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ピダハン の商品レビュー

4.1

123件のお客様レビュー

  1. 5つ

    40

  2. 4つ

    39

  3. 3つ

    24

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2012/12/30

ピダハンはアマゾンに住む先住民族。著者はプロテスタントの伝道師として家族を連れてピダハンの村に入る。そこで著者が体験したことが紹介されている。 著者は、言語学者であり、本書の大半は伝道のことではなく、ピダハンの言語を習得することについて書かれている。 しかし、アホである。何故に家...

ピダハンはアマゾンに住む先住民族。著者はプロテスタントの伝道師として家族を連れてピダハンの村に入る。そこで著者が体験したことが紹介されている。 著者は、言語学者であり、本書の大半は伝道のことではなく、ピダハンの言語を習得することについて書かれている。 しかし、アホである。何故に家族で行くのか。奥さんと子供がマラリアにかかって死にそうになったりする。また、アメリカ人特有の脳天気さや自己中心さでたびたび危険な目にあっている。せめてもの救いは本人がそれを認識していることか。一応、異文化に触れて「もしかして俺達アメリカ人ってのは多人種からは横柄で嫌な奴と思われている?」くらいの空気は読めているようだ。 しかし、最もアホなのは布教活動なんて前時代的なことをしていることである。パクスアメリカーナなやつらはほんと自分たちの価値観は絶対だと思っているからな。しかし、最終章で著者は信仰心が ゆらぎ、信仰を捨てることになる。ピダハンの影響で、だ。ピダハンすげー。 ピダハンは村のリーダーを持たず、特別な法律もないが、ちゃんと秩序を形成して平和に暮らしている。唯一の法は「追放」くらいなものだが、それもめったにない。原始共産制でもなければ、封建主義でもなければ、ましてや資本主義でもない。村のまとまりや結束力はあるが、縛られているわけでもなく、ごく自然にまとまっている。強大な危機や天敵もなく、生活を脅かすものがないからかもしれない。

Posted byブクログ

2012/12/03

・ウウーアイーガイー(ピダハン語の真似) ・前半はアマゾンの奥地に踏み込んだ学者のフィールド・ノートとして非常に楽しんで読める内容。ピダハンの言語、生活様式、風俗など全てが驚きの連続。 ・後半は言語学に更に踏み込んだ内容で難易度が高い。中でも印象的なのは、文化は言語によって作られ...

・ウウーアイーガイー(ピダハン語の真似) ・前半はアマゾンの奥地に踏み込んだ学者のフィールド・ノートとして非常に楽しんで読める内容。ピダハンの言語、生活様式、風俗など全てが驚きの連続。 ・後半は言語学に更に踏み込んだ内容で難易度が高い。中でも印象的なのは、文化は言語によって作られるという箇所(受動態が多い言語の社会では物語自体が何かが発生しそれに巻き込まれると言う傾向が強い、など)。認識は学習される、これは実感としてあるなあと。結局借り物の英語を俺が話しても本当に英語環境で育った人たちとは認識を共有できないんじゃないか、というのが自分自身でも出しつつある結論なので。けど、だから外国語喋るのが面白いんだけれども。 ・持ちすぎて窮屈になった我々現代人の生活と、全く持たずに幸せに過ごすピダハンの生活とどっちが素晴らしいか、みたいな話には興味は無い。それって結局ないものねだり(ピダハンは無い物ねだりをしないところがおそろしい)の一種だし、そうでないならヒッピーにでもなればいい。なので、「ああいいなあピダハン」ではなくて「おっもしれえなあピダハン」が自分の感想。 ・今の日常がある中で小窓から覗く別世界、あるいは時折訪れてみる非日常が自分にとっては一番楽しいのです。

Posted byブクログ

2012/12/01

我々の認知と彼(ピダハン)の認知のあまりの違いに驚いた。 言葉や習慣の違い、考え方の違いでは、 説明のつかない脳構造の差のようなものを感じる。 このピダハンなど少数民族の研究がもっと進めば、 幸福になれるヒントみたいなものに近づける気がする。

Posted byブクログ

2012/11/11

ようやく読めた!面白かった! 人類学の研究成果は論文のかたちで発表されてても、研究者以外はなかなか学術論文に触れる機会がないので、こういった一般書で刊行されることには大きな意義があると思う。 民族誌パートでは、アマゾンで暮らすことの困難さや危険な体験も交えて読みやすく、言語学パ...

