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限界集落の真実 の商品レビュー

3.8

38件のお客様レビュー

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2014/11/27

20年以上「限界集落」論が謳われている一方、いまだ消滅した集落はない(無論今後はわからないが)。今後は、家族内(親戚内)の関係が(今されているように)維持されるとともに、近隣地域とのかかわりが強化されたり、子孫のUターンが強化されたりすれば大丈夫だろう、とのこと。 加えて、国策発...

20年以上「限界集落」論が謳われている一方、いまだ消滅した集落はない(無論今後はわからないが)。今後は、家族内(親戚内)の関係が(今されているように)維持されるとともに、近隣地域とのかかわりが強化されたり、子孫のUターンが強化されたりすれば大丈夫だろう、とのこと。 加えて、国策発ではなく、地域(住民)主体の行動こそ、重要だということ。 周縁のほうが(中央にいるよりも)全体がよく見えるという指摘も面白いし、都会と地方は人口(年齢)分布で結びついた一体の社会だとの指摘もなるほどと思った。やや冗長だったが、良書。

Posted byブクログ

2014/11/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

[ 内容 ] 高齢化が進み、いずれ消滅に至るとされる「限界集落」。 だが危機を煽る報道がなされているのに、実際に消滅したむらはほとんどない。 そこには逆に「限界集落」という名付けをしたことによる自己予言成就―ありもしない危機が実際に起きる―という罠すら潜んでいる。 カネの次元、ハードをいかに整備するかに問題を矮小化してきた、これまでの過疎対策の責任は重い。 ソフトの問題、とりわけ世代間継承や家族の問題を見据え、真に持続可能な豊かな日本の地域社会を構想する。 [ 目次 ] 序 むらは消えるか―東日本大震災を経て 第1章 つくられた限界集落問題 第2章 全国の過疎地域を歩く 第3章 世代間の地域住み分け―効率性か、安定性か 第4章 集落発の取り組み 第5章 変動する社会、適応する家族 第6章 集落再生プログラム [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

Posted byブクログ

2014/06/01

かつて「限界集落」問題と呼ばれた社会現象は、今は「消滅可能性都市」問題として再びマスコミを賑わしているが、問題意識の存在は本書の論ずる頃と大きな変化はない。 我が国の人口減少局面が将来にわたって深刻化することが見込まれる中で、過疎化の進む集落がどんどん消滅していくのではないかとい...

かつて「限界集落」問題と呼ばれた社会現象は、今は「消滅可能性都市」問題として再びマスコミを賑わしているが、問題意識の存在は本書の論ずる頃と大きな変化はない。 我が国の人口減少局面が将来にわたって深刻化することが見込まれる中で、過疎化の進む集落がどんどん消滅していくのではないかという悲観論は、この国の行く末を心配する国民の良心としては、とてもよく理解できる。 しかし、現実の社会はそれ程単純ではないというのが本書の本旨であり、丁寧なフィールドワークの結果がこれを裏付ける。 “ムラから若者がいなくなって、住民は徐々に歳をとり、だんだん人口が減っていって、最終的にムラそのものが消滅する”という構図は、どこにでもありそうにみえるが、いざ具体例を探してみると意外と見つからない。その理由を本書は、ムラの住民や土地、コミュニティがムラの外と複雑に結びついていて、“ひっそりとムラの歴史を閉じる”というような閉鎖的なイベントは起こり得ないからだと論ずる。 本書は、ムラの内外の結びつきの事例を数多く収載し、ムラがしたたかに、しなやかに生き残ってきた様を描いている。これらの実例を、これからの人口減少社会を我々が生き抜いていくための貴重なヒント集として読み直してみれば、現在の悲観的な論調に対抗し、人々に明るい将来への道筋を提示できるだけの可能性が秘められた一冊であることに気付くだろう。

Posted byブクログ

2013/10/24

九大卒の著者が、青森と鹿児島の限界集落を研究する中で到達した過疎村の現実。限界集落は本当に消え行く運命にあるのか? 鹿児島大学 : 野呂 忠秀先生

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2013/08/05

限界集落自らが生き残るすべを考え、発信していかなければならないという指摘や、縁者をマッピングしてそれも含め他グループで集落の今後を考える、などの考え方が、会社の組織を考える上でも参考になりました。 あくまで個人の興味から読み始めたのですが、私にとっては仕事の考え方にも通じる本でも...

限界集落自らが生き残るすべを考え、発信していかなければならないという指摘や、縁者をマッピングしてそれも含め他グループで集落の今後を考える、などの考え方が、会社の組織を考える上でも参考になりました。 あくまで個人の興味から読み始めたのですが、私にとっては仕事の考え方にも通じる本でもありました。

Posted byブクログ

2013/05/06

東北の集落の具体例は、身近でイメージしやすい。高齢者率を指標とすることに対して異論を唱えながら、いわゆる「限界集落」について論じる。

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2012/12/03

高齢化➡限界集落の消滅という一般化された図式は現実にはほとんど起きていない、という事実を元に論が展開していく。統計やデータも豊富で説得力も高い。しかし文章は学術的であり、エンターテイメントとして読むには期待薄である。『北の無人駅から』と比べてしまうのは本書にとって不幸だろう。

Posted byブクログ

2012/11/24

「あなたは世の中の役に立たないので、生きるのをやめてください」ということを他人に言う人がいたら、その人の見識は疑われることでしょう。でも限界集落という言葉の下に、「この地域は非効率なので切り捨てよう」といった議論が散見されるのも事実です。 限界集落という言葉は、いまから約20年...

