A3 の商品レビュー

4.3

57件のお客様レビュー

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  2. 4つ

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2011/02/20

Aシリーズの最終回。 「なぜオウム事件は起きたのか」が丁寧に検証されていた。 オウム事件の後、メディアがどう変わったのかについても。 少しでも犯罪者に共感するような発言をする時には 「もちろん許される行為ではないけれど、」と付け加えなければいけなくなった。 ほほー。 すっかり「犯...

Aシリーズの最終回。 「なぜオウム事件は起きたのか」が丁寧に検証されていた。 オウム事件の後、メディアがどう変わったのかについても。 少しでも犯罪者に共感するような発言をする時には 「もちろん許される行為ではないけれど、」と付け加えなければいけなくなった。 ほほー。 すっかり「犯罪集団」としてのイメージが定着していたオウムだけれど 事件の前にはメディア露出が結構あったことも思い出した。 まだオウムやるか?と思いつつ買った本だったけど 読んで良かった。

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2011/02/07

おもしろい、といったら不謹慎なのか、不謹慎な事をおもしろいといったらまずいのかわかんないけど、そんな感覚もふくめてなんだかんだでおもしろい。興味深いとかいういいかたで逃げる事もできるのかもしれないけどおもしろい、といってしまったほうがすっきりする。

Posted byブクログ

2011/02/19

暮れに本屋で「A3が出てる~」と見かけて、買うかどうしようかとぴらぴら立ち読みしたが、ちょっと厚いのでやめて、図書館にリクエストを出していた。思ったより早く本がきて、うしろに予約待ちの人がいるというので先に読む。校正仕事の合間あいまに、数日で読みおえる。 「A」も「A2」も見た...

暮れに本屋で「A3が出てる~」と見かけて、買うかどうしようかとぴらぴら立ち読みしたが、ちょっと厚いのでやめて、図書館にリクエストを出していた。思ったより早く本がきて、うしろに予約待ちの人がいるというので先に読む。校正仕事の合間あいまに、数日で読みおえる。 「A」も「A2」も見たし、本も読んだけど、「A3」が連載されていたことは全く知らなかった。2005年~2007年のあいだ、月刊PLAYBOY誌に書かれたものが、この本のもとになっている。 前作とはちがい、『A3』のAは意味がこめられている。麻原彰晃のAだ。連載時に同時並行で進行していた麻原法廷の顛末が主軸となっている。 ▼思い出してほしい。考えてほしい。あの事件はなぜ、どのように起きたのか。彼と事件によって、この社会はどのように変わったのか。現在はどのように変わりつつあるのか。  そして彼とはいったい、何ものであるのかを。何を思い、何を願い、何をしようとしていたのかを。(p.11) 近代司法は、どんな容疑者も有罪確定までは無罪と推定される存在だという「無罪推定の原則」を、法にもとづく「適正手続き(デュープロセス)」、どんな行為が罪になりどういう罰が科されるかはあらかじめ法律でさだめておくべきという「罪刑法定主義」とともに、最重要なものと位置づけている。そのはずだった。 どうもその原則が守られていないらしいということは少しずつ分かってきているが、たとえ建前であろうとも、この原則が大事だということは揺るぎないものだと私は思っていた。 『A3』を読むと、その「最後の一線」がずずずっと消されてしまったような怖さを感じる。一審判決確定で審理が打ち切られた異例づくめの異常な裁判は、麻原だから、オウムだからという理由で、構わないのだということになってしまった。オウムには常識もくそもないやろ、オウムに人権なんかあるか!といわんばかりの世論、そして識者のコメント。その勢いは、「北朝鮮」につながるものに対しては何を言っても、何をしても構わないというのと似ていると思える。 ▼確かに僕も、仮に麻原彰晃が正気を取り戻したとしても、法廷の場で事件の真相が解明されるという全面的な期待はしていない。その可能性はとても低いと考えている。  でもだからといって、手続きを省略することが正当化されてはいけない。「期待できない」という主観的な述語が、あるべき審理より優先されるのなら、それはもう近代司法ではない。裁判すら不要になる。国民の多数決で判決を決めればよい。国民の期待に思いきり応えればいい。ただし、その瞬間、その国はもはや法治国家ではない。(pp.272-273) 例外が判例となっていく怖さ。森が書くように「誰かに適正な裁判を受けさせる権利を守ることは、僕らが公平な裁判を受けるための担保」だと思うが、その担保が空証文になってしまったような怖さ。 麻原被告の状態はおかしい、少なくともこのままで裁判を維持できる精神状態とは思えない、というのが裁判を傍聴し、麻原被告に面会した人から様子を聞いた森の印象だった。だが、メディアではそれは「詐病」なのだ、刑事責任を逃れようとしているのだと大量に報道されてきた。 「詐病」という章の、裁判所に精神鑑定を依頼されて「麻原被告に訴訟能力はある」と結論づけた鑑定書の話を読んでいて、私は『「おっちゃん」の裁判』を思い出してならなかった。手話もできない、字も読めない、もちろん口話も無理というおっちゃんを訴訟能力ありと断じた検察の、理解しがたい理屈と同じようなものを、この鑑定書に感じた。 森達也は、オウムを「絶対的な悪」として描くことをどうしても受け入れられなかった一人だが、世の中の勢いとしてはこっちが絶対的な少数派なんやなあと、厚い本を読みおえてつくづく思う。いま貸出の旅に出ている「A」と「A2」が戻ってきたら、またみてみようと思う。思い出して、考えるためにも。

