絶望の国の幸福な若者たち の商品レビュー
1985年生まれの古市さん。26歳でこんな本を出すなんてすごい。前から気になっていた本なので読んでみた。 20代の7割は現在の生活に満足しているらしい。 その理由は下記2点。 ①今日より明日が良くなるという希望を抱けないからそう答えるしかない ②コンサマトリー化(自己充足的で「...
1985年生まれの古市さん。26歳でこんな本を出すなんてすごい。前から気になっていた本なので読んでみた。 20代の7割は現在の生活に満足しているらしい。 その理由は下記2点。 ①今日より明日が良くなるという希望を抱けないからそう答えるしかない ②コンサマトリー化(自己充足的で「今、ここ」の身近な幸せを大事にする)によって大きな世界に不満があっても小さな世界には満足している あと友人や仲間が大切という価値観、非日常における居場所としての社会運動なども挙げられた。その社会運動はカンボジアの学校建設同様「自分たち以外」の問題らしい。 私も一応まだ若者なんだろうか。 確かにコンサマトリー化など思い当たる節はあるが、大きな世界にみんなが関心を持たなくなったら…とゾッとしてしまう。既に選挙に行かない若者は半ば無視されつつある…。小さな世界で幸せを感じるのは悪くないが、大きな世界も自分が属しているという当事者意識を持っていかないと今後大変なことになりそう。。
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絶望な国の幸福な若者たち。社会学者で慶應義塾大学SFC研究所上席所員の古市憲寿先生の著書。幸福、不幸は周りが勝手な価値観で決めるものではなくて、本人の感情で決まるもの。世間の常識や価値観なんて無意味。世間から見た常識や非常識なんて関係なく、本人が幸福と感じられればそれが幸福。元気...
絶望な国の幸福な若者たち。社会学者で慶應義塾大学SFC研究所上席所員の古市憲寿先生の著書。幸福、不幸は周りが勝手な価値観で決めるものではなくて、本人の感情で決まるもの。世間の常識や価値観なんて無意味。世間から見た常識や非常識なんて関係なく、本人が幸福と感じられればそれが幸福。元気と勇気がもらえる一冊です。
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少し前に話題になった若者論だったので手に取ってみた.お手軽な承認社会と言うのはSNSの普及をよく表現している.そして幸福な階級社会へと言うのは共感.どのような情報を得て日々生活するのかによって二極化するのは確かだと思う. 多少発散気味ではあるが,良く調べ,考察されている.現代を...
少し前に話題になった若者論だったので手に取ってみた.お手軽な承認社会と言うのはSNSの普及をよく表現している.そして幸福な階級社会へと言うのは共感.どのような情報を得て日々生活するのかによって二極化するのは確かだと思う. 多少発散気味ではあるが,良く調べ,考察されている.現代をなんとなく知るには良書.研究のモティベーションとして,あとがきに記されている”ただ「自分」の事,「自分周り」のことを少しでもまともに知りたかっただけ”という事をぶっちゃけて書くスタンスっていうのが正に現代なんだろうなと言う気がした.
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古市さんの著書を初めて手に取りました。もっととっつきにくい文章を書く方だと思っていたので、想像より随分と読みやすかったです。 現在27歳である「若者」であるところの私は、今の自分の価値観を形成してしまった時代背景とか、もし自分を括れるカテゴリーがあるのだとしたらそれを知りたいな...
