怪物はささやく の商品レビュー
怪物はささやく 涙が止まらない。 わかっている。全てわかっているのに、その瞬間が来る時のあの感覚…。 繊細で緻密でリアル。子供心に残酷にも真実を突きつける。 この物語を読んで成長した子供は、きっとセンスが良い人間になるのだろうなとか想像をしてみた。 今思えば今作の映画版は...
怪物はささやく 涙が止まらない。 わかっている。全てわかっているのに、その瞬間が来る時のあの感覚…。 繊細で緻密でリアル。子供心に残酷にも真実を突きつける。 この物語を読んで成長した子供は、きっとセンスが良い人間になるのだろうなとか想像をしてみた。 今思えば今作の映画版は駄作。 いい役者をふんだんに使っていたが駄作。 何故なら、この素晴らしいセリフとセリフの間に存在する確かな"空気"を映画では感じられなかったから。 美しい物語と残酷な態度、そして内包する優しさに思わず涙が止まらなくなるだろう。
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相反。 顕在意識と潜在意識。 13歳の少年を主人公にした、シヴォーン・ダウドの作品だったので、ワクワクしながら読み始めたが・・・。 怪物は出てきたが、期待していた娯楽性はなく、心理、真理の物語。 世の中の人の多くは、このような葛藤を味わいながら、それでも踏ん張って、生きて...
相反。 顕在意識と潜在意識。 13歳の少年を主人公にした、シヴォーン・ダウドの作品だったので、ワクワクしながら読み始めたが・・・。 怪物は出てきたが、期待していた娯楽性はなく、心理、真理の物語。 世の中の人の多くは、このような葛藤を味わいながら、それでも踏ん張って、生きていくのだろう。
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p.202 人生とは、言葉でつづるものではない。行動でつづるものだ。何をどう考えるかは重要ではないのだよ。大切なのは、どう行動するかだ。 児童書、、、、。 児童はこの物語をどう受け止めるんだろう。 挿絵も良かったな。
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「物語とは油断のならない生き物だ。物語を野に放してみろ。どこでどんなふうに暴れ回るか、わかったものではない」 重病の母と二人で暮らす少年コナーの前にイチイの木をした怪物が現れて「三つの物語を聞かせたあとに、コナーが四つめの物語を話す」よう要求する そして語られる物語、コナーの...
「物語とは油断のならない生き物だ。物語を野に放してみろ。どこでどんなふうに暴れ回るか、わかったものではない」 重病の母と二人で暮らす少年コナーの前にイチイの木をした怪物が現れて「三つの物語を聞かせたあとに、コナーが四つめの物語を話す」よう要求する そして語られる物語、コナーの生活や真実の第四の物語は、とても深くて、示唆に富んでいて、読み手によって様々な受け取り方ができる物語だと思いますが、自分は物語の持つ力について考えてみました 「物語」は非常にやっかいな生き物で、様々なちからを持っていると思います 「物語」は喜びや、悲しみや、怖れや、学びや、それはもう様々なものを与えてくれます いいことも悪いことも しかも、同じ「物語」でも読む人によって全く正反対の感情を呼び起こすこともあります それどころか、同じ「物語」を同じ人が読んでも、読むタイミングや何回読んだかによって受け取るものが変わってきたりします それって「人」と同じだと思いませんか? 相手によって全く評価が違う 会うタイミングで感情が変わる 好きと嫌いが混在する 「物語」とは「人」であり 「人」とは「物語」なのではないでしょうか 自分はそんなことをこの物語から感じました
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ある種「救済」の物語。 不気味な序盤、お決まり?のいじめっこ、合間にはさまるヒリヒリとした瞬間、避けられない運命、ファンタジー世界を行き交いながらも足元は1人の少年の心象と残酷な現実に根付いている。 余談だけれど、手元にあるのは近くの中学校の除籍本。 とにかく多感で、理想と現実...