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2011/10/27

読み始めてすぐに胃のあたりに何かカタマリができたような感じがして、読み進むにつれてそれが大きくなっていくようだった。私たちが知ることができるのは起きていることのほんの一部でしかないし、それも偽りだったりするのだとつくづく思い知らされる。金井美恵子さんが、ものを考えるというのは「消...

読み始めてすぐに胃のあたりに何かカタマリができたような感じがして、読み進むにつれてそれが大きくなっていくようだった。私たちが知ることができるのは起きていることのほんの一部でしかないし、それも偽りだったりするのだとつくづく思い知らされる。金井美恵子さんが、ものを考えるというのは「消費するためにたれ流されるイメージを無意識かつ無防備に消費しないということ」だと書かれていたことを、あらためて思い返した。 麻原死刑囚がきちんとした文脈で何かを語ったら、見えてくるものがあるのだろうか。根拠はないが、ないような気がする。少なくとも多くの人が納得するほど事件の解明がなされることはないだろう。 それでも、これはフェアではない。彼に対して司法がしてきたこと、彼の家族に対して社会が行ってきたことは、断じてフェアではない。そのことに打ちのめされる。 自分だって心のどこかで思ってきた。「オウムは特別だから」。そして気がつくと「特別」はあっちにもこっちにもある。 もしも何か思いも寄らないことが自分や自分の大事な人たちの身に起こったら…。そう考えることはとても怖ろしいが、そういう恐れを辛くも支えるのは、そういう時でも自分たちはフェアに扱われるだろうという社会への信頼ではないだろうか。 だから、こういうことがあってはならないのだ。傷つけられているのは私たちなのだ。同時に加害の責めを負うのもこの社会であり私たちだ。知りたいことだけを知ろうとし、見たくないものは異物として捨てていく。いったいどれだけのものが私の視野の外にあるのか。 村上春樹さんがかつて、マスコミの狂騒に巻き込まれて疲れ切ったあげく「それでもこの状況に自分も加担している。それはずいぶんまわりくどい隘路を通じてではあるが」と書いていた。内田樹氏は「私たち全員が同意署名した」という言い方をよくしている。誰もこの社会のありようを「外から」批判することはできない。私が筆者に共感するのはそこだ。ためらいもなく自分を「善」「正義」の側に立つものとしてものを言う人とは違う姿勢をいつも感じる。時に迷い揺れながらそれでも何かに向かっていく姿を信頼している。書かれていることの全てに納得したわけではないが、断然支持!である。

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2011/01/16

 この本に先立つ『A』『A2』という映画も見ました。いずれもオウム真理教のあの地下鉄サリン事件をきっかけにして,そのオウムの側から日本の現代社会を映した映像です。人権を無視する一般的な日本人の姿に唖然としました。  本書もまた,同じような編集姿勢で書かれています。  オウム以後,...

 この本に先立つ『A』『A2』という映画も見ました。いずれもオウム真理教のあの地下鉄サリン事件をきっかけにして,そのオウムの側から日本の現代社会を映した映像です。人権を無視する一般的な日本人の姿に唖然としました。  本書もまた,同じような編集姿勢で書かれています。  オウム以後,私たちの社会はどうなってしまったのでしょうか。それは私たちが望んでいた変化の方向なのでしょうか。それとも大きく方向を間違えてしまったのではないでしょうか?  「オウムがわるかったのだ」「あいつらだけ人殺し集団だ」と判断して,そこで停止している日本人のなんと多いことでしょう。でもあの事件をそれで終わりにすることで,私たちは,今まで以上にやばい世の中を作っているのかも知れません。  年末の新聞の書評欄を読んで知った本です。こういう本が,もっともっとたくさんよまれることを願います。  本書の大部分は,2005年~2007年にかけて『月刊・プレイボーイ』に連載された記事を元にしてあります。麻原彰晃たちの裁判が現在進行形で進んでいる中で書かれていった連載記事は,すごく臨場感のある作品に仕上がっています。分厚い本でしたが,一気に読んでしまいました。