古市さんの著書を初めて手に取りました。もっととっつきにくい文章を書く方だと思っていたので、想像より随分と読みやすかったです。 現在27歳である「若者」であるところの私は、今の自分の価値観を形成してしまった時代背景とか、もし自分を括れるカテゴリーがあるのだとしたらそれを知りたいなーといった感じで本書を手に取りました。 特に興味深く読んだのは、内向きな若者たちの章でした。お恥ずかしながら、私はこの章の中に明らかに自分を発見しました。こうして社会学者の方に、大きな時代の流れの一傾向として一括りにされるのは大変癪ではありますが、そうか自分もそんなものか、と諦めがつきました。笑 社会貢献したがる学生の特徴として書かれていましたが、私を含めそういった学生の多くが「非日常」を求めていたのか、といわれれば、きっと当の本人は否定をするのでは?と思います。幼い頃にみたアフリカの貧困の子どもの映像がきっかけで…とかね。でも自分のことを振り返ると、非日常を求めた先の発露として貧困国が出てきた、というあまりに短絡的で幼稚な発想を認めたくないだけなのかもしれない、とぼうっと思いました。 いずれにせよ、非日常を求めて今とは異なるステージに向かおうとしていたのに、こうして何かにカテゴライズされるとはなんと皮肉なことでしょう。 なんだかまとめきれませんが、まだ社会貢献したい!といってモヤモヤしている私は、「若者」から抜けられないのかもしれないです。 最後の佐藤健との対談も非常に面白かったです。何より、佐藤健の賢さが、紙面からも迸ってくるようで。 以下、読書メモ ------------ ・若者語りにはパターンがある。「現象」をむやみやたらに価値判断に結びつけてしまうことが問題。「現象」を若者個人の問題とも、若者特有の問題とも考えずに、社会構造の実態や変化とともに考える必要がある。 内向きな若者たち ・「社会貢献ブーム」という括りでマザーハウスやらカンボジアに学校を建てた大学生の話ならが掲載されていた。そうか、わたしもここに分類されるのか、と思うと自分が酷く大衆思考の賜物のように思えて来た。ちっさ、自分。 ちなみに、ボランティア人口という切り口で、若者の内向き論を論破するための材料として上の事項は語られるが、実際ボランティア人口は変わらないらしい。 ・現代の若者は幸せらしい。コンサマトリー化している。つまり、「今、ここ」の身近な幸せを大事にしているのだ。 プラス、「仲間」意識があればより幸福度は高まる。内閣府の幸福度調査にて、幸福度を測る時に重要視した項目は?で若者の60.4%が友人関係と答えている。 つまり、仲間がいる小さな世界で生きていれば、現代の若者は幸せを感じるのだ。 東日本大震災と「想定内」の若者たち ・東日本大震災のあと起こったのは、ワールドカップの時と同じ日本ブームだった。被災地はカンボジアと機能的に等価な「非日常」になったのである。 こうみるとナショナリズムにも見えるが、実はそれとは異なる。なぜならば、若者にとって「東北」が「カンボジア」と交換可能なものだとしたら、いくら「日本」が強調されているとしても、結局それは「自分たち」のことではなく「自分たち以外」の問題なのだから。 幸せの定義 ・「経済的な問題」と「承認の問題」である。 ・承認欲求を最もシンプルに満たすためには、恋人がいればいい。全人格的な承認を与えてくれる恋愛は、その人の抱えるほとんどの問題を少なくとも一時的には解決してしまう。だって、たった一人から愛されるだけで誰もが「かけがえのない存在」になることができるのだ。 →しかし誰しも恋人ができるわけではないから、承認を別のところで満たす必要がある。そこで便利なのがソーシャルメディアだ。
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先に希望がないから今が幸せという感覚、 戻りたい“あの頃”なんてないという感覚、 既存のライフステージに乗らない為、 いつまでも若者であるという感覚、 とてもよくわかる。 共感しかない。
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わざとなのかわからないが文章が非常に幼稚。いい意味で言えば若い。一気に読み切れたが、社会学特有の「だからどうした」感が否めない感じ。研究者の道に進んでさらに分析をすすめればいいのに。いまじゃ筆者はタレントになってしまっている。
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この本を26歳で書いたということに驚愕。鋭い考察、膨大な引用。難しい内容を口語調も交えながら、迷わないでついてきなさいよ~といわんばかりに作者の持論へ導いてくれる。 ワイドナショーなどで見ていた限りは色物学者のイメージが強かったのですが、正統派社会学者で超優秀な人なんだということ...
