あなたは誰?私はここにいる の商品レビュー
30年前、デューラーの《自画像》から身震いするような感動を覚え啓示を受けたと云う著者。ベラスケス、マネ、ブリューゲル、クリムト、ゴーギャン、ルーシー・リー、ハンス・コパー、円空、熊田千佳慕・・・などの絵画や陶器や彫刻という古今東西のアーティストの作品群を深い洞察力で綴っている。 ...
30年前、デューラーの《自画像》から身震いするような感動を覚え啓示を受けたと云う著者。ベラスケス、マネ、ブリューゲル、クリムト、ゴーギャン、ルーシー・リー、ハンス・コパー、円空、熊田千佳慕・・・などの絵画や陶器や彫刻という古今東西のアーティストの作品群を深い洞察力で綴っている。 福島を訪れた氏が戦慄的ながれきの山を目にした様子から、ブリューゲルの《死の勝利》《バベルの塔》について、失意と絶望の闇の中に、それでも希望のかすかな光が見える。再生の時が必ずやってくるのだ!というそうしたメッセージが認められている。 NHKEテレ『日曜美術館』の司会をやられていたのを拝見して好感を持っていたが、こんな細部まで観ているのかと・・・本書を読んで新たな絵の鑑賞法を学んだ。
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タイトルに惹かれて買いました。とても読みやすく、私にしては珍しく一日で読み終えることができました。一回目は「芸術に対する鋭敏な鑑賞センス」に圧倒されましたが、二回目はタイトルのような「自己と絵画の存在関係」のテーマに沿って注読していきたいです。 「美術館めぐり」を趣味にしている...
タイトルに惹かれて買いました。とても読みやすく、私にしては珍しく一日で読み終えることができました。一回目は「芸術に対する鋭敏な鑑賞センス」に圧倒されましたが、二回目はタイトルのような「自己と絵画の存在関係」のテーマに沿って注読していきたいです。 「美術館めぐり」を趣味にしている方にはとてもお勧めできると思います。美術鑑賞のたのしさあるいは意義を共感あるいは発見することができると思います。
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語られている絵を、すごく見たくなった。 お前はどこにいる、私はここにいるよ。 このような問いかけを常に感じながら 絵画や芸術に対してみたい。
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59点。自分から、日本から、そして在日から逃れるようにドイツに渡った著者は、そこで一枚の肖像画に出会う。 選択をすることも、しないこともできる鵺のような自由を弄び、懈怠と夢想の中に韜晦していた著者に対して「おまえは何者か」と語りかけてくる肖像画に強烈に圧倒される。 著者は自我への...
59点。自分から、日本から、そして在日から逃れるようにドイツに渡った著者は、そこで一枚の肖像画に出会う。 選択をすることも、しないこともできる鵺のような自由を弄び、懈怠と夢想の中に韜晦していた著者に対して「おまえは何者か」と語りかけてくる肖像画に強烈に圧倒される。 著者は自我への目覚めを「私」とはいったい何者であるのかと問い始めたことにあるという。著者は在日韓国人であり、常にナショナリティやアイデンティティ、民族性、パトリ(故郷)についての葛藤や苦悩が常にあったと説明する。 悲しいかなアイデンティティは「他者」との関係においてでしか見い出せない。翻って海外留学経験もなく日本で育った自分はナショナリティやアイデンティティについて、今まで本気で考えたことがない。 そのような環境に育った自分にとってはナショナリティやアイデンティティについて、なんの躊躇いも考えもなしに織り込まれてしまったのは事実であるが、しかしながらこの点に深刻な反省を欠いて「私は私だ」という認識を持つには至らないし、そのように「私」を極めて単純化してしまうのは極めて愚鈍な振る舞いだとも思う。 だからこそ著者とは対照的に、とりわけ自分自身の悩みは世界における「私」の位置付けというよりは、この「私」のいる世界にこそ向けられる。 非作為的な「私」として「自我」が浮遊してしまい、結果的に「自我」に懐疑的になった。経験の主体としての自我ってなんだろっていう。 だから「私たれ」と強く主張すればするほどに個人的にはピンとこない。 己がある人は強い。尊敬する。自分が主観的な議論を厭い、どこか客観的立場に逃げ込んでしまうのは上記の理由からだと思うのだ。 話の内容から逸れちゃいましたが芸術鑑賞論です、この本は。絵画や画家に関する本が好きならオススメですな。
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作品との対話、芸術体験。筆者が作品と向き合うことでインスパイアされる何か。そういった作品の紹介。私の好きな作品も多々あって良かった。もうじき京都で開かれる犬塚勉展にはぜひ行きたい。
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絵画や陶器との出会いによって、自分に訪れた現象や変化を、まっすぐな言葉で表現している。作者の意図に沿った見方をしても、それとはまったくかかわりなくても、人は自由に作品と対話していい。時代も生きている場所も超えて、人としてわかること、触れ合う瞬間があり、それを感じられる作品と出会え...
