ぼくはお金を使わずに生きることにした の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
◎感じたこと 1年間お金なし生活の過程を読んで感じたのは、お金はあくまで手段の1つだということ。自分でできない場合や再利用できないときに利用するのが本来。しかし、お金が人間を支配してしまったため、お金のために人生が息苦しくなってしまった。自給自足の生活をしている人たちを見ると、自分達で出来ることを増やすことができれば、お金への依存度を減らしていけると感じた。お金に囚われるのではなく、お金を手段として利用するマインドで生きていきたいと思えました。お金に支配されない人間でいたい。 ◎メモ ・人間が行くていくには第一にお金でなく、「良い関係のコミュニティ」「助け合いの文化」「心身ともに健康でいること」「自然や周りへの感謝」の方がもっと大事だと気づいた。 ・お金は本来取引を簡単にするために出来た仕組みなのに、お金によって人間が縛られていってしまっていると最近の世の中を見て感じる。お金はあくまで手段の1つでしかないし、お金に支配されてしまったり縛られるのは良くない。 ・お金で何でも解決できる反面、食べ物や自然、生産者と消費者の距離が遠くなってしまっている。あとはお金で解決しすぎで、生産者への有り難みが薄れていってしまっている。 ・国や会社はお金のために競争をしているし、そういうのを見ていると正直疲れる。もっと大切なことに時間を使いたいと反面教師。 ・お金をたくさん求めれば求めるほど余計に欲しくなる。だから、最初から求めない方がいい。求めたところで幸せそうな人を見たことがない。 ◎参考になるページ 13,15,18,22,28,53,61,109,211.212,268,269.270.272,275
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フリーエコノミー(無銭経済)運動の創始者である著者の、1年間お金を使わない実験生活の記録。 貨幣での等価交換を手放して、知恵と体力と善意の交換で、必要な物を手に入れる。地域社会での善意の交換があれば、環境破壊も経済格差も解決して、持続可能な社会が実現するという。 大事なのは、見...
フリーエコノミー(無銭経済)運動の創始者である著者の、1年間お金を使わない実験生活の記録。 貨幣での等価交換を手放して、知恵と体力と善意の交換で、必要な物を手に入れる。地域社会での善意の交換があれば、環境破壊も経済格差も解決して、持続可能な社会が実現するという。 大事なのは、見返りを求めない無償の提供。 家庭内の家事分担ですらイライラしてしまう、器のちっちゃい私。無償の提供で、もやもやする事はないのかな。知恵も体力も少ないし、地域社会に溶け込めなかったら? 私にとってお金は命綱なのだけど、そう思う事自体が経済社会を前提としている幻想のようなので、考えれば考えるほど分からなくなりました。 ただ、春の訪れや夏のキャンプの描写にワクワクしたので、こういう暮らしへの憧れは人間の本能でもあるのかも、と思いました。
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他のレビューでもあるように、どこかに引きこもって隠居生活をするサバイバル術ではなくて、都心近郊で文字通り「カネなし」生活を送るといった内容です。 この「カネなし」という考え方が私には馴染みがなく、最初は?がいっぱいでしたがどうやら経済の本ということが読み進めて分かっていくと、面白...
他のレビューでもあるように、どこかに引きこもって隠居生活をするサバイバル術ではなくて、都心近郊で文字通り「カネなし」生活を送るといった内容です。 この「カネなし」という考え方が私には馴染みがなく、最初は?がいっぱいでしたがどうやら経済の本ということが読み進めて分かっていくと、面白いと感じることが出来ました。 ペイ・フォワードの精神やカーボンフットプリント、フードマイレージを常に意識している著者の考え方は聡明であり、私も買い物など何か消費を行う際に意識出来ればと思えました。 意識して行動する大切さを学んだように思います。 ただ、本の紹介にある現代の『森の生活』という表現はちょっと言い過ぎに思えます。
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お金を使わずに1年間暮らした記録。メリットやデメリットが赤裸々に書かれていて面白かった。 必要なものは、拾ったり借りたり貰ったり。 お金を介在することでそのものの価値が見えなくなり、不当な価値で取引されている。というと、カカオやコーヒー豆が思い浮かぶが労働者階級の人々は全員他人事...
