地雷を踏む勇気 の商品レビュー
P84 多様な個性を守ることができるのは 多様な個性だけだ P210 わが国において「有能さ」とは 「衆に抜きん出ること」ではなくて むしろ逆の 「周囲に同調する能力=突出しない能力」 を意味している (橋本治) P236 大人になったことで変わったのは 私自身の内実ではなく...
P84 多様な個性を守ることができるのは 多様な個性だけだ P210 わが国において「有能さ」とは 「衆に抜きん出ること」ではなくて むしろ逆の 「周囲に同調する能力=突出しない能力」 を意味している (橋本治) P236 大人になったことで変わったのは 私自身の内実ではなくて 外界なのだ P236 私と世界の関係が変質したから 私は大人として振る舞わざる得るなくっている ※ P236 社会の中で一定の立場にある人間は 個人である以前に役割としてそこに立っている P236 大人というのは ひとつの「機能」なのだ P237 (大人は)感情と人間関係を 適切にマネジメントせねばならなくなる P239 アイドルが「ちゃん」付けで呼ばれるのは 彼女たちが子供っぽいからではない。 むしろファンが子供っぽいからだ ※ P240 結局、大人とは 役割であり契約であり義務であり 責任なのだ ※ P240 逆に考えれば 子供であることはひとつの特権だ ※ P240 子どもとして振る舞うことは 事実上の権力行使なんだと 言い換えてもよい P240 対人折衝や価格交渉みたいな 「大人」のマネジメントに従事することが タレントとしての魅力を維持する上で マイナスになる P259 三島由紀夫はその著書のどこかで 「罪に先立つ悔恨」という不思議な感慨に ついて語っているが、 オダジマは現在、ベストセラーに先立つ 多幸感の中にいる ※
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Twitterで小田嶋さんの存在を知ってウィットに富んだ文章に魅力を感じて著書を手に取った。およそ10年前のコラムだがやはり面白い。
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・著者は赤羽出身、借りた本は赤羽図書館所蔵とは面白い偶然。 ・日経ビジネスオンラインで連載していたものを書籍化。マスコミ・メディアへの揚げ足取りが基本で、言いたい事を言いっ放しというものだが文体が面白く、最後まで読んでしまった。
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半分ほどは震災のネタだが、今となってはやや薄れてしまった記憶もあり、当時の記録としても貴重。 相変わらず鋭い着眼点でコラムを書いており、東京電力や九州電力への言い方は流石の一言。 オダジマさんはtwitterで見て興味を持ち、本書を読んでみたが、他の著書も読んでみたくなった。
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著者の文章はあちこちで目にしてきたが、まとめて読むのは初めて。なるほどなあと思うところがいろいろあって、面白く読んだ。 3.11を挟んでウェブ上で連載されていたということで、当然震災・原発関係のコラムがある。これが独特の視点で読みごたえがあった。特に原発を「マッチョ」という切り...
著者の文章はあちこちで目にしてきたが、まとめて読むのは初めて。なるほどなあと思うところがいろいろあって、面白く読んだ。 3.11を挟んでウェブ上で連載されていたということで、当然震災・原発関係のコラムがある。これが独特の視点で読みごたえがあった。特に原発を「マッチョ」という切り口でとらえたものなど、言われてみればそうだなあとうなずくことしきり。圧倒的なパワーを持つものに対して、「すげー」と無条件に思ってしまう心情は(男性ほどではないと思うが)分かるように思う。何かにつけ「マッチョ」は抵抗すべき「敵」だと思うことが多い昨今、いろいろ腑に落ちたのであった。 「言論弾圧」についての意見も共感できるものだ。それは今の社会では「なんとなく面倒くさい」という形で現れる、というのはまったくその通りだと思う。実生活で、ネット上で、「これを言ったらうっとうしいことになりそうだな」と思って言わないでおく、ということがどんどん増えていると思う。自分としてはごく当たり前のことを言おうとするのに、地雷を踏んで炎上する覚悟が要求される。ああ煩わしい、というのが普通の感覚だろう。 「結果として、それらの問題を面倒くさくしている勢力に荷担することにつながる」「誰かが地雷を踏みに行かないと、議論が死ぬ」 こういうスタンスは、社会について発言する書き手として、いたって真っ当なものだと思う。 あと一つ、全く同感だと思ったのは、教育について述べられた中での次のくだり。 「個性を尊重するということは、言葉を換えて言えば寛大さのことだ」 本当にそうだ。すごく難しいことだけど。
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日経ビジネスオンラインに連載されている、「ア・ピース・オブ・警句」の単行本。小田嶋氏は私的には勝谷氏を抜き、今一番確かなというか共感できるコラムニストである。この単行本は主に3.11大震災にまつわるコラムが纏められている様だ。この震災も原発の問題が発生しなければ、だいぶ様相が違っ...
