河北新報のいちばん長い日 の商品レビュー
河北新報社がどのような考えで震災報道に当たってきたのか、その過程でどのような思いを抱いてきたのか、たんたんと、日をおいながら、短いエピソードごとに記載されています。 地方紙としての思いを痛切にかんじられ、また、震災後におこったいろんな葛藤が、こころに響いてきます。後世に残すべき本...
河北新報社がどのような考えで震災報道に当たってきたのか、その過程でどのような思いを抱いてきたのか、たんたんと、日をおいながら、短いエピソードごとに記載されています。 地方紙としての思いを痛切にかんじられ、また、震災後におこったいろんな葛藤が、こころに響いてきます。後世に残すべき本だと思います。
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このタイミングで読んで良かったなぁと感じた。 東京で暮らすものにとって1年近くが過ぎ なんとなく人事のようになって薄れていた感情を 完全に揺り戻してくれた一冊だった。 電車の中でも自然と涙が滲んでしまった。 そして紅白で長渕 剛が歌った「ひとつ」を思い出した。 被災者...
このタイミングで読んで良かったなぁと感じた。 東京で暮らすものにとって1年近くが過ぎ なんとなく人事のようになって薄れていた感情を 完全に揺り戻してくれた一冊だった。 電車の中でも自然と涙が滲んでしまった。 そして紅白で長渕 剛が歌った「ひとつ」を思い出した。 被災者と寄り添ってひとつになることで 復興を願うこの本はみんなに手にとって欲しい。
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東北ブロック紙「河北新報」にとって3.11とはなんだったのか、を描く。 新聞らしい客観的な(記事的な)被災地の記録というよりは、一被災企業の奮闘を描いたノンフィクションというべき本であり、それが逆に取材記録それ自体よりもよほどリアリティがある。そしてまた震災を機に自らの仕事の意味...
東北ブロック紙「河北新報」にとって3.11とはなんだったのか、を描く。 新聞らしい客観的な(記事的な)被災地の記録というよりは、一被災企業の奮闘を描いたノンフィクションというべき本であり、それが逆に取材記録それ自体よりもよほどリアリティがある。そしてまた震災を機に自らの仕事の意味を再考する職員の記録も多く、「俺の仕事って何だろう論」としても意義深い、し、いやむしろ当事者たちとしてはたぶんそちらがメインテーマなんだろうなとも思う。花形である取材班のほか、スタッフ部門や紙面構成部門の話にも紙面を割いており、そういった裏方で地味な彼らの仕事感に触れられるのも魅力。おすすめ。
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電気が止まり、インターネットもテレビも利用できない暗がりの避難所で号外を手にして、津波の大きさをはじめて知った被災者。自分のうちや家族のことを心配しながらも、新聞を発行しつづけた社員の姿勢に感銘を受けました。スポーツや芸能担当の方が、地域のスーパーが営業しているのか生活情報を受け...
電気が止まり、インターネットもテレビも利用できない暗がりの避難所で号外を手にして、津波の大きさをはじめて知った被災者。自分のうちや家族のことを心配しながらも、新聞を発行しつづけた社員の姿勢に感銘を受けました。スポーツや芸能担当の方が、地域のスーパーが営業しているのか生活情報を受け持つなど、仕事の割り振りが早いです。販売店が被災した悲しいエピソードもありましたが、新聞を届けるという行為そのものに大きな意味があった時期が確かにあったのだと思いました。
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新聞人の誇り が 随所に 1995年の1月17日の神戸新聞の夕刊のことが しきりと思い出されてならなかった インターネットが普及している今だからこそ 紙の「新聞」の存在の意味を 今一度 考えさせてもらえる 一冊だと思う 私たちは 新聞と一緒に この世の中を 生きている
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被災者とともに歩む。地方紙の気概と決意。 河北新報社は、仙台を本拠地とし東北6県をカバーするブロック紙である。創刊は1897年であり、社名は明治維新の際、薩長が東北を蔑視して「白河以北一山百文」と称したことに発憤してつけられたものという。 地方に密着した筋金入りの地方紙である。...
