反省させると犯罪者になります の商品レビュー
研修の最後に「振り返り」をしていると、〜が出来ず反省した、今後は〜したいと思う、といった内容のことをよく耳にします。 ただ、その反省が本当に行動変容につながっているのか、というのは疑わしい。 この本は犯罪者の事例に基づき、安易に反省を求めることにより、問題行動という形をとって現れ...
研修の最後に「振り返り」をしていると、〜が出来ず反省した、今後は〜したいと思う、といった内容のことをよく耳にします。 ただ、その反省が本当に行動変容につながっているのか、というのは疑わしい。 この本は犯罪者の事例に基づき、安易に反省を求めることにより、問題行動という形をとって現れた、本当にその人が訴えたかったことが抑圧されてしまい、その歪みがいつかどこかで顕在化する可能性がある、というメッセージを説いています。 「進捗率で計られると知ったら、人は進捗率を稼ごうとする」というのはワインバーグの言葉ですが、私たちは学校生活を通して社会に適応していく過程で、その場で求められている言動というものを察知して、対応するようになるのでしょう。 反省もしかり、振り返りも大いにその要素がありそうです。 その壁を越えるために、筆者はカウンセリング的手法を用いていますが、振り返りの場合は… 振り返りシートの設問を変えてみる 振り返りという表現をかえる 共有の仕方を変える ひとまず思いつきレベルで。 (さわ)
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問題が起きた時には、反省させるのではなく、その理由を明らかにすること、そしてその理由を他者が認めること、それが大切であり、更生に役立つということ。 確かに反省って、心底してなくても「反省してます」って口に出したり文章に書いたりできるもの。問題を起こした理由や原因に向き合い、その...
問題が起きた時には、反省させるのではなく、その理由を明らかにすること、そしてその理由を他者が認めること、それが大切であり、更生に役立つということ。 確かに反省って、心底してなくても「反省してます」って口に出したり文章に書いたりできるもの。問題を起こした理由や原因に向き合い、その理由や原因を認めることが、その後問題を起こさないようにさせられる方法だという点には納得。ただ、なかなか当人一人ではできないことだし、支援者・理解者といった存在とつながるのが大事だろうけど見つけるのは容易ではないだろう。 とはいえ、自分自身のものの考え方や行動、他者との関わりについても改めて見つめ直す機会になった。自分にとっては好著。
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子供が悪いことをした際に「ごめんなさい」と言わせて、もうしないね。と約束して終わり。を繰り返しても、結局本人は反省していないから、いつまでたっても同じことを繰り返す。 自分が子供の時怒られるようなことをしてしまった時や、ごめんなさいと誤って事態をいったんリセットさせようと思う心...
子供が悪いことをした際に「ごめんなさい」と言わせて、もうしないね。と約束して終わり。を繰り返しても、結局本人は反省していないから、いつまでたっても同じことを繰り返す。 自分が子供の時怒られるようなことをしてしまった時や、ごめんなさいと誤って事態をいったんリセットさせようと思う心境などを思い出すと、悪いことをした→反省ではなく、悪いことをした→なぜ自分はそのような行動を起こしたのかを考えさせる→根本原因がわかる→反省する。という流れでないと本当の意味での同じ過ちを起こさないような反省はできないという主張は非常に理解できる。 また現代の刑務所における再犯率の高さなどの問題点も説明している。
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「第5章 我が子と自分を犯罪者にしないために」における「正論を言ってはいけない」というのは被害者抜きの教育の現場では「正論」なのかもしれないが、人間は感情の生き物なので、被害者の前では反省・謝罪の「タテマエ」は必要でしょう。問題は親や教師までがある種の被害者になってしまって、子供...
「第5章 我が子と自分を犯罪者にしないために」における「正論を言ってはいけない」というのは被害者抜きの教育の現場では「正論」なのかもしれないが、人間は感情の生き物なので、被害者の前では反省・謝罪の「タテマエ」は必要でしょう。問題は親や教師までがある種の被害者になってしまって、子供たちを正論で糾弾してしまう事にあるのかと。これは、ほとんどの親や教師が気付かぬ内にやってしまっている事なのかもしれない。が、一般市民は犯罪者や他人の子供に対する教育義務はないので、被害者になった場合は「反省・謝罪しろ」で溜飲下げればよいわけで、要は立場によって使い分けが必要なのかと。その使い分けがキチントできていない現状に対する問題提起はちょっと新鮮に思えた。オギママやノリピー批判はある種の常識を疑うという点で面白い。
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要するに、反省だけをさせても不満がたまるだけで余計抑圧され逆効果だ、反省させる前に、どうして犯罪してしまったのか、そのたまった不満(「あいつ=被害者さえいなければ」というような否定的な感情)を徹底的に吐き出させることが必要だという話。「加害者の視点」を考えさせる前に被害者の視点で...
