A3 の商品レビュー
森さんのドキュメンタリーが、好きだ。最初に読んだのは、確か「放送禁止歌」だったと思う。アプローチが真摯、かつ、静かに熱いので。。。 本書は、購入後、ずっと積読本になってた。発刊から10年以上経ってから読んだが、かえって冷静な気持ちで読めたように思う。オウムが起こした事件の中心人...
森さんのドキュメンタリーが、好きだ。最初に読んだのは、確か「放送禁止歌」だったと思う。アプローチが真摯、かつ、静かに熱いので。。。 本書は、購入後、ずっと積読本になってた。発刊から10年以上経ってから読んだが、かえって冷静な気持ちで読めたように思う。オウムが起こした事件の中心人物の裁判を柱に、どうして事件が起こったのかを、インタビューを通じて考察していく内容だ。地下鉄サリン事件は今の会社に入った年に起こり、その日、同僚が勤務途中で目がおかしいといって病院に行ったのを思い出す。 メディアやカルトなどなどの云々はあるのだろうが、組織の崩壊はこのように起こるのだなぁ、、、というのが個人的率直な感想。そして、どのような企業や団体でも、似たような崩壊が起こる可能性はあるのだろう。肥大する組織とともに、絶大な権力を持ちながら自身の感覚を徐々に失うリーダーと、リーダーに忖度しながらも「虎の威を借る狐」の如く驕るサブリーダーたち。閉じられた枠組みの中で方向転換ができず、内外に対する疑心暗鬼の中で善悪の判断ができず、組織を守るためという建前で突っ走り、責任の所在がもやもやとしたまま、取り返しのつかないところまで行ってしまう。怖いことだが、程度の差こそあれ、やはりどんな組織にも起こり得ると思うのだ。
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オウムの真相に近づいてる。テレビ報道だけでは知らないことがたくさんあった! ・麻原は水俣病だった可能性。逮捕前からやや精神がおかしくなっていた点 ・世論により人権無視で国家から廃人にさせられたこと ・上層幹部が麻原にあれこれ情報を流したことで混乱→あらゆる殺人事件を誘発、引き起こしたこと ・目の見えない麻原は彼らの報告から、もうオウムを終わらせようと考え、最後の幕引きで地下鉄サリン事件に至ったこと
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教祖の収監状況を克明に記述されています。 かなり衝撃な内容も含まれています。 人権について、考えさせられます。
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オウムの事件は忘れてはならない。それは当然のこと。そして、それ故にきちんとした明確な答えが欲しかったのも事実。何故???が解決しないままま時間が過ぎ、風化してゆくのはやるせない。オウムの側からら見た真実もまた語られるべき大切な証言だ。
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図書館の本 読了 ヒトラーも自殺したからナチスの犯罪の原点みたいなものが究明されてないってこの本で知ったことになる。 何をどう考え、どうしてその犯罪に手を染めたのかが究明されてないのが怖い。 麻原もそうなのね。 去年解明されることないまま処刑されたのか。 どんな論理で動いていたかも解明されずじまい。 報道のタブーの一つにチッソの水俣病があるのも報道は押さえてるのね。 色々考えるところありました。
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オウムの一連の事件は、こういった流れで起こってしまったんだということが、今まで読んだ本の中では一番納得が行きました。 真実を追求するには、俯瞰して物事を見る目が大切だが、多くの人は手軽なテレビや雑誌などの情報によって物事を判断してしまう(そもそも真実はどうでもいいのかもしれない...
