逃げる中高年、欲望のない若者たち の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・中国から見て日本は今のとこと学ぶべき高付加価値の技術をまだ持っているし、お手本にしたい文化手的なコンテンツやソフトがあるが、それらが無くなった時、つまり技術的にも文化的にも日本からもう学ぶものがないと中国が思った時に、どんなことが起こるだろう。。。
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ハードカバーの割には薄い文庫ぐらいの文章量しか無いのでは、と感じます。文章量は少ないです。もしかしたら、立ち読みで終われる人もいるかもしれません。 しかし、この文章量にもかかわらず、これだけ人に伝え、考えさせるというのは、さすが村上龍さんだなあ、と感じます。 連載エッセイの再編集...
ハードカバーの割には薄い文庫ぐらいの文章量しか無いのでは、と感じます。文章量は少ないです。もしかしたら、立ち読みで終われる人もいるかもしれません。 しかし、この文章量にもかかわらず、これだけ人に伝え、考えさせるというのは、さすが村上龍さんだなあ、と感じます。 連載エッセイの再編集だそうなので、「結局、別の日に同じこと言うてへん?」と思う部分がありますが、それだけ村上さんが問題だと思っていることなのでしょう。特に、「草食系」に関する意見は同感。
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村上龍のエッセイを初めて読んだ。挑発エッセイらしいが、あまりそういった印象は受けなかった。 今の日本の現状を客観的にみたら、このぐらいの表現になるだろうと感じる。 現代の若者・政治・自殺・うつなどの問題の底流には似通った部分があり、それこそ私たちが今味わっている憂うつさの原因な...
村上龍のエッセイを初めて読んだ。挑発エッセイらしいが、あまりそういった印象は受けなかった。 今の日本の現状を客観的にみたら、このぐらいの表現になるだろうと感じる。 現代の若者・政治・自殺・うつなどの問題の底流には似通った部分があり、それこそ私たちが今味わっている憂うつさの原因なのである。 ただもう少しテーマを絞って深く論じてほしかった。
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帯(というには大きすぎる)には村上龍の挑発エッセイ!とあるがそうは思わない。まともな知識と思考があれば2009年から10年の日本を見た場合の冷静な見方だろうし、意識の持ち方だろう。むしろこれを挑発ととらえる方が何かに狂わされてるんじゃないかと思う。
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内容的にはなるほどなことがたくさんだが、ボリューム的にどうなんだろう。少なすぎやしないか。 サイゼリアもイタリアも行ったことないが、なるほどなあと感じた。 便利さや快適な環境って人間をどんどん弱体化していくんだなと感じる。
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値段に対する内容が薄いなという印象。希望の国のエキソダス、愛と幻想のファシズム、半島を出よ、などの小説読んでいたので、エッセイでん述べられてることは既知のことがほとんどだった。 渇きがないところに欲望は発生しない、逆に言えば、他人の欲望を埋めるには、その人の渇きを知ればいい。...
値段に対する内容が薄いなという印象。希望の国のエキソダス、愛と幻想のファシズム、半島を出よ、などの小説読んでいたので、エッセイでん述べられてることは既知のことがほとんどだった。 渇きがないところに欲望は発生しない、逆に言えば、他人の欲望を埋めるには、その人の渇きを知ればいい。それが一番頻出するテーゼかな。 この本の全体としての内容については、特に書く必要はないと思うんだけども、一つ気になったことがあって、それは事実と価値の分離について。 村上龍は、知り合いの若い人を思い出しながら、「死人」と言う。けど、それは「死人」であることが良いとか、悪いとか言っているわけではない。欲望を持たずに自分の外にある未知のものを知ろうとしない態度がただもったいないと感じるだけだ。と主張する。 ここで、村上龍は、その若者が「死人」だという事実と、「死人」であることは良いこと、あるいは悪いことという価値を明確に分離できると考えている。確かに、事実と価値は時として明確に分離できる。日本には自殺者が年間三万人いる、ということは事実である。一方で、年間三万人の自殺者を生む日本の社会状況は間違っている、というのは価値である。というように。 では、この例と同じように若者は「死人」であるという事実と、若者が「死人」であることは良いこと、あるいは悪いことであるという価値は峻別できるか。それは不可能である。なぜか。生きている人を「死人」と呼ぶその時点で、「死人」と判断する主観が入っているからである。よって、そこには、自然科学的な意味での事実は存在しない。この若者は「死人」である、ということは主観的な解釈でなのであって、そこには既に村上龍の価値観が入り込んでいる。そして、「死人」という言葉の意味を考えたならば、まだ生きている若者を「死人」と呼ぶということは、その若者の生き方に対して、明らかに、「間違ってるぞ」という価値判断がなされている。なので、若者は「死人」ということは事実であって、それについて良いとか悪いとか言っているわけではない、と主張することはできないし、そう主張することは現実認識において、無意識的に混入する主観的な価値づけというものに無自覚であると言わざるを得ない。 しかしひょっとすると、村上龍は、生きている人を「死人」と判断するには、実はいくつかの客観的指標があって、それを満たして場合にその状態の呼称として「死人」という言葉を使っているんだ、と主張するかもしれない。「死人」に価値判断は無く、単なる記号、ラベルとしての「死人」だと。けれども、本人はそのように「死人」という語を独自の定義に則って使用しているとしても、「死人=ラベル」という定義がその他大勢の人の定義とかけ離れている、かつ、「死人=ラベル」という定義の正当性が歴史的事実として見出せない、という場合には、そのような定義で使うこと自体が間違っているである。 つまり、ここでは、いづれの場合であっても村上龍が「死人」についての事実と価値を峻別できるとしたのは誤りなのである。 なぜ、事実と価値の峻別にこだわったか。一つは、実用的な観点から。議論のすれ違いは、この事実と価値の混在に対して無自覚であることが多くの場合その原因である。なので、両者の混在に対して自覚的になって、議論を効率よく進めていきたいという思いがある。そして、もう一つは、倫理的な観点から。事実と価値の混在について無自覚であることは、人を傷つける可能性を絶えず孕むからである。
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『逃げる中高年、欲望のない若者たち』(村上龍著/KKベストセラーズ/1300円+税)。ブックデザインは鈴木成一デザイン室。 http://www.kk-bestsellers.com/cgi-bin/detail.cgi?isbn=978-4-584-13279-1 これは昨年...