Posted byブクログ

2013/07/20

再読です。一読めは、とても面白かったのだけど、驚きとおぞましさが同居していて、大きな衝撃は受けながらも、どこか上滑りしたいたような気がします。そして、二度目を読み終わった今、そっか・・ここがこうなって、ああなったの・・??という、私なりの道筋が繋がり、またまた、ショックを受けてい...

再読です。一読めは、とても面白かったのだけど、驚きとおぞましさが同居していて、大きな衝撃は受けながらも、どこか上滑りしたいたような気がします。そして、二度目を読み終わった今、そっか・・ここがこうなって、ああなったの・・??という、私なりの道筋が繋がり、またまた、ショックを受けているところ。地下鉄サリン事件の数日前、「防毒マスクの大量購入」という記事が載っていた、という話がもしかして全ての発端??と思うと恐くてたまらない。実は、明日、「A3」のオフ会、が東京であるので参加する予定。森さんご本人もいらっしゃるし、いろいろな人のお話を聞いてみたい。・・・と、とても楽しみにしていたのに、なんと当日の昼にあの地震が。私はもちろん、東京に着いていたのだけど、夜のオフ会は中止になりました。あんなに酷い地震だったのだから、それは仕方のないことで、今度の機会を待つことにします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一読め よかった!!とてもよかった!!「A」「A2」に次ぐオウム本で、前二作とはまた違った意味で、今の日本を見直す大事な存在になりました。何がなんでも麻原吊るせ!の世論の中、(今の日本の法律と彼のやったことを踏まえれば、私も死刑は順当な帰結・・・だと思うけど)やはり、この実情はおかしい。責任能力と訴訟能力を取り違えている(故意になの???)国の恐ろしさ。誰が見てももう、まともな精神状態ではない麻原(松本と言うべきか?・・・ここではとりあえず麻原で統一します。)をなぜきちんと精神鑑定しよう、とはならないのか。常におむつを当てているのに部屋の中はそこから漏れた糞便ですさまじい有様になっているとか、面会に来た娘たちの前で自慰を始め射精までしてしまうとか、ここ何年も意味のある言葉をしゃべってないとか・・。こんな詐病ってあるもんだろうか。人は死刑を恐れるとそこまで“意志強く”病気のまねができるものなのだろうか。麻原は、地下鉄サリンやその前の松本、またその前の教団内外の殺人には関わっていた。それは自明のことなのだけど、逮捕後の多量の投薬その他により精神を病んでしまったのは、事実なのではないだろうか。弁護士も医師もまた傍聴人もそれを指摘しているのに、そもそも世の中の人はほとんどそれを知らないし、御用医師がとんでもコメントを述べたりしてまた世論を撹乱してしまっている・・。精神科の医師たちは、ちゃんと治療をすれば治る病気だと言っているし、そもそも、詐病かどうかの正式の鑑定をしてみよう、という話にならないのはなぜ???私は、なぜ、あんな酷い地下鉄サリン事件を起こしてしまったのか、本当のことが知りたい。森さんは、特異な存在感の教祖の歓心を買うべく無意識に危機感を煽ってしまった弟子たちと、大言壮語の日常だった教祖がそれに乗っかりどんどん引っ込みがつかなくなってしまった相乗効果ではないか、(なんか、上手くまとめられない。もう何度か読み返してみたい。)といったようなことを丹念な取材から想定されているけど、それにしても、麻原本人の口からきちんと経過を語ってもらい、被害者や遺族に謝罪の気持ちを持ってもらいたい、と思う。犯行時の責任能力はあったのであろう麻原だが、今現在、訴訟能力はすっかり失われている・・と思う。彼を治療し、治してから死刑へ、というのはなぜダメなのだろうか。これは、オウム真理教という一つのカルト集団とその被害者だけの問題ではなく、それを私たち一般人が何も知らないまま、徒に恐怖感を与えられ、国家権力・警察の力をいつの間にか大きなものにさせてしまったという、非常にまずい状態なのではないだろうか。

Posted byブクログ

2019/01/16

とてつもなく暗い気持ちになります。でもこういう本を読むことも必要かなと。 結局誰にももう真実は分からないんでしょうね。

Posted byブクログ