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メモリー・ウォール の商品レビュー

4.1

42件のお客様レビュー

  1. 5つ

    11

  2. 4つ

    20

  3. 3つ

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2012/03/03

「記憶がなければ、われわれは何者でもない」冒頭に掲げられたルイス・ブニュエルのことばに疑問を持ちながら本編に入り、読み始め1節で立ち上がる世界観がすごい。登場する人物たちを遠くから、近くから視点を変えて描写するのが全く不自然でなく、むしろひきこまれた。「ネムナス川」「113号村」...

「記憶がなければ、われわれは何者でもない」冒頭に掲げられたルイス・ブニュエルのことばに疑問を持ちながら本編に入り、読み始め1節で立ち上がる世界観がすごい。登場する人物たちを遠くから、近くから視点を変えて描写するのが全く不自然でなく、むしろひきこまれた。「ネムナス川」「113号村」「来世」など、表題作よりも好きになりそうな短編ばかりが収められたお得な1冊。しっとり未来を見つめたい時におすすめです。

Posted byブクログ

2012/02/26

『知りたい思いは知りえないこととせめぎあう。サボおばあちゃんの人生は、どんなだったのだろう? ママの人生は? わたしたちは濁った水を通して過去をのぞく。見えるのは形と姿だけだ。どこまでが本当なのだろう』-『ネムナス川』 たとえば何のために本を読むのだろう、と問うてみたくなる。問...

『知りたい思いは知りえないこととせめぎあう。サボおばあちゃんの人生は、どんなだったのだろう? ママの人生は? わたしたちは濁った水を通して過去をのぞく。見えるのは形と姿だけだ。どこまでが本当なのだろう』-『ネムナス川』 たとえば何のために本を読むのだろう、と問うてみたくなる。問われただけで何となく不快な気分になるこの問いは、けれど、敢えて問うてみる意味のある問いであるような気がする。それはこの問いがすぐさまより大きな人生の問いに繋がってゆくような予感がするからだ。 何故不快なのかと考えてみると、その問いの立て方が既に結果を問うような形をとっているせいだ、と気付く。それが読むことの楽しみが半減するような気分にさせられる原因だ。つまり読むことは結果を求めて行う行為ではない、とどこかで自分が思っているということだ。そうだ、読むことはどこまでも過程に意味がある。その本に書かれている事実や情報が役に立つとか立たないとかには余り価値はない気がする(そうじゃないこともあるだろうけれど)。例えば自分にとっては、本の内容と全く関係のないことを漠然と考える気分になること(たとえばこんな風に)、その過程にこそ意味があるように思うのだ。そう呟いてみて、すぐに別の思いも湧いてくる。ひょっとして人生というやつもそうなのではないのか、と。 記憶というものと本というものは似た存在だ。記憶を(未来へ)残すということの一つの物理的な形が本なのだから、それは当たり前と言えば当たり前なのだが、そのことを言っている訳ではない。それは、どちらもそれを辿る者がいない時、存在しないのと同じである一方で、それを辿る者(本人を含む)がその過程で経験することは、本や記憶を残したものの意図とは無関係である、というところが、似ていると思うのだ。それは恐らくどんな言葉一つでも映像でも、文脈ということを逃れては存在し得ないということを意味しているのだろうと思う。 この本のどの短篇の中でも記憶の伝達というようなことがテーマとして扱われるが、それが間に入るべき世代を越えてなされるように描かれている作品が多いのも、記憶媒体に載せて伝達可能な情報と文脈の間に溝があることを示すのが解り易くなるからだろうと思う。その効果をより深めるためか、物語はオープンエンドの印象を残すように描かれる。結果を問わないことが、記憶の過程(文脈)依存性をより強調する。この作品を読むものたちとて、自分自身が既に知っている(と思っている)文脈の中でしかその物語を読むことはできない筈だ。例えば、アパルトヘイトという言葉を探し出してくる脳、38度線という言葉を呼び出す脳、三峡ダム、クリスタルナハト、アウシュビッツ。文字になっていない言葉が頭の中で勝手に渦を巻き、読み解く物語を導いてしまう。 記憶はある意味で中立なものだ。もしそれが記録という言葉に近いものを意味しているならば。しかし一方で一人の頭の中にある記憶は、その人の今現在置かれた立ち位置における文脈を除外して意味を取り出すことは難しい(それをやったらどんなことが起こるのかを描いているのが「メモリー・ウォール」だ)。しかもより厄介なことに現在の文脈は過去の記憶の文脈を容易に置換する。時には事実を上書きさせもする。記録とは程遠いものとなる。では記憶すること、過去の記憶を辿ることなど全く無意味なことなのか、と問えば答えは当然否である。記憶は辿り直すことで新たな変化を辿ったものにもたらす。そのことに意味がある。新たに与えられた文脈の中で記憶の意味も新たになる。時をおいて読み返した本が新たな楽しみを与えてくれるように。 正確に過去に何が起こったのかを知りたい、との思いは普遍的な希求としてあるだろうし、この作家の中にもあるのだろう。しかし、正確な過去とは何か、と問い始めた時、知りたいことの意味はあいまいにならざるを得ないだろう、とも思う。恐竜の化石の記憶は、ある者にとっては封印したい文脈の中に存在し、ある者にとっては現実の文脈の中で価値を伴う情報とつながる。言葉の壁はその向こうにある記憶の扉を開けるための失われた鍵のようでいて、本当に知りたいことは言葉を越えて伝わる。祖母の記憶は歴史を再構築するための情報としての価値はないかも知れないけれど、その時代の空気を間違いなく吸い込んでいて、孫という培地に置かれた時、それが確実に言葉から滲みだして来て、新しい意味を教える。 記憶。それは別の言い方をすれば、正義ということと同じニュアンスを帯びてくる。常に正しい記憶がないように、常に正しい正義もない。僕らは自分たちを過大に信用してはならないと思う。

