.5次元のミュージカルを生で!見るような、テレビにもミュージカル界のプリンスがゲストで呼ばれるような、そんなふうに、テレビじゃなく、舞台に人が集まってきているような印象が昨今ある。 著者は最後に「本当に、本当に、大事なことは、たとえば平日の昼間に、どうしても観たい芝居やライブがあれば、職場に申し出て、いつでも気軽に休みが取れるようにすることだ。」それをサボっていると感じずに、なんだそんなことか、俺その仕事やっとくよ、舞台楽しんできな、といいあえる職場を作ることだ、と述べている。 そんな国に日本がなっちゃったらほんとに皆にびっくりされると思うし、まず日本人て職場の人とそんなに仲良くないと思うし、とは思うけれど、そんな国になったら本当にどんなにいいことか、と思う。 演劇のワークショップが小中高校に広まり、さらに総合大学に必ず演劇コースがあり、副専攻で取ることがアドバンテージになるような、そんな社会が来たら面白いなあと思う。とくに大学で演劇ができるなんて羨ましい!! 私は小学校まではお楽しみ会で必ず劇や紙芝居やそれに類似するものをやっていたし、高校の文化祭でもミュージカル(というよりダンス付きの劇)をやるのが3年は定番、みたいなところがあったけれど、それをカリキュラムとしてもっと科学的にやってもらえたらどんなにか糧になっただろうと思う。 地方を面白くして人を呼び寄せよう、関係人口を多くしよう、というやり方は、小豆島や城崎では通用するかもしれないが、私の地元のように本当に何もない住宅地の自治体(つまり日本のほとんどの自治体)はどうするのだろうと思った。獅子舞もないし。ただお祭りのお囃子の伝統だけはあるが、それは街のほうの子たちだけで、何もないところには何もない。相変わらず国道と、ショッピングモールと、畑と田んぼと、家だけがある。
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各地を回る活動のなかで目にしてきたことの中から、地域を元気にするための芸術・文化・教育の重要性を語る。 そしてその成功例を披露していく過程は、(筆者自身が序盤で意気込んでいた通り)『里山資本主義』の文化版、といった様子もある、一見ね。 ただ話が行ったり来たりして「散らかっている...
各地を回る活動のなかで目にしてきたことの中から、地域を元気にするための芸術・文化・教育の重要性を語る。 そしてその成功例を披露していく過程は、(筆者自身が序盤で意気込んでいた通り)『里山資本主義』の文化版、といった様子もある、一見ね。 ただ話が行ったり来たりして「散らかっている」印象が強い。 読んでいて「ふーん」と関心をよぶフレーズは所々あれども一般的な論説のようにしっかりした構成でないので、その関心を深ぼれさせることが叶わず、つかみどころがない。 そしてそのまま本が終わってしまうのである。 それというのも、本書のかなりのページにおいて、過去書いた文章や他人の文章の引用に割かれていて、むしろ、これまでのネタを流用しまくることありきで執筆されたように感じる。 それ故に主張が表れにくくなっているのだろう。 なお終章付近で「そろそろ安倍政権の話をする」とか始まるのはまったく不要(主張上も特に意義はない)で、違和感を覚えるほど唐突な内容。(ある意味では『里山資本主義』がやはり終章で唐突にマクロな話になっているのと同様の唐突さ。) 『総理の原稿』『演劇入門』は面白かった著者だけに、残念。
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劇作家の平田オリザさんによる地域活性や人材育成をまとめた本。ビジネスだけでなく、表現力や文化力を中心に考えるところが斬新で思わず納得。このような新たな視点はとても重要だと思う。女川、小豆島、城崎などの事例をふまえて語られている共通点である「利益共同体」や「地縁血縁共同体」だけでな...
