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他者と死者 の商品レビュー

4.2

26件のお客様レビュー

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2021/07/01

『パロールについて偉大な思想家たちが教えることはほとんど寸分も変わらない。それは、聴き取る用意のある者、外部から到来することばを解そうと欲望する者の耳にだけことばは届く、ということである。(中略)ただし、誤解してはならないのは、「聴き取る用意のある者」や「外部から到来するパロール...

『パロールについて偉大な思想家たちが教えることはほとんど寸分も変わらない。それは、聴き取る用意のある者、外部から到来することばを解そうと欲望する者の耳にだけことばは届く、ということである。(中略)ただし、誤解してはならないのは、「聴き取る用意のある者」や「外部から到来するパロールを欲望する者」を、決してコミュニケーションに先立って自存する「情報感度の高い実体」として措定してはならないということである』―『第三章 二重化された謎/4 交易と主体』 「レヴィナスと愛の現象学」に続いて内田樹によるレヴィナス解説の二冊目を読む。一冊目の内容が繰り返されている部分もあり少しだけ理解が進んだような気になりつつ読む。誤解を恐れずに物凄く単純化して言うならば「愛の現象学」が、「わたしはここにおります」という言明の底に響く自己の劣後性と退く他者そしてその劣後から生じる有責性について丁寧に辿った著作だとすれば、「他者と死者」は遅れてきたことによる有責性という考えがどのようにレヴィナスの思考として起こったかについて、同時代の思想家ラカンの言葉を手掛かりに、やや精神分析論的に解説を試みた本ということができるように思う。 「ラカンによる」と題されていても、もちろん内田樹によるレヴィナス解説であることには違いはないし、「愛の現象学」がレヴィナス思想の入門編だとすれば本書はその思想の根源を探る応用編との位置付け。ただし、一冊目の何処までもレヴィナスのエクリチュールから読み解くという態度に比べると、二冊目は「語られていないこと」を想像するという踏み込んだ分析も多い。ラカンの語りを沈黙しつつも見つめる「彼ら」の存在(=死者)とレヴィナスの「他者」の意味するところの重なりを示し、ナチスによるユダヤ人迫害という経験を生き延びてしまった二人の、そしてヨーロッパ哲学界全般を覆った「コギト・エルゴ・スム」の徹底した問い直しを読み解く運びは、心理分析のようで(そこが、フロイトの継承者たるラカンによる、という意味ではないだろうけど)判り易い。もちろん、判り易いということが必ずしもいいことばかりとは限らないと用心しながらではあるけれど、「他者」を「死者」と読み代えた時に、事後的に生じる訳ではない「有責性」、すなわちただ自分が遅れてきただけで生じてしまう「有責性」という考えは、単なる倫理観を越えた切迫した感情としての理解を強いて来る。 『普通の人は「現実は簡単で、哲学は複雑だ」と考えるが、実は話は逆である。「現実は複雑すぎ、哲学は簡単すぎる」のである。レヴィナスが複雑なのは、彼が非現実的な思弁に耽っているからではなく、現実の複雑さに対して、他のどんな哲学者よりも「つきあいがいい」からである』―『終章 死者としての他者』 その感覚はフィールド調査やその解析そして経過予想などを繰り返して来た身としては痛いほどよく解る。現実を、敢えて、自然と置き換えて読ませてもらうなら、自然は人間が思考できるよりはるかに複雑で、人が観察している(と思っている)のはプラトンの洞窟の逸話に出て来る「影」に過ぎない。だからといって洞窟を出れば「イデア」を見ることが叶う訳ではないし、永遠に近づけない虹の麓のようなものだからといって追いかけるのを止めてよい訳ではない。不可知を認識しつつ、可能な限り近付いていくしかないのだ。と、またまた卑近なところに引き寄せて読んでしまう。

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2020/09/18

読んでからしばらく経つけど、・先生との関わり方 ・意見は戦わせたほうが良い(自分の頭だけで考えて意味ある?) ・死んでいった者へ感じる責任 ・死んでいった者が自分の中に居ること などが忘れずに頭の中で生きている。だんだん意味を取り違えていきそうなので、時々読み返したい。

Posted byブクログ

2020/06/28
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先に死んでいった死者に対して「不当に生き残ってしまった」という罪の意識が贈与のサイクルを生んだり、責任を引き受けるという意識を生む。つまり、死者の誕生と同時に人間が生まれる。

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2019/01/23

難解にも二種類あるという。そのうちの巻き込まれる難解さの窓から、死という切実さに切り結んで行く。 すごい本だった。 レヴィナス がたんに極端に犠牲的、倫理的なのではなくて、ホロコーストの死者と向き合った結果、あの異次元の他人観に至ったのだ。 カミュの作品についての語り口も斬...

難解にも二種類あるという。そのうちの巻き込まれる難解さの窓から、死という切実さに切り結んで行く。 すごい本だった。 レヴィナス がたんに極端に犠牲的、倫理的なのではなくて、ホロコーストの死者と向き合った結果、あの異次元の他人観に至ったのだ。 カミュの作品についての語り口も斬新だった。