絵画や陶器との出会いによって、自分に訪れた現象や変化を、まっすぐな言葉で表現している。作者の意図に沿った見方をしても、それとはまったくかかわりなくても、人は自由に作品と対話していい。時代も生きている場所も超えて、人としてわかること、触れ合う瞬間があり、それを感じられる作品と出会えるのは、まさに僥倖といっていい。
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著者が伝えたいことは? 東日本大震災、その後の放射能汚染の恐怖が重なり、多くの人々がこれまで経験したことのない心の動揺や空虚感に苛まれている。 人間というのは、理由さえわかれば、相当つらいことにも耐えられるのですが、意味のわからないことには、耐えられない。あまりにも意味不明な打撃...
著者が伝えたいことは? 東日本大震災、その後の放射能汚染の恐怖が重なり、多くの人々がこれまで経験したことのない心の動揺や空虚感に苛まれている。 人間というのは、理由さえわかれば、相当つらいことにも耐えられるのですが、意味のわからないことには、耐えられない。あまりにも意味不明な打撃をこうむると、人は、虚脱上達に陥ってしまう。 そんな中でわたしたちが解放されるのは、著者が、一枚の絵をみた時の衝撃、つまり、感動のようなものこそが、まさにカギになるのではないか… 迷路の中で方向感覚を失った人間にとって、最後の切り札になるのではないか… 著者は、当時、それまでの自分から、日本から、そして在日から逃げるように、ドイツに渡り、何の束縛もない状態にあった。その時の状態は、ひとことでいうと憂鬱…とらえどころのない気分、煙りのように動く感情のようなもの。リアルな感覚から距離をおきながら、ふさぎ込んでいる状態であった。 そんな中、一枚の絵、アルブレヒト デューラーの自画像が著者を叩きのめすほどの衝撃を与えた。 そして、著者に対して生きる力を与えた。 そこで、著者は、無感動になってしまった人たちに、何らかの方法で、心を揺さぶり動かす祈りの芸術をみてもらうことを願う。 なぜなら、何かに感動する力というものは、取りも直さず、生きる力であるからである。 感動というのは、自分の中で自家発電的に起こせるものではなく、外から何かに触発されなければならない。
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美術本というよりは、数々の芸術作品から自分自身を捉えなおす哲学的要素の強い本。 時間をかけて読みたいと思える数少ない本。新書でこれだけ深い内容が盛り込まれてると超お得な気分。 震災や戦争などコントロール出来ないことが否応なく降りかかる時代、自分の物語が作れない。人間、理由の分...
美術本というよりは、数々の芸術作品から自分自身を捉えなおす哲学的要素の強い本。 時間をかけて読みたいと思える数少ない本。新書でこれだけ深い内容が盛り込まれてると超お得な気分。 震災や戦争などコントロール出来ないことが否応なく降りかかる時代、自分の物語が作れない。人間、理由の分からない意味不明なものの前にはただ立ち尽くすことしか出来ない。この不可知な世界をクレーやロスコは抽象画という手段で手探りで表現を試みた… 彼らの絵をみた姜尚中は、絵に吸い込まれて意識が溶けていくような感動を受けた。まるで人類補完計画。 深いわ。星6つ付けたい。
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