1,800円以上の注文で送料無料

妻の超然 の商品レビュー

3.8

35件のお客様レビュー

  1. 5つ

    5

  2. 4つ

    11

  3. 3つ

    10

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2016/02/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2016年、11冊目です。 絲山秋子の小説です。 彼女の作品は、過去「沖でまつ」「逃亡くそたわけ」などを読みました。 我々のそぐそばにある日常を舞台に、僅かに周りの人との間にある齟齬が、 歩む道筋に大きな影響を与えていく。でもそこでたどり着いた先は、 渇して無意味なものでなく、少し心が軽くなる着地点にたどり着きます。 「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の3つの小編から成っています。 「妻の超然」では、50歳前後の子供のない夫婦で、夫が若い女と浮気を している。妻は気付いていて、夫との関係を”超然”と捉えて知らないふりをしている。 しかし、最後に、超然といって相手の考えていることを考えることをせず、 同じ時間を生きようとしない自分の生き方は、”超然”ではなく、”怠慢”なのではと気づく。 確かに、超然や諦観は、ある種の無関心から成り立っている精神状態だと思う。 ”超然”という言葉の解釈やその役割は多様だが、思惟するにはいいきっかけだ。 「下戸の超然」は、お酒を飲めな男性の生き方を、恋人との出会いと別れの流れの中で描いている。 私自身も”下戸”であるため、作中の主人公の心境には、共感できるところも多い。 会社生活で苦労した点も類似している。私の場合は、加齢による病気もいくつかあり、 多種類の処方薬を服用するようになったので、飲み会の席でも、 ”酒飲んだら死んでしまう”といって、お酒に口をつけなくて済むようになりました。 主人公は、下戸であるが、彼女が酒を飲むことには全く抵抗がない。 それを非難することもしない。彼女は積極的なボランティア活動をしており、 下戸の彼を引きだそうとするが、彼自身は、そういったことに感心も無く、彼女に合わせようとも思わない。 この辺りが下戸の超然立つところなのだろが、 「恵まれない子どもたちに幸せなバケーションをプレゼントする」という彼女の参加する ボランティアの目的には文句のつけようがない。 けれども「疑いようのないこと」というものに僕はなにかうつろなものを感じてしまうのだ。 これが、主人公の下戸である彼の超然なのだと感じた。 最後の「作家の超然」は、主人公である作家が、首の腫瘍を摘出する手術の前後で考える 人間関係や社会と自分との関係性を描いている。 ちょうど私も手術直前に読んだので、なにか他人事のような気がしませんでした。 こんな一説がある「今は、病気がおまえを生かしている」。 まさに、自分でなく、これからは”病気が自分というものよりも優先されるものになっていくんだ。 まさに超然かもしれないですね。 おわり

Posted byブクログ

2016/02/01

収録されている「下戸の超然」がいい。美咲の危うい感じとか、二人の関係が壊れるぞ壊れるぞってゾクゾクさせられる感じとか。巧いなー。

Posted byブクログ

2015/11/17

超然という意味を知らずに、ばかものがおもしろかったので読みました。 それぞれの超然とする様はみっとも無いような、意地っ張りのような居心地の悪さがとても読みやすかったです。 伝わるとすればせいぜいそれは愛想だろう。

Posted byブクログ

2015/08/19

一気に読了。描写力というか表現力というか少ない言葉でも伝わってくるのは流石だ。すごくよくわかるなあ。

Posted byブクログ

2015/08/19

超然と題して三作品が収録されている。「妻の超然」では、男という小さな生き物が、妻の手の内で転がっているさまが可笑しくて可愛らしい、実際には、妻には何もバレてないと思っているんだけど、妻はそれを知っている、それでいて冷めきった夫婦生活を過ごしている。「下戸の超然」は一番共感できた。...

超然と題して三作品が収録されている。「妻の超然」では、男という小さな生き物が、妻の手の内で転がっているさまが可笑しくて可愛らしい、実際には、妻には何もバレてないと思っているんだけど、妻はそれを知っている、それでいて冷めきった夫婦生活を過ごしている。「下戸の超然」は一番共感できた。やりたいことを押し付けてくる人っているよね、それを分かってあげることが出来ないと(分かっていても同調できないこともある)自分だけが被害者の様になる。無理なものは無理だし、言われなくても挑戦している。ポジティブな不毛とは上手くいったなと思う。下な話、そういう関係に限って、そういう事は熱心にやる。最後の「作家の超然」は難しかったけど、作家が書いた作家の超然っていうのは内心を描いている様で、作家の一面を垣間見れた気がした。

Posted byブクログ

2014/10/18
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

この著者の本は初めて. 歳をとるごとに諦めが人生を覆い,超然とならざるをえなくなる.そうならないためには膨大なエネルギーがいる. そういうことを実感してしまうと,この小説はやりたくもない復習をしている感じ.そういう気持ちにさせてしまうほど,うまくかけてることなのかも.