Posted byブクログ

2012/02/25

記憶を巡る6つの短編集。 「記憶のない生は、まったく生とはいえない」と序文のルイス・ブニュエルの言葉が読後に響く。 記憶は、私たちの存在そのもののようである。それは、ある時は夫との幸せに満ちた愛の記憶であり、ダムに沈む村のかつての繁栄の記憶であり、強制収容所に送られる前の楽し...

記憶を巡る6つの短編集。 「記憶のない生は、まったく生とはいえない」と序文のルイス・ブニュエルの言葉が読後に響く。 記憶は、私たちの存在そのもののようである。それは、ある時は夫との幸せに満ちた愛の記憶であり、ダムに沈む村のかつての繁栄の記憶であり、強制収容所に送られる前の楽しくも切ない孤児院の記憶である。それが哀しい記憶であろうと、楽しい記憶であろうと、人はその記憶の上に立ち、己の存在の核となる。 物語は全体的にどこか哀愁が漂う。荒涼とした風景の中を車が走り、乾燥した冷たい空気の中で少女が魚を釣り、雪がしんしんと積もる中で息子からの手紙を読む。殺伐とした風景の中で、人はかつての記憶を呼び戻し、その心象風景との対比が読む者の胸を打つ。 筆者の経歴を調べて気づくが、この短編集では「記憶の継承」というテーマが強く前面に出ていると思う。「メモリー・ウォール」では老婦人の記憶を盗賊の仲間のルヴォが、「一一三号村」では息子が、「来世」では孫のロバートが、それぞれ主人公の記憶の担い手として登場する。継承者たちは主人公の記憶の断片を共有し、自分の人生へと引き継いでいく。それぞれの短編のラストは非常に温かみに溢れている。 これは筆者のドーア自身がふたりの幼い子を持つ父親という立場が色濃く影響しているのかもしれない。生き生きとした子供たちの描写には特に心を奪われる。一つ一つの文章は短いが、世代から世代へと受け継がれる、広がりを持った作品であった。

Posted byブクログ

2012/02/21

「記憶」にまつわる短編小説集。 記憶はその人だけのものであり、その人の頭のなかでのみ現実となる。死が記憶を引き出すこともあれば、生が呼び起こすこともある。そして時間と共に記憶は何度も作り直される。