劇作家の平田オリザさんによる地域活性や人材育成をまとめた本。ビジネスだけでなく、表現力や文化力を中心に考えるところが斬新で思わず納得。このような新たな視点はとても重要だと思う。女川、小豆島、城崎などの事例をふまえて語られている共通点である「利益共同体」や「地縁血縁共同体」だけでなく「関心共同体を」という主張は、実際の共同体構築に大いにヒントになるし、各地域で生じる問題の多くを解決できる考え方。最後の章のタイトルにある「寛容と包摂の社会へ」ということをもっと学びたい。
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子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育園に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること。 私は、この視点が、いまの少子化対策にかけている部分だと考える。(p.19) (小豆島)人口の少ない離島で町作りを進めようとすれば、人びとは複数の役割をこなさざるを得ない。しかしそのことが、かえって人々の自主性、主体性を強める。本来、人間はいろいろな役割を演じることによって社会性を獲得していく。村芝居への参加が、若者たちの教養教育の場として機能したのも、演劇が、いくつものポジションを同時にこなさなければならない、あるいは、その役割を流動的に変化させていかなければならない芸術だからだ。(p.50) 繰り返す。四国が鎖国できるなら、小豆島の子どもたちが一歩も島を出ずに一生を過ごせるなら、その土地に生きる子どもたちにコミュニケーション教育などいらないのかもしれない。文化資本の議論など、余計なお世話かもしれない。しかし、橋は3本架かってしまった。小豆島の子どもたちの多くも、一度は島を出ていくのだ。そこから先は、「どう伝えるか」がどうしても問われる世界だ。そしてそれを教えていくのは教育の責任だ。(p.111) この十数年、日本の教育界では「問題解決能力」ということが言われてきた。しかし、本当に重要なのは、この点、「問題発見能力」なのではあるまいか。 私は、福島の子どもたち、若者たちにも、このような視点を持ってもらいたいと思っている。自分たちを不幸にしているものは何なのか。それは、どういった構造を持っているものなのか。きちんと直視するだけの力と、それを引き受けるしたたかさをも持ってもらいたいと願っている。(pp.153-154) 自分たちの誇りに思う文化や自然は何か。そしてどんな付加価値をつければ、よそからも人が来てくれるかを自分たちで判断できる能力がなければ、地方はあっけなく中央資本に収奪されていく。 私はこのような能力を、「文化の自己決定能力」と呼んでいる。 現代社会では、資本家が労働者をむち打って搾取するような時代ではない。巨大資本は、もっと巧妙に、文化的に搾取を行っていく。「文化の自己決定能力」を持たずに、付加価値を自ら生み出せない地域は、簡単に東京資本(あるいはグローバル資本)に騙されてしまう。(p.158) 文化は、そこに暮らす者たちにとっては、なんとも居心地のいい「ゆりかご」のようなものである。だから、そのゆりかごを揺すぶっても、中にいる子どもにとっては不快感が募るだけだ。安保縫製の議論がかみ合わない理由もここにある。(p.209) 教育の役割も重要だ。「ネジを90度曲げなさい」と言われたら率直に90度曲げる能力(=基礎学力)をつけるのが、工業立国の教育だ。しかし、そんな従順で根性のある産業戦士は、中国と東南アジアに、あと10億人ほど控えている。それだけでは、工場は次々に海外に移転して行ってしまう。 「ネジを90度曲げなさい」と言われても、「60度を試してみよう」という発想や有機、「180度曲げてみました、なぜなら……」と説明できるコミュニケーション能力や表現力の方が、より強く求められる時代が来る。(p.229)
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劇作家・演出家として知られる平田さんの最新著。Aさんに勧められて読みました。 〈あたらしい「この国のかたち」〉と副題にあるように、これからの日本社会に対して、ご自身の活動(表現・文化)を通しての問題提起、興味深く読みました。特に、「文化の自己決定能力」に強い関心を持ちました。た...
劇作家・演出家として知られる平田さんの最新著。Aさんに勧められて読みました。 〈あたらしい「この国のかたち」〉と副題にあるように、これからの日本社会に対して、ご自身の活動(表現・文化)を通しての問題提起、興味深く読みました。特に、「文化の自己決定能力」に強い関心を持ちました。たくさんの表現に触れる機会を誰もが持つことができる経験を蓄積すること、その上で市民の自主的な活動を支える施策(場所の確保・資金等)を豊かに実施することが重要で、そういう中でこそ人は育つのだと思います。 音楽好きの僕としては、もっと機会があれば、ライブなどももっと安くいけたらと常日頃思っています。プレーヤーとしての活動はちょっとお休み状態ですが、どこかで再開したいですね。 本の中では、宮沢賢治の残した言葉が紹介されていました。 「誰人もみな芸術家たる感受性をなせ 個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ 然もめいめいえそのそのときどきの芸術家である」 大阪では公共施設が減らされ、活動をする場所が少なくなっています。この流れも変えないといけないです。 地域を見つめる目をもっと豊かに深く考えることが、自分の課題だなと思いました。 お勧めの一冊です。
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高度経済成長期の夢にすがって未だに「成長」掲げつづけることの限界は、多くの左派系論客が指摘するところ。自虐ではなくてまずは現実からスタートしよう、という真っ当な議論だと思う。 日本という国は、海外から見たときに既に工業先進国ではない。SHARPは買収され東芝は決算粉飾を行い、新...