お金を使わずに1年間暮らした記録。メリットやデメリットが赤裸々に書かれていて面白かった。 必要なものは、拾ったり借りたり貰ったり。 お金を介在することでそのものの価値が見えなくなり、不当な価値で取引されている。というと、カカオやコーヒー豆が思い浮かぶが労働者階級の人々は全員他人事ではないと感じた。 完全にお金を使わずに生活しようとすると、知識や教養覚悟が必要なので 私は少し消費を減らした生活をやってみようと思った。
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1年間お金を使わず生活するというプロジェクトの記録。半時給自足で廃物利用などのリサイクルはもとより、フリーエコノミー・コミュニティを通じた道具やスキル等の提供も受ける。道具のはずのお金が目的化してしまった貨幣経済を見直す試み。 仙人のようなストイックな生活ではなく、多くの人を巻き...
1年間お金を使わず生活するというプロジェクトの記録。半時給自足で廃物利用などのリサイクルはもとより、フリーエコノミー・コミュニティを通じた道具やスキル等の提供も受ける。道具のはずのお金が目的化してしまった貨幣経済を見直す試み。 仙人のようなストイックな生活ではなく、多くの人を巻き込んで頼れるものはなんでも頼る姿勢が新鮮だった。が、フリーエコノミー・コミュニティというものに馴染みがないので現実感が得られにくいことと一過性のイベント感が強いことから好みが分かれると思う。 その辺りが邪魔してあまり没入はできなかったが、ぶっ飛んだことをやってしまうイキのいい若者の問題提起として読んだ。
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2022/08/09 読了 著者の、1年間1円も使わずに幸せに生きられるか、という実験を書いたもの。 現在の消費社会に疑問を抱き、環境問題に取り組むために始めたようでした。 実際にやったことや、その時の心境も書かれています。 これを読んだ結果、この生活はしたくないと思いまし...
2022/08/09 読了 著者の、1年間1円も使わずに幸せに生きられるか、という実験を書いたもの。 現在の消費社会に疑問を抱き、環境問題に取り組むために始めたようでした。 実際にやったことや、その時の心境も書かれています。 これを読んだ結果、この生活はしたくないと思いましたが… でも、著者の生活を通して、今の自分の生活では気づかなかったことにも気づくことができた。 環境に良いこと、できる部分から試してみよう。
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この著書はその表紙の絵から「サバイバルのすすめ」みたいな、仙人か世捨て人かになろうという本に見えがちですが、彼の「金無し生活」は実はそれとは逆の「貨幣を介さずに人と人が与え合うことができるか?」という実験で、筆者は金無し生活を実践しながらも、地域のコミュニティー、友人、家族と積極...
この著書はその表紙の絵から「サバイバルのすすめ」みたいな、仙人か世捨て人かになろうという本に見えがちですが、彼の「金無し生活」は実はそれとは逆の「貨幣を介さずに人と人が与え合うことができるか?」という実験で、筆者は金無し生活を実践しながらも、地域のコミュニティー、友人、家族と積極的に関わりながら一年間生活するというものです。 そこにある悲喜交々は、時に難しさを実感したり、逆にホッコリした人と人の温かみがあったり、楽しませてくれます。 また、作中様々な「買わないで済ませる知恵」も出てきて、関心することこの上ないのですが、実はこの著書で読み解くべきところは、そう言った「自然な暮らしっていいよね!」という通り一辺のモノの見方ではなく、彼の持っている経済学や哲学こそが大事だと思っています。 第一章での、筆者がなぜ金無し生活をしようと思ったかの経緯や考え方が書かれていますが、ここが100パーセント理解できれば、ただの「自然いいよね本」ではなく、貨幣によって断絶された人と人の「信頼」が取り戻せるか?というところに力点を置いて見られると思います。 この本で書かれている筆者の経済学は、「負債としてのお金」すなわち人間の欲望の数だけ生み出す事ができるようになってしまった、いわば「仮想上のお金」が問題であると指摘します。そしてそれが労働者搾取、環境破壊などにつながっているというものですが、これは私自身が持つ経済への認識と寸分違わないもので、読んだときには驚きました。 確かに、これまでこういった警鐘を鳴らしていた知識人たちはたくさん居ました。しかしそれらは社会一般は愚か、経済学の中でも重要視されなかった経緯があり、他の私と同じ考えを持った人は、それを歯がゆく思っていた人も多いかと思います。 それが彼の著書によって多くの人間の知る機会になり、非常に有意義な著書だと思います。 彼が他の知識人たち「論者」とは違い、一人の「行動者」であろうとし、それを実践している事が、多くの人間の共感と賞賛を得られた理由なのかもしれません。 斎藤幸平著書「人新生の資本論」が好きな方、「エンデの遺言」など、貨幣と脱成長の経済学を論じた本が好きな人には是非オススメな一冊です。
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●まず挑戦自体が面白く、その挑戦を行おうと思った考え方、つまりお金を発明したことが地球環境へ過度に負荷をかけることになった全ての元凶であるという考えも興味深かった。極端な行動なのかもしれないが、なかなか考えさせられるものだった。
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国家の構成員として、納税するための経済活動が期待される中、とりわけ日本では義務教育を受けた後に起業よりも就職する傾向が高く、ドロップアウトは社会的に受け入れ難い。生きる選択肢が現実にはかなり制限され、自らが歯車に組み込まれているかのような息苦しさを感じる時がある。だからこそ、こう...
