ニッポンの書評 の商品レビュー
巻末の対談が分かりやすくて良かった。どうやって書評を書いているか、かなり赤裸々に書いてあって参考になります。 分かりやすい紹介をしたいと考えている人は、読むと参考になる部分が多いです。 それと読みやすい。
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「プロの書評には「背景」がある。」やはり本書の肝はこの一言に尽きるだろう。単なる自己満足としての文章と、誰かに届けようとするための文章は全く別物だ。それは自分自身の持つ背景だけでなく、作者や読み手が持つであろう背景への想像力を求められるものであって、そうした背景を言葉によって重ね...
「プロの書評には「背景」がある。」やはり本書の肝はこの一言に尽きるだろう。単なる自己満足としての文章と、誰かに届けようとするための文章は全く別物だ。それは自分自身の持つ背景だけでなく、作者や読み手が持つであろう背景への想像力を求められるものであって、そうした背景を言葉によって重ね合わせることのできる文章こそ本を読み手に届けることができるのだから。それは著者が否定的なWeb上でも言えることで、こんなネットの隙間でもきちんと想像力を持って面白い感想を書いている方々は存在するし、それが何より励みになるのだ。
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書評などというものを、ここに書いてるとは思ってないけど、ネット上で誰でも読むことができるのだから、良識は持っていたいと思っていました。 豊崎さんはれっきとした「書評家」さん。本書の中にいくつかあるけど、文章の構築で読ませてしまう、これも一つの作品なのですね。 今や誰でもレビュアー...
書評などというものを、ここに書いてるとは思ってないけど、ネット上で誰でも読むことができるのだから、良識は持っていたいと思っていました。 豊崎さんはれっきとした「書評家」さん。本書の中にいくつかあるけど、文章の構築で読ませてしまう、これも一つの作品なのですね。 今や誰でもレビュアーな時代。 匿名という安全地帯から、(トヨサキさんは、もちろん実名で「返り血」も浴びる覚悟で書かれています)単なる悪意をレビューするのはやめて、せめて愛情を持って進められる作品だけをUPしては?と提案されています。 読んでいて思わず手を打ちました。 ネット書店のレビュー、ひどいなぁ、と思うものが多かったから。自分が好きな作品ならなおさら心傷みます。 批判的だけれど、的を射ているものもありました。それはきちんと根拠を述べておられ、参考になりました。 自戒自戒・・・。
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書評って本を読むにあたって参考にするかたも多い。 文字の制限があるなかでネタバレ問題やよみたくなる気持ちを引き出す書き方。 もうただただ尊敬するばかり。
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「淀長(淀川長治)さんみたいになりたい」。 著者は、巻末に掲載された大澤聡との対談の中で、書評のひとつの理想の姿としてそう語る。 著者にとって、書評は愛と尊敬なのだ。 だからこそ、著者は書評の意味について考え、そして時に辛口にもなる。読者はそれを受け入れる。プロとしての書評...
「淀長(淀川長治)さんみたいになりたい」。 著者は、巻末に掲載された大澤聡との対談の中で、書評のひとつの理想の姿としてそう語る。 著者にとって、書評は愛と尊敬なのだ。 だからこそ、著者は書評の意味について考え、そして時に辛口にもなる。読者はそれを受け入れる。プロとしての書評家の規範にも納得できる。 その愛は、読者に8割向けられ、作家に2割が向けられている。 気をつけた方がよい。あなたはきっと本書で例としてあげられた本がすべて読みたくなってしまうはずだ。書評とはそういった力を持つものなのだ。 書評とはどのような行為であるべきかを語った書評論および書評批評。
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書評家。正直、人のふんどしで相撲をとってる「輩」というイメージしかなかったが。えらいすんませんでした。認識改めます。トヨザキシャチョーのガラの悪さと口の悪さはさておいて。書評「家」としての矜持は、背筋がしゃんと伸びるような。匿名の感想をいいことに感想を書き散らしていることを反省。...