ある種「救済」の物語。 不気味な序盤、お決まり?のいじめっこ、合間にはさまるヒリヒリとした瞬間、避けられない運命、ファンタジー世界を行き交いながらも足元は1人の少年の心象と残酷な現実に根付いている。 余談だけれど、手元にあるのは近くの中学校の除籍本。 とにかく多感で、理想と現実の軋轢に苦しんで、もしかしたら主人公の少年と同じ境遇に見舞われるかもしれない中学生には良い読書になったのではないかなぁ、と思ったり。
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挿絵がとてもたくさんだったが、それが気になるでもなく、不思議としっくりきていた。 物語という形で、人間の本質、現実を容赦なく伝えてきた怪物。 「人生とは、言葉でつづるものではない。行動でつづるものだ。何をどう考えるかは重要ではないのだよ。大切なのは、どう行動するかだ。」 どれほど自分勝手に残酷なことを願おうとも、例えば殺したいほど憎いと思っても、死んでほしいとまで願っても、行動に移さない限りその真実は善でも悪でもない。現実になったものは、自分が望み、考えたこととは関係ない。それなのに、自分に罰を与えようとしてしまう人の心の不可思議。 この物語に、静かに暴れ回られました。
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13歳の少年コナーの母は、重い病気で死期が近い。 そんなある日の12時7分、コナーの前にイチイの木の姿をした怪物が現れる。怪物は、コナー自身が呼ばれて歩いてきたということ、そして、3つの物語を怪物が語ったのち、コナー自身が四つ目の物語を語らなくてはならないことを伝える。物語は、コナーが母の死を受け入れるまでの葛藤を、夢と現実が入り混じった、この怪物とのやりとりを通して描く。 終始一貫して、怪物から語られる次の物語は、一体何なのか、コナーの語るべき四つ目の物語とは、一体何なのか、それが現実世界にもたらす影響は、そして、怪物の正体とは、といった謎が、残され続けることで、どんどん次のページをめくりたくなった。 最後にコナー自身によって語られる四つ目の物語である「行っちゃだめだよ、母さん」「行っちゃいやだ」の二言がとても印象に残る。この物語の中では、繰り返し、コナーは、ちゃんと全部分かってることが、様々な登場人物のくちから語られ、コナー自身も、自分が知っていることを知っていた。ただ、それ、つまり、お母さんは死んでしまうのだということを、怖くて口にすることができない。お母さんが元気になると信じることは、お母さんが死んでしまうという現実から、逃げることである。だから、怪物は、コナー自身の口で、四つ目の物語=コナー自身の物語=母親の死を語らせようとする。 知っていながら、受け入れられない。だから、何かを信じ続けることで、安心しようとする、その気持ちは分かるように思う。怪物のやり方は、かなり、荒療治でもあるような気もする。 もう一つのテーマとして、怒りがあったように思う。三つ目の物語を聞き、いじめっ子のハリーを殴り倒したのち、コナーは、母親のお見舞いに行き、もはや、何も治療法がないことを知らされる。その時、お母さんがコナーに言うのが、「怒っていいのよ、コナー。思い切り怒っていいの」という話だった。 コナーは、いじめっ子にいじめられようが、無視されようが、怒らない。そして、自分が罰せられることを望む。コナーが「破壊行為」をするのは、いつも怪物がいるときだったことを思うと、怪物は、コナーの怒りそのものだったようにも思う。 そうした意味で、この物語は、母の死を受け入れることで、自らの心を癒すために、少年が自分の怒りを呼んだ物語だった。
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ある夜、怪物が13歳の少年とその母親の住む家に現れた。それはイチイの木の姿をしていた。怪物が3つの物語を語り終えたら、少年が4つめの物語を話さなくてはならないという。 3つの物語はどれも定型から外れており、少年を追いつめる。なにより自分で自分を追いつめていくさまが痛々しい。
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ブク友ヒボさんのレビューを読んで興味を持ち、早速入手してきました。確かに、厚みのある紙の質感と合間に挟まる挿絵の重厚感がダークファンタジー醸し出す絵本の様で、さながら児童書を手にしているようだった。児童書...なのかな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 病弱な母と共に素朴なが...
