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1Q84 BOOK 3(前編) の商品レビュー

3.8

228件のお客様レビュー

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2025/11/26

村上春樹は20年近く続けてきた一人称「僕」で小説を書くことがだんだん息苦しくなってきて、『ねじまき鳥クロニクル』(1994)を最後に、三人称での語りを取り入れたみたい(参考文献:村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫) 『1Q84』は、カルト集団のリーダーを暗殺した青豆と、青豆...

村上春樹は20年近く続けてきた一人称「僕」で小説を書くことがだんだん息苦しくなってきて、『ねじまき鳥クロニクル』(1994)を最後に、三人称での語りを取り入れたみたい(参考文献:村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫) 『1Q84』は、カルト集団のリーダーを暗殺した青豆と、青豆と特別な関係を持つ天吾の2人の三人称の語りで交互に物語が進んできたけど、この巻からはまさかの牛河(カルト集団に雇われた醜い容貌の追跡者)の語りも加わった! 青豆と天吾の周囲には時空や次元を超える不思議な世界があるけど、そこに現実世界の牛河が加わることで、スイカに塩をかけて甘さを引き立たせるような効果が生まれた ところで、安達クミという登場人物が自分のことを、「パッとしない名前でしょ?」と言うシーンがあり、なんで??としばらく考えてたけど、名前の最後に"ん"を付けたらっていうこと!?(まさかまさか) Haruki Murakami gradually found writing novels in the first person using "boku" (I), which he had continued for nearly 20 years, to be increasingly stifling. After "The Wind-Up Bird Chronicle" (1994), he began to incorporate third-person narration (Reference: Haruki Murakami, "Novelist as a Profession," Shincho Bunko). In "1Q84," the story had progressed alternately from the perspectives of two characters: Aomame, who assassinated the cult leader, and Tengo, who has a special relationship with Aomame. However, from this volume onward, unexpectedly, the perspective of Ushikawa (an ugly tracker hired by the cult) was added! Around Aomame and Tengo exists a mysterious world that transcends space, time, and dimensions. By adding Ushikawa's viewpoint from the real world, it created an effect like sprinkling salt on a watermelon to enhance its sweetness. By the way, there is a scene where a character named Kumi Adachi says, "Isn't it a dull name?" I wondered why for a while—but does it mean that adding the syllable "n" to the end of the name would change that!? (No way, no way)

Posted byブクログ

2025/11/16
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とても冗長的に感じ 読みにくい一巻でした 牛河の章は必要なのかな 非合理的な嗅覚?そこまで見抜けるか… NHK訪問員の話もいちいち長いし ここまで良いテンポて来てた気がするのに クライマックス前に何が意味があるのかな

Posted byブクログ

2025/10/13

ある種、秩序やルールが存在する世界 それは、体系的に描かれた文学の世界そのものであり尚且つ我々が向かい合う社会構造そのものである。 それが能動的に襲ってくるということが起きないだけで つまりはデタッチメント的側面で生きていても社会との接点や、その牙から掻い潜ると言うことは上手く実...