Posted byブクログ

2016/09/11
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さしあたり、こういう理解をした。 我々の「いかに生きたらよいか」という想いは、たいてい「私が生きた証をどのように残したいのか」に裏打ちされている。そのとき我々は、「『私についての物語を語り終えた私』」(p.252)つまり「『死んだあとの私』の視点から『今、ここ』の私を眺めるという操作を経由することを避けられない」(同)。ただし、私のかけがえのなさとは「『私は私である』という自己回帰的・自己参照的な自己同一性ではなく、『ここにはもういない〈彼〉の、誰によっても代替され得ない〈身代わり〉であること』によって担保される」(p.236)。その〈彼〉、つまり「私がその場所を簒奪したことによって、『ここ』から闇へと追放され、光の中から退去したもの、そして、そのようにして私に『場所を譲った』ことによって、私のうちに癒しがたい有責感を残し、その有責感を介して私の自己同一性と善性を基礎づけた」(p.266)レヴィナス的「他者」として、死者は我々に立ち現われている。師に対してと同様、私を措いて誰にも、死者と「私との間の『隔絶』を、私に代わって生きることができないという仕方で」(p.56)死者を欲望し続けることが、「『私を起点とする他者』」(同)としての死者に出会うということではなかろうか。 何故かはわからないけれど、学生時代から「レヴィナス」という名前が気になっていた。この数年でようやく、主著の前に一般向け対談を…と手にとって軽やかに弾き返されたのだが、本書はレヴィナスの語る「謎」にどう身を委ねるかの導きになったように思う。

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2024/02/12

『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)につづき、著者の私淑するレヴィナスの思想の解釈をおこなった本です。 今回は、レヴィナスと同じく難解さで知られるラカンがとりあげられ、両者の難解さがおなじ種類のものだと論じることから考察がはじまります。著者によると、彼らは「邪悪なまでに難解な...

『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)につづき、著者の私淑するレヴィナスの思想の解釈をおこなった本です。 今回は、レヴィナスと同じく難解さで知られるラカンがとりあげられ、両者の難解さがおなじ種類のものだと論じることから考察がはじまります。著者によると、彼らは「邪悪なまでに難解なテクスト」を書くことで、「あなたはそのような難解なテクストを書くことによって、何が言いたいのか?」という問いを、読者に引き起こすねらいがあるといいます。そして、「テクストの語義を追う読みから、書き手の欲望を追う読みへのシフト」をうながすものだと述べられます。 こうした視角から、「師としての他者」のもとでテクストの読みかたを学ばなければならないというレヴィナスのタルムード読解のスタンスや、レヴィナスのフッサール解釈などの思想的意義が解明されています。 サブタイトルには「ラカンによるレヴィナス」とありますが、あくまでレヴィナス解釈の本だと感じました。ラカンの思想は中心的にとりあげられているのではなく、著者のレヴィナス解釈のきっかけをあたえたというくらいのあつかいなので、著者のラカン解釈を知りたいという向きには、やや期待はずれかもしれません。

Posted byブクログ

2014/03/30

もう1回読まないとよくわからないというのが本当のところ。ほとんどがレヴィナスの読み解きで、ラカンについてはあまりなかったような。 「レヴィナスと愛の現象学」を先に読んでいるほうがよい

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2013/05/16

能楽「張良」で伝える奥義伝授のエピソード。「私には知られていないゲームのルール」を知っていると想定された人間が「師」。「気づいたら自分がそのルールを知らないゲームのプレイヤーになっている」人間が「弟子」。「先をとられる」欲望に点火されたときに人は「すでに負けている」。欲望に点火す...

能楽「張良」で伝える奥義伝授のエピソード。「私には知られていないゲームのルール」を知っていると想定された人間が「師」。「気づいたら自分がそのルールを知らないゲームのプレイヤーになっている」人間が「弟子」。「先をとられる」欲望に点火されたときに人は「すでに負けている」。欲望に点火するもの、それは「謎」。「謎」はほとんど同じ動作を二度繰り返すときに発生する。 「選ばれた」という言葉を「特権」の用語で解してはならない。それは「責任」の用語で解されねばならない。選びは特権から構成されているものではない。それは有責性によって構成されている。 神が完全管理する世界には善への志向は根づかない。 幸福は欲求が「満たされないこと」によって満たされるのである。 「私」が唯一無二であるということ、それは私が隔離されていることを意味している。隔離の最たるものが孤独であり、享受である。この孤独な「私」を根源的な仕方で揺り動かすために切迫してくものが「絶対的に他なるもの」としての他者である。 愛は〈他者〉を志向する。愛は〈他者〉をその弱さにおいて志向する。弱さは他者性そのものを形容している。愛するとは、他者のために怖れ、他者の弱さのために手を差し伸べることだ。 他者が私を基礎づけ、その私が他者を基礎づけるという仕方で、他者と私はそれぞれ相手に対して、互いに「絶対的な遅れ」のうちにある。

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2013/04/29

主にレヴィナス、時々ラカン、たまにハイデガー、最後にフロイト。 序盤は比較的楽に読み進められたが、後半になってくると分かっているような分かっていないような、そんな感じになる。 顔・イリヤなど幾つかのトピックの中で、特に「師弟」について序盤では重点を置いている印象を受けた。後半で...

主にレヴィナス、時々ラカン、たまにハイデガー、最後にフロイト。 序盤は比較的楽に読み進められたが、後半になってくると分かっているような分かっていないような、そんな感じになる。 顔・イリヤなど幾つかのトピックの中で、特に「師弟」について序盤では重点を置いている印象を受けた。後半ではここから死者、異性、神という順番で展開。

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2013/02/14
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※このレビューにはネタバレを含みます

震災からもうすぐ2年。震災以後ずっと心から離れなかったことがレヴィナスさんの文章と内田さんの解釈によって少しだけわかったような気がする。生死の分節線引くこと,「死者を弔う」ということ。生き残った理由がわからないという根源的な無根拠性に耐え続けなければならないこと,自分たちの責務に加えて死者たちの責務をあわせて引き受け,死んでしまった人たちがこの世界にもたらした欠如を最小化すること。ずっと思っていたことを既に何十年も前にユダヤ人として考えていたこと。欠損に対しどう思うのか。ずっと考え続けなければならないんだ。

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