オウムの一連の事件は、こういった流れで起こってしまったんだということが、今まで読んだ本の中では一番納得が行きました。 真実を追求するには、俯瞰して物事を見る目が大切だが、多くの人は手軽なテレビや雑誌などの情報によって物事を判断してしまう(そもそも真実はどうでもいいのかもしれない)。 テレビや雑誌は、多くの人が望むであろう情報を提供する。そして、世論が形成され、司法までもが流される。 これは、リクルート、ライブドア、薬害エイズなど繰り返されてる。 AI検事、AI弁護士、AI裁判官の方がすっきりするかもしれない。
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オウム真理教事件の謎が明かされるとは思わず読んでいたけど、徐々に徐々に納得できる仮説が出来ていく。 真相は結局のところ、もう、永遠に分からなくなってしまったけれど、それでも、別の視点からオウムを、麻原彰晃を見れるようになったことはプラスだった。 いろんな立場からのオウムに対す...
オウム真理教事件の謎が明かされるとは思わず読んでいたけど、徐々に徐々に納得できる仮説が出来ていく。 真相は結局のところ、もう、永遠に分からなくなってしまったけれど、それでも、別の視点からオウムを、麻原彰晃を見れるようになったことはプラスだった。 いろんな立場からのオウムに対する考えを知る。オウム側に傾倒できるほどの信仰心も、反オウム側に属するほどの憎悪も持ち合わせていないから。何にも属していないから何かに属している人たちの気持ちに共感ができなくて、時折、理解しがたいような考えもあって、それがすごく気持ち悪くて気持ちよかった。あぁ、みんな生きた人間なんだなぁと、ある種、怪物と接していたような気持ち悪さから解放された。 もしかしたら、こういうことがあったから、と、推測したからって、もうどうにかなることじゃないし、世間は今となってはほんとうに今更なのだ。連日メディアを騒がせていたとかいうオウム事件は、麻原の死刑が実行される時には、それだけ。実行されました。と、まるでそれで全てが終わりましたといわんばかりに。この事件から、今、得られることって何か考えてみたっていいんじゃないの。
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オウム真理教を題材に撮ったドキュメンタリー映画『A』、『A2』。オウム寄りだと非難され、興行的にも失敗に終わったそれらの映画を撮った後でも著者の疑問は払拭されなかった。 大多数の信者(拘置所にいる元幹部信者も含めて)は優しい。善良で純真だ。そんな彼らがなぜこれほどに凶暴な事件を...
オウム真理教を題材に撮ったドキュメンタリー映画『A』、『A2』。オウム寄りだと非難され、興行的にも失敗に終わったそれらの映画を撮った後でも著者の疑問は払拭されなかった。 大多数の信者(拘置所にいる元幹部信者も含めて)は優しい。善良で純真だ。そんな彼らがなぜこれほどに凶暴な事件を起こしたのか? 九州から東京に出てきた麻原は、鍼灸院を開業し、その後ヨガ道場を開き、そしてオウム真理教を起こす。ヨガの修行者であった麻原は、宗教に傾倒していく。自らの悟りを追求していた彼が、どういう心理的な変遷から、多数の幸福のためならば少数をポアすることは善行であると考えるようになったのか? 数々の凶暴な事件は、麻原だけの考えから進められたことなのか? 麻原を取り巻く幹部たちが「尊師の意向を慮って」進めたことではないのか? 2006年、麻原彰晃の死刑判決は確定した。しかし、その裁判では、麻原と正常なコミュニケーションは全く取ることができなかった。拘置所の中でも、弁護人や家族との面会の際でさえも、異常な行動を繰り返していた。弁護人も再三精神鑑定を要求したが、裁判所は「詐病である」と断定。結局麻原の口からは事件の真相は全く語られていない。 著者がこの本で訴えているのは、麻原の裁判を続ける能力「訴訟能力」だ。麻原の犯罪責任能力を問うているわけではない。事件の真相を明らかにし、その上で量刑を決めるのが正しい裁判のはずだ。しかし死刑判決は出たけれど、真相は全く明らかにされていない。 多くの人々は、「これ以上裁判を続けてても真相など明らかになるとは思えないから、早く結論を出すべきだ」と思っている。「アブナイ人間は抹殺するべきだ」である。被害者やその家族も麻原の死刑を望んでいるだろう。しかし、それと同じくらいに、「なぜこんな事件を起こしたのか?」も本当は知りたいに違いない。 著者は東京拘置所で元幹部たちとの面会を重ね、また手紙をやり取りし、彼らの当時の心理や現在の心境を取材している。「あの時麻原はこう思っていたのではないか?」という不確実ではあるが、想像できるシナリオも巻末部分に載せられている。けれど、あくまで著者の想像である。 『A3』を書き終わった後も、著者の疑問は結局払拭されていない。真相は闇の中。総括もされない。そうして「得体の知れないものに対する恐怖心」だけが人々の中に残った。
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「オウム=狂気の極悪非道集団」という図式に少しでも異論を表明するのであれば、はじめに「私はオウムを弁護するつもりは毛頭ないが」との断りを入れなければ発言そのものが許されない空気がある。あった。 オウムの弁護をする=オウムの肩を持つ=オウムの仲間、という等式は本当は成り立たないの...