ある種、秩序やルールが存在する世界 それは、体系的に描かれた文学の世界そのものであり尚且つ我々が向かい合う社会構造そのものである。 それが能動的に襲ってくるということが起きないだけで つまりはデタッチメント的側面で生きていても社会との接点や、その牙から掻い潜ると言うことは上手く実行することはできないのだ。 秩序は個人を強制的に社会に同居させそれはある種困惑を産むかもしれないが、それは適合も産む 変化は進化であり、退化も進化なのだ。 村上春樹がエルサレム賞でしたスピーチ 卵と壁 まるで、ルールは壁で個人は卵である。 それを体現しているかのように理不尽に、天吾と青豆の元に秩序は襲いかかる -------- 2人は世界の秩序に飲み込まれて言ったかのように見えた しかし、それは秩序ではなく元から存在した不確かで意地悪ななにかであった 人間は生まれながらにして、家庭や教室という秩序建てされた環境での生活を強いられる (例えば青豆で言えばカルトである) つまり、我々はいくら社会と距離を取っていたとしてもそれと生まれた時から結びついて言ってしまっているだ 簡単に言えばデタッチメントはこじんでの成立も破綻している それがわかった巻であった しかし、それを法を犯そうした途端に彼らに牙を剥く 殺人罪、そして虚偽の詐欺罪 彼らが無意識に潜在的に犯した罪こそが彼らを秩序なき1Q84の世界に導いたのだと確信をする。 その世界で個人的な社会である、自分と向き合い社会との接点を上手く得る 今度は社会との接点、そして理不尽なまでに牙を持った1Q84の世界との仲直りだ これを読んでいた際彼らに必要なのは正常の生活に戻ること、 つまり彼らが理想として掲げて生活する個人地味た生活に戻ることだと思っていた しかし、そうでは無い、彼らに必要だったのは社会との和解だったのだ。 牛河についても面白い、ねじまき鳥クロニクルの牛久を思い出すが、彼を醜いと稀有する人々により彼は自分を醜いと定義している。 それはある種の生きやすさを彼に産んでいる 不動産でやけに信用された際には彼が新人だからなのかと思い込む描写が描かれる。 しかし、それは違う。本質的に牛河が醜いかは彼が語る彼自身にか定義されていないのだ。 それが面白い。その構造が面白い ルールや社会は他人が決めているのもである種距離をとって生活をする、しかし、それを無くして生きることは出来ないという現れなのだ。 とにかく次巻で完結だ ポストモダン的な彼らは世界とどのように接点を見つけるのか、それとも社会へのデタッチメントを貫く為の何かを見つけるのか 村上春樹は何を思うのか とても楽しみである

Posted byブクログ

2025/08/17
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・首都高でヘックラー&コッホによる自殺を図ろうとした青豆を呼び止めたのは、青豆に聴こえた遠くから自身の名前を呼ぶあの声は空気さなぎの中の10歳の青豆に名前を呼ぶ天吾の声だったのかと気づいたとき、本当に素敵だと思った。これ以上ない伏線回収でかつこれ以上美しい愛がそこにはあると思った。登場人物である2人が気づいていないだけで、そこには既に愛はあるのだと思う。 ・天吾が猫の町に行く前、天吾も青豆も高円寺の街でお互いを想い続けるシーンは、個人的にミスチルの「君が好き」を挿入歌にしたいと思った。この小説の主題歌がヤナーチェックのシンフォニエッタだとしたら挿入歌は君が好きで間違いないと思う。 ・青豆って雅美だったんだ。なんかわりと納得。実写やるなら長澤まさみにやってほしい。 ・牛河は青豆も天吾もそして自分自身も、「無条件で自分を受け入れ、抱きしめてくれるような何かを求めていた」と推測するがこれには深く共感した。私もそれを求めているから。 P.S.とにかく牛河の存在感が強い一編だったとも思う。 牛河はもうお腹いっぱい。

Posted byブクログ

2025/08/05

青豆と天吾が出合いそうで出会わない、ちょっとやきもきする展開が続きます。そして牛河がどんどん存在感を際立させてきます。表現のうまさもさることながら、ときどき意味が分からない表現が出て着るのも村上春樹さんの良さなのでしょうね。