Posted byブクログ

2014/07/02

小説のような、絲山氏の主張を込めたエッセイのような、とにかく言いたい放題の作品でした。 絲山氏らしくて良いです。

Posted byブクログ

2014/06/11

超然、とは。超然とはなにかなんて、普段は全く思い至りもしないのだけれど。あえて超然を選び、超然であるということについてとことん追求するということ。その前衛性の素敵さにくらくらとする。3つの超然がててくるが、表題の妻の超然は実験的な手法もあり、はっとさせられるような鋭さがあり、これ...

超然、とは。超然とはなにかなんて、普段は全く思い至りもしないのだけれど。あえて超然を選び、超然であるということについてとことん追求するということ。その前衛性の素敵さにくらくらとする。3つの超然がててくるが、表題の妻の超然は実験的な手法もあり、はっとさせられるような鋭さがあり、これこそがわたしの愛する小説であり。作家の超然における、突き放した二人称がとても楽しい。作家であるおまえは、と突き放すひとそれ自身が作家であるという構造のおかしみとストーリーの痛切さ。とにかく素敵な。

Posted byブクログ

2014/02/26

 『妻の超然』『下戸の超然』『作家の超然』の三作品が収録されている。  表題作の『妻の超然』は多少ユーモラスながら、最も近い他人である夫との距離のあるコミュニケーションと、つかず離れずの友人、そして敬愛する料理の先生との部分的な共有を持った関わりを三人称で描く。『下戸の超然』は酒...

 『妻の超然』『下戸の超然』『作家の超然』の三作品が収録されている。  表題作の『妻の超然』は多少ユーモラスながら、最も近い他人である夫との距離のあるコミュニケーションと、つかず離れずの友人、そして敬愛する料理の先生との部分的な共有を持った関わりを三人称で描く。『下戸の超然』は酒の呑めない男性の一人称である。これらは作家自身とは全く別の世界に生きる人物のフィクションで、それは「小説」というものの形態としてはごく普通のものなのだが、最後の『作家の超然』では主人公である作家を「二人称・おまえ」で描いてある。  前二作を読んだ後に、この『作家の超然』を読むという順番にも意味がある。状況を距離を置いて見るように三人称で描かれた『妻』は、夫との関係をあれやこれや考える。それをまるで観察するかのように突き放す。一人称で描かれた『下戸』は独身男性の恋人や職場の友人、実家の家族との関係を客観的な目でもって主観的に描いてある。これらは作家自身とは違った生き方をする人の「孤独」について坦々と描いてある。  そこで三作目の『作家の超然』に読み進むと、「おまえ」と呼ぶまるでもう一人の「自分」が冷徹に畳み掛けるように語る。「孤独」を飼いならし、「超然」と居ようとし、仕事をこなしていく日々と、良性の腫瘍の摘出手術を通して、これでもか、というほどの自身への「客観視」がある。そこには、前の二作で描かれた虚構でありながら、作家“ではない”別の世界を描くことによって、より輪郭が明確化された「作家」の内的世界と外の世界の隔絶と孤独が現実感を持って現される。  もちろんこれもフィクションであり、現実の作家自身ではないのだが、その仕事「文学」の状況と自身の立場を客観的に彫り出す。「良性腫瘍」という異物を摘出するという身体の痛みを伴う出来事と、作品を描くということの共通性を感じた。そして、その産みだされる「良性腫瘍」は、前二作では子を持たない妻と独身男性という“産みださない”状況との違いを明確化し、文字通りに「身」を削る。  絲山作品において毎回感じるのだが、ロマンチシズムやメランコリックなセンチメンタリズムの「湿気」を排除した「孤独」のありようが、追い込んでくる凄みと、誤魔化しようのない人の持つ当然の「孤独」を描きだしている。

Posted byブクログ

2014/02/14

妻の超然、下戸の超然までは、面白く読んだ。 でも、作家の超然がよく分からないまま終わってしまった。読後感はいまいち。 下戸の超然、女性の身勝手さがすごくうまく描かれている。まるで自分を見ているかのようだった。

Posted byブクログ