ようやく読めた!面白かった! 人類学の研究成果は論文のかたちで発表されてても、研究者以外はなかなか学術論文に触れる機会がないので、こういった一般書で刊行されることには大きな意義があると思う。 民族誌パートでは、アマゾンで暮らすことの困難さや危険な体験も交えて読みやすく、言語学パートは若干専門用語が混じるものの、有名なチョムスキー理論の批判となっていて刺激的である。 学生時代に言語学の授業でチョムスキーやらピンカーやらUGやら習ったけど結局ぴんとこなくて挫折した身としては、こちらのほうがしっくりくる。言語はそれだけを切り離して見ているのでは十分に理解できなくて、話者の暮らす生活環境や世界観、文化・習慣と密接に絡み合っている…ってそりゃそうだろ、という話なのだが、普遍文法なんかがもてはやされて以降、そういった視点を欠いた研究が主流となってしまった背景があったという。 p.307に認知、文法、文化の関係についての研究をまとめた表があるが、サピア・ウォーフの仮説や筆者の研究、チョムスキー理論などを概観するにつけ、どれか一つの至上主義に陥ってしまうと、間違いを犯す、と思う。 ピダハン語でいちばん衝撃的だったのは、子音がかなり自在に入れ替わるという点。声調がこれだけ意味に影響している言語というのは、どんな響きがするものなのか… 一度聞いてみたい。

Posted byブクログ

2012/11/08

ブラジル、アマゾンの奥に住む少数民族、ピダハン。難解な言葉、独特の文化を持ち、狩猟採取生活を続け、その生活に誇りを持ち続けている民族。しかし、彼らはもはや数百人しかおらず、その言葉も絶滅の危機に晒されている。 まずは宣教のために彼らとともに暮らし、言葉を学んだ著者。ジャングルの冒...

ブラジル、アマゾンの奥に住む少数民族、ピダハン。難解な言葉、独特の文化を持ち、狩猟採取生活を続け、その生活に誇りを持ち続けている民族。しかし、彼らはもはや数百人しかおらず、その言葉も絶滅の危機に晒されている。 まずは宣教のために彼らとともに暮らし、言葉を学んだ著者。ジャングルの冒険譚であり、フィールドワークであり、言語学的な分析であり、ヒトという生き物がいかに在ることができるのか、信仰とは何か、言葉の持つ価値とは何かを考えた話。非常に読み応えのある一冊。

Posted byブクログ

2012/11/07

言語学のところは つらかった・・・ 結局 ピダハンには 心配するに該当する言葉がない 夜でも狩りに出かける 左右の概念がない といったカルチャーショック部分が面白かった あとは伝道師の著者が 信仰を捨てるところ 家族も崩壊するなんて・・・

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2012/11/03

同じ人間でも認識には大きな断絶があること。そしてそれは文化や環境によって形作られる。 アマゾンの奥地、生物に満ち溢れるがゆえに、人間の生存には厳しい。そこで生き延びるために、自分だけがたよりの価値観がうまれる。それは非難されるものではないが、弱者に容易に手をさし延ばさないという文...

同じ人間でも認識には大きな断絶があること。そしてそれは文化や環境によって形作られる。 アマゾンの奥地、生物に満ち溢れるがゆえに、人間の生存には厳しい。そこで生き延びるために、自分だけがたよりの価値観がうまれる。それは非難されるものではないが、弱者に容易に手をさし延ばさないという文化は容認しがたい。 直接体験の原則というのは変なものだ。推論というものがかけることにならないのだろうか。 言語学的なところはよく分からなかったが、作者の言うとおり演繹からいたる結論は往々にして空論に終わるのは確かだ。 作者は彼らの生活は幸せだという。自分たちの現状に充足しているからだと。だが外の世界では、持続可能な生活など存在しない。つねに全身を続けなければ、破綻する世界に自分たちは生きている。彼らのように現状に甘んじるだけでは幸せにはなれないのだ。

Posted byブクログ

2012/10/30
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

難解だったらどうしよう、と思いながら読んだが、面白かった!! 文化人類学や言語学に興味がある人にはもちろん、そうでない人にもおすすめ。 足るを知るピダハンの人々の生活は、先進国の人間ほど考えさせられることが多いだろう。 自分と知り合いの経験しか信じない(よって歴史も、伝説も神もない)ピダハンたちにキリスト教を伝道しようと必死になり、そして信仰を捨ててしまうくだりがまことに面白い。

Posted byブクログ

2012/10/22

南米ブラジル、アマゾン川流域にピダハンと呼ばれる少数民族がいます。 本書は、著者のエヴェレット氏が26歳の時から(本書の表現を借りれば)高齢者割引が受けられる年齢になるまでピダハンに人生を捧げた経験に基づき書かれたものです。 内容は3部構成で全17章とプロローグ、エピローグから...