Posted byブクログ

2025/07/07
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(全巻同じレビューを入れています) ・・・ なんだか本作、キャラの作り・彩りが他の作品より豊富かつ精緻であったと感じました。 ・・・ 一番感じたのは天吾。 天吾は、これまでの村上作品でいうところの「僕」に当たると思います。 たいてい「僕」は文筆・広告関連、或いは飲食関連を生業にしつつ、音楽好き・思想や文学をそらんじ、気怠く生きつつも(あるいは彼なりに模索をしつつ)女性と交わりつつ、そして世の中のフシギと対峙し、最終的に大団円を迎える、みたいな感じでした。そんな彼ですが、不思議とどういう背格好かとか、そういうのは記述がなかったんですよね。まあそれはそれで味がありました。自分を重ねて読むこともできました。 でも今回の天吾は家族構成、身体的特徴(柔道耳!)、大柄でスポーツも数学的センスも(実際は音楽センスも)あり、とにかく器用であることなど、非常に細かい設定であったと思います。よくも悪くも、自分を投影するキャラではなく、外から眺めるべき主人公でありました。 ・・・ もう1人の主人公青豆はややラフな作りこみで、彼女の家族の話は余り描かれず、むしろ柳屋敷の女主人やタマルなど、遊び友達の中野あゆみなど、周囲の際立ったキャラとともに物語を彩り深いものにしていたと思います。 もう1人、やはり出色のキャラは牛河でしょう。本作で一番印象深いトリックスター(という程ではない!?)だったかと。実は司法試験合格者とか医者の家の子だとか。こういうのは初めて読んだときに記憶に残りませんでした。 でも彼のこと、他の作品でどっかで読んだ気がしたけどどこで見たんだろうと、気になって仕方なく、googleで検索したら『ねじまき鳥クロニクル』 (1994)で出ていました。そうそう、「僕」の元を離れた奥様の兄の綿谷ノボルの秘書としてでした。 ・・・ その他、ふかえりの育ての親の戎野先生、編集者の小松など、かなりエッジのたったキャラが自然な形でそのポジションを占めていたと思います。 あと、17歳で文学賞を受賞したふかえり、あれは綿矢りささんが高校生で芥川賞を受賞したことの影響じゃないかとか、さきがけ・あけぼのってのもオウムの影響じゃないかとか、諸々想像させるところがありましたね。 ・・・ もう一つ。終わり近くまで殆ど考えませんでしたが、タイトルについて。 本タイトル、もちろんかのディストピア小説の『1984』を承けたものでありますが、本作は「9」「Q」になっており、一種のパラレルワールドへ迷い込んだという設定です。実際にはパラレルではないとの説明がありましたが。 で、天吾と青豆は会えそうで会えないすれ違いを、結構延々と、最後の最後まで繰り返すのですが、最終巻の第三巻に至ってまだ会えないところで、私気づきました。 そう、この物語は年末までに終わらねばならない。なぜならば、タイトルがそうだから。85年を跨がないように、タイトルが84年となっている。 実は第一巻は4-6月、第二巻`は7-9月、第三巻は10-12月とサブタイトルが振られています。そしてキチンをけりをつけるべく、収束していったことに感心した次第です。 上手く表現できませんが、何というか、タイトルの制約を内容に反映させた?ような作りが面白いと思いました。 ・・・ ということで村上作品でした。いやー長かった。10日間弱、読むのにかかりました。 ところで、私の初めて読んだ村上作品は『ノルウェイの森』(1987)でした。そして帯には『究極の純愛』とか何とか書いてあったと記憶します。 そこから20年を経て上梓された本作、これもまた『究極の純愛』と呼んでも良い作品であったと思います。 堪能致しました。

Posted byブクログ

2025/06/01

ちょい役だと思われた牛河が独立した章として牛河目線も入ってくる。 牛河はこの1Q84の世界を破壊するものなのか、それともまさかの救世主なのか。それともただの醜い一登場人物なのか。

Posted byブクログ

2025/05/23

牛河目線が追加された 教団は必死に青豆を探している。牛河は麻布の柳屋敷の老婦人を調べるところまで辿り着いている。ハラハラ。 青豆、死んでなかった〜よかった、引き金を引こうとした時に聞こえた青豆の名前を呼ぶ声は、父親のベッドの空気さなぎの中の青豆に呼びかけていた天吾の声かな?青豆は...