「オウム=狂気の極悪非道集団」という図式に少しでも異論を表明するのであれば、はじめに「私はオウムを弁護するつもりは毛頭ないが」との断りを入れなければ発言そのものが許されない空気がある。あった。 オウムの弁護をする=オウムの肩を持つ=オウムの仲間、という等式は本当は成り立たないのだが、「分かりやすい」説明は、いつのまにか疑うことが許されない絶対の真理として流布されていく。 森達也は事件の真相に近づきたいと思いオウムに接近した。そこで見たものは普通の人と「それほど違わない」信者と幹部(!)であり、一層「それではなぜ、普通(の範疇に入ると推定される)の人々があれだけの凶悪事件を起こしたのか」について考察した結果として本書がある。 オウムが事件を起こした事実は明白であり、死刑判決をもって、というよりは社会に危害を加えて「いる」テロリストへの処置として、実行犯・首謀者の排除について反対する意見は少数派だと思う。 無法者を「吊るす」のはよい。 しかし、(どれだけ内実がお粗末なものであっても)「法として定められた正規の手続きに従って」吊るすのと、「なんでもいいからさっさと」吊るすのには天地の開きがある。 敵がケチな犯罪者のうちは人権派弁護士も必要悪?として許容されるかもしれない。というか必要だろう。 しかし、敵が共同体に侵食し、組織犯罪や国家の乗っ取り転覆、侵略まで画策するようになると、いかに人権を盾にしようとも、排除「しなければならない」。 オウムは「特別」だから法の保護の外に置く、それでよいとする。では「特別」と「特別でない」ものの違いは何か。 大量殺人の時点で「普通」ではない。そうかもしれない。 では「普通」の人間が「普通でない」領域に踏み込むメカニズムは何なのか。 麻原彰晃という宗教家(としておく)が、教義にしたがって世俗から隔離された集団を作り、ほぼ全盲という「情報を周囲の人間からの報告に頼らざるを得ない」状況下で、被害者意識による恐怖と「転生」による救済信仰から妄想を悪化させ、そこにサリンを製造できる研究者と資金があった結果、-自壊した- という話かもしれない。 「動機」というものは、ロジカルなものであればこそ理解できるが、他人の妄想など理解できるはずもない。真相はどこまで行っても不明だと思う。 いずれにせよ、オウムの影響というよりグローバル資本主義の帰結として、世の中は変わった。 もっと簡単に。説明はわかりやすく。一言で。 もっとスピーディーに。急げ急げ。 儲かるネタの賞味期限は短い。オワコンはさっさと捨てて次のコンテンツに。 オウムは異常。異常者の集団が国家転覆を図った。だから死刑。この話は終わり。 麻原の死刑執行は森の予言通り「圧倒的な無関心」で終わるのだろう。
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こんな事件でも多面的な見方があるんだと実感。逆方向から見ることは勇気と忍耐を必要とするけど事実を知りたい、知るべきだという意思でそこまで動けるのはジャーナリストの中でも数少ないだろう。
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