この本を26歳で書いたということに驚愕。鋭い考察、膨大な引用。難しい内容を口語調も交えながら、迷わないでついてきなさいよ~といわんばかりに作者の持論へ導いてくれる。 ワイドナショーなどで見ていた限りは色物学者のイメージが強かったのですが、正統派社会学者で超優秀な人なんだということがよくわかった。他の著書も是非とも読んでみたい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
古市さんの本は、後書き部分にいつも共感させられる。今回もまずは後書きから。 人生には、様々な選択がある。そのことについての古市さんの言葉 「どれがかけても『僕』はここにいなかったと思う。ここにいなかったかも知れない『自分』のことを思う。無数の反実仮想を繰り返したところで、ここにいない『自分』が何をしているのか知る由もないが、ちょっとした違いで人生を変えた『自分』にはシンパシーを感じる」 ⭐︎本書の概要 2010年内閣府「国民生活に関する世論調査」によると、20代の若者の70.5%が現状の生活に満足しているその一方で少子化・財政赤字など日本には様々な問題がある。このような「いびつな」社会構造の中で、当の若者が自分たちのことを幸せだと考える「奇妙な安定」は、どこからきているのかを探る1冊。 幸せを感じる際に、大事なことは実際の所得水準ではない。自分と自分の周りの世界を明るくしていくことが幸せなのであり、それをみんながシェア出来ることで、幸福は広がっていくのかも知れない。 ⭐︎なるほどなと思った部分 ●「今時の若者は・・」とよく耳にする。この点に関する本書の見解 「今時の若者はけしからん」と苦言を呈する時、それを発言する人は自分がもう「若者」ではないという立場に立っている。同時に、自分は「けしからん」異質な若者とは別の場所、すなわち「まっとうな」社会の住民であることを確認しているのだろう。 若者を「異質な他者」と見なす言い方は、もう若者ではなくなった中高齢者にとっての自己肯定であり、自分探しなのである。 若者論というのは、若者の名を借りた社会語り。若者語りは誰でもできる。自分が若かった頃の常識と比べてどこかで聞きかじったことを言えば良いのだから。 異質な他者とみなす若者バッシングは、100年以上前から繰り返されている。 ●「若者は物を買わない」という、若者の消費離れに関する見解 買うものと、そのスケールが変わっただけ。昔ほど、自動車は買わない。お酒も飲まない。だが、「衣・食・住」など生活に関わる物は買う、通信費など人間関係の維持に必要なコストはかける ●世界中どこにいても日本が近いという感覚 インターネットの普及などにより、日本の情報はいくらでも手に入る。世界中どこにいても「日本」みたいに暮らせることは、新しいナショナリズムの出現である。海外に行っても母国を想像し、母国の一員としてのアイデンティティを抱き続けるような状況は「遠隔地ナショナリズム」と呼ばれている。(ベネディクトアンダーソン「遠隔地ナショナリズムの出現」より)
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テレビでよく見る古市憲寿の26歳当時の著書。東日本大震災直後の出版で、多分にその事実が配慮されて書かれている「若者論」。さらっとしていて、一見無責任のような口調が彼らしくてひきつける。しかし読みやすさだけではなく、しっかりとデータやインタビューを用いて掘り下げられている。 実存...
テレビでよく見る古市憲寿の26歳当時の著書。東日本大震災直後の出版で、多分にその事実が配慮されて書かれている「若者論」。さらっとしていて、一見無責任のような口調が彼らしくてひきつける。しかし読みやすさだけではなく、しっかりとデータやインタビューを用いて掘り下げられている。 実存主義の哲人たちは限界状況から自己の命を見つめ、そこに自律的な人生観を見出す。それが宗教によってであれ、理性的なものによってであれ、そのような人生の上昇を訴えてきたが、現代日本の若者には響かなかったらしい。ちょっと啓蒙的な目線から見ると、現代日本の若者は限界状況を認知する理性も、そこから自立しようという精神の希望も備えていない、と嘆く言葉が出そうになる。しかし今じっと考えてみると、どのような思想をベースに啓蒙を語ることができるのだろうか。この本でも触れていたが、「本当」の幸せって何だろうか。 現代日本の若者たちは、自分たちが住んでいる「日本」という国には間違いなく不安を抱えていて満足はしていない。しかしそういう自身の力でどうしようもない現実よりも、お互いの承認欲求を満たすような身近な関係に幸福を感じており、それ以上は考えていない。考える必要性を感じていない。 僕は素直に実存主義者たちのような精神的な上昇を目指していく人生に救いを感じる。しかし人の幸福を他人がどうこう言えるのだろうか。ちょっともう何にも言うことがなくなったのでお終い。 17.6.5
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構成が修士論文のようで読んでいて親しみが持てたが、一部砕けすぎた文体に少し違和感を覚える 但し、この年齢でこれだけの分量の本を書き上げて出版に繋げた事実は純粋に凄いことだと思う 「村々」ってなんですか?
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