ブク友ヒボさんのレビューを読んで興味を持ち、早速入手してきました。確かに、厚みのある紙の質感と合間に挟まる挿絵の重厚感がダークファンタジー醸し出す絵本の様で、さながら児童書を手にしているようだった。児童書...なのかな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 病弱な母と共に素朴ながらも幸せな日々を願い生きる、少年コナー・オマリー。スクールでは虐めを受け、毎晩、ある同じ悪夢に魘されている。彼は母の闘病生活を支え、回復を信じて疑わなかった。 庭から見える丘の上の協会。その墓地を守るようイチイの木が立っている。母にとって特別なイチイの木。ある晩、そのイチイの木が怪物に姿を変え、彼に三つの物語を話しにやってくる。そして最後の四つ目の物話は、コナー自信が怪物に話す事になると、そう言った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 抜粋 「嘘と真実を同時に信じた自分に罰を与えようとするのだ。真実を話せばよいのだよ。ついさっき、おまえがしたように。」 「善良であり、同時に邪悪だった。 殺人者であり、同時に救世主だった。 欲深い人間であり、同時に正しい考えの持ち主だった。身勝手な男であり、同時に思いやりのある人物だった。そんなことがどうしてありえる?誰からも見えなかった男の孤独は、見えるようになったことでかえって深まった。なぜだ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 苦しみたくない、開放されたい。でも、守りたい。コナーが語る四つ目の物語は、「人は大きな矛盾を抱え生きている」その物だ。 彼は怪物に真実を話した。真実の物語を。そして今度こそ本当に手を放すことが出来たのだ。 正に、平凡が正常化した大人に読んで欲しい物語だ。どうしようもうもない矛盾を、「どうしようも無いから」と視界から消した大人達へ。 真実を話せばよいのだよ。ついさっき、コナーがしたように。
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本作の内容も、著者(シヴォーン・ダウド、パトリック・ネス)のことも知らずに手にした本書。 これって児童書ですよね... 主人公は13歳の少年コナー。 毎夜悪夢にうなされ、学校でもイジメにあい辛い日々を送っています。 しかし、本当に辛いのは大好きな母親が病気にかかり日々弱っていくことで、コナーはどこかで母親が助からないと思っていること。 そして、そんな状況から早く抜け出したいと願っていること。 毎夜うなされる悪夢の中で、助けを求める母親の手をコナー自身が放してしまう。 大切なものを繋ぎ止める為に掴んだ手を自らの意志で放してしまう。 そんな矛盾を人間は持ち合わせているという事実。 あまりにも深い。 ハッピーエンドではない児童書で、ただ毎日を過ごしているだけの大人が読むべき一冊。 説明 内容紹介 2017年6月、待望の映画化! 47歳で亡くなったカーネギー賞作家シヴォーン・ダウドの遺したアイディアを、 2011年にカーネギー賞を受賞した気鋭の作家パトリック・ネスが引き継ぎ完成させた、喪失と浄化の物語。 13歳の少年コナーは、“それ"を飼い慣らし、乗り越えていくことができるのか・・・・・・? 内容(「BOOK」データベースより) ある夜、怪物が少年とその母親の住む家に現われた―それはイチイの木の姿をしていた。「わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ。おまえはかならず話す…そのためにこのわたしを呼んだのだから」嘘と真実を同時に信じた少年は、なぜ怪物に物語を話さなければならなかったのか…。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) ネス,パトリック 1971年、米国ヴァージニア州生まれ。南カリフォルニア大学卒業。1999年に渡英。一般向け読み物を2冊出版した後、YA向けの3部作“Chaos Walking Trilogy”シリーズを刊行。第3巻でカーネギー賞を受賞 ダウド,シヴォーン 1960年、英国ロンドン生まれ。オックスフォード大学を卒業後、国際ペンクラブで人権擁護などに携わる。デビュー作の“A Swift Pure Cry”でブランフォード・ボウズ賞を受賞。2007年に逝去。書きためていた3、4作目が死後刊行され、『ボグ・チャイルド』(ゴブリン書房)で2009年カーネギー賞を受賞 池田/真紀子 1966年、東京生まれ。上智大学卒業。英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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