書評家。正直、人のふんどしで相撲をとってる「輩」というイメージしかなかったが。えらいすんませんでした。認識改めます。トヨザキシャチョーのガラの悪さと口の悪さはさておいて。書評「家」としての矜持は、背筋がしゃんと伸びるような。匿名の感想をいいことに感想を書き散らしていることを反省。猛省。「今後は愛情を持って紹介できる本のことだけをお書きになってはいかがでしょうか」
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
小説だけが書評の対象ではないのだが、やたらとあらすじ暴露問題にこだわったりしていて、個人的には何の収穫もなかった。できれば本書のタイトルは「ニッポン小説の書評」とでもして欲しかった。小説以外の本がゴマンとあり、その読者も山ほどいる、ってかそのほうが多いという現実を直視してください。
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●:引用、→:感想 ●粗筋や登場人物の名前を平気で間違える。自分が理解できないだけなのに、「難しい」とか「つまらない」と断じる。文章自体がめちゃくちゃ。論理性のかけらもない。取り上げた本に対する愛情もリスペクト精神もない。自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本の方が...
●:引用、→:感想 ●粗筋や登場人物の名前を平気で間違える。自分が理解できないだけなのに、「難しい」とか「つまらない」と断じる。文章自体がめちゃくちゃ。論理性のかけらもない。取り上げた本に対する愛情もリスペクト精神もない。自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本の方が悪い」と胸を張る。自分の頭と感性が鈍いだけなのに。そういう劣悪な書評ブロガーの文章が、ネット上には多々存在する。それが、わたしがざっと読んでみての感想です。 ●精読と正しい理解と面白い誤読の上で書かれたまっとうな批評なら作家や読者にも届きましょうが、浅薄なだけの悪意だだ漏れの感想文は誰の心にも届きません。批判は返り血を浴びる覚悟もなければ、深く読み込む自信がないような方は、愛情をもって書ける本だけを紹介なさってください。いたずらに営業妨害をしないでください。 →この言葉はちょっと耳に痛いというか、予期していなかった心外な言葉だった。 自分では、ここ(ブクログ)には、自分の感じたことを感じたまま(感じたことすべてを上手に表現できていないことも承知したうえで)述べているだけなのだが、読み手(作者や書評家)によっては、営業妨害とも取られかねない事があるとは。 ツイッターやブログが炎上するのは、ネットでの発言がそのまま一般社会に通じた発言(ネットが閉じた社会ではなく、開かれた社会)であることの認識不足から発生すると自分では分かっていたつもりだった。 しかし、自分もまた、自分の発言が社会とつながっているという十分な認識がなかったようだ。 著者は、坂道にある作品という大八車を、作者と一緒になって押し上げるのが書評家という仕事だという。 今後は、自分が坂道を登る大八車を邪魔していないかを気をつけながら、一読者と発言していきたいと思う。
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批評は対象作品を読んだ後に読むもので、書評は読む前に読むもの(p.13)らしい。 批評はほとんど読まないし、書評も新聞のものをパラパラみるだけだ。 書評と感想文の違いは「背景」があるかないか(p.109)。他にも、書評は他者のために書くもの、知識をひけらかすものではないという。...
批評は対象作品を読んだ後に読むもので、書評は読む前に読むもの(p.13)らしい。 批評はほとんど読まないし、書評も新聞のものをパラパラみるだけだ。 書評と感想文の違いは「背景」があるかないか(p.109)。他にも、書評は他者のために書くもの、知識をひけらかすものではないという。 これらにも共感はできる。ただ、アマゾンのレビューやreading marathonを徹底的に批判している。もちろん、素晴らしい「書評」を書く人もいるだろうが、はたして一般人はそもそも「書評」を書こうとしているのか。 「感想文」でいいし、ちょっとした紹介、忘れないようにアウトップトという人も多々いるのでは? 読みたくなる本を多々紹介してくれたけれど、この人の書評も、この人の思想も合わないなー。 (まっちー)
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実をいうと、今まで書評というものはあまり読んでいませんでした。でも最近になって本の内容をまとめるいい方法を探していて、書評にも興味を持つようになりました。 この本では、具体的な書評の書き方や、日本と海外の書評の比較、ねたばらし問題などがおもしろく書かれていて、これからはもうちょっ...
実をいうと、今まで書評というものはあまり読んでいませんでした。でも最近になって本の内容をまとめるいい方法を探していて、書評にも興味を持つようになりました。 この本では、具体的な書評の書き方や、日本と海外の書評の比較、ねたばらし問題などがおもしろく書かれていて、これからはもうちょっと書評にも目を向けてみようと思いました。
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