南米ブラジル、アマゾン川流域にピダハンと呼ばれる少数民族がいます。 本書は、著者のエヴェレット氏が26歳の時から(本書の表現を借りれば)高齢者割引が受けられる年齢になるまでピダハンに人生を捧げた経験に基づき書かれたものです。 内容は3部構成で全17章とプロローグ、エピローグからなり、それぞれ 第1部:生活(第1章~第10章) 宣教師だった著者が聖書をピダハン語に翻訳する為、ピダハン語を学ぼうと彼らの村に妻と幼い3人の子供と一緒に移住したことから始まり、以降 ・妻と子供のうち1人がマラリアで死にかけ、必死の思いで助けを求められる所までたどり着いた事。 ・移住7ヶ月後には、酔っ払ったピダハン達がブラジル人の悪徳商人にそそのかされ、著者一家を皆殺しにしようとした事。 ・巨大なタランチュラを殺した所、ピダハンに「タランチュラはゴキブリを食べるから殺さない」と言われた事。 ・何百というゴキブリにたかられて眠っているピダハンを目撃した事。 ・危ない所で命を救ったピダハンの幼児を、あろうことかピダハン自身が殺害した事。 等のエピソードの他、ピダハン語を学ぶ時に苦労したエピソード等が紹介されています。 これらの経験を通して、著者はピダハンが ・「人間は強くあらねばならぬ。困難は自分で切り抜けなければいけない」と固く信じている (著者は、ピダハンが出産がうまく行っていなかった女性を見殺しにした光景に出くわした) ・ピダハンは1度に1日生きることに集中しているので、それに不要なこと(将来に備えて何かをする事や長持ちする道具を作る等)はしない。 (だからと言ってピダハンが怠け者と言う訳ではなく、実際彼らはよく働く) ・ピダハン社会は言わば性交する同士が同居する社会であり、その共同体意識は極めて強い。 ・ピダハンは直接自分で見たものか、あるいは直接見た人から直接聞いた話ししか信じない。 と言った人々であると徐々に理解を深めて行く様子が描かれています。 第2部:言語(第11章~第16章) 長期間に渡るピダハン語の研究により、ピダハン語にはリカージョン(入れ子:詳しくは以下参照)が存在しないと判明。 著者はこれにより、1950年代より言語学の主流を占めていた普遍文法(全ての言語には共通の文法構造がある)と言う考えが否定されたと主張。 現代言語学の発展の歴史とその問題点などを指摘しつつ、ピダハン語の解説及び言語と文化の切り離せない関係性を述べています。 リカージョンとは 私達の言葉には「ダンが買ってきた釣り針を持ってきてくれ」等の表現があります。 この場合、「ダンが買ってきた釣り針」と言う表現と「釣り針を持ってきてくれ」と言う表現が入れ子(リカージョン)になっているのですが、リカージョンがないピダハン語では、この表現は「針を持ってきてくれ。ダンがその針を買った。同じ針だ」となります。 第3部:結び(第17章) ピダハンのよく笑う様子や彼らの揺るぎない自信などを見るにつれ、著者は徐々に信仰に対する疑問を抱く様になったとの事。 しかし、それを打ち明けた結果何が起こるのかを恐れて30年間秘密にしてきたのですが、ついにその疑問を家族に打ち明けた所、家庭が崩壊してしまったそうです。 家族を失ったのは悲しいが、信仰を捨てたのは全く後悔が無い様子が描かれています。 自分や自分の周囲とは違う存在、異質な存在を通して自己を理解する。 意図せずしてこの様な人生を送った一人の人間がその生涯と引換に得た全てのものが詰まっている本書。 読んだ所で到底著者と同じ理解水準には達することが出来ないのは分かり切った事ではありますが、それでもかなりお勧めです。 私達が世界を理解する際、その土台となる¨もの¨に対して様々な考えを巡らせる良い切っ掛けになるのではないかと思います。 お時間のある時にでも一読されては如何でしょうか。

Posted byブクログ

2012/10/19

ピダハン言語の直接体験の原則とは「直に体験したことでない限り、それに関する話はほとんど無意味になる」といことだ。これでは、主として現存する人が誰もじかに目撃していない遠い過去の出来事・・・実証を要求されたら創世神話など成り立たない。 ピダハンに罪の概念はないし、人類やまして自分た...

ピダハン言語の直接体験の原則とは「直に体験したことでない限り、それに関する話はほとんど無意味になる」といことだ。これでは、主として現存する人が誰もじかに目撃していない遠い過去の出来事・・・実証を要求されたら創世神話など成り立たない。 ピダハンに罪の概念はないし、人類やまして自分たちを「矯正」しなければならないという必要性も持ち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ。(p375) 世界でも類縁語が見当たらないというピダハンの言語。それは言語とそれを持つ社会との密接な関係を問いなおし、もののとらえ方や考え方やおよそ文化と呼ばれるものと言語や精神や思考との関係、人間の認知というものの奥深さ、広がりを別な視点から眺めることを西欧社会を起点とした文化にようきゅうするものでした。 けれど、一介の日本人の視点からはピダハンの社会はとても我々の文化に近いものを含んでいるようにも思われます。 ひるがえると、それはいかに日本が西欧社会から遠い文化を根底に持っているかの証拠なのでは・・・ 読み進むうちに、西欧キリスト教社会という、日本人にはわかりにくい文化の一面がピダハンの社会から浮かび上がってくる本でもあります。

Posted byブクログ