『罪と罰』を読まない の商品レビュー
斬新な企画。妄想とツッコミがおもしろい。あらすじを読む前に本物を読みたかったが、あの本の厚みがハードルになりそのまま「読んだ!」に突入。読んでいないのに名作すぎて読んでいない本がたくさんある。そんな本もこういうふうに妄想して読むのも楽しいかもしれない。なお、私は「昔読んだけれど覚...
斬新な企画。妄想とツッコミがおもしろい。あらすじを読む前に本物を読みたかったが、あの本の厚みがハードルになりそのまま「読んだ!」に突入。読んでいないのに名作すぎて読んでいない本がたくさんある。そんな本もこういうふうに妄想して読むのも楽しいかもしれない。なお、私は「昔読んだけれど覚えていない」派。それは中学生時代で覚えているのはラスコーリニコフ、暗い、重い、上下二巻の分厚い文庫本。
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断片的な知識とヒントから内容を推理しながら語る読書会。登場人物に変な略称を付けたり「中二病」と茶化したりと笑える内容ながら、作品や小説そのものへの敬意や愛情もてんこ盛り。特に後半、実際に読んでからのトークは小説論、読書論としてなかなか鋭い部分も。(で結局、読んでないんですけど)
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つっこみどころ満載 なのにやっぱり面白い そこが「罪と罰」の魅力なのかな。 読まずに読書会、ぜひシリーズ化してほしい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
さすが作家さんたちの読書会(?)!という。妄想の広がりがすごい!小説家はこうやって筋立てを考えていくのかな~というのも垣間見えたりして興味深い。 『罪と罰』はもうだいぶ前に読んだけど、ほどよく内容を忘れているので、4人の推理に「あれ?そんな話だったか?」「あーひょっとしてそんな感じだったかも?!」と共感しながら読めたのがよかった。もう一度読みたくなるね、『罪と罰』。最後の方、ずっとラズミーヒンのことを「修造、修造」言ってて面白かった。確かになんかうざいくらい明るい友達がいたよなー…と思い出しました。再読するときはきっと修造で脳内再生されるに違いない。
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岸本佐知子、三浦しおん、吉田篤弘、吉田浩美。 『罪と罰』を読んだことのない四名が、ぼんやりとした印象とあやふやな記憶を材料に、推測しながら語り合う読書会の記録。 私は昔読んだことがあるので、時に鋭く時に見当はずれな四人の推測を笑って見られる…はずだったのだけど、主役のラスコーリニ...
岸本佐知子、三浦しおん、吉田篤弘、吉田浩美。 『罪と罰』を読んだことのない四名が、ぼんやりとした印象とあやふやな記憶を材料に、推測しながら語り合う読書会の記録。 私は昔読んだことがあるので、時に鋭く時に見当はずれな四人の推測を笑って見られる…はずだったのだけど、主役のラスコーリニコフのことはわりに好きだったなあ、でも最後はどうなるんだったか…という残念な記憶ぶりで、四人の推測を読みながら「けっこう当たってる…よね?」「これは違う気がする…あれ?そうだったっけ…?」「そんな人いたっけ…?」と読んでないのと大して変わらないような反応ばかりになっていました。 これは『罪と罰』が読みたく(読み返したく)なる。 途中で抑えきれなくなって『罪と罰』を読み直してしまったのですが、本書に戻って読み進めると簡易あらすじや登場人物紹介もきっちりとされていて、「こんなことなら読まずにおいて、あやふやな記憶のまま一緒に楽しめばよかったなあ」と思ったり。 しかしスヴィドリガイロフが人気でびっくりしました。副主人公だったとは…知らなかった。 他の本でも「読まない読書会」やって欲しい、いやむしろ私もやりたい、と思える楽しい1冊でした。
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この方たち、本当に自由だなあと、そこに一番感銘を受けた。プロのもの書きの方があの「罪と罰」を読まずに語ろうだなんて、しかもそれを本にしようだなんて、普通はあり得ないでしょう。なんの遠慮もなくワイワイと妄想を繰り広げる様子が、まあ実に楽しそう。本ってこういう風にも「読める」んだなあ...
この方たち、本当に自由だなあと、そこに一番感銘を受けた。プロのもの書きの方があの「罪と罰」を読まずに語ろうだなんて、しかもそれを本にしようだなんて、普通はあり得ないでしょう。なんの遠慮もなくワイワイと妄想を繰り広げる様子が、まあ実に楽しそう。本ってこういう風にも「読める」んだなあ。 一番発言が多く、自由自在にお話を展開していくのが三浦しをんさん。さすがだ。実際の「罪と罰」とは全然違うんだけど、そっちの方が読みたいわ!と何回思ったことか。「読まずに読む」集まりのあと、本当に読んでからまた語り合うという場でも、しをんさんの読みが断然おもしろい。スヴィドリガイロフを「スベ」と呼んで、ヴィゴ・モーテンセンに脳内変換して読むとは。いやもう、また読もうかしら「罪と罰」。 ……確か、学生のとき読んだはずだが、ほとんど覚えてないのはどういうわけか(読破記憶は捏造?)。数年前大学生の娘に「『罪と罰』って読んだことある?」と聞かれ、「あるよ(当たり前じゃん)」と答えたら、「どんな話なん?」とさらに聞かれ、「えーと、貧しい男が正しいことだと思って金貸しの老婆を殺すんだけど、結局改心する話」と、最初と最後だけまとめといたのを思い出した。娘は「ふーん」とつまらなさそうにしてたので、きっと読んでないと思う。面目ない。
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傑作すぎて、1日で読んだ。面白すぎ。 他にもやってほしい。 「ラスコなんとかがおばあさんを殺すんじゃなかったっけ?」(笑) むかーし読んだことあるけど内容をほとんど忘れている人と、読んだことないけどなんとなく耳にしたことのある人の印象が同じなのだ。 これに違いはあるのか? ...
