1,800円以上の注文で送料無料

「認められたい」の正体 の商品レビュー

3.7

65件のお客様レビュー

  1. 5つ

    11

  2. 4つ

    25

  3. 3つ

    16

  4. 2つ

    5

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2024/07/16

本著は2011年に出版されたもので、当時はまだSNSの萌芽期であったはずだが、この内容を見るに著者には先見の明があったとしか言いようがない。 承認不安について人間の深層心理を突いた内容で納得した。結局感情の形成は親をはじめとした幼少期の環境に依存してしまうのは、いわゆる"...

本著は2011年に出版されたもので、当時はまだSNSの萌芽期であったはずだが、この内容を見るに著者には先見の明があったとしか言いようがない。 承認不安について人間の深層心理を突いた内容で納得した。結局感情の形成は親をはじめとした幼少期の環境に依存してしまうのは、いわゆる"親ガチャ"を外した者を考えるとやるせない。また、過去に植え付けられたトラウマ的呪縛はいざ解放されたとはいえ、真に自由にはならないのが難しいところだ。もし今苦しんでいる人がいるのならその苦しみを打ち解けられる場を作ってあげたいものだ。

Posted byブクログ

2024/05/07

価値観が多様化した現代の社会では、社会の誰もが認めてくれるような明確な基準はない。何をすれば他人(社会)に認めてもらえるか分からない。そこで人は社会の承認ではなく、身近な人の承認を求めるようになった。ただ、そこでは自分の感情や考えを自由に表現すると、身近な人に嫌われるかもしれない...

価値観が多様化した現代の社会では、社会の誰もが認めてくれるような明確な基準はない。何をすれば他人(社会)に認めてもらえるか分からない。そこで人は社会の承認ではなく、身近な人の承認を求めるようになった。ただ、そこでは自分の感情や考えを自由に表現すると、身近な人に嫌われるかもしれないという不安に苛まれる。昔は自分の感情や考えと社会共通の価値観(社会の承認)との葛藤があったものだが、今は自分感情や考えと身近な人たちの承認との葛藤になっている。

Posted byブクログ

2022/09/24

承認欲望(承認欲求)は、「親和的承認」、「集団的承認」、「一般的承認」の三種類あるとされている。 現代社会は、「大きな物語」が崩壊したことにより、「共通の価値観」というものがなくなった。 また、親和的承認を手に入れることが難しくなってきた。 それ故、身近な集団的承認を求めるように...

承認欲望(承認欲求)は、「親和的承認」、「集団的承認」、「一般的承認」の三種類あるとされている。 現代社会は、「大きな物語」が崩壊したことにより、「共通の価値観」というものがなくなった。 また、親和的承認を手に入れることが難しくなってきた。 それ故、身近な集団的承認を求めるようになった。 だが、それは精神的もあまりよろしくない。 だから、一般的承認(道徳的に良しとされていること)を求めるような生き方を奨励する。

Posted byブクログ

2022/06/06

日本人は宗教的観念も他国と比べて低いため、周囲の人たちの承認により、自分の必要性を感じようとする。あまり好きではない人との飲み会も、嫌われたくない、嫌な噂を立てられたくない、そう思っていたら断れず、だからといってそこで自分の承認価値が高まるわけでもなく、不服な気持ちを抱く悪循環。...

日本人は宗教的観念も他国と比べて低いため、周囲の人たちの承認により、自分の必要性を感じようとする。あまり好きではない人との飲み会も、嫌われたくない、嫌な噂を立てられたくない、そう思っていたら断れず、だからといってそこで自分の承認価値が高まるわけでもなく、不服な気持ちを抱く悪循環。しかも交際費が重なるだけ。無意識に思ってしまう「しなければならない」という感情を(自己ルール)=過剰な自意識に気づいて自分を理解する。言い換えて、自己了解していくことで空虚な承認ゲームから脱出できるひとつの方法である。snsなどの発達によって親しい人からの本物の承認を得られにくくなっていく現代において、刺さる一冊!!ゆあてゃに憧れる人たち。まさに空虚な承認ゲーム 共依存の本質は「人に必要とされることの必要です。自分にとって大切な人から「あなたがいないとわたしは生きられない」と言われることで、自分の存在がはじめて「承認」されたように感じることから、共依存者的な生き方が始まります。(p.120) なぜ知的な人々ほど神経症に苦しんでいたのか。 しかし、知識人層のように、自由の意識が芽生えた人間、伝統的価値観に違和感を抱いた人間においては、たとえ承認を得るために伝統的価値観に準じて行動しても、そこに納得感は乏しく、どこか無理をしている感触が付きまとう。 p.144 本当の自分が抑圧される原因は、周囲の人間の評価に対する過剰な自意識なのである。p.163 空虚な承認ゲーム=同調行動が、功を奏して、承認が維持されているうちは、承認の不安を一時的に遠ざけることはできる。だがそこには、価値ある行為や知識、技能を承認される場合に生じるような充足感はない。p.165 日本人の承認基準は、周囲の人々。 欧米人の自我は神に支えられているから、対人恐怖にはならない。

Posted byブクログ

2022/04/12

正解のない多様性だから 承認に飢えてSNSにすがる まずは身近な人へのリスペクトと承認から始めようぜ

Posted byブクログ

2021/05/22

数年前に読んだ本だけど、メモを見返しての感想。 就活に苦しんでいる自分に響く内容だった。まさに“承認と自由の葛藤”に悩んでいた。 つまり、 「大企業や名の知れた企業、ホワイト企業に入り、親や恋人、指導教員、同期から承認を得たい」という気持ちと、 「一般的な企業で働くことが絶望的...