日経ビジネスオンラインに連載されている、「ア・ピース・オブ・警句」の単行本。小田嶋氏は私的には勝谷氏を抜き、今一番確かなというか共感できるコラムニストである。この単行本は主に3.11大震災にまつわるコラムが纏められている様だ。この震災も原発の問題が発生しなければ、だいぶ様相が違っていただろう。これからも原発は放射線を出し続け、コストを積み上げていくのだろう。現時点でも既に天然ガスとほぼ同じ発電コストになってしまった。九州電力やらせメール事件では、九電社員の絶望的な無能さを嘆き、原発推進派の読売新聞が、原発は核兵器の代替施設であるから、国防上の観点から今後も必要不可欠だと社説でのたまった事については、その姿勢を糾弾する。著者のコラムは公平かつ的確だ。これからも活躍して頂きたい。 追記(3/19) とある投資情報サイトより・・・ 既に東京電力は、柏崎苅場原発を再稼動できないなら大幅な値上げをすると、国民に対し脅しをかけている。原発にそこまで固執するのは、そこにとてつもない大きな利権が存在するからとしか考えられない。以下は、とある株式投資情報サイトからの転載である。 ニュースで報じられることはありませんが、福島第1原発の敷地は元々「標高35メートル」でした。それを25メートルも削って「標高10メートル」にしました。米国から輸入した原子炉(GE社製)は冷却ポンプが10メートルの高さまでしか水をくみ上げられなかった為、敷地を標高10メートルに下げたわけです。出来合いタイプ(Ready-made)と呼ばれる原子炉でポンプの設計変更は基本的に不可能とされました。 最大限の安全性に考慮して建設されるはずの原発ですが…。どういう訳か、米国のGEと東京電力の契約は『ターン・キー契約』。これも東電の“随意契約”につながる体質です。まさにお役所仕事ではないでしょうか。 当時GE社は同じ原子炉をスペインに納入したばかりで量産タイプの原子炉でした。福島にも同じタイプのものをそのまま流用すれば大幅にコストダウンができたわけです。設計から建造まで、全てメーカーに任せるまる投げの契約。GEとの契約が優先されたのか?安全に留意して他の原子炉を導入するよりも標高を25m削った方が安いと東電側が判断したのか?その辺りは判然としませんが…。 福島第1原発を襲った津波の高さは「13.1m」。敷地を「10m」に削り、しかもさらに間の悪いことに原子炉の『非常用電源』は海側の低い位置にあったようです。事故後に東電は津波の規模が想定外だったことが最大の原因と述べていますが、明らかに“東電の安全体制に”不備があったからこその事故と思えてなりません。(転載おわり) まさに許されない東電の不手際だ。このような重大な事実が報道されないのは黙っていられない。皆が知れば世の中を動かせるのだが・・・
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安藤美姫についてのコラムを読んで面白いと思ったので、手に取ってみた。 本書は3分の2以上が震災後の記事なので、当然ながら震災に関する記事が大半を占めていた。 3年前のことを思い出して神妙な気持ちになりつつも、今読むとどうしても爆笑してしまう、可笑しさ。 未曽有の大震災にあっても、...
安藤美姫についてのコラムを読んで面白いと思ったので、手に取ってみた。 本書は3分の2以上が震災後の記事なので、当然ながら震災に関する記事が大半を占めていた。 3年前のことを思い出して神妙な気持ちになりつつも、今読むとどうしても爆笑してしまう、可笑しさ。 未曽有の大震災にあっても、後から考えると滑稽と思える行動をとっていた人がこんなにも沢山いたのか、という事実に改めて驚愕した。
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社会への違和感がミルフィーユだったとして(ちがうけどね。)その一段一段重なったデリケートなパイ生地を上手に剥がしてくれるような。 あとは書き手としての視点の据え方の妙。展開されるひとりつっこみが気持ち悪くないのも、自分を含めた世界をさらに書き手として見ている、ポジショニングの賜物...