牛河目線が追加された 教団は必死に青豆を探している。牛河は麻布の柳屋敷の老婦人を調べるところまで辿り着いている。ハラハラ。 青豆、死んでなかった〜よかった、引き金を引こうとした時に聞こえた青豆の名前を呼ぶ声は、父親のベッドの空気さなぎの中の青豆に呼びかけていた天吾の声かな?青豆は天吾に会えることを願う。公園を監視する日々が始まった。年内までは今の家に潜伏して良いことになった。 天吾が父親の療養所に通うために近くの宿を借りる。小説を書き、父親の見舞いにいく日々。 看護師たちが天吾に興味を持ち始める。 ふかえりのとこにも青豆のとこにも来るNHKの集金人がこわい。小松さんの様子が変わったのも気になる、 天吾が3人の看護師と焼肉食べて飲んでスナック行った帰りに、いちばん若い安達看護師が大麻吸おうって言い出したのこわすぎた、ドウタとかマザとか言い出したのも怖くて震えた。 しかも吸うなよ、天吾!でもその幻覚?のおかげでまた青豆に会えた。怖かった〜 牛河がついに天吾と青豆が同級生なの知った。確実に近づいて来てる。。今後は天吾に張り付くらしいよ!!やばいよやばいよ!! 青豆、性行してないのに妊娠してた〜びびった〜 嵐の夜に、青豆がリーダーに死を与えてあげたから、代わりにリーダーが青豆の欲しいものをあげたってことか。そして天吾がふかえりに射精したやつが、なんか分からんけどふかえりを通して青豆に届いたってこと? 徐々懐胎。マリア様ってこと? どんな話やねんまじで、すごいな思考 天吾パパが、意識を肉体から分離してどこか別の世界にうつして、そこで自由に動き回っている?? 牛河は、醜い容姿について考える。自分の容姿が普通だったら、もっと人生は違っていたのか?と。 青豆も、自分が普通の少女時代を送れたら、と考える。 天吾も、普通の食卓を知らない、と振り返る。 3人それぞれが、自分の過去について考える。 青豆が妊娠して孤独を感じなくなった。 老婦人はあの嵐の青豆がリーダーを殺した日から、憎しみが消えていった(暴力を振るう男に対しての)らしい。憎しみが消えた代わりに赤ちゃんが青豆の元に来たのか。 天吾が千倉の療養所から帰ってきたらふかえりは姿を消していた。牛河の監視が始まっている。(彼は天吾のマンションに部屋を借りて天吾を監視し始めた) 天吾は小松に会う。 小松、誘拐されてたらしい。 小松が語りだす、、ところで五巻終わり。 「色はピンクだが、どこか間違った色を混ぜ込まれたような、不思議なピンクだった。おそらくは品のいい落ち着いた色調が求められていたのだろうが、意図が果たせぬまま、そのピンクは気後れと韜晦(とうかい)とあきらめの中に重く沈み込んでいた。おかげで、襟元からのぞいている真新しい白いブラウスは、まるで通夜に紛れ込んだ不謹慎な客のように見えた。」 牛河が青豆と天吾の小学校時代の担任に会う時。教師の服の「ピンク」についてこんなに表現できる?!て感動した 「直感に対して俺は敬意を払う」とタマルは言う。 「あなたの人生がどんなものだったのか、そこにどんな喜びがありどんな悲しみがあったのか、よくは知らない。しかしもしそこに満たされないものがあったとしても、あなたは他人の家の戸口にそれを求めるべきじゃない。たとえそこがあなたにとってもっとも見慣れた場所であり、それがあなたのもっとも得意とする行為であったとしてもだよ」 リーダーの言葉を思い出す青豆 「光があるところには影がなくてはならず、影のあるところには光がなくてはならない。光のない影はなく、また影のない光はない。リトル・ピープルが善であるのか悪であるのか、それはわからない。それはある意味では我々の理解や定義を超えたものだ。我々は大昔から彼らと共に生きてきた。まだ善悪なんてものがろくに存在しなかった頃から。人々の意識がまだ未明のものであったころから。」 神とリトル・ピープルは対立する存在なのか。それともひとつのものごとの違った側面なのか? 青豆にはわからない。彼女にわかるのは、自分の中にいる小さなものがなんとしても護られなくてはならないということであり、そのためにはどこかで神を信じる必要があるということだ。あるいは自分が神を信じているという事実を認める必要があるということだ。

Posted byブクログ

2025/05/16

牛河視点の物語が交差してくる展開は意外だった。最終巻で革新的なところにまで繋がってくる人物なのだろうか。。? 青豆が妊娠していることがわかった所からもうなんでも好きにやってくれ感~が、、笑 これは村上春樹にとっての世界を巻き込んだ壮大すぎる純愛物語なんですかね。

Posted byブクログ

2025/04/03

残すところ後1作となった1Q84。まだまだ多数の謎に満ちており、続きが実に気になります。残り400ページ足らずでどのような結論に行き着くのか楽しみです。

Posted byブクログ