「あなたは世の中の役に立たないので、生きるのをやめてください」ということを他人に言う人がいたら、その人の見識は疑われることでしょう。でも限界集落という言葉の下に、「この地域は非効率なので切り捨てよう」といった議論が散見されるのも事実です。 限界集落という言葉は、いまから約20年前に大野晃先生が使い始めたものです。当初の意図とは別に限界集落という言葉の持つイメージが一人歩きした結果、高齢化率の高い集落は消滅するであるとか、高齢者ばかりの田舎をどうにかしなければならないといった議論が盛んになりました。 約20年前に限界集落だった場所が現在どのようになっているのか、統計調査では約200の集落が消滅したと言われていますが、実際のところ消滅した集落を精査していくと、戦後に開拓されたり、炭坑などの産業によって一時的に栄えたといったケースが多く、明治時代以前から存続してきた集落が消滅した事実はないという結果でした。 ならば、限界集落という問題は存在しないのでしょうか、あるいはその地域住民や自治体が対処すべき問題として矮小化されるものなのでしょうか。いや、むしろ限界集落を通して日本の社会構造の問題点が見えると思います。 戦後のいびつな人口構成、石油に依存した産業発展によって一時的に発達した港湾都市、後継者と権利を曖昧にした核家族化、、様々な現代社会の構造的課題が限界集落という現象を引き起こしました。つまり、都市に住んでいようが田舎に住んでいようが、限界集落の問題は日本国民すべてが向き合っていかなければならないものなのです。 地域活性化や過疎高齢化、少子化といった問題を語る上で、この本のファクトを知ることは必要でしょう。議論のベースとして必携の本として推薦します。

Posted byブクログ

2012/09/11

限界集落という悲観的な言葉が、いかにイメージに踊らされてるかよく分かる。単語が登場して20数年、過疎で消えた村はないとの調査結果は、地に足がついた質の高い仕事だ。ほんとは新聞記者がやるべき仕事だろうけど。国の発表を検証せずに載せることがいかに多いか。 人のつながりを綿密にほどい...

限界集落という悲観的な言葉が、いかにイメージに踊らされてるかよく分かる。単語が登場して20数年、過疎で消えた村はないとの調査結果は、地に足がついた質の高い仕事だ。ほんとは新聞記者がやるべき仕事だろうけど。国の発表を検証せずに載せることがいかに多いか。 人のつながりを綿密にほどいていくと、違った集落の形が浮かぶ。いわゆる限界集落が決して辺ぴなとこにあるわけじゃなく、高齢化率だけが問題でないことも示している。本質が見えると、対応策も具体的になる。良書。

Posted byブクログ

2012/06/20

2007年に出てきた時はセンセーショナルな語感があった「限界集落」 1人減り二人減り、そして誰もいなくなった・・ なんて具合に無人の家屋だけが残った空間を思い浮かべたりする。 弘前大学の教授をしていた関係で主に青森の各集落、またそこにとどまらず鹿児島、新潟、島根、高知などの集落...

2007年に出てきた時はセンセーショナルな語感があった「限界集落」 1人減り二人減り、そして誰もいなくなった・・ なんて具合に無人の家屋だけが残った空間を思い浮かべたりする。 弘前大学の教授をしていた関係で主に青森の各集落、またそこにとどまらず鹿児島、新潟、島根、高知などの集落も考察した。そこから見えたのは確かに年寄りだけだが、いずれ弱弱しく消えるのだろう、かわいそうな集落、といったイメージとはちょっと違った現実だった。子供たちは確かに同居はしていないが、小一時間位の中都市に住んで、ちょいと帰ってくる。子供にしても実家の田畑は守らねば、という意識を持つ人も多々いる。こういった現実から、現在限界集落と老人比率でくくられている集落も案外しぶといのでは、持ち直すかも、といった提示をしている。 各集落の人口動態の変化の4つの類型考察も興味深い。東京などの大都市からの距離などの要因から、戦後ベビーブームで一旦人口増はあるが、金の卵が出て行って後は減少のみ、あるいは第二次ベビーブームを少しは経験したM型、など。 さらに現在80前後の昭和ヒトケタ世代は親の生き方を守って過疎地に留まっているが、そろそろ人生も終わりとなり、その方たちのいなくなるこれからが問題だと提起している。世代と、人口動態の吸収県と提出県。それは東京と地方、さらに中心部と周辺部の問題であり、過疎問題の現実は特定の山奥の寒村の問題ではなく、日本全体に関わる問題としてとらえる必要があると説いている。

Posted byブクログ