数年前に読んだ本だけど、メモを見返しての感想。 就活に苦しんでいる自分に響く内容だった。まさに“承認と自由の葛藤”に悩んでいた。 つまり、 「大企業や名の知れた企業、ホワイト企業に入り、親や恋人、指導教員、同期から承認を得たい」という気持ちと、 「一般的な企業で働くことが絶望的に向いていない(インターンが全て苦痛だった)ので、無名で給料も低いが自分の適正に合った仕事をしたい」という気持ち の2つで葛藤していた。 自分の中にいる“一般的他者”の視野を広げることで、承認と自由の両立が可能であるという言葉に励まされた。

Posted byブクログ

2021/03/07

人の承認欲求には3段階があるという。⒈親和的承認、⒉集団的承認、⒊一般的承認 ということらしい。 ⒈は肉親や親しい間柄で成立する無条件の承認、⒉は自分が所属する集団内で役に立つことを認められるもの、⒊は社会一般にとって(普遍的に)認められることなんだそうだ。価値の普遍性を失った現...

人の承認欲求には3段階があるという。⒈親和的承認、⒉集団的承認、⒊一般的承認 ということらしい。 ⒈は肉親や親しい間柄で成立する無条件の承認、⒉は自分が所属する集団内で役に立つことを認められるもの、⒊は社会一般にとって(普遍的に)認められることなんだそうだ。価値の普遍性を失った現代社会では一般的他者の視点から自らを測ることは難しい。だから誰かの承認を求めたくなるらしい。確かに、自分の中に価値基準を持っている人間は、他人の評価なんて気にしない。けど普遍的な価値基準をどうやって持てばいいのだろう。

Posted byブクログ

2021/02/07

おもしろかったー。最近、勉強することで自由になるけど不自由だなと思ったのは、色んなことを知って自由になればなるほど、その自由な自分を承認してくれる場所がなくなっていく感覚があったからなのかもなー。 成長過程のところは、親や先生、職場のリーダーなど、誰かを教育する立場の人にぜひ読ん...

おもしろかったー。最近、勉強することで自由になるけど不自由だなと思ったのは、色んなことを知って自由になればなるほど、その自由な自分を承認してくれる場所がなくなっていく感覚があったからなのかもなー。 成長過程のところは、親や先生、職場のリーダーなど、誰かを教育する立場の人にぜひ読んで欲しいと思ったかな

Posted byブクログ

2019/12/13

承認欲求は基本的な欲求⇒どう満たされるか,満たされてきたか,その経験で行動様式を作る 手近な他者からしか承認を受けられない(と思う)状況が絶え間ない承認欲求行為と承認されないことへの不安を引き起こす。その範疇を超えた承認に気づけるか。 自由であろうとすれば承認が得られないわけでは...

承認欲求は基本的な欲求⇒どう満たされるか,満たされてきたか,その経験で行動様式を作る 手近な他者からしか承認を受けられない(と思う)状況が絶え間ない承認欲求行為と承認されないことへの不安を引き起こす。その範疇を超えた承認に気づけるか。 自由であろうとすれば承認が得られないわけではない。自由をどのように捉えるか。 読みかけで放置していたけど,これは良書。 承認欲求を皆が持つことを前提に世の中を眺めてみよう。

Posted byブクログ

2019/11/01

人間って、同じ人が一人もいないと決めつけていたけれど、実は同じところがある。だから、身を寄せ合って認め合っているのだと感じた。 まるっきり違うものが体温を分け合うこともなきし、愛し合わない。 体温を求めることが欠点だと考えていたが、どうやら違う。あんまりにも、自分のことを認めて欲...

人間って、同じ人が一人もいないと決めつけていたけれど、実は同じところがある。だから、身を寄せ合って認め合っているのだと感じた。 まるっきり違うものが体温を分け合うこともなきし、愛し合わない。 体温を求めることが欠点だと考えていたが、どうやら違う。あんまりにも、自分のことを認めて欲しすぎるときは、危険だけど、認め合って同じだねって思うことは自分に誇りを持ち相手を尊重する上で必要。 SNSを利用するようになってから、承認欲求という言葉をよく耳にするようになった。 承認欲求ってなんかダサいね〜くらいの認識だったけれど、ナチスのやり方が、この心理を活用していると知って、“誰か”に認められたいという気持ちは、本当に怖いと思ったら。 その“誰か”が分かってない人が多すぎるんだろうな。自分で自分の気持ちに向き合ってあげないと

Posted byブクログ