国家の構成員として、納税するための経済活動が期待される中、とりわけ日本では義務教育を受けた後に起業よりも就職する傾向が高く、ドロップアウトは社会的に受け入れ難い。生きる選択肢が現実にはかなり制限され、自らが歯車に組み込まれているかのような息苦しさを感じる時がある。だからこそ、こうした経済活動から解放されて生きようとする試みに憧れを感じる。バーニングマンのイベントを思い出したが、同じように、原始的な社会への回帰に期待する人は確かに一定数存在する。 若干都合が良いなと思うのは、著書のトライでは、最初からトレーラーハウスが手に入る事。農場での就労環境が確保でき、Wi-Fiも利用可能。こうした試みの偶然性を思えば、数あるパターンの中でこうしたサバイバルも楽しくはある。しかし、著者の理念に照らすと、他者の経済活動にフリーライドして成立する、この半原始生活は正しいのか。著者自身も葛藤している様が綴られる。 しかし、他者を巻き込んで完全に経済活動から離脱する事は現実的には不可能だ。だからこそ、こうした形を取らざるを得ないが、その半端さに、世の中からは、金持ちの道楽と揶揄される事もある。確かに、こうした主義者は、ファッションとして体験を刹那的につまみ食いしているだけの部分もある。ただ、他者がどう思うかは気にせず、究極的には、アウトドア趣味の行き過ぎたヤツ、と思われても良いではないか。 読み手は、漂流記やサバイバル伝の亜種として、半端さにも共感しながら、十分そのリアリティを楽しめる内容だ。
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「お金のせいで、自分たちが消費する物とも、自分たちが使用する製品の作り手とも、完全に無関係でいられるようになってしまった」 現代の、特に都会ではまさにその通りだと、筆者の考えに同意する。 スーパーで並んでいる食肉、鮮魚は、最初から加工肉だったり刺身だったかのような工業製品...
「お金のせいで、自分たちが消費する物とも、自分たちが使用する製品の作り手とも、完全に無関係でいられるようになってしまった」 現代の、特に都会ではまさにその通りだと、筆者の考えに同意する。 スーパーで並んでいる食肉、鮮魚は、最初から加工肉だったり刺身だったかのような工業製品に見える。 雑貨屋に並んでいる革製品の小物も元は生物だったとは想像できない。 お金を出せばモノが手に入る。 売買という行為で、生産者と消費者が完全に分離されている。 この感覚は、去年参加したワークショップでシカを丸ごと一頭解体する体験をしたことで強く思うようになった。 じゃあ、お金を使わない生活をやってみよう! というのが行動力の化身ですね。 そこで分かってきたのは、お金を使わずとも一人で生きていくことはできない。 大事なのはお金ではなく、人と人とのつながりだと再認識する。 お金がないからこそ、移動の中で食べられるものを採集したりと、ここではこういった植物が採集できる、このキノコは食べられる食べられないといったように、世界が広がっていく。 でもおかしい。 本来、それは人間に備わっていた能力のはずだ。 現代でお金を使わずに生きる。 それは、ただの先祖返りでなく、テクノロジーを使いながらも柔軟に生きることに集中することなのではないか。 10年後、筆者はテクノロジーすら使わずに生きることに挑戦する。 続編に続く。
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