要するに、反省だけをさせても不満がたまるだけで余計抑圧され逆効果だ、反省させる前に、どうして犯罪してしまったのか、そのたまった不満(「あいつ=被害者さえいなければ」というような否定的な感情)を徹底的に吐き出させることが必要だという話。「加害者の視点」を考えさせる前に被害者の視点で考えさせても何もうまれないとのこと。 裁判でも「反省」しているかという視点のむなしさは、度々感じるところではある。 「迷惑をかけて申し訳ないと思っている相手」に手紙を書く練習ではなく「自分が迷惑をかけられた相手」へのロールレタリングこそまず行うべきだという。立派な反省文を書かせても、どうやったら許してもらう方向に行くかなとか有利かなとか考えて意味ない、問題行動するまでに至った鬱屈した感情を、抑え付けるだけだということ。 確かにそうだろう、たぶんそうなんだろうと思う。自分も高校のときになにかで反省文書かされた気がするけどそういう思考で書いてたからか、なにかさえも覚えてないものな。 ただ、裁判の場で、どこまでできるんだろうか。裁判所の役割ではないと割り切るしかないんだろうか。裁判所なんて、否定的な感情を言ってはいけないと考えられてれ最たる場所だろう。カウンセリングでもないし、悪いようにはしないからと言っても、成人の裁判で、否定的な感情を赤裸々に吐露する被告人なんてそうそういるとは思えない。かといって、事件についてどう考えてるかは聞かないわけにはいかないから、聞いて、反省の言葉が出てくれば、考慮しないわけにはいかない。 でも、思うのは、この本のような考え方も広く知られたらいいなあということ。 奇をてらった題名だなあと思ったけど、思ってた以上に、入ってくる本だった。
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例えば裁判での被告人の様子が報道される。 「反省の弁がない、改悛の情が見られない」 こんな犯罪を犯しておいて反省しないのか!と人は皆思うことだろう。勿論自分も含めて。 被害者感情に寄り添い、世論におされて厳罰化に向かいつつあるこの状況において、加害者の視点から受刑者更生支援に関...
例えば裁判での被告人の様子が報道される。 「反省の弁がない、改悛の情が見られない」 こんな犯罪を犯しておいて反省しないのか!と人は皆思うことだろう。勿論自分も含めて。 被害者感情に寄り添い、世論におされて厳罰化に向かいつつあるこの状況において、加害者の視点から受刑者更生支援に関わる著者が「反省させる」ことの弊害を論じる一冊。 「悪いことをした」という意識がない人間にいくら反省を促しても意味がない。 原因を追求せずに反省だけさせることにより、何故自分は悪いことをしたのか分からないまま更に自分を抑圧させてしまう。 生まれてからの人生を掘り起こし「自分が親や周りから実はして欲しかったこと、言って欲しかったこと」を考えさせ吐き出すことにより、自ずと相手の気持ちを斟酌出来るようになるプロセスは、目から鱗だ。 覚醒剤に手を出した人が「自分が弱かったから」と答える例を挙げているが、人は皆元来弱い存在であり、「弱いから」犯罪を犯すのではなく、その弱さには何か必ず原因があるはずだという。 受刑者のカウンセリングをすると、ほとんどが子供時代に親から愛されず虐待されたり育児放棄されたりして育つ人が多いのだとか。 子供時代「ありのままの自分」を受け入れてもらえなかった子供は、自分を大事に出来ず人を頼ることも出来ない。よって人間関係を上手く築くことが出来ないので仕事も続かないし、近づいて親しくしてくれた人に依存し、断れなくて薬物に手を出したりする。 勿論それだけを理由にするのは本末転倒だし、法を犯したからには罪を償うのは当然だが、加害者の視点からの見方は新鮮だ。 「更生」とは生き直すこと。正す「更正」ではない、という著者の言葉が重い。 堀川惠子著「永山則夫 封印された鑑定記録」 山本譲司著「累犯障害者」 美達大和「死刑絶対肯定論」 これらを読むと、この一冊が更に意味を持ち、深く入ってくる。
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反省させることは抑圧を生む。 上手な反省文を書かせることより 自分の内面と犯罪を起こした理由を丁寧に見つめさせることが大切。 人は本音を受け止めてもらえることで初めて相手の気持ちを考えられる。 どんなに重い罪を犯していても、初めに反省を求めることは逆効果。 心を閉ざし、模範的な...
