あなたは誰?私はここにいる の商品レビュー
絵画の鑑賞が、実に個人的な体験であるということを感じさせてくれる。所謂絵画鑑賞の手引書的な内容では無いところが良い。アカデミックな鑑賞も意味の無いことでは無いが、観る者がその作品と対峙し、どのような感慨や影響を受けるかということは、筆者が記したような実に個人的な体験であることを...
絵画の鑑賞が、実に個人的な体験であるということを感じさせてくれる。所謂絵画鑑賞の手引書的な内容では無いところが良い。アカデミックな鑑賞も意味の無いことでは無いが、観る者がその作品と対峙し、どのような感慨や影響を受けるかということは、筆者が記したような実に個人的な体験であることを思い出させてくれる。自らの経験や体験と、芸術作品が呼応するような瞬間を味わうことは、絵画のみならず芸術作品を鑑賞することの醍醐味である。
Posted by
姜氏の美術エッセイ。 「日曜美術館」で司会をされているためか、昨年展覧会で見た作品が多く取り上げられており、タイムリーに読めた。 作品の軽い解説・分析プラス姜氏の個人的な思い出といった感じで、軽く楽しめたがあまり深く印象に残る内容がなかった。 見たい作品: ミレー「春」(ルーブ...
姜氏の美術エッセイ。 「日曜美術館」で司会をされているためか、昨年展覧会で見た作品が多く取り上げられており、タイムリーに読めた。 作品の軽い解説・分析プラス姜氏の個人的な思い出といった感じで、軽く楽しめたがあまり深く印象に残る内容がなかった。 見たい作品: ミレー「春」(ルーブル) ブリューゲル「絞首台の上のカササギ」(ヘッセン州立美術館)(ダルムシュタット)
Posted by
目次:はじめに 私たちは今,どこにいるのか、第一章おまえはどこに立っている、第二章生々しきもの、第三章エロスの誘い、第四章白への憧憬、第五章不可知なるもの、第六章死と再生、第七章生きとし生けるもの、第八章祈りの形、第九章浄土的なるもの、第10章受け入れる力、おわりに ここで生きる
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
マネ、ゴーギャン、ミレーらの有名な絵画を通して、姜尚中氏が何を思ったかを綴った「美術本」兼「哲学書」。「こういう芸術の味わい方があるのか」と、今度美術館に行くときに絵の見方が変わりそうだ。哲学しながら芸術の知識も身につくお得な本と言えるかもしれない。(竹村俊介) ▼『ジセダイ』140文字レビューより http://ji-sedai.jp/special/140review/20111024.html
Posted by
読んでいると、文中にある挿絵画以外にも紹介されている絵画を見たくなり、PCを横に置きつつ読むという珍しいスタイルをとることになった。結果、絢爛豪華という印象しかなかったクリムトに俄然興味が湧き、即図書館へ♪ 絵画の見方の一手法を提案してくれています(*^_^*)
Posted by
絵画をどうやって見たらいいか、なんとなく分かった。岡本太郎記念館に行きたい。そして、パンケーキ食べたい。
Posted by
姜氏が司会をしていたNHK教育の“日曜美術館”は欠かさず観ていた。小一時間、姜氏の独特の雰囲気に浸りたいという不純な動機もあったけれど、画家や一枚の絵画に対する彼の感想には、必ず彼独自の見方や感じ方が紹介され、その内容はとても興味深く、かつその姿勢を好ましくも感じた。今回、とりわ...
姜氏が司会をしていたNHK教育の“日曜美術館”は欠かさず観ていた。小一時間、姜氏の独特の雰囲気に浸りたいという不純な動機もあったけれど、画家や一枚の絵画に対する彼の感想には、必ず彼独自の見方や感じ方が紹介され、その内容はとても興味深く、かつその姿勢を好ましくも感じた。今回、とりわけ思い出深い芸術作品をとりあげての著作ということで、期待して購入。 姜氏の日本語にはどこか切ない美しさがある。そこはかとなく官能的といってもいい。在日という出自を背負った彼の淋しさや苦悩、自分自身への問いかけの日々が、時を重ねて熟成し、独特の芳香を放ち得ているのだろう。 いずれの作品の記述も興味深く読んだけれど、とりわけブリューゲルの“絞首台の上のカササギ”の考察は心に留まった。通常いわれる怖い絵との感想とは裏腹に、そこに再生や希望を見出したいという彼の願いは、辛苦の中にあって未だ人間への希望を捨てない、彼の人間讃歌の姿勢を見た思いがした。
Posted by
あまりピンとこなかったなぁ…。この方面に疎いということもあるけれど。こういう本は自分の目で実物をみて感じないと意味をなさないかも。著者のモラトリアムはよくわかった。
Posted by
NHK「日曜美術館」司会者であった著者が、思い入れ深い絵・陶芸とその作者について語る。語り口はわかりやすく、面白く読み進めたが、作品の写真がモノクロしかないのは致命的。テーマがテーマなのだから、作品の紹介の仕方にもっと力をそそぐべきだ。 ブリューゲルの「絞首台の上のカササギ」の解...
NHK「日曜美術館」司会者であった著者が、思い入れ深い絵・陶芸とその作者について語る。語り口はわかりやすく、面白く読み進めたが、作品の写真がモノクロしかないのは致命的。テーマがテーマなのだから、作品の紹介の仕方にもっと力をそそぐべきだ。 ブリューゲルの「絞首台の上のカササギ」の解釈が『怖い絵』の中野さんとまったく異なり、生と平和への賛歌である…としたのは興味深い。
Posted by
一人の人間、一つの出来事、一冊の本、そして一枚の絵が、人生に計り知れない影響を与えることがあります。 私の場合、そうした一枚の絵をあげるとすれば、それはアルブレヒト・デューラーの自画像でした。彼は何の予告もなく突然、目の前に姿を現し、そしていきなりわたしを叩きのめすほどの衝撃を与...
一人の人間、一つの出来事、一冊の本、そして一枚の絵が、人生に計り知れない影響を与えることがあります。 私の場合、そうした一枚の絵をあげるとすれば、それはアルブレヒト・デューラーの自画像でした。彼は何の予告もなく突然、目の前に姿を現し、そしていきなりわたしを叩きのめすほどの衝撃を与えたのです。 そう語る著者は、在日であるという出自、将来への不安など、とらえようのない憂鬱な気分を抱えていた学生時代にドイツの美術館で出会った500年前の青年画家の自画像から「わたしはここにいる、お前はどこに立っているのだ」 というメッセージを受け取ったそうです。 私たちが見るもの、そのすべては私たちの心が外の世界に映し出されたもの「投影」である、と言われます。 そうであるなら、表現者である画家自身の思想や想念が封印されている自画像を観て、私たちが感じるものは、言葉にならない言いようのない感覚、時として私たち自身気づいていないような 心の奥にしまいこんだ感情なのかもしれません。 慌しくストレスフルな日常のなかで私たちは、時として感情を切り離し、押し殺し、無かったことにして生活をしています。 それは、傷つきやすくて壊れやすいハートを守ろうとする心の作用なのですが、どんなに切り離して押し殺して無かったことにしてみても、 本当になくなったわけではない感情は、いつも出口を探してさまよっています。 抑圧された哀しみは、時として怒りとなって私たちの大切な人を傷つけることがあります。 癒されることを待っている心の痛みは、時としてその存在を示すように繰り返し起こる問題となって私たちを苦しめます。 絵画や音楽、演劇に触れる。 抑圧された感情や、言葉にならない感覚に気づく。 それもまた、心を癒す効果的な方法なのかもしれません。
Posted by