高度経済成長期の夢にすがって未だに「成長」掲げつづけることの限界は、多くの左派系論客が指摘するところ。自虐ではなくてまずは現実からスタートしよう、という真っ当な議論だと思う。 日本という国は、海外から見たときに既に工業先進国ではない。SHARPは買収され東芝は決算粉飾を行い、新幹線(ましてや原発も)も売れない。文化的にもまったく「Cool Japan」ではないだろう。「KAWAII」「OTAKU」は若者のキッチュなサブカルに過ぎないし、「東京は文化のサンプリング/マッシュアップが得意」などと言ってみたところで、結局は根張りの浅い単年作物に過ぎない。 下手に戦争特需で一足先に経済が回復したものだから、いまだに隣国を頭から低俗と決めてかかる空気が残っていて、井の中の蛙からなかなかう抜け出すことができていない。 本書の多くは「演劇(アート)教育によって、地域のコミュニケーションを再構築する」ことに紙幅が割かれる。曰く、演劇はなにかを終演時に結論づけることが目的ではなくて、議論やプロセスを客観的に腑分けして視点の多様性を提示することだという。その訓練として、演劇を学ぶ学校があり、ワークショップがある。 地域振興におけるアートの役割は、特に近年注目が高まっている分野だ。対外的な集客のためにも、あるいは住民のためにも。城之崎の例は、特に参考とするところが多い。 後半では司馬遼太郎の言葉が多く引用される。 「日本国の通弊というのは、為政者が手の内――特に弱点――を国民に明かす修辞というか、さらにいえば勇気に乏しいことですね。この傾向は、ずっとのちまでつづきます。日露戦争の終末期にも、日本は紙一重で負ける、という手の内は、政府は明かしませんでした。明かせばロシアに利する、と考えたのでしょう。 (中略) 例えば第一次世界大戦で、陸軍の輸送用の車両や戦車などの兵器、また軍艦が石油で動くようになりました。石油を他から輸入するしかない大正時代の日本は、正直に手の内を明かして、列強並みの陸海軍はもてない、他から侵入をうけた場合のみの戦力にきりかえる。そういうべきなのに、おくびにも洩らさず、昭和になって、軍備上の根底的な弱点を押しかくして、かえって軍部を中心にファナティシズムをはびこらせました。不正直というのは、国をほろぼすほどの力があるのです」 まずは虚勢を張らずに内在的な価値を見つめなおし、できることを積み上げること。腐るほどある問題にフタをしないこと。(演劇的に)他者理解に努めて議論すること。 やるべきことは、まだまだたくさんあるなぁ。
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劇作家の書く日本の将来、ということで書店で手に取ってしばらく逡巡してから買いました。(ネット検索では決してたどり着けなかった本だと思います) 内容は、主に四国、福島からみた、地方の視点から、「日本の将来をどうするか」論。 なぜ若者は都会へ流出していくのか。 そこに「出会い」があるから。田舎に残っていてもいるのは幼馴染しかいない。 若者を外に出さない、面白いマチをつくる試みが必要だが、四国には本四架橋が3本かかってしまった。若者は一回外に出る、しかし、戻ろうと思えるようになるためにマチをつっておかなければならない。 劇作家の視点ってどんな視点だろう、と思いつつ読み進めると工夫と逆転の思考の連続です。 自信がこの本の中で書いているのは、「我が子の病気のためにアメリカで手術を受けるための募金を集めようとする両親、という劇を書くとする。そのとき一番そぐわない両親は?と考える。医師か。政治家か。NPO法人でアフリカのために募金をしている夫婦である。意地悪なようだがこれが劇作家の思考である。」 なるほど。 地域再生本として書かれている本よりずっと参考になる、好著です。
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坂を下る寂しさを最も感じているのは著者を含め、我々の世代なのだ。戦争を知らないどころか、安保闘争や全共闘だって知らないに等しく、高度成長期の真っただ中で育った。日本経済が衰退し、人口減少に転じるなんて考えもしなかった。でも、下り坂を下りだして随分と久しいんだよ。上りがあまりに急勾...
坂を下る寂しさを最も感じているのは著者を含め、我々の世代なのだ。戦争を知らないどころか、安保闘争や全共闘だって知らないに等しく、高度成長期の真っただ中で育った。日本経済が衰退し、人口減少に転じるなんて考えもしなかった。でも、下り坂を下りだして随分と久しいんだよ。上りがあまりに急勾配だったから、今は急降下に思えるけれど、それなりにそろそろ下っていると思う。それこそ「これでいいのだ」。小豆島、城崎、善通寺が「文化の自己決定能力」を向上させて、狭義的には演劇で地域活性化する事例はひとつの参考になる。ただ、文化抜きの地域自立はありえないって極論は、結局都会の模倣を促しているんじゃなかろうか。それにある意味、彼らは未だに上ろうとしてるし。
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