『逃げる中高年、欲望のない若者たち』(村上龍著/KKベストセラーズ/1300円+税)。ブックデザインは鈴木成一デザイン室。 http://www.kk-bestsellers.com/cgi-bin/detail.cgi?isbn=978-4-584-13279-1 これは昨年発売された本ですが、私は先日初めて目にしました。ボール紙がそのまま上製本の表紙になり、天地小口が本文、表紙もろともにガツンと断裁されています。そして、カバーはなく、村上龍氏のポートレートが4色刷りされ、グロスPPがかかった幅の広い帯がかかっています。 帯コピーに「村上龍の挑発エッセイ!」とありますが、通常よりかなり厚いボールの表紙が、本文と一緒にガツンと断裁されている無骨な感じが、その内容と合っていていいなぁ、と思いました。 本文用紙はアドニスラフ(ブルー)で、新聞紙のようなグレーで、嵩高で軽い。そこに本文はゴシック体で横組されています。これ、なんで横組にしたのか、気になるな。 この本は、村上龍氏の本のブックデザインを多く手掛けている、鈴木成一さんの手に寄るものですが、同じく鈴木さんが手掛けられた、一昨年刊行の『すべての男は消耗品である。 vol.10』もグレーのカバーに、本文用紙は『逃げる中高年、欲望のない若者たち』と同じアドニスラフ(ブルー)、その前に刊行された『無趣味のすすめ』は、カバーから本文用紙まですべて同じ白い紙(包装紙などによく使われる「アカシア」という紙)と、どれも無骨で無彩色な感じが共通しています。鈴木さんが抱く村上龍氏の著作のイメージが、一貫してそんな感じなんでしょうか? 興味深いです。
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雑誌「メンズジョーカー」に連載されていたらしいが 男性向けの雑誌の方が読ませる記事が多い。 最近の女性向け雑誌はある層の人間をちやほやさせる記事ばかりでつまらない。読者モデルって…。 当たり前のような事を書いておられるが、その当たり前の事を過剰包装することなく公言する人が少ない...
雑誌「メンズジョーカー」に連載されていたらしいが 男性向けの雑誌の方が読ませる記事が多い。 最近の女性向け雑誌はある層の人間をちやほやさせる記事ばかりでつまらない。読者モデルって…。 当たり前のような事を書いておられるが、その当たり前の事を過剰包装することなく公言する人が少ないのは悲しい限り。
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この村上龍の本の内容・感想とは全く関係ないのだけれども、「たなぞう」に何かを書くのは、ほぼ1ケ月ぶりくらいだ。この間、全く本を読まなかったのだ。忙しかったから、とかという訳ではない。もちろん仕事は忙しいのだけれども、だからと言って、これほど本を読まない時期が続いたことはない。結局...
この村上龍の本の内容・感想とは全く関係ないのだけれども、「たなぞう」に何かを書くのは、ほぼ1ケ月ぶりくらいだ。この間、全く本を読まなかったのだ。忙しかったから、とかという訳ではない。もちろん仕事は忙しいのだけれども、だからと言って、これほど本を読まない時期が続いたことはない。結局理由は分からない。分からないままに、おとといくらいから、本を読む気分が復活している。読む気がなくなった理由が分からないのだから、本を読む気分が復活した理由も分からない。
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日々の生活に漂う閉塞感の正体を、村上龍が言葉にして表現してくれた。 年寄りの愚痴と捉えるか、かつての熱い若者からの提言と捉えるかはもちろん読み手次第だが、個人的には共感する部分が多かった。 人為的なバブル、すなわちアメリカの量的緩和(QE2)と、中国の経済成長8%維持路線が破綻...
日々の生活に漂う閉塞感の正体を、村上龍が言葉にして表現してくれた。 年寄りの愚痴と捉えるか、かつての熱い若者からの提言と捉えるかはもちろん読み手次第だが、個人的には共感する部分が多かった。 人為的なバブル、すなわちアメリカの量的緩和(QE2)と、中国の経済成長8%維持路線が破綻した時、その嵐のような変革の中で、この国はどうなってしまうのだろうか。座して死を待つわけには行かないのだが…。 成長を謳歌するインド・中国の大卒ですら就職できないという現実を前にして、BOP(Bottom of Pyramid)市場が開拓されつくした後の資本主義の形に思いを馳せずにはいられない。かつてWWⅡ後にイギリスが直面した衰退を、日本に住む僕らもまた経験するのだろうか。
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