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他者と死者 の商品レビュー

4.2

26件のお客様レビュー

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2013/10/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

文学者でユダヤ研究家でもある内田樹氏のライフワーク第二弾。 現代思想史に輝かしい功績を残した二人の偉人を組み合わせることで紡がれる的確でいて見事な分析に唖然とさせられた。 レヴィナス思想という難解なものをラカン思想というさらに難解なもので読み解いていくとどのような解釈の世界が拡がりえるのか、それが内田氏独自の視点から巧みに語られている。師と弟子、テクストと読み手、死者と生者、自己と他者、他者と死者。 彼はきっと自身と読者、そして外部からやってくる第三者の三者間での談義を望みタルムードのようにこの書物の解釈を、レヴィナスという偉人の教えに最終的な解釈を与えることを望んではいないのだろう。難解さの裏に隠された我々へ向けられた問いに我々はどのように応答していくことができるのか。レヴィナスの弟子を自称する内田氏の弟子となって欲望してみようと思う。

Posted byブクログ

2011/11/27

 内田樹氏のレヴィナス本の2冊目。  ユダヤ人哲学者レヴィナスをフランス人の心理学者のラカンと比較して分析。  レヴィナスもラカンも知らないので、全体を通してさっぱりわからない。  でも、レヴィナスは、ユダヤ人で、たまたまフランス軍兵士として捕虜になったため生き残った...

 内田樹氏のレヴィナス本の2冊目。  ユダヤ人哲学者レヴィナスをフランス人の心理学者のラカンと比較して分析。  レヴィナスもラカンも知らないので、全体を通してさっぱりわからない。  でも、レヴィナスは、ユダヤ人で、たまたまフランス軍兵士として捕虜になったため生き残ったが家族は全員殺害されたこと、ラカンは、フランスのドイツ占領時にもうまくドイツ軍とおりあいをつけて生き残ったこと、それが背景にあって、すぐにはわからない難解な文章を書くということがわかった。  その他、ところどころわかった点。 ①私たちが誰によっても代替不能のかけがいのない人間でありたい、わずかなりともこの世界に「よきこと」をし残しておきたいと願うとき、私たちは「死んだ後の私」の視点から「今、ここ」の私を眺めるという操作を経由することを避けられない。(p252) ②「決して現実の世界に存在してはらないもの」を決して現実の世界に存在せしめないこと、それが「死者を弔う」ということの本義である。(p241) ③レヴィナスのことばの中の「他者」を「アウシュビッツの死者たち」と読み替えて読んでみると、そこには哲学的な他者論というよりはむしろ「祈り」に似たことばを読み取ることができるように私には思われる。(p168)  世の中には難しいことを議論する人がいるんだな、ということと、第二次世界大戦を経験した人の心の奥底の深い傷からでる言葉には、敬虔な思いで聞く必要があるなと感じた。

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2011/11/26

思想、哲学類の文章は苦手である。 大学時代、フーコーの「言葉と物」に挫折した。 このレヴィナス本、挫折はしなかったが、でもやはり難しかった。 久しぶりに、ウィキペディアでいろいろ検索しながら書物と格闘した気がする。 そして、あとがきと解説を通過したときに、このレヴィナス本の...

思想、哲学類の文章は苦手である。 大学時代、フーコーの「言葉と物」に挫折した。 このレヴィナス本、挫折はしなかったが、でもやはり難しかった。 久しぶりに、ウィキペディアでいろいろ検索しながら書物と格闘した気がする。 そして、あとがきと解説を通過したときに、このレヴィナス本の目論見、内田先生が書斎でしめしめと笑みを零している姿が脳裏に浮かんだ次第。

Posted byブクログ

2011/11/21

出会い頭の人類学、と宮永先生はおっしゃった。その通り、と今になって思う。本書を読んだ20年後になって、思い出した。 書かれていること(内容)はよく分からない。でも、これを書くことによって内田センセは何を伝えたかったのかは分かった。師事という学び。その豊かさと可能性。使命感召命感に...

出会い頭の人類学、と宮永先生はおっしゃった。その通り、と今になって思う。本書を読んだ20年後になって、思い出した。 書かれていること(内容)はよく分からない。でも、これを書くことによって内田センセは何を伝えたかったのかは分かった。師事という学び。その豊かさと可能性。使命感召命感に駆られた先生の熱い語りが脳を内側からノックする読書感。 主題である「他者と死者」より「ラカンによるレヴィナス」の方がわかる(つまり、それくらいレヴィナスはわからない)。 以後、余談。 ユダヤ教徒であり、かつ、哲学者であるということの困難さ。弟子として師に対峙する姿勢と信徒として神に向きあう姿勢はどうやって両立するのか。どちらも己を小さくし自己とか主体とかを脇において絶対的な他者と向き合うことになるところまでは同じだけど、その先がうまく重ならない。 他者を信仰することとその他者に向き合うことについての研究は両立するし相性はいい。神学者。でも、哲学者は神学者とは異なり、もう一つ抽象度のレベルが高いところで他者を思考していて、その思考における冷静さが信仰における熱心さと釣り合わないように思えて、、、 今度聞いてみよう。

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2011/09/17

わかんないとこはどんどんとばして、 適当に解釈しつつ、 もう一回読んでみたりして。 その瞬間立ち上がる理解とか、同時性になるほども。

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2011/09/13

久々にこの手の本を味わいました。読んだというよりも。匂いを嗅いだという感覚。 この方面もたまに踏み込むと、いい発見・気づきがあるものですね。 書き手と読み手のこのような関係もあるのだなあ… 著者の文章は嫌いではありません。

Posted byブクログ