反省させることは抑圧を生む。 上手な反省文を書かせることより 自分の内面と犯罪を起こした理由を丁寧に見つめさせることが大切。 人は本音を受け止めてもらえることで初めて相手の気持ちを考えられる。 どんなに重い罪を犯していても、初めに反省を求めることは逆効果。 心を閉ざし、模範的な反省の言葉を述べるだけで、本当に被害者のことを深く考えてはいない。 本書を読んで、刑務所での「矯正教育」と今の学校教育は、基本的な方向性はとても似ていると思った。 子どもをしつけ、服従させ、問題行動には反省のみを求める。 そのような威圧的な姿勢は誰にも幸せをもたらさないどころか、犯罪につながる可能性が高まるのだと解った。 「ありのままを受け止める」姿勢で子どもと接していきたいし、自分自身も本音を抑圧せずに生きていきたい。 いじめに関する教育で、「加害者の視点」を大切にする、という話が印象深かった。
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反省しちゃだめ、という本ではなくて、「反省」している人は反省していない、というのが主旨。そりゃもっともだ。自首はともかく、逃げまわって捕まった犯人がそれからおもむろに反省なんかするわけがない。捕まったことを反省することはあるかもしれないけど。謝ってみせることと反省することとはほと...
反省しちゃだめ、という本ではなくて、「反省」している人は反省していない、というのが主旨。そりゃもっともだ。自首はともかく、逃げまわって捕まった犯人がそれからおもむろに反省なんかするわけがない。捕まったことを反省することはあるかもしれないけど。謝ってみせることと反省することとはほとんど関係がないのだ。言われるまでもなく。 ちょっとわからないのがその先。上辺だけで謝るのではなく、本音を言わせると結果として反省に結びつく、というのだけれど、そこの関連性がよくわからない。問題行動を起こした子供や、収監された犯罪者のケアに長くやった著者の経験則、ということなのだろうか。万引きやいじめがストレスのはけ口になってる子供と、大人の窃盗犯や殺人者は違うんじゃないと思うのだけれど。 囚人作家、美達大和への言及が何度も出てきてちょっとびっくり。この人の本、先日読んだばかりだ。美達は別の道を辿って本当の反省に行き着いた数少ない例のひとつ。
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※このレビューにはネタバレを含みます
怒られて、反省しろ!…と、言われたとき、 皆さんはきちんと反省してましたか? それとも、心の中で舌を出しながら、「反省した振り」を していましたか? …おそらく後者の経験の方が多いはずです。 そして、「反省した振り」がうまい人ほど、 世の中をうまく渡ってきたことだと思います。 そういったいわば「反省主義」は、一体どのような反動を生むのか…? 必読の一冊。
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「反省させる」ということの問題点を筆者は論じています。 筆者が行っている服役囚の更正プログラムから得た知見を存分に発揮しています。 「結局筆者がプログラムを担当した服役囚は、他の服役囚と具体的にどう違うのか」という疑問は残りますが そういった点を勘案しても、読んでよかったと感じるところが多いです。 この本の中にあった「自分の弱さから、覚せい剤に手を出してしまった」という理由についての考察があります。 「なぜ覚せい剤に手を出してしまったの?」という問いに対して「自分が弱かったから」という理由を述べたりします。 しかし人間はそもそも弱いものであり、理由になっているようでなっていません。 「自分が弱い」と言うのは実はもう少し突き詰めて考えることができます。 例えば覚せい剤使用者の場合、仲間外れにされるのが怖くて始めてしまった。という理由が考えられます。 この場合には確かに始めた理由としては自分が弱いからというのは正しいのでしょう。しかしもっと突き詰めると 「一人になるのが怖い」が根源的な理由なのだと考えられます。 こういった考察には目から鱗が落ちました。 反省する、反省させられる根源的な理由が曖昧なのに、果たして本当の反省ができるのでしょうか。 私自身、反省の場面で「自分が弱かった」で納得してしまったり、させられたりすることもあり得ます。というかむしろしてきました。 この本を読んで、今まで自分がしてきた、そしてさせてきた「反省」に対するなんというか漠然として釈然としない感じの理由が少しだけ掴めた感じがします。 きっとこれから反省をする、させる場面に遭遇した際にふと頭をよぎるような気がします。 「反省させると犯罪者になります。あなたのその反省は本当に大丈夫?」 繰り返しになりますが読んでよかったです。 ご一読をお勧め致します。
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