Posted byブクログ

2012/02/11
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

アンソニー・ドーアの短編集。 表題作は、記憶をプラスチック製のカートリッジに保存できるようになった近未来の南アフリカが舞台。 認知症を患う裕福な老女アルマの家に、 彼女の夫が死の直前に発見した幻の恐竜の化石を探すロジャーと、 記憶読み取り人のルヴォが侵入する。 二人はアルマのカートリッジを次々と再生していく。。 最後の方はぎくしゃくしていた夫婦関係にも、 美しい宝物のような瞬間があった。 たとえアルマが思い出せなくても、 紙片で覆われた寝室の壁に、 記憶のかけらに触れたルヴォの心の中に、 二人の愛は生き続ける。 ある朝、以前の明晰さを少しだけ取り戻したアルマが、 使用人に話しかける場面が印象的。 彼女は結婚生活を振り返って “しあわせだったときもあるし、そうでなかったときもあるわ” “ほかの人たちと同じように。しあわせな人だとか、不しあわせな人だとか言うのはばかげている。人間って、一時間ごとに千もの違った人になるんだもの” と語る。 本書に収められているのは、 千もの違った人になれる人間の、生の断片。 その一つひとつがかけがえのないもの。 決して乗り越えられない、悲痛な思い出であっても。 体験した本人がいなくなったとしても、 誰かが覚えているかぎり、 それらの記憶はいつまでも失われることはないだろう。

Posted byブクログ

2012/02/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

記憶をチップに納めて保存できる世界に生きる、 認知症の貴婦人……すっごく良かったです。 淡々とした筆致もすごく好き。

Posted byブクログ

2012/01/20

 短編集。    記憶を取り出して保存できる装置を手に入れた認知症の女性と、彼女の記憶の読取人。徐々に記憶があやしくなっていく老女と、化石を掘り出しに行く読取人、カセットの中の話が交互に進められていく。  タイトルの小説のほかに、不妊治療を続ける夫婦、ダムに水没する中国の村の人...

 短編集。    記憶を取り出して保存できる装置を手に入れた認知症の女性と、彼女の記憶の読取人。徐々に記憶があやしくなっていく老女と、化石を掘り出しに行く読取人、カセットの中の話が交互に進められていく。  タイトルの小説のほかに、不妊治療を続ける夫婦、ダムに水没する中国の村の人々、ナチスから逃れた体験を持つてんかんの持病を持った孤児の幼年時と80歳の現代。  どれも美しいが、物悲しい。読後に、漠然とした怖れを感じさせる。

Posted byブクログ

2019/06/02

[コメント] NHK BS「週間ブックレビュー」2012/01/14 6:30- 星野知子氏紹介

Posted byブクログ

2011/12/21

不妊治療をしている夫婦の話が悲しかった。 人間の存在は記憶そのもの。 なのに記憶は失われる。 喪失を描いた短編集。

Posted byブクログ

2011/12/21

短編集。舞台となる国がバラエティに富んでいる。 表題作は過去の記憶をカートリッジに収めたものを再生できる技術が開発された近未来の南アフリカが舞台。富裕層の老人たちは認知症の進行を食い止めるためにそれを利用するが、一方で他人の記憶を盗み見て重要な情報を得ようとする輩も現れて、とい...

短編集。舞台となる国がバラエティに富んでいる。 表題作は過去の記憶をカートリッジに収めたものを再生できる技術が開発された近未来の南アフリカが舞台。富裕層の老人たちは認知症の進行を食い止めるためにそれを利用するが、一方で他人の記憶を盗み見て重要な情報を得ようとする輩も現れて、というような話。 金持ちだが夫を亡くし認知症が進んだ老女はひたすら過去を見続け、長年その世話をし続けた忠実な使用人は、認知症が進んで老女が施設に入ると仕事を失ってしまうにも関わらず打つ手がなく、他人に命じられるままに老女の記憶を盗み見る少年は、老女の過去にのめりこみはじめ・・・。 不思議な読後感の作品集。おもしろかった。

Posted byブクログ