社会への違和感がミルフィーユだったとして(ちがうけどね。)その一段一段重なったデリケートなパイ生地を上手に剥がしてくれるような。 あとは書き手としての視点の据え方の妙。展開されるひとりつっこみが気持ち悪くないのも、自分を含めた世界をさらに書き手として見ている、ポジショニングの賜物なんだろうな、と。 で、ここまでは他の著書でも一緒なんだけど、この本が違うのは、元の連載の、震災直後から続く何本かが採録されているところ。確固たる立ち位置が、テキストの軽妙な息遣いが、どうしたって世界の方へと絡め取られようとする中で書かれた、幾つかのコラム。その逡巡に書き手としてのドラマを見た気がする。闘い、というか。凄い。
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毎週金曜日、日経ビジネスオンラインのこのコラムを楽しみにしています。私が、これを知る以前のものが本になっている、と聞いて読んでみました。しかし、何だか固めて読むとあまり面白い気がしない。まあ時期的に、震災関連の話題が多く、いつもの小田嶋さんの茶化した感じがでてないからかも知れな...
毎週金曜日、日経ビジネスオンラインのこのコラムを楽しみにしています。私が、これを知る以前のものが本になっている、と聞いて読んでみました。しかし、何だか固めて読むとあまり面白い気がしない。まあ時期的に、震災関連の話題が多く、いつもの小田嶋さんの茶化した感じがでてないからかも知れないので、次巻も読んでみます。
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小田嶋さんの著作「場末の文体論」に初めて手を出したのが先月。それから「その『正義』があぶない。」、共著の「9条どうでしょう」「地雷を踏む勇気」と立て続けに4冊読みました。今、手元には「もっと地雷を踏む勇気」があります。なぜって、単純に面白いから。 コラムは山本夏彦さんのそれに一時...
小田嶋さんの著作「場末の文体論」に初めて手を出したのが先月。それから「その『正義』があぶない。」、共著の「9条どうでしょう」「地雷を踏む勇気」と立て続けに4冊読みました。今、手元には「もっと地雷を踏む勇気」があります。なぜって、単純に面白いから。 コラムは山本夏彦さんのそれに一時期ハマりましたが、それ以上に夢中になって読んでいます。 縁側ぎりぎりですが、これでも一応、メディアの端くれなので、その分野のコラムに特に興味を覚えました。 たとえば、「ネトウヨ」など「ネットメディアの伸長を背景に存在感を増してきた人々」について、「彼らは『書かれなかった情報』を一行でも発見すると、『隠蔽だ』といって騒ぎ立てる」とその傾向を指摘しています。 「当たり前の話だが、メディアはすべてを書くわけではない。報道は、別の言葉でいえば要約のことだ。そして、要約の仕方には、書き手の個性が反映している」 恐らく現場の実感としてはその通りです。 フジテレビの「韓国推し騒動」については、「(フジが韓国コンテンツを優遇していることについて)陰謀ではない。経済だ」と一言で切って捨てています。 一方で、国歌・君が代については、学校現場における強制は馴染まない旨の主張をしていますが、自分としては納得できませんでした。「強制」をどう解釈するかは別にして、今の一般的な家庭の状況を鑑みるに、学校現場で国歌を教えないで子どもたちはどこで国歌を学ぶのか。学校で指導する際には一定の「強制」性が働かざるを得ません。それに、組合色の強い先生たちがそれこそ「強制」的に国歌を学校に持ち込まないよう激烈な反対闘争を繰り広げてきたことを、自分は取材を通して知っているだけに、小田嶋さんの主張はナイーブに映りました。学校で国歌を歌わせることが、ただちに愛国心を涵養するためと捉えているのも少し短絡な気がします。政治家は分かりませんが、少なくとも行政、学校現場(管理職)にそういう意図はないと思います。 「愛国心に限らず、どんな感情であれ、人間の心の動きは、強制できるものではない」という主張に異論はありません。 いいぞぉ、小田嶋さん!
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