被災者とともに歩む。地方紙の気概と決意。 河北新報社は、仙台を本拠地とし東北6県をカバーするブロック紙である。創刊は1897年であり、社名は明治維新の際、薩長が東北を蔑視して「白河以北一山百文」と称したことに発憤してつけられたものという。 地方に密着した筋金入りの地方紙である。 3月11日に被災した後の河北新報社の奮闘の日々を振り返る。 混乱の中、河北新報は、何とか新聞を出そうと奮闘し、休刊することなく、震災当日の号外も翌日の新聞も発行する。他紙への協力要請、被害が軽かった支社からの全面支援、社員の空腹を満たす「おにぎり」隊の活動等、全社体制で事にあたり、ライフラインが整わぬ中、何とか紙齢をつないでいく。その顛末を描く前半は、連帯感と達成感に満ちており、ある種、希望と勢いを感じさせる。 しかし、後半には、社員各人の心の傷も描き出されていく。 原発事故直後、社の指令で福島から避難したことをどうしても乗り越えられず、記者の仕事を辞めた社員がいた。震災当日、ヘリコプターから助けを求める人々の写真を撮ったものの、それが速やかな救助にはつながらなかったことを知って苦しむカメラマンがいた。 購読地域内の震災に対する温度差も徐々に明らかになっていく。 震災の話はもう見たくない、テレビ欄を元に戻して欲しいという読者もいる。一方で、いまだ不自由な生活を強いられる被災者も多い。 震災による困難はなお続く。 河北新報は息の長い検証記事を載せ続けているという。 誠実に真摯に、「被災者とともに歩む報道」とは何かを問い続ける姿勢に敬意を表したい。 *「白河以北一山百文」--ひどいことを言うもんだ(誰が言い始めたのか、あまりはっきりした記録は残っていないようだが)。 でもこんな蔑称があったなんて知らなかったな。東北の歴史にあまり思いを致すこともなかった自分にも反省。 *同じ地方紙である石巻日日新聞の『6枚の壁新聞』が思い浮かぶ。石巻日日は、宮城県東部をカバーし、社員30人弱というから、東北地方をカバーし社員550人余の河北新報よりは一回り小さい。河北が休刊しなかったのを知って石巻日日の記者が忸怩たる想いを抱く場面が確かあったが、これだけ規模に差があると、致し方なかったことだろうと思う。
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東日本大震災の被災地にあるブロック紙が震災下でいかに新聞を発行し続けたのか。紙面の向こう側にあった、取材や製作の過程、携わる人々の苦悩の記録。あの災害下で紙齢を途絶えさせず、「それでも新聞をつくり続けた」ことに敬意。 「正確な情報もライフラインの一つ」。震災後のニュース映像で...
東日本大震災の被災地にあるブロック紙が震災下でいかに新聞を発行し続けたのか。紙面の向こう側にあった、取材や製作の過程、携わる人々の苦悩の記録。あの災害下で紙齢を途絶えさせず、「それでも新聞をつくり続けた」ことに敬意。 「正確な情報もライフラインの一つ」。震災後のニュース映像で、避難所で配られた薄い新聞を食い入るように読む被災者の姿が目に焼き付いている。未曾有の大混乱の中、情報を集め、整理し、紙に刷って、人の手で届ける。震災で多くの購読者やスポンサーを失い、社屋やシステムをやられ企業として大打撃を受けながら、購読料にはつながらない号外の発行、避難所への配布を行う姿勢に、民間企業でありながら「社会の公器」としての役割を持つことを再認識した。 救助するわけでも治療するわけでもなく、「取材」すること。「なんであんたにそんなこといわなきゃならねえんだ」と当然のことを言われながら取材し続けること。「現場」を踏みたいと思う本能と、聴くこと書くことの恐怖。それは及び腰なのか、良識なのか。どこまで聴き、伝えてよいのか。今必要な情報は何か。制作側の苦悩が分かって興味深い。記者たちはきっと、見た者、聴いた者、発した者の責任として、一生、自問自答し続けるのだろうな。 特に原発事故発生以降、大手メディアの報道姿勢について機能不全を指摘されていたこともあるし、ネット社会、人口減社会にあって新聞は斜陽化しつつあると感じていたけど、やはり新聞はメディアの一角に必要だと思った。中でも地方紙は地域の味方であり続けることに存在意義がある。読者の代わりに聴き、代わりに声を発し、辛い時もうれしい時も一緒に歩くメディアであってほしい。 ☆ひとつ分は、やはり自分のことを客観的に見るのは難しいな、と感じた点。ところどころ独特のナルシシズムを感じてしまった。文体は当初の新聞記事らしい簡素なものに、出版社の提案でドラマチックになるよう加筆したとのことだけど、新聞社の記録らしく淡々とした文体で良かったのでは。河北はネットもうまく使っているイメージだけど、震災時は活躍しなかったのか、その辺も知りたかった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「被災者たちのさまざまな思いを受け止めながら、それを発表できないことは、記者にとっては苦しく、切ない。」(pp.260) 東北6県に根差す地方紙『河北新報』は東日本大震災にどう向き合ったのか、を関係者の膨大な行動記録をもとに再構成、編集した1冊です。 本書の主役は、まさに報道を担う「人」です。 インフラが壊滅し、資源も底をつく。家族や同僚の安否も分からない。地震発生直後のこうした状況下で、翌日の新聞発行へ一丸となって奮闘する社員たち。 原発事故で放射能被爆の危険があり、現地取材ができないこと。仕事とはいえ、家族を失った子供から話を聞き出さなくてはならないこと。 記者であることと一人の人間であることとの間で、葛藤し苦しむ記者たちの姿には、読む者の胸に迫るものがあります。 震災時の報道は、これまでもある程度は検証されてきましたし、それはこの先も積み重ねられていくでしょう。 こうした蓄積のなかでも、「報道する側であると同時に、被災者でもあった『河北新報』」という特殊な立場からの検証である本書は、災害時のメディアを考えるうえで重要な一冊になると思います。
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この本を読んで、3.11の「あの時」、自分が何をしてしていたかを振り返った。 ちょうど銀座で試写を見ていた時だった。地下の試写室で強い揺れを感じ、急いで地上に駆け上がった。寒さの残る3月。しばらく、地上で様子を伺っていると、また強い揺れを感じた。銀座の表通りは騒然としていた。古...