傑作すぎて、1日で読んだ。面白すぎ。 他にもやってほしい。 「ラスコなんとかがおばあさんを殺すんじゃなかったっけ?」(笑) むかーし読んだことあるけど内容をほとんど忘れている人と、読んだことないけどなんとなく耳にしたことのある人の印象が同じなのだ。 これに違いはあるのか? 私の場合、たまたまこの本が出版される直前頃にとうとう『罪と罰』を読んだのだ。 この対談は読んだ人もかなり楽しめる。 むしろ読んだことがあるからこそ、この4人さんの想像力に舌をまく。読んでないのにごく一部分の文章から話を組み立てる凄さ。 その場の楽しさが伝わる。 「ラスコ」「マメ父」「スベ」「ドスト」と愛称化。ラスコーリニコフとかドストエフスキーとか、日本人からしたら長たらしいからねぇ… 注意したいのが、読んだことのない人は先入観ができてしまうことだ。読み方は人によって違うと思うし、登場人物の誰に寄り添うかで異なってくる。 でも、先入観ができてしまうと、すでに誘導されてしまう感じがする。 例えば、ラスコーリニコフはこの事件により以前の精神状態ではなくなっている。これをどう受け止めて読み進めるかで変わってくるのではないか? それにしても、また読みたくなってきた。多分また違う感想が出てくると思う。 でも、今は『悪霊』が途中で止まってるので読み終えたい。 次は『悪霊』でやってほしい。
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面白かったです^^ タイトルと作者はとても有名なのに読んだことはない、でも何となく知っている。まさに私もそうです。 この本はそんな四人が『罪と罰』を読まずに語り合い、内容を推測し、読んだ後にまた語り合うという座談会の様子を綴った本です。 皆さんの推測の面白いこと(笑)。 難しそう...
面白かったです^^ タイトルと作者はとても有名なのに読んだことはない、でも何となく知っている。まさに私もそうです。 この本はそんな四人が『罪と罰』を読まずに語り合い、内容を推測し、読んだ後にまた語り合うという座談会の様子を綴った本です。 皆さんの推測の面白いこと(笑)。 難しそうだし、長いし、で敬遠していた『罪と罰』、読んでみたくなりました。 私は本作を読まずに読後座談会を読みましたが、皆さんがオススメしている『罪と罰』の登場人物達に少し親近感を持ちました。 “いきなり帰るマン”“急に気分変わるマン” 退屈せずに読めそう(笑) しをんさんの推理や視点も面白いですが、他の方々も負けていません。こんな風に一つの作品について語り合うのって楽しいだろうなぁと羨ましく思えました。 『罪と罰』を読んでいない人も読んだ人も楽しめる本です、是非どうぞ♪
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2016年28冊目。 ドストエフスキーの名作『罪と罰』を読んだことがない作家たちが、断片的な情報だけで物語を推測していく「読まずに読む」という試み。 作家さんの中で僕が作品を読んだことがあるのは三浦しをんさんだけだったが、口の悪さにだいぶ笑った。 ご年配のドストエフスキーファン...
2016年28冊目。 ドストエフスキーの名作『罪と罰』を読んだことがない作家たちが、断片的な情報だけで物語を推測していく「読まずに読む」という試み。 作家さんの中で僕が作品を読んだことがあるのは三浦しをんさんだけだったが、口の悪さにだいぶ笑った。 ご年配のドストエフスキーファンに怒られるんじゃないかと思うほど。 みなさんの推理の鋭さに「さすが作家さんだ」と思った部分もあれば、 ラズミーヒンの脳内再生の声が「松岡修造」になるなど、 一般人の読み方と同じなんだと安心する場面と、 両方あって面白かった。 ドストエフスキーの五大小説全部でやってほしい企画。 『罪と罰』、もう一回読もうと思った。
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僕の本読みは完全にななめ読みである。だがそれがいけないのか? 読んでいない『罪と罰』をテーマにした読書会、それも小説にかかわる仕事の人たちが。なんだかすごいぜ。 しかし、読んでいない、と、読んだけど覚えていない、の反応に大差がない。読んだ、ってなんだ。かくいう僕は罪と罰を、途...
僕の本読みは完全にななめ読みである。だがそれがいけないのか? 読んでいない『罪と罰』をテーマにした読書会、それも小説にかかわる仕事の人たちが。なんだかすごいぜ。 しかし、読んでいない、と、読んだけど覚えていない、の反応に大差がない。読んだ、ってなんだ。かくいう僕は罪と罰を、途中までしか読んでいない。それも30年ほど前だ。読んでいない、と大差は、やはりない。 さて、本書は期待に違わずエキサイティングだ。なんとなく聞いたことのある名作に妄想をぶつける四人の文壇人たち。僕もほぼ100%覚えていないので、むしろ共作による新しい作品の誕生に立ち会うかのようだ。やがてやってくる答え合わせの時間。これがまた興が乗っていて、二種類の翻訳版のどちらかを読んでくりゃええよ、ということなので、その差もまた愉快。ヒゲを表す形容が「カツレツ」だったり「メンチカツ」だったり。 一文字も読む前から、読む、という行為は始まるし、文字を追っていても読んではいない、ということもある。僕の読書は大抵後者だ。だが、まだ読まない本を読めるように、読んだ本は、読んだ、ではなくて、同じように読む、ということだってまた出来るだろう。本などなくても読書は可能なのだ。すごい。
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