赤頭巾ちゃん気をつけて の商品レビュー
なんで読もうとしたか忘れたが(たぶん著名人による紹介)、どんな本かも知らずに読んだ。知ってたら敢えて買わなかったかも(笑) 話が古いのね。。で、一人称で、自分の考えをひたすら縷々述べる。それが飽きてしまう部分もあるけど、その心の起伏が、なにか昔の自分に投影されるところもあって。 ...
なんで読もうとしたか忘れたが(たぶん著名人による紹介)、どんな本かも知らずに読んだ。知ってたら敢えて買わなかったかも(笑) 話が古いのね。。で、一人称で、自分の考えをひたすら縷々述べる。それが飽きてしまう部分もあるけど、その心の起伏が、なにか昔の自分に投影されるところもあって。 最後に、赤ずきんちゃんに足を踏まれる。思考から感覚への移行。単なる妄想ではなく、確実な実感。ここの流れが良かった。
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- ネタバレ
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帯で三島由紀夫が 「「若さとは1つの困惑なのだ」といふことを全身で訴えている点で、少しもムダのない小説といふべきだらう」 と評していて、たしかにそのとおりなのですが、その困惑部分を読み続けるのは退屈でした。 簡単に言うとこの本は「人に惑わされず己の信念・行動を決めろ」 という内容だと思うのですが、この普遍を語るのに、こんなに長い困惑が必要だったのでしょうか あと、村上春樹を感じました
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男子高校生の妄想をスピード感ある文章で表現した所 は 面白いが、時代背景とリンクした深い所を読み逃している気がする。8章の小林の話の理解が ポイントだと思うのだが。 タイトルに意味があるのだろうか。「赤頭巾ちゃんの赤」は 全共闘などの学生運動を連想させる。最後の「ぼくは 海のよ...
男子高校生の妄想をスピード感ある文章で表現した所 は 面白いが、時代背景とリンクした深い所を読み逃している気がする。8章の小林の話の理解が ポイントだと思うのだが。 タイトルに意味があるのだろうか。「赤頭巾ちゃんの赤」は 全共闘などの学生運動を連想させる。最後の「ぼくは 海のような男になろう〜森のような男になろう」という決意は 全共闘などとは 違う生き方を選ぶ ということではないか 小林の言った 本当の敵とは誰なのか(国、自分?) 赤頭巾ちゃんは 誰なのか(全共闘、自分、彼女?) 「逃げて逃げて逃げまくる法」のくだり 「重大な問題であるほど〜逃げまくってみる〜逃げきれれば〜どうでもよかった問題」 東大入試、恋人との喧嘩、足爪のケガなど 逃げきれたので、どうでもよかった問題と解釈した ケーコートー=鈍臭い(なかなか点かない) は 知らなかった
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主人公と作者が同じ名前ということで、主人公に自分を投影しているのだろう。主人公は古典文学に精通しているのだが、同年代の友達との趣味の違いに純粋に引け目を持っている。ただ、おれ残念ながら古典が好きなんだよねーつまらない男だから古典好きなんだよねーという作者のドヤ顔が浮かんできてムカ...
主人公と作者が同じ名前ということで、主人公に自分を投影しているのだろう。主人公は古典文学に精通しているのだが、同年代の友達との趣味の違いに純粋に引け目を持っている。ただ、おれ残念ながら古典が好きなんだよねーつまらない男だから古典好きなんだよねーという作者のドヤ顔が浮かんできてムカつく。 優等生キャラ、学生運動とはこういうものという枠、それらを抜けられないすべての人・社会を批判する気持ちはわかる。前半はそんな社会に迎合してしまう自分、後半は社会をダイレクトに批判する自分、最後に申し訳程度に(おそらく1日ばかりの)穏やかな心を取り戻す自分を描く。つまり、自分とは違う、くだらない社会に対する非難が主。 東大まで行って、そんな選民意識しか身につけられなかったなら可哀想だね。
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冬の寒く曇った日に読んで温まった。初めに読んだときは”やさしさ”がつかめなかったが、思い出して読んだ2回目に大好きな本になった。
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幼馴染との間に微妙な関係が生じる話 おそらくは80年台のラブコメ漫画ブームに強い影響を与えたものだ 1969年の芥川賞を受賞 当時の漫画・アニメといえば「秘密のアッコちゃん」が1968年で 「愛と誠」が1973年だった かたや呪文ひとつでなんにでもなれる女の子 かたや恋愛でインテ...