この本を読んで、3.11の「あの時」、自分が何をしてしていたかを振り返った。 ちょうど銀座で試写を見ていた時だった。地下の試写室で強い揺れを感じ、急いで地上に駆け上がった。寒さの残る3月。しばらく、地上で様子を伺っていると、また強い揺れを感じた。銀座の表通りは騒然としていた。古いビルからはガラスが割れて地上に落ち、会社員たちはヘルメットを被って慌ててビルから飛び出してきた。携帯で確認すると、震源は東北、そしてワンセグの映像から大津波が押し寄せているのが分かった。これはただ事ではない。そんなことを思いながら、同僚と喫茶店で時間をつぶした。 その日は、ご多分に漏れずに帰宅難民になった。底冷えのする3月の空の下、歩きづらい革靴で東京郊外の自宅まで2時間かけて歩いて帰った。あの日の記憶は一生忘れないだろう。クタクタになりながら自宅に戻ってテレビをつけると、自分の想像以上のことが起こっていた。津波で家が流され、町からは炎が上がっている。聞けば、数千〜数万人の避難者が出ているという。帰宅難民になったぐらいでぶつくさ言っていた自分を恨めしく思った。 それから10ヶ月。震災は終わっていない。あの日、当事者だった東北の人たちは強烈な記憶を持ちつづけて生きている。その強烈な記憶が本書には凝縮されている。舞台は河北新報社。震災発生からの新聞社としての動き、取材した被災者たちの行動、そしてそれに関わった記者たちの心情について事細かい記述がなされている。震災から時を経ていないで出版された本書は一時資料としてとても貴重だ。家族や友人たちを案じながら、新聞社に務めるものとしての使命感に揺れる心理描写は胸を打つ。情報が断絶された被災地では3.11からしばらくの間、新聞の持つ意義はとても大きかっただろう。 記者たちの震災地の描写は非常に生々しい。ある記者は、震災直後にヘリコプターに乗り込んだ際、学校の校舎の屋上に「SOS」を見つけるが、自分たちは救助用のヘリではなく「どうすることもできないんだ…」と葛藤していたという。これはテレビの前で悲惨な被災地の様子を見せつけられながら、何もできなかった自分の姿に重なる。震災直後、多かれ少なかれ無力感に襲われた人も多かったはずだ。 一時資料としては大変貴重ではあるが、書き方は自己満足的なところが多く、少し鼻についた。「全国紙は〜だったが」など、新聞各社のライバル意識は分からなくはないが、正直田舎臭い。また、新聞へのプロパガンダ的な側面も否定できない。確かに、「信用できる情報リソース」として、震災直後に一時的に新聞の価値は高まったように思うが、だからといって、ネットなどの新興メディアが有事に不利益だとは全く思わない。あまりにも「新聞万歳!」と露骨なアピールをされて、読者とてしては一歩引いてしまったのは惜しい。
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あの日何が起こったのか、何を考えたのか、今でもはっきりと思い出せる。 河北新報のありがたさも。情報が無い中、12日の朝に初めて見た写真の衝撃、大見出しが伝えてくる遣る瀬無さ。どんな思いでそれを読んだのか、今でも『思い出す必要がない』くらいに覚えている。
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