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その日東京駅五時二十五分発 の商品レビュー

3.7

27件のお客様レビュー

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2024/03/12

その日とは、正午に玉音放送があり、戦争が終わったと知らされた日。 小説だったかエッセイだったか忘れてしまったが、玉音放送が流れていたその時でさえ鉄道は時刻通りに運行されていたという事を読んだ事がある。もちろん、運行できるところは、という事だとは思うけれど。 敗戦、無条件降伏のその...

その日とは、正午に玉音放送があり、戦争が終わったと知らされた日。 小説だったかエッセイだったか忘れてしまったが、玉音放送が流れていたその時でさえ鉄道は時刻通りに運行されていたという事を読んだ事がある。もちろん、運行できるところは、という事だとは思うけれど。 敗戦、無条件降伏のその時にさえと知った時は、 不思議な感じがした。 西川さんは、好きな作家さんのひとり。最近さてさてさんが、読んでいるなと思っていたら、知らなかった本作のレビューを登録されて、急いで図書館予約しました。 この作品は西川さんの伯父の手記からの小説化。 広島の出身で、初年兵として訓練中に敗戦となり、この汽車で故郷に帰る。悲惨な戦争文学とは違い、少年兵が上官の命令のまま淡々と行動している。それでもやっぱり一人の若者の戦争の姿。

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2021/08/07

東京オリンピック最中の2021年8月に、大昔となってしまった戦争に想いを馳せる。劇的な出来事や哀しみだけではない、戦争の時代を形づくっている何か。いい本にまた出会えた。

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2020/12/20

戦争を経験した著者の伯父が書いた手記を元に、書いた作品。通信兵だった 主人公が終戦をどんな風に迎えたが書かれている。 そのような特殊な成り立ちの作品なので、西川美和らしさはあまり感じられなくて 淡々としている。 終戦をこんな風に迎えた人もいたんだな、と勉強になった。 ものすご...

戦争を経験した著者の伯父が書いた手記を元に、書いた作品。通信兵だった 主人公が終戦をどんな風に迎えたが書かれている。 そのような特殊な成り立ちの作品なので、西川美和らしさはあまり感じられなくて 淡々としている。 終戦をこんな風に迎えた人もいたんだな、と勉強になった。 ものすごく薄い本なので、すぐ読めます。

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2020/09/15

特別ではない、日常の延長に戦争があったんだなぁと感じた一冊。 伯父の体験という現実、東京の様子も、広島の様子も、列車の中も、訓練も、淡々と書かれていて、凄惨さを訴えるわけではなく、もっと身近に起こりうるのだと。

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2019/08/29

あとがきにも書かれているが、本作は著者の伯父の戦争体験が基になっている。陸軍特殊情報部に配属になった広島出身の19歳青年の目に戦争はどう映ったのか…。あまりにも淡々と語られるので、かえって重い印象を受ける。

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2019/08/16

あとがきにも書いてあるが、著者の伯父の体験が基になっている。陸軍特殊情報部に配属になった広島出身の19歳青年が経験した戦争とは…。淡々と語られる中にも戦争への思いが滲み出している。

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2019/06/19

12/18は 東京駅完成記念日 1914年に東京駅の完成式が。東京にちなみ、終戦の朝、19歳の僕が東京から故郷・広島へ向かう物語を。

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2019/01/20

【いちぶん】 ひとの暮らしている家や、ひとの育った山や川が、そこにあった時間や、記憶すべて、まるで無意味なものかのように、存在自体を断定するように、生きたまま根こそぎ滅ぼされていくのは、たまらない。たまらないのだ。このぼくだって。

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2017/12/30

その日とは太平洋戦争終戦の日だった。昭和20年に通信兵として軍務についた「ぼく」と同期の益岡と、一般国民より少しだけ早く日本の敗戦を知り、0525東京発の東海道本線に乗って故郷へ帰る。夜行列車が兵役の回想の舞台として良く合っている。「何一つ、自分でしようと思ったことじゃない。だか...

その日とは太平洋戦争終戦の日だった。昭和20年に通信兵として軍務についた「ぼく」と同期の益岡と、一般国民より少しだけ早く日本の敗戦を知り、0525東京発の東海道本線に乗って故郷へ帰る。夜行列車が兵役の回想の舞台として良く合っている。「何一つ、自分でしようと思ったことじゃない。だからといって何一つ、抗おうと思ったこともない。ぼくは何も考えていない。」主人公が放つこの台詞は、軍国主義の日本だけではなく、現代の日本人に蔓延する姿ではないかと思う。

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2017/08/20

「ぼく」は飛行機乗りになりたかった。でも、飛行機乗りになる には体が小さかった。中学を卒業し、家業の農業を手伝っていた 「ぼく」に召集令状が来た。 陸軍情報部の通信兵としての訓練が、東京・清瀬市で始まった。 飛行機乗りにはなれなかったけれど、通信兵として戦争に係わる ことになっ...

「ぼく」は飛行機乗りになりたかった。でも、飛行機乗りになる には体が小さかった。中学を卒業し、家業の農業を手伝っていた 「ぼく」に召集令状が来た。 陸軍情報部の通信兵としての訓練が、東京・清瀬市で始まった。 飛行機乗りにはなれなかったけれど、通信兵として戦争に係わる ことになった。 通信兵としての訓練を始めて3か月後のある日。暗号表や通信 機器を燃やせとの命令を受ける。そして、襟章や軍人手帳も。 隊の解散だった。各自、幾ばくかの現金を与えられ、故郷へ 戻るよう言われた。 そして、その日、東京駅5時25分発の汽車に乗り、「ぼく」は 隊で一緒だった益岡と共に西を目指した。 戦時中、著者の伯父が体験し手記にしたためた内容をベースに 小説として発表したのが本書である。 戦争文学というジャンルがある。そこには勿論、先の大戦で 日本が体験したことを綴った作品が多くある。前線の兵士 たちの体験であったり、東京大空襲の阿鼻叫喚であったり、 広島・長崎への原爆投下による地獄絵図であったり。 怒りが、悲しみが、恐怖が、憤りが綴られた小説群とは 一線を画した作品だ。 戦争文学としては紙数が非常に少ない。そぎ落とされた文章 は、それでも戦争の虚しさを伝えてくれる。 物語は西へ向かう汽車の中で進む。故郷へ向かう「ぼく」の 回想と、「その日」が交互に綴られている。 西へ進む汽車のなかから見たひとつの光景。停車中の汽車 から見えたのは、駐在所に続々と人が集まって来る様子 だった。 多分、それは昭和天皇の玉音放送を聞きに集まって来た 人々だったのだろう。1945年8月15日。「ぼく」は戦場 で銃を構えることもなく、召集されてわずか3か月で 終戦を迎えたのだ。 感情に走ることなく、淡々と綴られた文章はじわっと心に 広がって行くようだ。これは新しいタイプの戦争文学なの かもしれない。 「ぼく」が帰り着いたのは、8月6日に原子爆弾に焼かれた 広島だった。

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