幼馴染との間に微妙な関係が生じる話 おそらくは80年台のラブコメ漫画ブームに強い影響を与えたものだ 1969年の芥川賞を受賞 当時の漫画・アニメといえば「秘密のアッコちゃん」が1968年で 「愛と誠」が1973年だった かたや呪文ひとつでなんにでもなれる女の子 かたや恋愛でインテリを打ち破る不良少年 つまり旧来の教養が、大衆文化に覆される時代 愛されて行儀よく育った子供たちに、ある迷いがふりかかっていた 心優しい赤頭巾ちゃんを前にして 彼は狼にも、猟師のおじさんにもなりえる 話の語り手は当時、年間200人から東大に送り込んでいた 日比谷高校に通う三年生で 遊び慣れてはいるが、恋愛にはおくてな ちょっといい家庭の、一人だけ歳の離れた末っ子で …家族の機嫌をとるために道化をやりがちなお坊ちゃんタイプだろう しかも地の性格は生真面目ゆえ どうしても反抗期を持ちえないみずからに強い劣等感を抱いている それは村上春樹の「多崎つくる」にも共有された 戦後民主主義の悲劇だ デビュー作の半端な私小説ぶりを江藤淳に批判されたのち この作品で再デビューを果たした作者は すでに30すぎのおっさんであったが その年齢に到ってようやく、偽善のそしりをはねのける強さを 得たということであろう
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癇にさわる文体。頭の中でぐるぐる考えてばかりでさっぱり話が進まないなんだこいつはとしんどくなったが後半はさらっと読めた。薫、由美。東大入試中止、ドンが死んだ、爪をはがした。女医、銀座の本屋の女の子。
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先日、庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読みました。 読むきっかけとしては、村上春樹さんが庄司薫さんに影響を受けてるらしいので(「風の歌を聴け」に出てくる架空の作家、デレク・ハートフィールドは、庄司薫さんがモデルなんじゃないか、という説もあるらしいです)、興味があって読ん...
先日、庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読みました。 読むきっかけとしては、村上春樹さんが庄司薫さんに影響を受けてるらしいので(「風の歌を聴け」に出てくる架空の作家、デレク・ハートフィールドは、庄司薫さんがモデルなんじゃないか、という説もあるらしいです)、興味があって読んでみました。 あと、この小説は、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の影響が強いらしく、若さゆえの苦悩を、主人公の薫の独白的(心の声)な感じで進んでいくところとか、後半に、薫がひとり街へ出る展開とかが、「ライ麦畑でつかまえて」と似てるかなあと思ったりしました。 また、某インターネット・ショッピング・サイトのレビューで、「小沢健二さんを思い出させる」といった感想もあったりして、僕は読んでて、薫の饒舌な独白的なところとかから、小沢健二さんが昔やってた、森永ダースのCM(小沢健二さんの、早口で饒舌なナレーションが入るCM)を思い出したりしました(この小説とCMは、内容は全然関係ありませんが・・・)。 あと、終わり方から、小沢健二さんの「流れ星ビバップ」の中にある、「目に見える全てが優しさと はるかな君に伝えて」という一説を思い出したりしました。 また、以前放送された、「アメトーーク」の「読書芸人 オールロケ」の中で、ピースの又吉さんがこの小説を推薦してました(この回見てたんですが、又吉さんが、この小説を推薦してたのは、最近あらためて知りました)。
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10代特有の潔癖さや、焦燥感、欲望や葛藤など、心の不安定さが、主人公の話し言葉で軽快に綴られている。 この作品が1969年に発表され、さらには芥川賞受賞、というのには驚いた。 解説に「たとえば村上春樹のエッセイなどに見られるように、この文体に影響されたやわらかい文章が、あとの男性...
10代特有の潔癖さや、焦燥感、欲望や葛藤など、心の不安定さが、主人公の話し言葉で軽快に綴られている。 この作品が1969年に発表され、さらには芥川賞受賞、というのには驚いた。 解説に「たとえば村上春樹のエッセイなどに見られるように、この文体に影響されたやわらかい文章が、あとの男性文筆家に引き継がれ、ごく当たり前のものになっていった。」「もしこの小説が登場しなければ、文学の世界は窮屈で地味な言葉で塗りこめられていたのではないか」とある。 なるほど。 過去は堅苦しく、現代になればなるほど開放的なのだと思いがちだが(私だけ?)、昔の方が気質の自由な人が多かったりしたのかもしれないな、と思ったり。
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娘に、どうして高校生時代に薦めてくれなかったの、と言われたけれど、母の薦める本なんて読まない、っていう感じの健全な高校生だったね。 何十年たっても若者の心に残る作品だとはわかっていたけれど、いくつになってもその頃の自分にタイムスリップさせてくれる作品だとわかったのは、娘達が手にと...
娘に、どうして高校生時代に薦めてくれなかったの、と言われたけれど、母の薦める本なんて読まない、っていう感じの健全な高校生だったね。 何十年たっても若者の心に残る作品だとはわかっていたけれど、いくつになってもその頃の自分にタイムスリップさせてくれる作品だとわかったのは、娘達が手にとってくれたおかげ。
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